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第1章第2話「世界はおっきなタマネギだ!」

『また、アンタか・・・』
 トラッシュは、女神の夢を見ていた。これが夢であることは自覚している。何度も、同じ夢を見てきたから・・・
『アンタが言うとおり、旅に出てみたらこれだ。オレのことをアザクだとかなんとか、どこかの誰かと間違えるヤツらがいるし・・・ それどころか、追われる身になっちまった・・・』
 まわりは、花畑のようで、虹色の雲の上のようで・・・さまざまな色彩に囲まれて、暖かくもなく、寒くもなく、甘い香りに包まれた、心地よい空間だった。
 目の前の女神は、薄衣をまとい、フワフワと浮遊している。ここは水の中ではないかと思えるほどに、そのつややかで長い髪をゆらゆらとたなびかせている。
 神秘的なその面差しは、微笑んでいるようにも見えるし、悲しそうでもある。そのどちらかはともかく、なによりも、美しかった。少女の顔と、成熟した大人の顔と、その両者が同居していて、トラッシュのような少年には、近寄りがたい、なのに惹かれていく・・・幾とおりもの表情がそこにあった。
『ま、いいけどな・・・誰がなんと言おうと、オレはオレ、トラッシュなんだから・・・』
 すると、女神はゆっくりとトラッシュに寄り添い、その耳元に唇をよせた。
 何事か、ささやくように・・・
『えっ? なんだって?』
 自分にとって、とてつもなく重要ななにか。それを聞いた気がした・・・
 その瞬間。
 女神のシルエットは砕け散って、無数の蝶に、赤や青や紫の蝶になって、飛び去った!

     ★     ★     ★

 そこで、目が覚めた。
 視界に入ったのは、天井だった。薄く裂いた木の板を編んだ、珍しい造りの天井。
 そうか、ここは・・・
 トラッシュは、ぼんやりした頭で記憶をたぐった。昨夜は結局、エトワの家に泊めてもらったのだった。
 今日の眠りは、ことのほか深かった。そんな感覚があった。無理もない。ちゃんとしたベッドと枕で眠ったのは久しぶりだ。温かな食事も、風呂も・・・
「・・・なにを、言おうとしたんだろう・・・」
 トラッシュは、もう一度、夢の内容を思いかえそうとした。
 夢というものは、見ている最中には鮮明だが、一度目を覚ましてしまうと、その大半を憶えていない。「鮮明ななにかを見た」ことは憶えているのに、それがなんであったかは思い出せない。今日もそうだ。心に引っかかるものを残しながら、トラッシュは思い出すことをあきらめた。
 さて、と、起きようとしたとき。
 左腕が、ビリビリっとしびれた!
「あででっっ!?」
 なんでしびれてるんだ? そう思って毛布をめくってみると、そこには・・・
 エトワがいた。
「ううぅ〜ん・・・ トラッシュ、すごいや・・・ みんな生まれ変わったね・・・」
 寝言を口にした。どうやらエトワも夢を見ているようだ。
「ああ・・・びっくりした・・・」
 いつの間にかベッドにもぐりこんでいたのだろう。しかも勝手にトラッシュの左腕を枕にして。

 コンコン。
 寝室のドアがノックされた。

「あ、はい」
 トラッシュの返事を受けて、ドアを開けて、ひとりの老人がのぞき込んだ。
 真っ白いヒゲ、真っ白い髪・・・それほど大柄ではないが、がっしりとした体つき。丸メガネの奥に、とても優しい目が微笑んでいる。
「おはよう。よく眠れたかね、トラッシュくん」
「あ、おかげさまで。もうグッスリと」
「おやおや、エトワはこんなところに・・・ この子は夜中にトイレに起きると、自分のベッドじゃないところにもぐりこむクセがあってな。しかし、よっぽどトラッシュくんのことが気に入ったんだな」
「へへ、そうなんすかね」
 すやすやと眠るエトワの横顔は、ほんとうに天使のようだった。やわらかで暖かで、甘い香りがした。
『あ、この香り・・・?』
 記憶のどこかに漂っている、なのに思い出せない。さっきまでの夢のように・・・

     ★     ★     ★

 着替えて顔を洗って、トラッシュはなんとなくエトワのおじいさんと話を始めた。夕べは遅かったので、話らしい話はしていなかった。
 エトワのおじいさんは、ビィと名乗った。ビィはエトワと2人だけで、この地に暮らしていると語った。エトワとビィの血はつながっているのか、エトワの両親はどうしたのか、そんな話はしなかった。トラッシュも、なんとなく聞くのを遠慮していた。
 ビィの話によれば、ウェイストは水を求めて移動する暮らしをしているようだ。水が出ればそこに集落が出来る。水が枯れれば、新しい水源に集落ごと移動する。だから、ひとところに永住するウェイストは、あまりいない。
 そのウェイストがどんなものか、実はトラッシュにはわかっていなかった。この世界の基盤である「階層」のことを、なぜかトラッシュは知らない。
 ビィとエトワが、他の人たちと集落を作らず、この地に根を下ろしたのには、理由があった。
「エトワは、水を呼べるんだよ」
「水を!?」
 わざわざ水を求めなくても、エトワのいるところに、必ず水が出るのだそうだ。だが、それを他人に知られてしまうと、エトワがそのために利用される恐れがある。水は人間にとって必要不可欠なもの。だからこそ、その能力が人に知れると、エトワを危険な目に遭わせることもありうる・・・
 そう考えて、ビィは人里離れて、2人だけで暮らしているのだと。
「エトワの能力さえ秘密にしていれば、ウェイストの人たちはエトワをかわいがってくれている。少し不便だが、しかたのないことだ」
 確かに、そんなスゴイ能力が知れわたったら、みんな目の色を変えてしまうだろうな・・・
 でも、なんでそんな大事なことを、オレには話すんだろう? トラッシュはそう思った。
「おじいちゃん! お腹空いたーッッ!」
「おお、姫はやっとお目覚めのようだ。エトワ、朝ご飯にするから、支度を手伝いなさい」
「はああぁ〜〜〜〜いッッ!」
「ああ、オレも腹減った〜ッッ!」
 トラッシュの心は浮き立った。夕べの食事も、ぜいたくではないが、とびきり美味かった。エトワの言葉にウソはなかった。夕食の買い物はヒビナたちとのトラブルで置き忘れてきたが、ありものであれだけの料理を作り上げるビィの料理の腕前は、そうとうなものだ。朝食も、きっと期待を裏切らないに違いない。

     ★     ★     ★

「期待を裏切るようなことは、死んでもできないんだからねッッ!!」
 相変わらずなにかにいらついている口調で、ヒビナはカートに乗り込む。
「キリィ隊長の信頼には、なんとしても応えないと!」
「・・・でも、隊長の命令を無視しといて、信頼もなにもないんじゃないかと・・・」
 そう言いかけたフォルケを、ヒビナは「ガウッ」と噛みつかんばかりの表情でにらみつけた。
「あ、はい、なんでもありません・・・ ふわあぁぁぁ・・・」
「なによ? あくびなんかしてんじゃないわよ! たるんでんじゃないの?」
「よく言うよ・・・」
 結局、夕べのうちにアザクの、いやトラッシュの足取りをつかむことが出来なかったヒビナとフォルケは、ヒビナの「このままでは研修所に帰れない」の一言で、荒野のど真ん中でキャンプしたのだ。カートに装備された組み立て式の簡易宿泊カプセルは、1人用とはいえ、シャワーからエアコンまで装備されていて、意外と快適なのだった。だが、ヒビナのカートは前日の故障で、どこかに置いてきてしまったので、カプセルはフォルケの1台分しかない。
 もはや説明の必要はないと思うが、そのカプセルはヒビナに横取りされてしまったのだ。『こんな荒野であたしのような美少女がひとりでどうたらこうたら』と、まくしたてられた気がしたが、フォルケは最初からあきらめていたので聞いていない。しかたなくフォルケは窮屈な運転席で、寝袋で寝るしかなかったのだ。けっこう「良いとこの坊ちゃん」であるフォルケには、ぐっすり安眠というわけにはいかなかった。
 それにしてもフォルケ、いくらなんでもそんなヒビナのワガママは・・・
「いや、そんなことはもう前提というか、当たり前ですよ(力無く笑う)」
 ・・・だそうだ。

