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第1章第1話「俺はオレ、ダレが誰?」

 はるか遠い昔、地球という惑星に地球人という人類が住んでいたことを知る者は、惑星Xにはほとんどいなくなってしまった。
 惑星Xが地球と少しばかり異なる星であり、自分たちが地球人と少しばかり異なる人類であることも。
 これは、そんな惑星に生まれ育ったひとりの少年の、自分探しの旅の物語である。
 だが・・・
『オレはオレが何者であるかを知っている。なのになぜ自分探しをやらなくちゃならない?』

     ★     ★     ★

 まもなく夕暮れが訪れようという時刻。
 ひとりの少年が、荒野をとぼとぼと歩いていた。
 合成繊維のツナギの上に、ダボッとしたジャケットをはおっている。背負ったバックパックの後ろに、スノーボードらしきものをぶら下げている。ボーダーだろうか? いや、まわりの荒野には雪はおろか水さえもろくに見かけない。赤土と砂利と岩場だけが、乾いた太陽に陰影を刻まれている。

 ぐぅ〜〜〜〜〜。キュルルルルル。

 少年の腹の虫が鳴った。他には虫の声すら聞こえない荒野に、はっきりと響き渡った。そのさまがおかしくて、少年自身が力無く苦笑いをした。
「最後に食ったのは・・・昨日の朝のパンか・・・腹減ったなぁ〜〜〜〜 ・・・金もないし、そもそも街らしい街さえ見えやしない・・・」
 年の頃は14、5であろうか。目鼻立ちがはっきりした、精悍な顔立ち、であろうと想像されるが、いかんせん空腹状態で力が入らない、そんな表情をしていた。足取りが重い。
 ニットの耳あての上に、風変わりなプラスティック・ゴーグルをかけている。レンズの代わりに、細長いスリットが入ったゴーグルは、ちょうどキツネの面のようだ。ご丁寧にも、ゴーグルのベルトの後頭部部分には、キツネのしっぽのアクセサリーがぶら下がっている。そういえば、背中のボードにも、疾走するキツネのイラストが描かれている。少年のトレードマークだろうか。
「・・・もうダメだ、歩けない・・・」
 少年はガクッとひざまづくと、芝居がかったように、わざと大げさにひっくり返った。空腹状態で歩き続けて、いいかげん嫌気がさしたのか。
 すると、少し離れた場所から、カチャカチャという音が聞こえた。
「・・・・・・・・・?」
 少年は立ち上がる気力もなく、ほふく前進で音のする方角へ進んだ。枯れ草の影に、窪地があって、そこからカチャカチャは聞こえた。
 枯れ草越しに、少年は様子をうかがう。
「どうしよう、どうしよう・・・」
 小さな女の子の姿が目に入った。半ベソ声の主が、カチャカチャ音の源でもあった。窪地には、横倒しで泥だらけの赤い電動スクーターが転がっていた。それを女の子は必死に動かそうとしていたのだ。
 ピンクの髪を頭の両横でまとめ、デニムのオーバーオールを着た女の子、6〜7歳だろうか。小さな手を油まみれにしながら、なんとかしてスクーターを動かそうと必死だ。よく見ると、荷台からこぼれ落ちたのだろう、野菜やパンが詰まった袋がひっくり返っていた。
 状況はなんとなくわかったが、あえて少年は女の子に問いかけてみた。
「どうしたの? おじょうちゃん」
「!? 誰?」
「とおりすがりの者さ。スクーター、壊れちゃったの?」
「・・・お買い物に行って帰ろうとしてたら、ここで転んじゃったの。そしたら動かなくなっちゃったの・・・」
 人ひとりいない寂しい荒野で、少年の顔を見て、優しい言葉をかけられたせいか、女の子は今にも泣き出しそうになった。
 くりくりした瞳が潤んで、夕日を反射している。まつげの長い、幼い顔立ちが、なんともかわいい。
 少年は立ち上がると、背中の荷物を降ろして、こう言った。
「大丈夫! オレに任せな。こう見えてもオレ、『直し屋』なんだぜ!」
「直し屋?」
「そうさ。この程度ならすぐに直してあげるよ。まあ見てて!」
 少年は窪地に飛び降りると、女の子のわきにしゃがみ込み、スクーターに手を当てた。
「・・・ふうん、機械的におかしなところはないな・・・いや、駆動系に少しゆるみが出てるか・・・でも、動かないのは、たぶん電気系統・・・転んだショックで、接点不良が起きてるんだ」
「わかるの? さわっただけで? すごおい!」
 女の子の泣きべそ顔が、パアッと明るくなった。
「それだけじゃないぜ!」
 少年は、スクーターのサイドカバーを外すと、素手で電気系をいじり始めた。工具などなにも使わず、素手で!
「・・・うわああ・・・」
 女の子は、くりくり瞳をまんまるにして、少年の手さばきを見つめていた。少年は、まったくの素手で、ものすごいスピードで、スクーターの修理を始めたのだ。