 シュルルルルル・・・

 軽快なモーター音を立てて、ヒビナとフォルケのカートはウェイストの集落を目指して走る。
 今日も良い天気だ。「捨てられた階層」という言葉とは裏腹に、ウェイストの気候はこの時期、快適だった。やや、雨が少なく、乾燥気味という程度だ。
 見渡す限りの荒野だが、水のわき出る場所さえあれば、この地に適した作物はあるにはある。そこでは、野菜や果物は、むしろ他の階層にも負けないくらいのものが手に入る。ただ、水の確保はいつも不安定なので、産業が成立するには厳しかった。
 もっとも、恵まれた土地だったら、ここが「捨てられた階層」の居住地になどならなかっただろう。
 フォルケは、朝一番にまず地磁気の流れから地下水脈を探索し、そこから湧き水のありそうな場所を算出した。水のあるところ集落あり、とフォルケはにらんだのだ。それは正解で、しかもその集落は市場もある大規模なものだった。前日、トラッシュと一緒だった少女は、野菜やパンなどの買い物を置き忘れていった。もし、この市場で買い物をしたのなら、少女を知る者や、その足取りがつかめるかも知れない。
「なあ、ヒビナ、ボク、考えたんだけど・・・」
 運転しながら、とつぜん、フォルケが語りかけた。
「えっ?」
「まだボクは迷ってる。あのトラッシュというやつ、本当にアザクなのかなあ?」
「なにを今さら! あの顔は他人にしては似すぎているし、なにより、アザクが行方不明なのが証拠でしょ?」
「う〜ん、それは状況証拠でしかないけど・・・ やっぱりそうなのかな。アザクもトラッシュも同じイリーガルだというのも確かだし。それに、アザクがなにを考えて失踪したのかはわからないけど、もしボクがアザクなら、今さらヒビナと顔を合わせてしまったら、逃げたりしらばっくれる気持ちも、わかる気がする・・・」
 ヒビナはドキッとした。
「フォ、フォルケ? ・・・あ、アンタ、もしかして知ってたの!?」
「はあ? なにを?」
「なにがって・・・ア、アザクが、修了式の日にあたしに言ったこと・・・」
「へえ! そんなことがあったの? ・・・ははぁ、やっぱりアザクのヤツ、ヒビナになにかよけいなこと言ったんだな? だからキミはそんなにアザクにこだわるんだろ?」
「えっ!? あ、いや、知らないならいいのよ、たいしたことじゃないから・・・」
 なぜか、ヒビナはあわてている。こういうソワソワした態度をとるのを、フォルケははじめて見た。
「なあヒビナ、たしかにボクは頼りないかもしれないけど、一応キミのパートナーだぜ? それにボクは、キミもアザクも、友だちだと思ってる。なにかあったんなら、相談してくれないか?」
「いや、そんな、あの、ホントに大したことじゃ・・・ ほらほら、もう着いたわよ!」
「・・・・・・・・・?」
 フォルケはひっかかりを禁じえない。だが例によって、これ以上、踏み込むのはやめることにした。

 カートは、目的地の集落に入った。
「・・・へえ、意外とにぎわってるのねえ・・・」
 集落のほぼ中央にある、市場の外にカートを停めた2人は、歩いて市場に入った。
 ざわざわとした雰囲気。物売りの声、客の声。生き生きとした元気な声が飛び交っている。ウェイストとはいえ、そこに住む人々はこぎれいな格好をした、普通の人たちである。都市機能が確立されていないだけで、そこに住む人たちは同じ人間であることに変わりはない。だが、雑然とした、活気に満ちあふれた市場の雰囲気は、都会っ子のヒビナとフォルケには新鮮だった。

     ★     ★     ★

 階層社会であるこの世界において、ウェイストは最下層である。その下はない。スイーパーの資料によれば、この階層の人口はそれほど多くなく、ブロンズよりも少ないと言われている。とはいえ、ウェイストに関しては公式資料の扱いもずさんなので、実際のところはわからない。
 ヒビナとフォルケがウェイストの集落を目の当たりにするのは、これがはじめてだった。2人は、シルバー階層の出身である。当然ながら、これまではシルバーを出ることも、シルバー以外の階層へ入り込むことも許されていなかった。それがこの世界の掟である。
 だが唯一、それが許される職業があった。
 スイーパーである。
 掟破りの階層越えを摘発するスイーパー。それは、この世界の階層を管理する階層監査省、通称「フォーミュラ」の下部組織であり、数々の特権が認められた、スペシャリスト集団である。その職業柄、ときには自分本来の階層を越えても、違反者を追跡する必要が生じる。それゆえに、スイーパー内部では、隊員の階層は問われない。
 ヒビナたち予備隊に至っては、訓練期間中は、隊員の階層は秘密事項とされる。純粋にスイーパーとしての能力、適性を推し量るための措置である。これが裏目に出て、アザクの階層について誰も問わなかったことが、この騒動を生んだのだが。
 ところで、公式には、階層とはゴールド、シルバー、ブロンズの3つを指すものであり、ウェイストは正式な意味での階層ではない。したがって、ウェイストはスイーパーになれない。実は、人の階層は不変ではなく、階層を上がることは不可能だ(と言われている)が、あることが原因で、その人間の階層が落ちることはあるのだ。これをダウンシフトという。もし、スイーパーがウェイストにダウンシフトしたら、それはスイーパー追放を意味する。
 これはスイーパー組織における厳格なルールであり、このことが、後にさらなるトラブルを引き起こすことになる・・・

     ★     ★     ★

 目にするもの全てが珍しいヒビナは、なんだか、はしゃいでるようだった。
「ねっ! 見て見てフォルケ! 野菜、野菜!」
「野菜なんか珍しくないだろう? ・・・なに、子供みたいに・・・」
「ほらほら、キュウリ、キュウリだよ!」
「だから、キュウリなんてシルバーにだっていくらでも・・・でかッっ!?」
 ヒビナが放り投げたキュウリの大きさは、フォルケが見慣れたキュウリの3倍はあった。フォルケはキュウリを落とさないようにしっかりと受け止めたのだが・・・
「!! あいてッッ!? トゲ、トゲが!」
 でっぷりと太った八百屋のおばちゃんは、そんなフォルケを見て笑った。
「大げさだねえ、ぼうや。新鮮なキュウリは、表面がトゲトゲしてるモンだよ!」
「危ないなヒビナ! ケガでもしたらどうすんだよ!!」
「血ィ見てたら、シャレにならなかったねえ」
 ヒビナはそう言って、けらけらと笑った。
 フォルケはブスッとなった。ちっとも大げさじゃない。八百屋のおばさんは、ウェイストだから知らないんだな。ホントのホントに、シャレにならないんだぞ・・・
「まったく・・・」
「ほらほら、フォルケ!!」
「今度はなんだよ! 遊びに来たんじゃないんだぞ! ・・・って・・・」
 振り返ったフォルケは、ヒビナの顔を見て・・・
 真っ青になって、飛び上がった!
「うわあぁッッ!! ででで、出たぁ〜〜〜〜〜〜〜ッッッ!!!」
 そのまますっ飛んで、八百屋のおばちゃんの、巨大なお尻のかげに隠れた。
 ヒビナの顔が、ブタの顔になっていたからだ。
「なによフォルケ〜! だらしがないわねえ!」
「ほんとだよ、ぼうや! アンタそれでも男かい?」
 ヒビナは、肉屋の店頭から、ブタの頭を借りて、自分の顔に当てて見せたのだ。意気地のないフォルケのありさまを見て、八百屋と肉屋の客、そしてその周辺は、どっと笑いが沸きおこった。
「・・・あのねえ・・・」
 いつもの口癖が口をついて、フォルケは苦笑いした。
 そして、すっかり子供に戻ってはしゃいでいるヒビナの、屈託のない笑顔を見て、思った。
『こうしてると、ほんとにかわいいんだけどなあ・・・』
 そのとき、少し離れた区画から、怒号が聞こえた。
「なんだとぉ! 文句があるってのか!?」

 ガッシャアアアアンッッ!!

 ふっと、ヒビナは音のする方角を振り向いた。

     ★     ★     ★

「いやあ、ほんとに申し訳ないなあ、トラッシュくん・・・」
「なに言ってんの、これが一宿一飯の恩義ってヤツさ! じいさん!」
 トラッシュは、手にしていた掃除機のパネルを、パタンと閉じた。
「ほいッ! 一丁上がり! じゃなくて、これで6台目か」
「見せて見せて! エトワにやらせて!」
 エトワは、いそいそと掃除機のプラグをコンセントにつなぎ、スイッチを入れた。

 ブウウイイィィンッッ!!

 掃除機は、轟音を立てて動き始めた。
「すごおいっっ!! ものすごく吸い込む〜っ!」
「しかも一般的な掃除機に比べて、吸塵力がずっと変わらないのさ!」
 エトワは掃除機を引っ張りながら、部屋中を駆け回る。あっというまにホコリっぽかったリビングがきれいになった。
「洗濯機、トースター、換気扇・・・家中のものをすっかり修理してもらって・・・ うちの機械はどれも年代物で、スクラップ寸前だったのになあ・・・」
「言ったでしょ、おじいちゃん。トラッシュはスゴイって!」
「そうさ。これが『直し屋』の本領だ!」
「いや、それにしてもキミはすごいな、トラッシュくん・・・ なによりも、道具らしい道具を使わず、素手で直してしまうなんて・・・」
「ま、道具があれば修理も早いけど、かさばるし、いつでも道具が手に入るわけじゃないんで・・・ いつの間にか、無くても直せるようになっちゃったね」
「わたしには、まるで魔法に見えるよ・・・ キミはもしかして、アート使いかね?」
「へ? また、アートって言われた・・・」
「きゃあああああっっっ!!!」
 エトワが悲鳴を上げた。
「どした!? エトワ?」
「カーテンがカーテンがカーテンがあっっ!! 吸い込まれちゃうぅっ!」
 エトワは、カーテンを吸い込んだ掃除機にぶら下がって、ジタバタしている。カーテンをどんどん吸い込みながら、掃除機はエトワごとカーテンを駆けのぼり、エトワの足が宙に浮いている。
「スイッチ切って! なにやってんの!」
 トラッシュは宙ぶらりんの掃除機に飛びつくと、カーテンを思い切り引っ張る。

 スポンッッ!!
 ドサアアッッ!!
「あいてててててててて!!!」

 吸い込まれたカーテンは掃除機から引っ張り出され、エトワとトラッシュと掃除機は床に落っこちた。そのとたん、今度は掃除機がトラッシュのほっぺたに吸い付き、ものすごい勢いで吸い込まれる。
「いやああん! トラッシュが掃除機に吸い込まれちゃうよお!」
「らから、スイッヒほ、ひれっへばぁ!(だから、スイッチを、切れってば)」

 カチッ!
 シュウウウウゥゥゥンン・・・

 スポッッ!

「ふう、やっと外れた・・・」
「あ、アハハハッッ!?」
「なんだよ、エトワ?」
「キスマークだ、キスマークだ!」
 トラッシュのほほには、吸い付いた掃除機のノズル痕がついていた。
「まったくもー・・・」
「エトワもつけちゃお! えいっっ!」

 ちゅっ。

「え、エトワ!?」
「エヘヘヘヘヘッ!」

 エトワは、トラッシュのほほにキスをして、照れくさそうに笑った。
 はじけるような、天真爛漫な笑顔・・・ トラッシュは、なんだかホンワカした気分になった。妹がいたら、こんな感じなんだろうか・・・
 ビィは、そんな微笑ましい2人を、こちらも微笑みをたたえて見ていた。だが、その心の内は、表情と別なことを考えていた。
『やはり、来るべきときが来た・・・そういうことなのか・・・』

     ★     ★     ★

「誰のおかげでこの市場が成り立ってると思うんだ! おれたちスイーパーが警護してるからだろうがッ!?」
 市場にわき起こった騒ぎの中心から、そんな怒鳴り声が聞こえた。
 スイーパー?
 ヒビナは、その言葉に反応して、声の方向へ歩き出した。
「ヒ、ヒビナ?」
 フォルケは、つかつかと大股で歩いていくヒビナについて行く。

「そう思うんなら、酒の1本や2本、安心料みたいなモンだろッッ!? ケチケチすんな!」
 わめいているのは、筋肉質な男だ。右手にはワインのビンを2本持ち、左手でやせっぽちな初老の男の胸ぐらをつかんでいる。
「わ、わかりましたわかりました! 差し上げますから、どうか今日のところは・・・」
「んじゃ、3本な。これにすっか」
「ああっっ!! それは今年一番のブドウで作ったワイン! それは、キリィ・キンバレンさまに献上する予定の・・・」
「キリィ・キンバレン?」
 その名に反応したのは、筋肉質な男のわきで、なにやら手にしたスケッチブックにえんぴつを走らせていた、もうひとりの男だった。薄い眉をひくひくとひくつかせ、ギョロッとした目を、やせっぽちの酒屋に向けた。
「ちょうどいい、キリィ・キンバレンはこのオレの上司だ。ベニッジ・ニブライン上等士の名前で、つけとどけてやるよ」
「ちょいとばかり、毒味をしてからなァ! ヒハハハハハハッッ!」
 筋肉男が、下品な笑い方をした。
 そのとき。
「あーら、キリィ隊長の上品なお口に入るワインじゃあ、あなたがたには、かえって毒になるんじゃありませんこと?」
 通る声で、そんな皮肉がベニッジという男の耳に突き刺さった。
「誰だ!?」
 筋肉男が振り返る。その視界に入ったのは、赤いジャケットにプリーツスカート、ベレー帽姿の、とびきりの美少女だった。
 ただし、鼻っ柱がめっぽう強そうな顔立ちをしている。
「なんだあ・・・ガキじゃねえか・・・って、オマエ、予備隊の制服!?」
「そっちこそ、正規隊の制服ですわねえ。でも、初級研修のあたしたちと同じ、ウェイストが職場ってことですね?」
 美少女予備隊員、ヒビナの十八番、傷口にトンガラシを擦りこむ、ヒリヒリした皮肉攻撃が始まった。
「・・・なんだとお・・・?」
 ベニッジのギョロ目がいっそうひんむかれる。眉毛のひくつきが、2倍のペースになった。
 ヒビナの口撃は止まない。
「言ってる意味がわかりませんか? 見習い新人の研修現場になるくらい、ヒマな現場で仕事している本職、っていう意味で言ったのですが?」
 筋肉男は、こめかみにミミズでも飼ってるかのような、うねうねした血管を浮かべた。
「てめえっっ!! 予備隊の分際で、正規隊員さまにケンカ売ってるのかあっ!?」
 その様子を、フォルケは物陰で見ていた。ぶるぶる震えながら。
『な、なに考えてんだよヒビナ!? 相手は正規隊だぞ・・・』

     ★     ★     ★

「別にケンカしたい訳じゃありませんわ。予備隊のあたしに、ぜひ正規隊の仕事っぷりをご教授願おうかと思いまして」
「なにぃ!?」
「たいした仕事もないヒマな現場で、弱い者いじめをしてオイシイことにありつく方法ですわ」

 プッチーン!