     ★     ★     ★

 同じ頃、同じ荒野には、1組の少年少女がいた。
 2台の小型の電動カート、不整地用に大きなタイヤを付けたその1台の座席で、ひとりの少女がほおづえを付いていた。
 ブスくれた表情で、少女は言葉を発した。
「まったく、こんなヘキ地でなにをしろっていうのよ! 一日がかりでなんの収穫もないじゃない! あってたまるもんですか、こんなところで!」
 かわいげのないしゃべり方で、少女はあからさまに不満をこぼした。
「しかたないだろう? 研修なんてこんなモンだよ」
 そう言ったのは、もうひとりの少年の方だ。
「だいたいねえ、あたしたちスイーパーの役目ってのは、階層を越えた侵入行為を摘発することでしょ? 上には3つも階層があるのに、ここは最下層よ! ゴミための『ウェイスト』よ! 階層を越えるっていうのは、少しでも上の階層に潜り込むって事でしょ! わざわざ最下層に忍び込もうなんてヤツが、いるわけないじゃない!」
「だから、そっちは正規隊の役目だろ? ボクたちは見習いの予備隊員なんだから。それに今日が実地研修初日で、しかもねえヒビナ、キミは初っぱなから教官を置いてきぼりにして、ボクらだけで捜索訓練に出ちゃったんだから! そうそう簡単に侵入者が見つかるかって!」
「うっさいわねえ、あたしのやり方が気に入らないなら帰っても良いのよ、フォルケ!」
 少女はヒビナ、少年はフォルケ。そういう名前らしい。2人は仕立ての良いジャケット姿に、下にはシャツとベストを着込んでいる。フォルケは1タックのズボン、ヒビナはプリーツ入りのスカート。2人ともベレー帽をキッチリとかぶった、おそろいの制服姿だ。彼らの言葉にあった、スイーパー予備隊員の制服である。
 ついでながら補足すると、スイーパーとは、彼らが言ったとおり、「階層」と呼ばれる居住区画を、無断で侵害した者を捕らえる組織である。この世界には、上下関係のある階層が公式には3つ存在し、上からゴールド、シルバー、ブロンズと呼ばれる。階層は、人間として生まれ落ちたときからすでに決定づけられており、おのおのの階層を出たり、違う階層に入ったりすることは許可されていない。さらに、どの階層にも所属しない、つまり「はみ出し者」は、ウェイストと呼ばれる「捨てられた階層」に送り込まれる。この荒野はまさに、ウェイストの居住区画の一つなのである。
 予備隊とは、スイーパー正規隊を目指して訓練中の見習いのことである。16歳から正式採用される正規隊に対し、予備隊は14〜5歳の少年少女が中心だ。ヒビナとフォルケは、実地訓練のためにここウェイストに送り込まれたのだ。この世界、理由はさまざまだが、自分の階層を抜け出して、違う階層へと侵入しようという者が後を絶たない。2人は、一見しただけではわからない違反者を見抜く目を養うために、ここで訓練中なのである。
 フォルケは、ちょっと見、端整な顔立ちの育ちの良さそうな少年、いいとこの坊ちゃんといった風情だ。物腰も語り口も、品の良さがにじみ出ている。だが、制服はなんとなくツンツルテンな着こなしで、いかにも着られているといった感じだ。見習い予備隊員であることが一目でわかる。
 ヒビナの方は、つやつやとした長い髪、張りのある白い肌、涼しげな目もとに知性的な口もと。背はそれほど高くはないが、すらりとしたスレンダーな体躯に、長い手足。少女モデルのようなスタイルの良さに、制服姿の立ち居振る舞いも映える。こんな荒れ果てた地にはまるでふさわしくない。一言で言うなら・・・
「だいたいねえ、フォルケはあたしのやり方に文句が多すぎるのよ。少しはありがたがって当然じゃないの? 同期ではナンバーワンの美少女と同じ組なんだから」
 自分で言ってしまった。
 だが、事実、誰が見てもそう思うだろう、というほどのヒビナの美少女っぷりだった。
 なのに、透明感のあるピンクの唇を歪めながらそんな悪態をつくものだから、フォルケの方はすっかり困りはてていた。そもそも長い研修期間中、同じ組だったフォルケは、ヒビナのわがままぶりに振り回されっぱなしだったのだ。
「どっちが文句多いんだよ! それに自分勝手ばかりやってさ!」
「あたしくらいの実力があれば、こんな人捨て場のウェイストじゃなくて、ゴールドとかシルバーに行っても通用するっての! そしたらすぐにでも違反者をとっつかまえてみせるわよ!」
「実力ったって、研修の成績はボクやアザクの方が上だったじゃないか? キミ、同期では7位だったろ?」
「うっさいわねえ! 研修と実地は違うっての!」
「トップのメイペ・シノリとは20点ぐらい差があったじゃないか!」
「メイペがなによ! あんなブリブリのいい子ちゃんブリ女!」
「メイペは優しかったなあ・・・お茶の時間に手作りクッキーくれて・・・美味しかったなあ・・・」
「顔はあたしの方が良かったじゃない」
「どうかなあ、好みの問題だと思うけど」
「あーッ! もう! そんなにメイペがいいなら、メイペと組みゃいいでしょ! あたしはひとりで十分よ!」
「いいのかい? そんなこと言って・・・この組み合わせを決めたのは、キリィ隊長なんだよ?」
「キッ・・・キリィ隊長?」
 とたんにヒビナの顔が真っ赤になった。フォルケはニヤニヤしている。
「・・・そ、そのとおりよ、あたりまえでしょ、キリィ隊長のなさることにあたしが不満を持つわけないじゃない! ちょ、ちょっとアンタを試しただけよ」
「試したってなにを?」
「アンタがあたしについてこれるかを」
「なんだよ・・・そりゃ・・・」
「ああ・・・キリィ隊長・・・あたし、負けません。こんな試練も、キリィ隊長があたしに、あたしだけに才能を認めてくださったからと信じています・・・」
 急にさっきまでの不満たれ娘が、瞳に星をキラキラさせながら、夢見るオトメの顔立ちになった。その極端な豹変ぶりにあきれながら、フォルケはなんとかヒビナをなだめすかすことに成功したと、胸をなで下ろしていた。
『ヒビナのヤツ、キリィ隊長へのあこがれはハンパじゃないからな・・・ いざというときは、隊長の名前を出すに限る』
 そのヒビナは、フォルケなどアウトオブ眼中で身悶え。
「キリィ隊長・・・あああああああああああああああああああああああああああ・・・」
「もういいってば! 見てる方が恥ずかしい! いくぞヒビナ!」
「えっ!? ちょ、ちょっと待ってよ!」
 フォルケは自分のカートに乗り込むと、もう少し人のいそうな集落を目指そうと発進した。だいたい、ヒビナは功を焦るわりに、無計画すぎるのだ。
『なんであんなに焦るんだろう、ヒビナは・・・ メイペに対する対抗心だけじゃないよな・・・』
 そう思いながら、フォルケはヒビナのカートを従えて荒野を走り続けた。

     ★     ★     ★

「よっしゃ! これでオーケーだ! 動かすよ」
 そういってスクーターを起こしながら、少年は起動スイッチを入れた。

 ブウゥン!
 シュルルルルルルルルルルルルルルル・・・

 なめらかで軽快な音を立ててモーターは回転を始めた。
「動いた、動いたァ!」
 女の子は大喜びで少年にしがみついた。
「試運転だ。乗って!」
「うん!」
 少年がシートにまたがると、狭いシートの後ろに女の子はチョコンと飛び乗り、少年の背中にひっついた。
「飛ばすぞォ!」
「いっけぇぇぇぇ!」
 少年がアクセルを全開にすると、ちっぽけな電動スクーターが、豪快なウィリーをした。

 ブゥウォオオオオオオオオンッッ!!

「すごおいっ! 前よりすごくなっちゃった!」
「あったりまえだ! オレがいじると、元よりすごくなるんだ!」
 そのまま少年はスクーターを発進させた。
 派手な砂煙をまき散らしてスクーターは荒野を駆け抜けた。小さなスクーターが猛り狂う轟音を上げながら、オフロードバイクのように荒れ地を縦横無尽に走り回る。
「キャッホオオオオオオォォォウウ!」
 女の子は大喜びだ。
 岩場をジャンプし、水の枯れた河原をジグザグに走り抜け、砂塵を巻き上げてドリフトし、小高い丘を軽々と駆け上がった。

 キキイィィッッ!!

 テールスライドさせながらスクーターを停め、モーターを切る。
「こほ、こほ・・・」
「あ、ごめん、やりすぎちゃったかな?」
「ううん、すごいよ! 楽しかった! お兄ちゃんカッコよかった!」
「へへ・・・そりゃどうも」
「ありがとう、お兄ちゃん! あたし、エトワ。お兄ちゃんの名前は?」
「オレか? オレは、トラッシュ」
「トラッシュ?」
「そうだ。それがオレの名だ」

 キュルルルルルルル・・・

「あれ? まだモーター回ってる?」
「あ、いんや・・・今のはオレの腹の虫・・・」

 キュルルルルルルルルルルルルルルル・・・・・・

「トラッシュ、お腹空いてるの?」
「そ、そうなんだ、へへ、昨日からなにも食べてなくて・・・」
「ねっ、トラッシュ、エトワんちに来ない?」
「エトワの家に?」
「そっ! トラッシュにお礼をしたいの! ごちそうするから、エトワんちにおいでよ! おじいちゃん、料理上手だよ!」
「ご、ごちそう・・・ゴクリ」
「うん、なんなら、泊まっていけば?」
「あ・・・ありがたい・・・ほんとなら・・・」
「ほんとだってば! 行こ! 案内するよ!」
 正直、トラッシュにはエトワの言葉がありがたかった。マトモな食事にありつけるのも、暖かい寝床も久しぶりだった。この際、このエトワという子の好意に甘えよう。
 トラッシュはバックパックとボードを背負うと、再びスクーターにまたがった。エトワはスクーターのリアキャリアに買い物を縛り付けると、今度はトラッシュの前に座り、ハンドルバーに捕まった。
「行くぜ!」
 そう元気よく叫んだのは、エトワの方だった。
「おう!」
 トラッシュはモーターに火を入れ、発進した。
「エトワ! 方角は?」
「西だよ! 西に向かってまっすぐ!」
 ちょうどいい。トラッシュの行く先も西だった。西になにかがあったわけじゃない。ただなんとなく西を目指していたトラッシュは、沈み行く夕日を目指してスクーターを駆り立てた。