 と、音が聞こえた気がするほど、筋肉男がぶち切れたのが、ハタ目にもわかった。
 筋肉男の顔色は、ピークに達した怒りで、真っ赤になったり真っ青になったりと、ものすごい速さで交互に変わった。これがアニメだったら放送局のチェックが入るだろうという勢いだ。
「・・・ぉんのアマぁ!!!」
 筋肉男は、猛牛のようにヒビナに突進した!
「うわああぁぁぁ!?」
「きゃあああぁぁ!!」
 周囲の客と店員は、いたいけな?美少女が吹き飛ばされるさまを見ていられなかった。
 だが。

 グワッシャアアアッッ!!

「う・・・ぐ・・・」
 これはどうしたことだろう? 筋肉男は、ヒビナの手前1メートルで、ぴくりとも動かなくなった。まるで、見えない壁に激突したかのように。
 ヒビナは、筋肉男に向けて。右手のひらを突き出していた。だが、男は手に触れたわけではない。その手前で、ぴたりと止まっているのだ。
 ヒビナは、にっこりと笑うと、筋肉男の手から3本のワインを取りあげ、それから、男の眉間にフッと息を吹きかけた。
 すると、筋肉男は目を回して、ずるずると崩れ落ちた。

 ズサアアアアッッ!!

『あのガキ!? アートを!?』
 ギョロ目のベニッジは、かすかに青ざめた。いや、恐れからではない。怒りだ。
『ガキ! てめえ、なにをしたかわかってんのか? 正規隊にアートを使うということが、どういうことか!』
 心の中で、そう叫んだ。
「フンッッ!」
 ヒビナは荒い鼻息とともに、筋肉男を見くだす目つきをした。
 ベニッジの目の奥に、青い炎が立ちのぼった。
 しかし、つとめて冷静を装って、ヒビナに語りかけた。
「おい予備隊員。おまえ、まさか・・・」
「なんでしょう?」
 ヒビナの、見くだした態度は、相変わらずだ。
「イリーガルを発見した、ヒビナとかいう・・・」
「あーら、あたしも有名になったものですわね。こんな辺境の正規隊員さまに知られているなんて」
 フォルケは、物陰で真っ青になった。
『知らない・・・もう知らないぞ・・・ボクは・・・』
 ベニッジは、眉間にしわを寄せ、刺すようなギョロ目をヒビナに向けた。
「おまえと合流するはずだった、ウェイスト第8方面支部所属、ベニッジ・ニブライン上等士だ」
「・・・そうですか。あなたが・・・」
「キリィ大尉に俺たちと合流するよう命ぜられたはずだが? なぜ勝手に行動している?」
「15分で合流といわれましたが、お見えにならなかったので」
「15分で着いたぞ! おまえたちはいなかった!」
「はあ、そしたら、あたしたちとココとでは、15分の速さが違うんでしょう」
 フォルケの気が遠くなっていった。
『こんなイヤミだけは天才なんだから・・・』
 ベニッジは、すでに頂点をとおり越した怒りで、こめかみがギリギリ痛み出した。
「・・・オレもなめられたモンだ。オレたちは現場でたたき上げてここまで来た。それなのに、こんなところで予備隊の小娘ごときに見くだされなければならんのだからな」
「それはどうも、お察ししますわ。それじゃあ、市場のか弱きウェイストのみなさんでも締め上げなければ、やっていけませんよねえ?」
「・・・なんだとお?」
 一触即発。ベニッジがヒビナににじり寄る。
 だが、ヒビナの方も、いいかげん爆発の機会を待っていたようだ。
「安っぽい役人根性で、弱い者いじめしてんじゃないわよ! スイーパーってなんなのよ! 階層間の干渉を断つことで、世界の秩序と平和を守り、市民の日々の営みを、影ながら支えるのが役目でしょう? それなのに、スイーパーが権威をひけらかして、どうすんのよ! スイーパーになれないウェイストは、弱い立場なのよ! 階層の中にいる限り上下関係は無いのに、スイーパーが威張り散らしてるんじゃ、なんにもなんないじゃないの! スイーパーという力を持つ者の、背負うべき責任とか、覚悟とか、そんなものがアンタらには無いの!? そんな浅ましい精神で、正規隊ヅラしてんじゃないわよ! 恥を知りなさい! 恥を!」
 出た!
 ヒビナ一気まくし立て攻撃!
 ベニッジは面食らった。ヒビナの言葉の中身より、その勢いに!
 すると・・・

 ウオオオオオオオオオォォォ・・・
 パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ・・・

 市場全体を包み込む、歓声と拍手が巻き起こった。
 そう、そもそも、相手がスイーパーといえども、市民が平伏しなければならない理由など、もとより無いのだ。
 すっかり立場の無くなったベニッジは、さらに青ざめた。
「おまえ・・・いいのか? その態度。キリィ大尉に報告するぞ? 命令に背いてオレたちを待たなかったことを」
「あら、そしたらわたくしも、今日のことも報告しなければなりませんねぇ? それとも、あなたがたがいつもこの市場でやっていること、かしら?」
 ぐっ・・・
 ベニッジは沈黙するしかなかった。
 そして、ヒビナをにらみつけたまま、倒れて目を回している筋肉男に歩み寄り、揺り起こした。
「おい、リドー、リドー! 起きろ! 帰るぞ! この唐変木!」
「・・・へっ・・・兄貴・・・朝ですかい? 朝飯は・・・」
「寝ぼけるなバカ! さっさと立て!」
 リドーと呼ばれた筋肉男を引っ立てて、ベニッジはその場を去っていった。
 去り際に、ヒビナをにらみつけることも忘れず。
『憶えてろよ・・・』
 言葉にしないで、口の中でつぶやく。
 ヒビナの方は、これ以上のイヤミはないというくらいの、絶妙な薄笑いを浮かべてベニッジを見送った。
 ベニッジのオフロードカーが走り去ると、再び市場は歓声に包まれた。

 ウオオオオオオオオオォォォ・・・

「ありがとうございました! おかげで助かりました。それに胸がスカーッとしました!」
 酒屋はヒビナに深々と頭を下げた。
「いやなに、当然のことをしたまでですよ。フォルケ、フォルケはいずこ?」
「人をそんな、執事を呼ぶみたいに・・・」
 ヒビナは、物陰から出てきてムスッとしているフォルケに、取り上げた3本のワインを手渡した。
「あの、そのワイン・・・」
「これはわたくしから、キリィ・キンバレン隊長にお渡ししておきましょう。あなたのお店の名前で」
『(フォルケの心の声)ウソウソ、絶対ウソ』
「あ、ありがとうございます。よろしくお願いします。リカーショップ・フィドリールです」
「フィドリールですね。承りました」
『明日にはきっと忘れてる』
「あのベニッジという男の横暴には、いつもいつも悩まされていたのです。この市場全員があなたに感謝しています。ぜひ、お名前を」
「ヒビナ・アルアレート。ヒビナ・アルアレート」
『なんで2回言う?』
「またあの男にわずらわされたときは、いつでも呼んでください。お力になりましょう」
「ほんとですか!? ああ、なんと感謝したら良いのやら・・・」
『いいかげんなこと言うなーッ! できるわけないだろう!』
「それでは、わたくしはこれで・・・ フォルケ、フォルケェ?」
「横にいるよ! だからなんで執事扱いなんだよ!」
 すっかりツッコミキャラになったフォルケは、最後は言葉に出していた。
「帰るわよ。それではみなさん、ごきげんよう」

 ヒビナとフォルケはカートに乗り、集落を去っていった。
 市場の人たちは、いつまでもいつまでも、ヒビナに手を振っていた。ヒビナも、まるで王室気取りで、にこやかに手を振っていた。
「キミってコはまったく・・・よくあんな出まかせを・・・ だいたい、自分のしたこと、わかってんの? もう、冷や汗ものだったよ・・・ 予備隊のキミが、正規隊に楯突くなんてさ」
「いや、その場の勢いというか・・・」
「なんだよ! 勢いかよ! せめて、あのベニッジ上等士の横暴が許せなかったとか、正義感から黙って見ていられなかったとか、そういう理由ならまだ格好もついたのに!」
「どうでもいいじゃない。ウェイスト駐在の正規隊なんて、たぶん主流から外れた窓際族よ。アザクを捕まえれば、あたしたちはエリートコースよ? たぶん一生会うこともないわよ。あのベニッジとかには」
「アザクを捕まえれば、だろ?」
「捕まえるモン。絶対!」
「・・・あのさあ・・・」
「なによ?」
「ヒビナって、宝くじ当たる前提で、マンション買っちゃうタイプ?」

     ★     ★     ★

 一方、ベニッジのオフロードカーは、集落を見おろせる丘の上に停まっていた。
 まだ目を回しているのか、筋肉男リドーはしきりに首をふり、まばたきを繰り返している。
 ベニッジはといえば、集落をにらみつけながら、いつものように、手の中のスケッチブックにえんぴつでいらずら書きをしていた。
 だが、そのいたずら書きは、紙に深く食い込み、えんぴつで紙は真っ黒だった。芯の軌跡が破れているところさえあった。

 ボキッ!

 とうとう、えんぴつが折れた。強く押しつけすぎたのだ。ベニッジの眉は、恐ろしいほどのスピードと振幅で、ビクビクっとひくついていた。
『予備隊だと!? そんなシステムがあるから、オレたち現場のたたき上げは日陰者だ! あんなガキのうちから、エリートコースだと? ふざけるな! このオレは、現場13年、13年だぞ!? なのに、いまだに上等士どまりだ! それも、こんな辺境のウェイスト担当で、後がないんだ! 予備隊の連中は、オレの頭上を飛び越して、早くも士官候補生だ! だからあのガキのように、なめた態度をとられるんだ! ・・・こんなことが、こんなことが許されて良いのか?』
 ベニッジの脳裏に、ヒビナの見くだす視線がよみがえった。
『ヒビナとかいう小娘・・・リドーを卒倒させたあの技、あれはまさしくアート・・・ 予備隊の見習いごときが、同じスイーパーに、正規隊員にアートを使うなどと、どういうことかわかっているのか? オレたちのプライドに泥を塗ったんだぞ!』
 そんな歪んだベニッジ・ニブラインの、どす黒い情念は、ますますねじ曲がった考えしか生み出せなかった。
『ヒビナ・アルアレート・・・許せん・・・必ず、必ずこのお返しはさせてもらう。悔やんでも悔やみきれないほどにな・・・』

     ★     ★     ★

「ふえぇぇ〜っっ!! こりゃすごい、宝の山じゃないか!」
 広大な敷地にうずたかく積まれたゴミの山を見て、トラッシュは歓声を上げた。
 ゴミの大半は廃棄された家電、機械、中には自動車まである。油と金属くずの匂いがそこいら中にただよっているが、トラッシュは喜々としてゴミの山を駆け回っている。
「おおっ! このホイールローダ、ちょっといじれば全然いけるじゃないか! これももらっちゃお!」
 ホイールローダとは、タイヤ式のブルドーザだ。
 ゴミ山の中に埋もれていた小型のオンボロホイールローダを、トラッシュはすっかり気に入ったようだ。
「こんなものを見て、喜んでいる人間ははじめてだな・・・」
 ビィがそう言うのも無理はない。「捨てられた階層」のゴミ捨て場、「いらないものの中のいらないもの」の山なのだから、誰もこんな場所に注目などしない。
「だってそうだろう!? オレの手にかかれば、これは全て商品になる。『直し屋』にすればここは金の鉱脈だよ」
「ええぇ〜っ? でも、くさいよぉ〜っ!」
 エトワは鼻をつまんでいる。
「洗えばいいさ。汚れたら洗う。壊れたら直す。それで万事オーケー!」
 ビィはそんなトラッシュの言葉に、うんうんとうなずいていた。
 ここは、ビィの家からクルマで20分ほどの距離にある、人知れぬ不法廃棄場。いや、「場」というほど、施設として確立したものではない。誰かが勝手にゴミを置いていったに過ぎない。
 決して裕福ではないウェイストの民。モノを大切にしない、ということではない。水を求めて、移民のような生活を送るウェイストは、集落を移動させるたびに、モノを捨てて身を軽くする生活になれている。だから、ウェイストにはあちこちにこんな廃棄場がある。
 そんな、誰も見向きもしない廃棄場を宝の山というトラッシュ。どうも、人とは違う考え方を持っている子のようだ、とビィは思った。
「使えそうなモノを拾って直すよ。そんで、市場で安く売ろう! 結構なもうけになるはずだ!」
「それはいい考えだ。新品は高くて手が出ないから、喜ばれるんじゃないかな」
「わ〜いわ〜い、大もうけだ〜っ!」
 エトワがはしゃいでいる。
 ビィは、ゴミの山を駆け下りてきたトラッシュに、水筒を手渡した。そのまま、2人で並んで、乗ってきたトラックの荷台に腰掛ける。
 エトワは、すっかり乗り方を憶えてしまった「ウィンドボード」で、あたりを駆け回っている。それをながめながら、トラッシュは水筒から一口、水を飲んだ。
「エトワは飲みこみが早いな。アレに乗れるヤツはそうはいない」
「なあ、トラッシュくん・・・」
「えっ?」
「聞いていいかな。月並みだが、キミはどこから来たのかね。そして、どこへ行こうとしているのかね?」
「オレは、東から来たんだ」
「東から?」
「うん、それで、西へ向かっている。・・・バカみたいな話だけど」
「西に、なにかあるのかね?」
「いや・・・こういうと笑われるかも知れないけど、夢のお告げがあってね」
「お告げ、かね・・・」
「そう。東で暮らしてたときは、直し屋で生計を立ててた。それで食うには困らなかったけど、あるとき・・・いや、何度も同じ夢を見て、西へ行け、西へ行け・・・って。んで、特に目的もないんだけど、なんだか面白そうな気がして、西に向かうことにしたんだ」
「ほう・・・」
「オレ、単純だから。なんでもかんでも、楽しそうなこと、面白そうなことに乗っちゃうんだ。じっとしててもなにも起こらないし、行けばなにかあるだろうって。・・・さっそく、大変な目に遭ってるけどね」
 ビィはますますトラッシュに興味を持った。考えるより先に行動に移す、しかもトラブルに巻き込まれても、まるでそれを楽しんでいるように見えるトラッシュ。そんな人間には、今まで出会ったことが無かった。
「オレも聞いていい?」
「ん? なんだね?」
「ここでは当たり前の事を、オレはぜんぜん知らない。オレ、頭悪ィから・・・ 東にいた頃も、世間のことなんて知らなくて、自分の周囲のことだけで精いっぱいだったけど、ここはあまりにもオレの知ってた世界と違いすぎる」
「ふむ・・・」
「まず、ウェイストってなんなんだ? 階層がどうとかいってたけど、それと関係あるの? それから、アートってなんだ? オレのこと追っかけてる制服来た連中は? それから・・・」
「まあまあ、そういっぺんには話もできんよ。一つずつ説明しよう・・・」