     ★     ★     ★

「・・・って結局、なにもないじゃない・・・」
「おっかしいなあ・・・地図によると、このあたりに集落があるハズなんだけど・・・」
「もぉ〜〜〜飽きた飽きた飽〜き〜た〜! おんなじ景色ばっかりで、かれこれ20分も走り続けてるのにぃ〜」
 ヒビナとフォルケは、カートの無線で会話していた。ぐずぐずしていると、今日の研修時刻は終了を迎えてしまう。なんの収穫もないまま研修初日を終えるなんて、プライドの高いヒビナには耐え難い屈辱だった。もしこれであのメイペに出し抜かれでもしたら、あたしはどうすればいい?
「ウェイストの集落はときどき消えて無くなるそうだしな・・・ あんまり土地に執着しない人たちみたいだから。ウェイストって」
「世捨て人っていうか、ホントに捨てられた人たちだからでしょ」
「口がすぎるぞ、ヒビナ! 階層が違うからって、あの人たちにだって人権もプライドもあるんだから」
「最下層よ! ウェイストは! そんなもんあってどうするの! ゴールドやシルバーならまだしも!」
「・・・ホンットにキミは口が悪いよなあ・・・」
「もおぉ〜〜〜ヤダヤダヤダ! ほこりっぽいのヤダ! 早くお風呂に入りたい! お腹も空いた! ふかふかのベッドに入りたい!」
「そう言うなよ。時間ぎりぎりまで粘ってみようよ。少なくともその努力はしたほうが、あとあと教官の印象も良くなるだろうし」
「あたし帰る。フォルケ、後やっといて」
「や、やっといてって、キミねえ!」
「なんか発見したら、2人の手柄ということで・・・」
「なんだそりゃ! そんなムシのいい話!」
「あたしたちチームでしょ! チームの手柄は仲良く分け合うべきよ! じゃあね!」
 フォルケは口あんぐりだ。ワガママにも程度というものがある。
 すると、ヒビナは本当にカートをUターンさせ始めた。ウィンカーも出さずに。
 そこへ、一台のスクーターが突っ込んできた!
「危なーーーーーーーーーーーーーーーいぃっっっ!!!!!」
 フォルケは、心臓が口から飛び出しそうになるほど驚き叫んだ!
 ヒビナは、大あわてでハンドルを切る!

 キキキキイイイィィィッッッ!

 スクーターはブレーキの悲鳴を上げながら、ヒビナのカートを間一髪で避けると、草むらに突っ込んだ!

 バサアアアッッッ!!!

 ヒビナもまた、激しくブレーキングすると、ハンドルに突っ伏した。
 心臓がバクバク言っている。荒い息がヒビナののど元を突き上げる。
「ヒビナッ! 大丈夫?」
 フォルケがカートを停めて駆け寄ってくる。ヒビナは返事もしないでハンドルに突っ伏したままだが、見た目にケガがないようなので、フォルケはほっと安堵した。
 そして、すかさずきびすを返すと、スクーターが突っ込んだ草むらに駆け寄っていった。
 草むらに転がっていたのは、電動スクーターだけだった。オートでストップしたモーターはシンと静かで、前輪だけがカラカラと空転していた。フォルケは運転者の姿がないことに動揺していた。
「ふう、間一髪・・・」
 と、フォルケの後ろから男の声がした。どうやら運転者は、スクーターをとっさに乗り捨てていたらしい。すぐさま振り返ると、そこには・・・
 空中にフワフワと浮かんでいる、男がいた!
 フォルケは、眼前の光景を信じられないという表情で、口を開けて見ていた。

     ★     ★     ★

「あっぶねえなあ! 気を付けろよ!」
 フワフワ浮かんでいる男は、そう言った。だが言葉ほど怒っている雰囲気はない。
「あ、ああ、すみません。ケガはないですか?」
 フォルケは自分を落ち着かせるようつとめ、男をさらに凝視した。男はよく見ると、小さな子供を腕に抱いている。男の年格好は、フォルケと同じくらいか。スノーボーダーのようなジャケットを着込んでいる。さらに良く見ると、男はスノーボードの上に乗っていた。荒野に吹く風に揺られて、そのボードがフワフワと地面から浮かんでいたのだ。
「ケガはないよ。大丈夫・・・だよな? エトワ?」
「うん、ぜんぜん平気! トラッシュ、すごいね! 今のよけ方!」
「へへ、まあな・・・」
 フォルケの眼前の男と子供は、トラッシュとエトワという名前らしい。目の前の光景がまだ信じられないフォルケだが、とりあえず大事に至らなかったことで、胸をなで下ろした。そして、トラッシュに問いかけた。
「キミ、それ、その空中浮遊能力って、もしかしてキミの『アート』?」
「アート? なんだそれ?」
 すると、2人のかみ合わない会話は、荒野に響き渡る金切り声で切り裂かれた。
「ちょおおおおっとおぉぉぉ! なんなのよアンタぁぁぁぁ!!!!!」
 ヒビナだ。ヒビナが真っ赤な顔をしてこちらへ向かってくる。フォルケは背中がぞくぞくっとした。もともと怒りっぽいヒビナだが、これほどまでに怒っている姿は見たことがない。
「どうしてくれんのよぉぉ! あたしのカート、ブレーキが焼き付いちゃったわよ!」
 だが、そんなヒビナに対し、トラッシュは冷静だった。
「なーに言ってんだよ。自業自得だろう? キミは周囲を確認しないで、とつぜんUターンしたんだぜ? どっちが悪いんだよ」
「どうもこうもないわよ! あ・た・し・の邪魔をする方が悪いに決まってるじゃないの!」
 あちゃあ。
 また始まった。フォルケは目を覆った。ヒビナがキレると、理屈は通らない。何事も自己中心的なヒビナにとっては、ものの道理よりも、自分の思いどおりに事が運ぶかどうかが重要なのだ。
 こんなだだっぴろい荒野で、カートとスクーターがぶつかりそうになるとは、運が悪いといえなくもないが、不注意だったのは明らかにヒビナの方だ。それなのに・・・
「妙ないいがかりだなあ。お巡りさんを呼ぶまでもない。そっちが悪いんでしょ?」
「アッタマ来る言い方ねえ! アンタ! ちょっとコッチ来なさいよ!」
 それにしても、頭に血がのぼっているヒビナに対して、トラッシュはひょうひょうと、とぼけているかのように冷静だった。それがヒビナの神経を逆なでしていると思うと、フォルケはヒヤヒヤしていた。
 トラッシュの方は、これはなにを言っても無駄だ、そう悟ったのか、浮遊しているボードから飛び降りると、エトワを地面に降ろして、ヒビナの前に歩み寄った。
「まあまあ、そうアツくなるなよ」
「これが落ち着いていられます・・・か・・・って・・・アンタ?」
 ん?
 フォルケは思った。ヒビナの様子が変だ。急速にヒビナの顔色が冷めていくのがわかった。
 ヒビナは、しげしげとトラッシュの顔を眺めると、けげんそうな表情で、言った。
「アンタ・・・アザク?」
「はあ?」
 トラッシュはそう答えた。
 フォルケは、ヒビナの口をついた意外な名前に、再び驚かされた。そして、トラッシュの顔を振り返る。
「アザク! アザクでしょ? 汚いカッコしてるからわかんなかったけど、アンタ、こんなとこでなにしてんのよ! アンタはブロンズで研修中でしょ? なんでウェイストにいるのよ?」
 一方的にまくし立てるヒビナに、今度はトラッシュが困惑している。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ! アザクってなんだ?」
「とぼけないでよ、アザク!」
 フォルケがそんな2人に割って入る。
「待てよ、ヒビナ! アザクがこんなところにいるわけが・・・」
 そういいながら、しげしげとトラッシュの顔を見つめるフォルケ。
「・・・いや・・・確かにアザク・・・に似ているような気も・・・」
「なんだよ、アンタまで! オレの名前はトラッシュだよ!」
「髪がちょっと長いか・・・いや、最後に会ったのは集合研修の修了式だから、3週間前だし・・・」
「間違いないわよ! 髪の色も瞳の色も、声までアザクそのものじゃない!」
 3人のやりとりに、エトワはきょとんとしている。
「なんだなんだ! なんだそのアザクとかブロンズとか集合研修とか! オレにはさっぱりだ! わけわかんないことごちゃごちゃ言うなーッッ!!」
 トラッシュがとうとう爆発した。すかさず、ヒビナとフォルケの間をすり抜けると、ボードとエトワを小脇に抱え、ひっくり返っていた電動スクーターを引き起こし、素早く起動した。