     ★     ★     ★

「階層というのは、世界を構成する基盤だよ。それは上からゴールド、シルバー、ブロンズときて、一番下がウェイスト、つまりここだ。または、それぞれ、その階層に住む人間のこともさしている。だからわたしはウェイストだよ」
「ゴールドに住む人間はゴールド、シルバーはシルバー、ってわけか。 ・・・でも、階層って言われても、今いちピンと来ない・・・」
「そうだな、簡単に言えば、タマネギだ」
「タマネギ!?」
「今、こうしてわれわれが暮らしているこの大地は、惑星という名の大きなタマネギだ。タマネギの皮1枚1枚が階層だよ。一番上がゴールド、1枚めくればシルバー、もう1枚めくれば・・・というわけだ。学校で習っただろう?」
「オレ、学校行ってない・・・」
「空を見上げたまえ」
 トラッシュは、その言葉に従って、上を向いた。そこは一面の青空。少しだけ雲がある。太陽はゆらゆらと西に傾きつつある。
「この空をずーっと上まで行けば、天井に突き当たる。その上に、ブロンズの大地がある」
「ええっっ!? ウソだろ!?」
 この世界では当然のことを、トラッシュは知らない。ビィは心の中で、あることを考えていた。
『彼の言う東というのは、やはり・・・』
「じゃ、じゃあ、あの太陽はどこにあるんだ?」
「こうしてみると、太陽は丸い光の塊だが、本当はもっと大きな、強い光を放つ熱の玉なんだよ。それはこの惑星なんかよりもはるかに大きく、ずーーっと遠く離れた場所にある。
 この大地や、上にある天井には、ガラスのような透明な鉱石の粒が大量に含まれていて、それがつながって天然の光ファイバーとなって大地を貫いている。しかも鉱石は地熱をエネルギーとして光を増幅するんだ。地面を見ただけではわからないがな。太陽の光はまずゴールド階層の大地を照らし、それは光ファイバーを通してシルバーの大地を照らす。それはまた大地を通過して・・・」
「ブロンズ、ウェイストと降りてくるわけか! じゃあ、上から下、下から上が透けて見える?」
「距離が離れているから、ほとんど見えないな。だが、上の階層の影が、ぼんやり下に落ちることはある。注意して見るとな」
「・・・ほええぇぇ・・・」
 トラッシュはあっけにとられている。
「階層とはそういうものだ。だがそれは、社会的な階層とは意味が違う。この世界では・・・」
 ビィは、まるで違う世界の人間に話すように、トラッシュに語った。
「この世界では人間は生まれついて、その住むべき階層が決まっている。この目の奥の網膜に刻まれた情報でそれはわかるのだが、ゴールドの人間は生まれつきゴールドだ。シルバー、ブロンズもそれは同じ・・・それぞれ、生まれつきの階層は一生ついてまわり、それぞれの階層に住み、他の階層に入ることは許されていないのだ」
 そして、ビィは階層間の移動や干渉を取り締まるスイーパー組織について説明した。
「じゃ、昨日オレを追っかけ回した連中は、そのスイーパー・・・」
「話を聞く限りでは、正規のスイーパー隊員ではなさそうだな。たぶん見習い期間中の予備隊員だろう」
「じゃ、じゃあ、オレはこの世界の掟を破ったってこと? オレはなにもしてないよ! 確かにあいつらはオレのこと『イリーガル』って呼んでたけど・・・」
「!! イリーガル、だって!?」
 ビィは、珍しく狼狽した。そんなビィの反応に、トラッシュの方がびっくりした。
 すると。
「ねぇ〜〜〜いつまでお話ししてるのォ? エトワお腹空いたよぉ〜〜〜」
 エトワが、ウィンドボードを抱えてしゃがみ込んでいる。遊び飽きたようだ。大地を貫いているという日の光は、ずいぶん低い角度にあった。
「あ、もうこんな時間か・・・」
「トラッシュくん、話の続きは、また後だな」
「ああ、ありがとう。じいさん。さて、使えるモノを拾って、さっそく修理しなくちゃな・・・」
 ゴミの山に向かって駆けていくトラッシュ。エトワはまだ帰れないのか?とふくれっ面をしている。
 そんなトラッシュの後ろ姿を目で追って、ビィは真剣なまなざしをしていた。
 ある確信を胸に秘めて。

     ★     ★     ★

 さらに翌日。
 ヒビナとフォルケは、前日訪れた集落に再びやってきた。
「なんで忘れてたのよ! あたしたちは昨日、あの女の子の情報を探りにここへ来たんでしょう!?」
「キミが好き勝手してトラブルに巻き込まれて、そのせいだろう!?」
「んもう〜とりあえず昨日の市場に行くわよ! で、なんだっけ?」
「なんだっけって、なにが!?」
「酒屋の名前!」
「・・・・・・・・・」
 フォルケは頭を抱えた。

「さあさあさあ、安いよ安いよ! 新品同様の冷蔵庫に、こっちは電子レンジだ! 壊れ物を修理した再生品だけど、元の製品よりも、ずっとこっちのほうが性能アップしてるよ!」
 トラッシュとエトワは、市場の片隅の小さなスペースで、ゴミの山から拾って修理した大量の機械や電気製品を売りに出した。ビィの紹介状があったので、市場の元締めに、狭いながらも格安の区画を貸してもらえたのだ。
 最初はけげんそうな顔で見ていた市場の客たちだったが、1人、また1人と興味を持って集まり始めた。
「まあ、このヘアドライヤーはお安いわねえ! 新品だとこの5倍のお値段はするわ!」
「おばちゃん! よかったら試してみてよ! 性能は新品にだって負けないよ!」
「あら? エトワちゃんじゃないの? どうしたの、こんなところで?」
「えへへ、このトラッシュはエトワのうちの居候なの!」
「へえ・・じゃあ、試してみようかしら?」
 実際に手にとって試してみると、トラッシュの再生品は全て完動で、しかも元々の製品よりも高い性能を誇っていた。見てくれは新品同様とは行かないがキレイに磨いてあるし、なにより値段が安いので、すぐに客が殺到した。あんなにあった再生品の山が、どんどん売れていった。文字どおり飛ぶように。
 その評判は、すぐに市場中に広まった。
 客の中には、トラッシュの修理技術に興味を持つ者もいた。
「へえぇ、これが修理品ということは、キミ、修理の腕前もたいしたものだね?」
「ああ、よければ修理の仕事も請け負うよ! そっちがオレの本業だからね!」
「スゴイスゴイ! トラッシュ、人気者〜!」
 エトワは大喜びだ。

「なんか、昨日に比べて、今日はまた一段と活気があるわねえ」
「ヒビナ、ボク、考えたんだけどさ・・・」
「ま、また!?」
 ヒビナは、昨日の話の続きを訊かれるのではと思って、ヒヤヒヤした。
「アザクは、記憶喪失なんじゃないか?」
「はあ!?」
 意表を突かれて、ヒビナはポカンと口を開けた。
「なんらかの原因で、アザクは記憶を失って、それでトラッシュを名乗って、ボクたちのことも忘れてしまったんじゃないかな? どう思う!?」
「どうって、そんなら、あんなに自信持って『自分はトラッシュだ』とは言わないんじゃない?」
「そっかあ・・・それじゃ、こういうのはどう? 他人の人格を擦りこまれたっていう・・・」
「な、なんですって?」
 また一段とぶっとんだ仮説に、ヒビナはあきれた。
「アザクは誰かに、トラッシュという人格を擦りこまれた。だから自分はトラッシュとして産まれて、トラッシュとして生きてきたと思いこんでる。でもそれは作られた人格なんだ」
「・・・本気でそんなこと考えてるの?」
「あと、こういうのは? ボクたちが出会ったトラッシュは、アザクのコピーで、実は人造人間だったというオチ」
「オチって、アンタねえ! マンガや小説の読み過ぎなのよ! そういえばアンタは、SFとかファンタジーとか、そんなのばっかり読んでたわよねえ。現実と空想の境界がついてないんじゃないの?」
 またしてもフォルケは、ヒビナをいらつかせてしまった。
「そ、そうかなあ・・・いろいろ考えてはみたんだけど・・・」
「アンタの本棚、菓子が451個とか、電気毛布は羊毛が夢だとか、更年期が終わったとか、そんな本ばっかりだったもんね!」
「あ、これはどうかな? 実はボクたちがトラッシュに会った記憶は、全部、外部から植え付けられていた疑似記憶で・・・」
「もういいっての! かえって混乱するだけじゃない! アザクを捕まえれば全てがハッキリするんだから!」
「謎解きのヒントになればと思ったんだけど・・・」
「言っておくけど、パラレルワールドとタイムマシンは却下だからね」
「ええっ! 今それを考えてたとこなのに!?」
「この2つを出しちゃうと、なんでもアリになるからダメ! 絶対禁止!」
「ちぇっ・・・」

 そのとき、昨日のビデオを見るような騒動が起きた。

「こらあぁぁ!!! てめえ、誰にことわってここで商売してやがんだ!?」

     ★     ★     ★

「誰にって、市場の元締めにお金払って商売してるんだけど?」
 トラッシュは、平然とそう言ってのけた。
「なんだとお!? それだけで、ここにいるベニッジさまの管轄で商売が出来ると思ってるのかあ!?」
 トラッシュにからんでいるのは、筋肉男、リドーだ。そのそばには当然のごとくベニッジがいる。
「うん。思ってる」
「ふざけてんのかこのガキ! 昨日といい今日といい、近頃のガキは礼儀もわきまえてねえ! 安心して市場が開けるように、このオレたちスイーパーが見てやってんだろうが! そんなオレたちに警備代を払うのが当然だってモンだろう!?」
「聞いたことない。そうなの?」
「ぬあぁんだとおぉ!?」
 相変わらずひょうひょうとしたトラッシュの態度は、リドーをも怒らせた。
 ベニッジは、今日も不愉快そうな顔をして、そんな様子を眺めている。
「でもさあ、オレはオレの身ぐらい自分で守れるから、わざわざ見守ってくれなくていいよ。お金がもったいないもん」
「・・・テメエ、オレたちに金を払うのがもったいないってか!?」
「いや、そういう意味じゃなくて・・・」
「んなら払いたくなるようにしてやるぜ!」
 そう言うやいなや、リドーはトラッシュに飛びかかろうとした。
 が、そのとき。リドーは一瞬立ち止まった。
「??」
 いぶかしげなトラッシュを前に、リドーはキョロキョロと左右を見回した。昨日のことがあったからだ、一応、学習能力はあるらしい。
 再びリドーはトラッシュをにらみつけると、突進を再開した!
「・・・んじゃ改めて、テメエ! んなら払いたく・・・」
「さっき聞いた!」
 トラッシュは・・・
 ひらりと空中に浮かんだ!
「ゲッッ!?」

 ドグワッシャアアアアァァァンン!!!

 勢い余ってリドーは、トラッシュの商品、修理品の山に突っ込んだ!
「あ〜あ、また修理しなくちゃならないじゃんか・・・」
 頭のまわりをちかちかした星が回っているリドーは、首を2、3回左右に振ると・・・
「このやろおおおおぉぉぉ!!!」
 三たびトラッシュに向かって突進を仕掛ける。いいかげん、芸のない男である。
「ホイッッ!」

 ガランガランガッシャアアアアァァァ!!!

 トラッシュは、そんなリドーを、抜群の跳躍力と身の軽さで、かわしてかわして、かわし続けた。リドーは、そのたびに市場のあちこちに突っ込んでは、頭のまわりの星を増やしていくだけだ。
 ドライヤーを買ってくれたおばさんに守られるように抱っこされてその様子を見ていたエトワは・・・
『すごおい! トラッシュ、ウィンドボードがなくても飛べるみたい!』
 と、感心していた。そう思えるほど、軽快な身のこなしのトラッシュだった。
「おじさんさあ、オレ、ケンカはきらいなんだよ。今日はもうカンベンしてくんない?」
「なにを・・・この・・・ガキが・・・もう・・・容赦・・・しねえ・・・」
 荒い息をついて、ふらふらのリドーが、トラッシュの胸ぐらをつかもうとしたとき。
 トラッシュは、フッとリドーの眉間に息を吹きかけた。
 リドーは昨日のリプレイを見るように、目を回して、ずるずると崩れ落ちた。

 ズサアアアアッッ!!

「ねえ、もうこれくらいで気が済んだ?」
 トラッシュは、リドーをからかってこんな事を言っているのではない。ケンカぎらいのトラッシュは、ただリドーから逃げ回っていたつもりだったのだ。ぜんぜん悪びれるところのないトラッシュの、そんな天然な振る舞いが、ベニッジには人を食った態度に見えて、我慢ならなかった。
「この、小僧が・・・」
 そんなベニッジが行動を開始する前に・・・
 通る声で、聞こえてきた言葉は!
「あああぁぁぁ〜〜〜っっっ!!! アンタ、アザクゥゥッッ!!」

     ★     ★     ★

「ゲッッ!? キミは!?」
 声の方角を振り向いたトラッシュは、自分を指さしている少女を見て、冷や汗を吹き出した!
 赤いジャケットの美少女、それはヒビナだ。少し遅れてそのそばに駆けよってきた青いジャケットの少年、フォルケもまた、ビックリした顔でトラッシュを指さして言った。
「あっあっ! ホントだ! トラッシュ! いやイリーガル! じゃなくてアザク!?」
「なにっ? イリーガル!? アザクだと!?」
 フォルケの言葉に驚いてトラッシュを見つめ直すベニッジ。スイーパーの制服を着た3人の視線が、トラッシュの顔でクロスした!
「やべっ!?」
 トラッシュは回れ右をして、一目散に逃げ出した!
「待て! 逃げるな! アザク!?」
 ヒビナとフォルケは、あわててトラッシュの後を追う。
「くそっ! リドー、おいリドー!?」
「きゅうう・・・」
「この・・・役立たずがッッ!」
 ベニッジは、目を回しているリドーを置き去りにして、ヒビナたちを追った。
「トラッシュ!」
 再び始まった追跡劇に、置いてきぼりのエトワは心配そうに見送った。トラッシュのウィンドボードを、ぎゅっと抱きしめて・・・