 シュルルルルルルルルルルルルルルル・・・

「あっ! 待ちなさい! 逃げんの? アザクーッ!?」
「オレの名は、トラッシュだああああああぁぁぁッッッ!!!」

 ギュオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォッッッッッ!!!

 トラッシュはエトワとともに、スクーターですっ飛んでいった。
「追うわよ! フォルケ!」
「えっ?」
「えっじゃないでしょ! 早く!」
 自分のカートのブレーキを壊してしまったヒビナは、ちゃっかりフォルケのカートの助手席に陣取り、フォルケを促す。
「・・・ったく、しょうがないな・・・」
 そう言いながらも、フォルケはカートに乗り込み、発進させた。

     ★     ★     ★

 猛スピードで走るカートの助手席で、ヒビナは爪を噛んでいた。そして考えていた。
『アザクのヤツがどうしてここに・・・しかも、自分はアザクじゃないとしらばっくれて・・・ホントに、他人の空似? ・・・いや、あれはまちがいなくアザク・・・あたしの勘がそう言っている・・・』
 そう思いながらも、なんであのトラッシュと名乗った少年が、アザクであることに確信を持てるのか、ヒビナには説明が付かなかった。
「なあヒビナ、確かに今のトラッシュとか言うヤツは、アザクに似ていた。けど、なんでそんなことにこだわるんだ?」
「えっ!?」
 フォルケに、今の自分の心の内を言い当てられた気がして、ヒビナはうろたえた。その様子で、フォルケはいっそうの疑念を抱いた。ヒビナの顔がちょっと赤い。さっき怒っていたときのように。
「仮にアイツがアザクだとしても、彼は彼で研修中なんだぜ。お互い、他のチームにかまっているヒマなんかないだろう?」
「・・・べ、別に特別なことはなにもないわよ。あいつがここにいるって事は、研修をサボってるって事でしょ、だから気になるのよ!」
 その言葉を受けて、フォルケはそれ以上、ヒビナを問いつめなかった。正直、恐かったからだ。これほどまでにこだわると言うことは、アザクのヤツ、自分の知らないところで、ヒビナを怒らせるようなことをしでかしたんじゃないか。あまり追求すると、絶対に自分がとばっちりを食う。ヒビナの性格を、ある程度知っているフォルケとしては、沈黙するのが得策だと思ったのだ。
 一方、ヒビナは、アザクの思い出をよみがえらせていた。
 アザクとは、スイーパー予備隊入隊式で知り合った。彼らは、6ヶ月に渡り、集合研修と呼ばれるスイーパーの基礎訓練を受けてきた。ヒビナ、フォルケ、アザクの3人は、最初の集合研修で机が並んでいたため、早くから顔見知りになったのだ。面食いなヒビナは、まあまあのルックスをしていたフォルケとアザクと、比較的すんなりとうち解けた。ヒビナも、同期の中ではメイペ・シノリと1、2を争う美少女として、入隊式のときから話題だった。まだまだ彼女の本性を知る以前のフォルケとアザクは、ヒビナと仲良くなりたかったのだ。
 そんな偶像がお互いに崩れていくのは、そんなに時間を必要としなかった。
 ヒビナはこんな調子で、自分勝手でわがままなコだと知れてしまった。それでも(それだからこそ?)ヒビナをカワイイという奇特な男もいたが、フォルケとアザクはそんなヒビナに振り回されるのに、正直まいってしまっていた。ヒビナの方はといえば、同期の隊員よりも、予備隊隊長にして、スイーパー正規隊のエース、キリィ・キンバレン大尉に熱を上げていた。キリィはすらりと背が高く、身のこなしも優雅。そして神秘的な面差しは、モデルか俳優と見まごうばかりの男っぷり。その周辺にただようオーラは、同期生はおろか、正規隊の女性隊員までも魅了するほどだった。それに比べて、フォルケは見てくればっかりで、けっこう底の浅い「お坊ちゃま」だと言うことを見切ってしまったし、アザクはいつでもニコニコしていて、お人好しな印象だけが残った。とはいえ、じゃじゃ馬ヒビナとマトモにつきあってくれるのは、フォルケとアザクぐらいしかいなかったのも事実だ。
 そしていよいよ、スイーパーとして実践的な訓練を受けるため、2人一組の班分けを施されたときのこと。
 キリィの計らいか、ヒビナとパートナーになったのはフォルケだった。フォルケもしくはアザクでなければ、彼女のパートナーはつとまらないと思われたのだろうか。
 はみ出した形になったアザクは、別の予備隊員とチームになり、2人とは違う研修先に派遣されることになった。そして、チーム研修中は他チームと関わることは禁じられた。
 なんだかんだ言っても、友だちとしてはアザクはいいヤツだった。そんなアザクに、これからしばらくは会えない。そう思うと少し寂しい・・・だがそんなことはおくびにも出さない、出せないヒビナに対して、アザクの方から声をかけてきたのだ。
「ヒビナ、ちょっと話があるんだけど・・・」
 そのときのことを思い出すと、急にヒビナは胸を締め付けられる。こんなところ、フォルケに見られたくない。ヒビナはかぶりを振って、頭の中からアザクのことを追い出そうとした。
『あんなお人好し野郎のことでわずらわされるのは、たくさんよ・・・』
 今はそのアザクらしい人物を追っているというのに。
「いた!」
 フォルケが叫んだ。赤いテールライトが前方に見える。目をこらすと、運転者の背中に、キツネのイラストが描かれたスノーボードが下がっている。
「追いつくのよ! フォルケ!」
「なんでこんなことになっちゃったんだろうな・・・」
「つべこべ言わないのッ!」

     ★     ★     ★

「来たあ! 来たよ! トラッシュ!」
「まったく・・・どうして逃げなきゃならんのかわからんが、面倒はゴメンだよ!」
 トラッシュはアクセルをさらに開けると、カートを振り切ろうと、わざと荒れたコースをとった。アンジュレーションの激しい砂利道を、巧みなハンドルさばきで駆け抜けてゆく。
 だが、フォルケも負けていない。
「ボクもドラテクにはちょっとは自信あるぜ! ゲーセンで鍛えたからね!」
 ゲームの腕前が実践でどの程度の効果があるかはともかく、自信のなせるワザなのだろうか、フォルケのカートは、キッチリとトラッシュのスクーターについて行った。
「上出来! キャプチャーガンを使うわよ!」
「お、おい! ムチャすんなよ! 相手は子供連れだぞ!」
「知ったこっちゃ無いわよ〜っっ!!」
 助手席のヒビナは、シートの後ろに転がしてあった道具箱から、銃身の太いショットガンのようなものを取り出した。
 キャプチャーガン。不法侵入者をとらえるための粘着弾を打ち出す銃である。破壊力はないが、ドロドロの粘着弾は、逃亡者の足を封じるには最適だ。相手が車やバイクでも、車体に2、3発貼り付けば、その重みでスピードが落ちる。
「タイヤに当てるなよ! 急ブレーキで運転者が吹っ飛ばされる!」
「いいこと聞いた!」
「だから、ダメだってーっっ!!」
 ヒビナは、容赦なく粘着弾をスクーターに向けて撃ち出す!

 ドンッ!ドンッ!ドンッ!

「うわっ! なんか撃ってきた!」
「キャアアアアアアアアッッッ!!」
「エトワ、じっとしてて!」

 ドンッ!ドンッ!ドンッ!

 3連発の粘着弾カートリッジを入れ替えながら、ヒビナはスクーターを照準にとらえる。

 ドンッ!
 ビチャッッ!!

「当たった!」
 一発の粘着弾がスクーターの赤いボディーに着弾した。とたんにスクーターのスピードが落ちた。想像以上の重さだ。
「くっそおおおおおっっっ!!!」

 ズササアアアアアァァァ!!!

 トラッシュは、なにを思ったか、急激なスピンターンをかまし、カートと正対した!
「バ、バカッ! 突っ込む気か!?」
 あせったフォルケは急ハンドルを切る!
「キャッッ!?」
 珍しく女の子っぽい声を上げたヒビナは、横Gの勢いでキャプチャーガンを落としてしまった。ガンはしたたかに岩にぶつかり、火花とパーツが散らばるのが見えた。
 トラッシュの方は、カートをすれすれでかわし、反対方向へと走り去っていく。
「ごっっ・・・ごわがっだあああぁぁぁ〜〜」
「おお、よしよし。カッコよかったよトラッシュ!」
 涙目になりながら、トラッシュはエトワに慰められていた。
「このバカァ〜〜〜〜ッッ! あのキャプチャーガン、教材なんだから!」
「またボクのせいか! はいはいそうです! なんでもかんでもボクが悪いんです!」
 そういってフォルケとヒビナは、カートを反転させて追跡を再開した。

     ★     ★     ★

 そろそろ、日没も近くなり、当たりは薄暮で、視界がかなり悪くなった。
 ヒビナとフォルケはスクーターのライトを探すが、あたりには灯りらしきものは全くない。人家も見あたらない荒野では、夜が訪れれば、全くの暗黒になってしまうだろう。だが、スクーターがライトを付けていれば、それは逆にどこからでも目立つはずだ。
「・・・ライトを消したか・・・?」
「どうすんのよ! 見失っちゃったんじゃないの?」
「ライトを消すのはあっちも危険なはずだが、万が一ということもある。ヒビナ、そこの電波探知機をオンにして、チャンネルをC−1に! それから、音響センサーと、熱源センサーも入れて!」
「あたしに指図する気!?」
「ちょっとはボクの言うことも聞いてくれよ! キャプチャーガンが当たってる! 粘着弾に仕込まれた電波発信素子が効いてるはずだ!」
「あ、なるほど」
「授業、ちゃんと聞いてなかっただろ!」

 トラッシュは、キツネ面のゴーグルを装着していた。暗闇でも視界が確保できる暗視センサーが仕込まれたゴーグルをかけて、スクーターのライトを消したのだ。モーターも動作音を減じるサイレントモードで駆動すると、スピードと引き替えに、音響センサーに感知されない。
「暗くなってきた。恐くない? エトワ」
「ううん、平気だよ。この辺はエトワにはお庭だもん」
「ごめんな、なんかオレのせいでエトワまで・・・」
「いいってば! 楽しいよ。これはこれで」
 空腹でめげそうなトラッシュだが、ふところのエトワのぬくもりが心の支えだった。不思議な子だ。なんだか安心感を与えてくれる。こんなに小さな子なのに・・・
 だが、安堵感もつかの間だった。トラッシュの工夫も、粘着弾の電波発信素子の前には無力だった。

 ブオオオオオオオオオンンッッッ!!!!!

 轟音とヘッドライトとともに、カートが背後に迫っていた!
「くっそおおおおおおっっっ!!」
 トラッシュはアクセルを開けようとした。だが・・・
「あうっ、くうう・・・」
 エトワが小さな悲鳴を上げた。体が硬くなり、歯を食いしばっているのがわかる。
 トラッシュは、ハッとなった。
『この子、ずっと我慢してたんだ!』
 自分でさえもオープンエアでこんな猛スピードに耐えるのはしんどい。6〜7歳の子供のエトワにとっては、容易に耐えられるストレスではないはずだ。そのことに気づくのが遅かった。トラッシュは顔をしかめて、内心自分を責めた。
『だめだ、これ以上のスピードは出せない! けど、このままでは追いつかれる!』
「逃げても無駄よ、アザク! おとなしく投降しなさい!」
 ハンドマイクでヒビナが叫ぶ。
『アザクじゃないっての!』
 トラッシュはチラリと横目で逃げ道を探る。あたりは岩場が多くなってきた。とっさの考えが浮かぶ。スピードを出さなくても、スクーターの小回りで逃げ切れるかも知れない。
「イチかバチか」、脳裏の言葉にすがり、地面からポコポコと突き出した岩のスキ間を縫うように、スクーターをひらりひらりと駆ってゆくトラッシュ。
 思惑が当たったのか、少しずつ、カートのヘッドライトが遠ざかり、やがては視界から消えた。モーター音も聞こえてこない。
「やった、逃げ切ったぞ!」
 そして、ひときわ大きな岩塊のわきをとおり抜けたとたん、すぐ目の前に切り立った崖がそびえているのを発見し、あわてた。
「おわああああぁぁぁっっ!?」

 キキキキイイイイイイイイイィィィッッッ!!!

 トラッシュはブレーキングしながらテールスライドさせ、崖にぶつかる寸前ギリギリで、スクーターを停めた。
「・・・ふう、危なかった・・・エトワ、平気か?」
「平気だよ。・・・でも・・・」
「ん、でもなんだ?」
 その瞬間!

 パアアアアッッッ!!!

 まばゆいライトが、トラッシュとエトワをとらえた。
「ご苦労さん。あたしから逃げ切れるなんて思ったのが甘かったわね」
 自信満々の、ヒビナの声が崖に響き渡った。トラッシュは、気がつくと、U字型に切り込んだ崖のふもと、文字どおり袋小路に追い込まれていた。出口はヒビナとフォルケのカートにふさがれている。
「・・・自分の手柄みたいに・・・ボクが地形を計算して、ここに誘い込んだんでしょうが・・・」
 そう、地形データから、この袋小路を見つけ出したフォルケは、トラッシュに振り切られそうなふりをして、たくみにここへ誘い込んだのだ。途中からライトを消したフォルケに、トラッシュはまんまとだまされてしまった。暗視モニターとサイレントモーターを使えたのは、トラッシュだけではなかったのである。

     ★     ★     ★

 トラッシュは観念した。自分ひとりなら逃げ切れるかも知れない。だが・・・
「わかった。わかったよ! 降参だ。なんで追われているのかもわかってないが、ともかくここはおとなしく捕まることにする」
 ヒビナは険しい表情をして、無言でカートを降りると、ライトに照らされたトラッシュのもとに歩み寄る。
 トラッシュは言葉を続けた。
「だが、これだけは聞いてくれ。この子はオレと関係ないだろ? もう遅いし、家に帰してやってくれないか?」
「トラッシュ・・・」
「いいから、エトワはじっとしてて。なあ、彼女、いいだろ。頼むよ」
 トラッシュはゆっくりとエトワをスクーターから降ろし、背負ったバックパックとボードを託して、袋小路の隅に行かせた。
 ヒビナの方は、そんなトラッシュの一挙手一投足にはおかまいなく、ずんずんとトラッシュに迫っていく。

 ヒュウウウゥゥゥ・・・

 袋小路に、風が吹き抜け、空に舞い上がるのを、エトワは感じていた。
 スクーターを降りて両手をあげたトラッシュは、ヒビナと真っ正面から対峙した。
 フォルケはその様子を、息を飲んで見ていた。
 妙な沈黙が流れ、トラッシュの苦笑いが軽く引きつった。
 そして・・・

「このオタンコナスがぁ! ばっくれんのもいいかげんにしなさいよおぉっっ!!」

 ものすごい形相で、ヒビナはまくし立てた。
 フォルケの方がびっくりして飛び上がった。
 だが、トラッシュは笑いをこらえるのに必死だった。
『オタンコナスは死語だろう・・・』
 それはますますヒビナを激高させた。
「なにニヤニヤしてんのよお! アザク! アンタは最初っからずっとそうだった! 素っ頓狂な顔して、マイペースで、ニコニコニコニコしてるばっかで! なにやってんのよ! こんなところでブラブラして、研修はどうしたのよ! バリバリのスイーパー正規隊員になって、世の中のために働くとかなんとか殊勝なことホザいてたのはウソだったの!? 集合研修のまじめぶった優等生ぶりはどこへ行ったのよ! しかもあたしを、このあたしを目の前にして、自分はアザクじゃないなんて、よく言えたものね! アンタがあたしに、あの修了式の日にあたしに言ったセリフ、もはや忘れたとは言わせないわよ!」
「・・・よくしゃべるなあ、キミ・・・」
「だ・か・らァ! イラつくのよ! その態度が!」
 するとヒビナはいきなり両手でトラッシュの胸ぐらをつかんで、にじり寄った。
 だが。
「キャッ!?」
「うわっ!?」
 足場の砂利がすべって、ヒビナはトラッシュを押し倒す格好でひっくり返った!

 ドシャアアアアッッ!!
 ガツンッ!

「いてッッ!?」
「あっ・・・」
 仰向けのトラッシュに覆い被さるヒビナの姿勢。
「うわっ!?」
 フォルケは目をむいた。なんかちょっと・・・やばくない? あの格好・・・
 ヒビナの胸が、ちょうどトラッシュの顔にのしかかってしまったのだ。
「いてえよ! なんか鼻に当たったぞ! 固いものが!」
「はあ!?」
 ヒビナはまたしてもカチンと来た。
「固いものがってなによ! 失礼ね! あたしの胸が無いみたいじゃない!」
 実際には、無いともあるとも言いがたいヒビナの胸なのだが・・・

 ピーッ、ピーッ、ピーッ、ピーッ・・・

「言うに事欠いて! 少しは反省ってものがないの? アザク!」
「だからオレはアザクじゃないってのに!」

 ピーッ、ピーッ、ピーッ、ピーッ・・・

「・・・この期に及んでもアザクじゃないアザクじゃないって・・・」
 ヒビナはやっと両手をついて上体を起こし、三角の目でトラッシュをにらみつける。だが、端から見ているフォルケにしてみると、ますますドキドキする体勢になってしまった。
 ヒビナがちょうどトラッシュの腰のあたりに馬乗りになっているのである。
『うっわぁ・・・なんか、なんというか・・・』
 フォルケは顔を赤くした。

 ピーッ、ピーッ、ピーッ、ピーッ・・・

「どこまでもしらばっくれるならねえ、あたしにも考えがあるわよ!」

 ピーッ、ピーッ、ピーッ、ピーッ・・・

「あああーーッッ! さっきからなによピーピーピーピー! うるさいっての・・・」

 ピーッ、ピーッ、ピーッ、ピーッ・・・

「えっ?」
 先ほどから耳にさわっていたビープ音は、ヒビナの胸のあたりから発せられていた。
 ヒビナがシャツの胸ポケットに手を入れると、それは、ライターくらいの大きさの、金属製の機械だった。
「ほらあ、これよ! 網膜スキャナがアンタの顔に当たったのよ! 見なさ・・・あれ?」
 手にとってその網膜スキャナを見ていたヒビナの表情が曇った。
「なにこれ・・・おかしいわよ・・・」
「なんだよ! いいかげんオレの上から降りてくれよ! 重・・・」

 ガンッッ!!

「あてッ!!」
 言ってはいけないセリフを言う前に、ヒビナのげんこつがトラッシュの頭をとらえた。
 それを見ていたフォルケはといえば、ヒビナの様子が変わっているのが気になった。
「ヒビナ? どうした?」
「こんなはずはないわ、やり直しよ!」
 ヒビナは、網膜スキャナの横の、「RESET」と書かれた赤いボタンを長押ししてから、トラッシュの右目の上に押しつけた!
「なっ・・・なにを!?」
「だまって!」
 馬乗りのままのヒビナは、トラッシュの目に当てた網膜スキャナを作動させた!

 ピーッ、ピーッ、ピーッ、ピーッ・・・

 スキャナがまた同じビープ音を発し、液晶スクリーンに文字を表示した。

『ILLEGAL』

「『イリーガル』!? こんな表示、見たこと無いわ?」

 ヒュウウウゥゥゥ・・・
 またもや、袋小路に風が・・・

     ★     ★     ★

 そのかたわらで、動揺しているヒビナや、フォルケの目を盗んで、こっそりと行動を開始した者がいた。
 エトワだ。
 トラッシュにバックパックとボードを託されたエトワは、隅の方でおとなしく、事の次第を見守っていた。

 ヒュウウウゥゥゥ・・・
 何度目かの、風。

 すると、エトワはなんとなく、誰かに呼ばれたような気がして、あたりを見回した。
「えっ?」
 キョロキョロとまわりに目線を送っていたエトワは、やがてハッとした表情とともに、手もとのボードを見た。
 キツネのイラストが描かれたボード。
 エトワは、ふいににっこりと笑うと・・・
『そう、そうね。わかった』
 ボードを抱えて、そお〜っと移動した。
「ヒビナ、なにをやってんだよ!」
「フォルケ、おかしいよコレ! 網膜スキャナが壊れてる・・・」
 完全に注意がスキャナに注がれてしまったヒビナとフォルケのスキを突いて、エトワは作戦を実行した!
「トラッシュ!」
 エトワはボードを、地面を滑らせるように押し出した。トラッシュとヒビナの方へ向けて!
「エトワ!?」

 ヒュウウウゥゥゥ・・・

 同じタイミングで、風が吹いた!
「なにっっ!?」
 ボードは地をはうようにトラッシュに向かうと、ふわりと浮上し、一直線にヒビナをめがけて飛んだ!
「えっっ!? キャッッ!!」
 ヒビナは予想外の出来事に、向かってくるボードをよけるので精いっぱいだった。
「しめた!」
 トラッシュはヒビナが飛び退いた瞬間を突いて、素早く立ち上がると、ボードに飛び乗った!

 ビュウウウウウゥゥゥゥゥ!!

 さっきから袋小路をまわっていた風が、勢いを増した!
 トラッシュのブーツは自動的に、カチャッと音を立ててボードのバインディングとドッキングした。そのまま、風を受けて、ボードをひらりと旋回させる!
 風に乗って浮遊するトラッシュは、崖にそって弧を描きながらスピードを増していく。

 ビュウウウウウゥゥゥゥゥ!!

 そして、あっけにとられるヒビナとフォルケをよそに、トラッシュのバックパックを抱きかかえたエトワを拾い上げ、袋小路の出口をふさぐカートのわきをすり抜けていく。
「あっ!? 待て!」
 その声に振り向いたトラッシュは・・・
「あばよ! それから、オレの名はトラッシュだ! 憶えておきな!」
「あばよ!」
 エトワまで、トラッシュの口調を真似た。
 2人は、そのままボードに乗って飛び去っていった。
「ちくしょーっ! 逃げられた!」
 くやしさに、地団駄を踏むヒビナ。
「もう今から追っても無理だな・・・ それよりも今の見たか、ヒビナ! あの空中浮遊術、あれはあいつのアートだと思わないか!?」
「そんなことよりも、問題はこっちよ!」
「いや、だから、アートが使えると言うことは、あいつがウェイストじゃないって事だろう!? 階層侵害じゃないか!」
「だから、これなの!」
 ヒビナは、手にした網膜スキャナをフォルケに突きつけた。
「なんだ、これ・・・ えっ? この表示は・・・イリーガル!?」
「そう、このスキャナ、壊れてるのかと思った。だけど・・・」
 ヒビナは今度は、スキャナをフォルケの目に押しつけた。
「いたたっ! ヒビナ、おい・・・」

 ピーーーーーーーッッ!

 今度はスキャナのビープ音が違う。液晶には『SILVER』と表示された。
「あら、アンタ、シルバーだったのね。あたしと同じじゃん」
「そうだよ! でも、そのスキャナ・・・」
「そう、壊れてない。でも、アザクの網膜スキャンは、2回やって2回ともイリーガルと表示された・・・」
「網膜スキャナは、その人間が属する階層を識別する装置・・・ ゴールドからブロンズまで判別し、そのどれにも当てはまらない場合は『ウェイスト』と判定されるはず・・・ それ以外の表示はありえないんじゃ・・・」
「・・・・・・・・・」
 ヒビナとフォルケは、そのありえない事実を目の当たりにして、黙り込んでしまった。

     ★     ★     ★

 すっかり暗くなってしまった荒野を、暗視ゴーグルを付けたトラッシュが、エトワを抱きかかえてボードを飛ばしていた。
「こいつは『風に乗れる』ボード、『ウィンドボード』なんだ。あいつらはアートがどうとか言ってたが、ただ単に便利なボードだよ。でも、こいつで風に乗るのはむずかしいし、集中力がいるんだ。さっきの事故といい、ピンチになるとオレもやれるもんだな」
「うん!」
「にしても、エトワ、よくこのボードの飛ばし方がわかったな?」
「セイレイが教えてくれたもん!」
「セ・・・セイレイ?」
「そうだよ? このボードにはセイレイが宿ってるんだ。エトワ、セイレイの声が聞こえるんだよ。セイレイが、トラッシュを助けてーって言ったんだ」
「は、はあ・・・」
 トラッシュは戸惑いを隠せない。また耳慣れない言葉が出てきた。セイレイだのアートだの・・・ オレにとってこのボードは、物心ついたときからオレのそばにあった、唯一の持ち物だ。風に乗れる事自体、当たり前のように受け入れてきたが、ほかの人間にとっては違う意味を持つんだろうか?
「トラッシュ?」
「あ、ああ・・・ま、いいか。エトワ、助かったよ。ありがとう。こんどこそ家まで連れてくからな」
「うん! あ、でも・・・」
「なんだ?」
「お買い物、スクーターごと置いてきちゃったから・・・ごはん作れないかも・・・」
「えっっ!?」
 トラッシュの全身から、力が抜ける感じがした。

     ★     ★     ★

「スイーパー予備隊本部、スイーパー予備隊本部、聞こえますか? こちら、ウェイスト実地研修班A−2、IDナンバー・M−2031、ヒビナ・アルアレート。応答願います」
 ヒビナは、カートの通信機をスイーパー予備隊研修本部につなげた。
「とりあえず、アザクの消息を本部に問い合わせれば、あいつがアザクかどうかはすぐにわかる、ってことか」
「アザクの階層もね。いくらなんでも、階層がはっきりしないヤツが、予備隊の研修に加われるわけがないからね」
 すると、通信機のレベルメーターがぴくりと反応し、モニターが点灯した。
『こちらスイーパー予備隊本部、通信士グンザ・ニエムテン士長。ヒビナ・アルアレート、どうぞ』
 鮮明なモニターには、グンザと名乗る男の、少しくたびれた風貌が映し出された。
「こちらヒビナ。予備隊本部、ちょっとお聞きしたいことがあるのですが・・・」
『なんだね、やぶから棒に! 研修報告はどうした!』
「それどころじゃないんです! 実は今しがた、IDナンバー・M−2030、アザク・ラガランディとおぼしき人物と接触したのですが・・・」
 ヒビナは、ブロンズ階層で研修中のはずのアザクに、ウェイストで遭遇したこと、彼が自分をアザクではないと言い張って、逃走したことを告げた。
『なるほど・・・ 少し待ってくれ、アザク・ラガランディの現状を確認する』
「ありがとうございます」

 少しの間があって・・・
 グンザ士長の、明らかに動揺している声が入った。
『ヒビナ・アルアレート! アザク・ラガランディと接触したと言ったか!?』
「はい、そうです」
『アザク・ラガランディは、3週間前から消息不明だ!』
「ええぇぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!???」
 ヒビナとフォルケは、そろって驚きの声を上げた。
『本部も混乱している! 今の今まで、アザク・ラガランディの失踪の事実が確認されていなかったのだ!』
「じゃ、じゃあ、さっきのはやっぱりアザク・・・?」
「問題はこれからよ! 本部、もう一つおたずねします。アザク・ラガランディの階層はなんですか? シルバー? それともブロンズ?」
『階層だと!? ヒビナ・アルアレート、研修期間中は隊員の階層を秘密にするのが規則のハズだ!』
「規則・・・規則ですって!? あのねえ! それどころじゃないっての! 事と次第によっちゃ、スイーパーの組織的責任問題に関わるのよ! つべこべ言ってないで、さっさと教えなさい!!」
『あ、はい、確認しますので少々お待ちを・・・』
「そう! それでいいの!」
 フォルケは、ゾーッとした。通信士は、りっぱなスイーパー正規隊員、大先輩だ。ヒビナの口の利き方は、見習いの予備隊員のそれではない。なのに完全にヒビナに飲まれている。
『ある意味、ヒビナって大物かも・・・』
 そして、驚かされっぱなしのフォルケには、心を落ち着かせるヒマもない事態がつづく。
『そんな・・・そんなバカなことが・・・』
「なに!? どうしたの!」
『ありえない・・・こんなことはあるはずがない・・・』
「本部! 本部! 応答願います! なにがあったの!?」
『アザク・ラガランディ、階層は・・・階層は、不正(イリーガル)だ!』
「なんですって!?」
 ヒビナとフォルケを、さらなる衝撃が襲った。
『スイーパー本部のデータベースには、アザクのIDと階層が空欄になっている! だからシステムがイリーガルエラーを出力している! 厳重な審査と、データチェックをかいくぐって、こんな事はありえないはずだ!』
 フォルケが横から問いかける。
「スイーパーのデータベースシステムのバグとか、ですか!?」
『いや、システムは昨日今日作られたものではない! 長年に渡って使い込まれた、枯れたシステムには考えられないバグだ! もちろん物事に絶対はないが、絶対を確信できるほどに実績を積んできたのだ! なにより、階層もはっきりしない人物が紛れ込んで、6ヶ月の研修期間中にそれが判明しないこと自体がおかしい!』
「今さらガタガタ言ってもしょうがないでしょ! 事実は事実なのよ! そして今日、あたしたちが出会ったアザク、本人はトラッシュと名乗ってたけど・・・あいつは、網膜スキャナで階層判定ができなかったのよ!『イリーガル』だったの! 判定が!」
 ヒビナはいつもの調子でまくし立てた。
 そのとき。
 通信機の向こうからは、うろたえる通信士の情けない声の替わりに、ピーンと一本、芯の通った、強靱さを秘めた声が返ってきた。
『イリーガル、そう聞こえたが・・・』

 ドキイイイィィィンンッッッ!!!

 憶えのあるその声を聞いたとたん、ヒビナの背筋がしゃきんっっ!!っと伸びた。
『ヒビナ・アルアレート予備隊員。キリィ・キンバレンだ。もう一度確認させてくれたまえ』
 モニターには、端整な顔立ちの男の姿が映し出された。こんな小さなモニターからも、鍛え抜かれた肉体の太い描線が感じられた。
「はいっっ!! キリィ・キンバレン隊長ォ!」
 ヒビナの声は明らかに1オクターブ上がっていた。頭のてっぺんから飛び出すような、しかもかすかに鼻に抜ける声に激変していた。
 あららら・・・
 フォルケは苦笑いだ。通信士と入れ替わったのは、ヒビナのあこがれの的、スイーパー正規隊のエースにして予備隊隊長、キリィ・キンバレン大尉だった。そのあこがれの人を前にして、ヒビナの態度がウソのようにしおらしくなった。
「はいっ! アザク・ラガランディらしき人物は、トラッシュと名乗り、わたしたち、同期の予備隊員に対しても自らの身分を偽り・・・」
 フォルケは寒気がしてきた。
『気色悪・・・』
 知っているヒビナとは違う女の子がそこにいた。しゃんと背筋を伸ばし、わずかに恥じらうような、なのに媚びを感じさせない、ハキハキとした語り口、全てがギリギリの線を保っている。しかもわざとらしくない。コレが全て計算だとしたら、まったくもって恐ろしい。
 女の子はみんな女優だというが、こんな女優がいたら、有名どころの映画賞は総ナメだろう。
『そうか、ヒビナのヤツ、メイペ・シノリの一挙手一投足を研究し尽くしてるな・・・』

     ★     ★     ★

 キリィの方はといえば、ヒビナの報告に黙って耳を傾け、一言一言にうなづいていた。相手が見習いの予備隊員であっても、高圧的にならず、その言葉を真摯に受け止める。それがかえって、この男の器の大きさを感じさせる。フォルケは、キリィ・キンバレンのそんなところに、あらためて敬服していた。
「以上です。キリィ隊長ォ」
 報告を終えたヒビナの、ものすごく微妙な角度の上目遣いが、ますますフォルケの悪寒をかき立てた。
『了解した、ヒビナ予備隊員。これが本当なら、スイーパー設立以来のゆゆしき問題だ。場合によっては、階層監査省に確認をとらなければならない。それには、トラッシュという人物の身柄を確保する必要があるな』
「はいっっ!」
『よし、君たちは、その場で待機してくれたまえ。そこから一番近い正規隊が、15分以内に君たちと接触可能だ。以後は、正規隊の指示に従って行動してくれ』
「了解です! キリィ隊長!」
『頼むぞ。トラッシュなる人物と接点があるのは、今のところ君たち2人だけだ。期待している』

 ジイイイイィィィンン・・・・・・
 ヒビナは感激で全身がしびれていた。なんというもったいないお言葉・・・

「あ、ああ・・・ありがとうございます! キリィ隊長ォ! ヒビナは、なにがあっても、ここで待機します!」
『うむ』
 通信は切れた。
「ふうぅぅぅ・・・」
 フォルケがため息をついた。ヒビナはともかく、本来見習いでしかないフォルケたち予備隊員にとって、キリィ隊長は雲の上の存在だ。その隊長と通信している間、フォルケは緊張していた。ましてや、事態は思った以上に重大らしい。スイーパーの総元締め、階層監査省、通称「フォーミュラ」の名前まで出てきたのだ。もはや政治家の管轄じゃないか。
 だが、ほっとしたのもつかの間・・・
「さっ、行くわよ、フォルケ」
「はあぁ!?」
 ヒビナの声に、そして言葉に、フォルケの腰が抜けそうになった。さっきまでの甘い語り口とは急転直下、頭のてっぺんから出ていた声が、今度はアゴの下あたりから出てきたからだ。声のキーが元に戻ったどころか、踏みつぶしたようなベタ声に変貌していた。小鳥のさえずりが、カエルの鳴き声になったようだ。
 だいたい、なんだその表情は、さっきの夢見る少女が、めんどくさそーなドヨンとした顔になってるじゃないか! 首筋をボリボリ掻くな!
「い、行くって、どこへ!」
「決まってるじゃないのよ! アザクを追うのよ!」
 もう大抵のことには慣れたと思っていても、ヒビナの言動はとても信じがたい。
「聞いてなかったのかよ! キリィ隊長は、正規隊と合流するのを待てとおっしゃったんだぞ! キミも『なにがあっても待つ』って言ったじゃないか!」
「なにバカなこと言ってんのよ! こんな千載一遇のチャンスを逃す手はないでしょう! スイーパー始まって以来の緊急事態なのよ! アザクをとっつかまえてキリィ隊長に引き渡せば、予備隊研修どころの騒ぎじゃないわよ! イッキに正規隊入隊も夢じゃないわ!」
「いいのか!? キリィ隊長の命令に背いても?」
「アンタねぇ。なにを聞いていたのよ! あれはねぇ、口では待てといっても、あたしの働きに期待してるっていうことでしょ!?『わたしにかまわず、アザクを追いなさい』というメッセージでしょ! 行間を読みなさいよ! 行間を!」
「・・・あのねえ・・・」
 どうやったら、そんな行間が読めるっていうんだ?
「そもそも、この通信にキリィ隊長がお出になること自体、どれほどこのあたし、ヒビナ・アルアレートに目をかけてくださってるか、わかりそうなモンじゃない!」
「あの方は予備隊を監督する立場なんだから・・・」
「もう日が暮れてるから、おそらくアザクのヤツは、そう遠くない場所で宿を取っているはず・・・ いや、あの女の子の家にいるかも知れない。女の子の足取りを追えば、見つかるかも・・・」
 あああ。
 聞いちゃいない。だめだ、こりゃ。
 フォルケは本日何度目かさえ忘れてしまったため息をついて、観念した。
「さっさとカートに乗んなさい! そんでもって運転なさい!」
「はいはい・・・」
 ボクの研修、どうなるんだろう・・・スイーパー正規隊員になる夢、叶うんだろうか・・・

     ★     ★     ★

 それからジャスト15分後。
 ごついオフロードカーが、重厚なモーター音を轟かせて、さっきまでヒビナとフォルケがいた場所に停まった。
「・・・なんだあ、誰もいないじゃねえか・・・」
 筋肉質で強面の、ラグビー選手のような大男が、運転席から降りた。
「場所はここであってんですかねえ」
「あってる。その予備隊のこわっぱはどこにいるんだ?」
 助手席の男は、薄い眉毛をひくつかせ、ギョロリとした目をした、神経質そうな男だ。手にしたえんぴつで、手元のスケッチブックになにやらいたずら書きをしている。
 筋肉男は、地面に残った、カートが急発進したらしい、わだちを見つめていた。
「まさかとは思いやすが、功を焦って、その『イリーガル』を追っかけに行ったんじゃねえですかい?」
「・・・・・・・・・」
 ギョロ目の男は、不意に手にしたえんぴつを握りしめた。

 バキィッッ!!

 えんぴつは折れて、飛び散った。
「・・・だからエリート気取りの、予備隊なんてガキは気にいらねえんだ・・・ 現場をなめてやがる・・・」
 ギョロ目は、さらに細かく眉毛をひくつかせ、苦々しい表情をした。

     ★     ★     ★

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>>>第1章第2話へつづく。
次回「世界はおっきなタマネギだ!」

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