 市場の群衆をかき分けて、トラッシュは逃げた。市場を抜け出せば、ビィに借りたトラックがある。リンゴの山をひっくり返し、店主の怒号を背中で聞きながら、トラッシュは走った。
「うわっ! なんだなんだ!?」
 地面に転がる無数のリンゴに足を取られて、フォルケはつんのめった。そこは運悪く、狭い狭い店先で、フォルケは肉屋と八百屋、2人のビッグなおばさんを巻き込んで転倒した。
「ギャアアッッ!?」
 肉屋も八百屋も、店頭の野菜や肉のかたまりもろとも、フォルケを押しつぶした。
「なにやってんのフォルケ? 先に行ってるわよ!」
 ヒビナはフォルケを置いて、トラッシュを追った。
「むぎゅう・・・」
 倒れたフォルケは、肉屋と八百屋のおばさんの巨大なバストに挟まれて、もう窒息寸前だった。
「あらあらハンサムなぼうや、まだオッパイが恋しいのかい?」
「ムグググ、ムググムグムグッッ!(いいから、どいてくださいッッ!)」
 やっとの事で起きあがったフォルケは・・・
「ふぃ〜・・・ ホントに死ぬかと・・・」
 そう言ってから自分の右手首を見て、真っ青になった!
「ち、血、血、血だあああぁぁあっっっっ!!! 血が出てるゥゥッッ!!??」
 右手には、ほんの一滴ほどの、赤い血がぽつんと付着していた。その大騒ぎっぷりに、八百屋のおばさんはあきれながら・・・
「なんだい、ほんとにだらしがないねえ、見せてごらん? ・・・なんだ、こりゃブタ肉の血だよ。ぼうやはケガして無いじゃないか?」
「あ・・・」
 フォルケはあわてて血をぬぐうと、その痕の皮膚をさすってみた。
 たしかに、傷はない。ブタ肉のかたまりがぶつかって、肉の血が付いただけだった。
 フォルケは網膜センサーを取り出すと、自分の目に当てて、作動させた。

『SILVER』

「よかった・・・」
「しっかりしなよぼうや、男だろ? 血を見たぐらいでさあ」
 そんな肉屋の言葉にカチンときて、フォルケは食ってかかった。
「ぐらいで、じゃないんですよ! ボクたちにとって、たとえほんの一滴でも、血を流すということは重大なんですから! ボクたちの階層は、流れている血によって支えられている! 出血する、つまり血液が空気に触れると、階層が落ちてしまうんです! アートも失って、いっきにウェイストにダウンシフトしてしまうんですよ!」
 初めて見せる迫力のフォルケに、肉屋も八百屋も、気圧されてしまった。そんな2人をよそにフォルケは、店頭にあったロープの束を目にすると・・・
「これ、借りていきます!」
 ロープをつかんで、駆けだしていった。
 後に残された2人の太ったおばさんは・・・
「なんだい、シルバーだかスイーパーだか、子供のクセに、ウェイストを見くだしてんだろ・・・」
 と、毒づいた。

     ★     ★     ★

「はあ、はあ、はあ・・・」
 息を切らしながら、トラッシュはようやく人だかりの市場を抜け出した。でたらめに走ったので、トラックをどこに置いたか、一瞬わからなくなった。
「!! あっちか!」
 30メートルほど離れたところに、ビィのトラックを発見した。トラッシュはそこへ駆け寄ろうとするが・・・
「見つけた!」
 すぐ背後に、ヒビナの声が!
「うわ、マズイ!」
 トラッシュが走り出したとき、ヒビナは・・・
「もう逃がさないわ、同期のよしみで使いたくなかったけど、アートを使う!」
 ヒビナは、キッと表情を結ぶと、右手のひらをさしだし、気をこめた!
「はっっ!!」
 そのとき、ヒビナの目が、「銀色」に光った!

 ガツゥゥンッッ!!

「あいてえっっ!!??」
 トラッシュはひっくり返り、なにが起こったのか?という表情をした。なにか、壁にぶち当たったような気がした。ビックリした表情のまま、もう一度立ち上がり、トラックに向かって駆け寄ろうとしたら・・・

 ガツッッ!!

「な、なんだこれ!?」
 またしても、壁にぶつかった。そこには、透明な壁どころか、なにもないように見える。なのに先へ進めない。見えない壁を探るトラッシュの仕草は、パントマイムのようだった。
「くそおおっっ!」
 こんどは、別方向に回り込んで行こうとしたトラッシュは、「ガツッ!」と、またしても壁にぶつかった。方向をいくら変えても、トラッシュの進行方向には、必ず見えない壁が立ちふさがった。
「どうなってんだよおぉっっ!!??」
 トラッシュは、なにがなんだかわからなくなってアセった。
 ヒビナは、そんなトラッシュに、ゆっくりと歩み寄る。
「これがあたしのアートじゃない。忘れたの? アザク・・・」
 ヒビナの真剣なまなざしが痛い。
「あ、アート?」
「そうよ。物質の密度を自由にコントロールする、それがあたしのアート。空気をカチカチの壁にすることぐらい、わけないわ」
『今のがアートだって!? そうか、よくはわからないが、こういう特殊能力のことをアートというのか?』
 トラッシュは内心、そう叫んだ。
 どうすればいい? こんな力から、どうやって逃れれば・・・
 すると・・・

 ヒュルルルルルル・・・

 上空から、なにかがトラッシュに近寄ってくる。それはヒビナとトラッシュの視界に入った。
 最初、それは鳥のように見えた。
 だが、それは・・・
 どう見ても鳥の輪郭だけで、向こうが透けて見えていた。そう、飛んでいるのは、「鳥の絵」だった!

 ガシイイィィッッ!!

「うわっっ!?」
「えっっ!?」

「鳥の絵」は、トラッシュの両肩を足の爪でつかみ、そのまま舞い上がった!
「わああああぁぁぁっっっ!!!??? ど、どうなってんだ!?」
「あっ!? 待ちなさい! アザクッッ!!??」

     ★     ★     ★

「鳥の絵」はトラッシュをつかんだまま上空を飛んだ。
 はるか下に、市場が見える。
「な、なにがどうなってる!!??」
 あわてるトラッシュをしり目に、「鳥の絵」はどんどんと遠ざかっていく。
「アザクッ!? アザクゥゥゥッッッ!!!」
「落ち着きな、ヒビナ予備隊員」
 後ろから聞こえた低い声。それを振り返るヒビナ。
「ア、アンタ!」
「アンタはないだろう? ベニッジ・ニブライン上等士だ」
「もしかして・・・あれはアンタ・・・ベニッジ上等士のアート!?」
「そうだ」
 そう言って、ベニッジは手にしたスケッチブックをヒビナに見せた。
 目に入ったのは、真っ白なページだった。だが、よく見るとそこには、とがったもので絵を描いたような跡が残っていた。それは、鳥の絵だった。
 さらにベニッジは、手にしたえんぴつをヒビナに掲げた。
「これは特別製のえんぴつでな。芯に特殊な成分が含まれてる。オレはその成分をアートで自由に操作できる。このえんぴつで紙に絵を描けば、その絵の形のまま特殊成分を動かすことが出来るのさ」
「じゃあ、このスケッチブックに残った跡は・・・」
「オレが描いた鳥の絵が、飛んでいったというわけだ」
「アザクをどうする気!? まさか、手柄を横取りしようっていうの!?」
「人聞きが悪いな? 確かにオレはスイーパーでありながら、人に褒められる人間ではなかった。だが、仕事は仕事だ。オレはキリィ大尉に命令されたとおり、お前たちと組んで、イリーガルを捕まえたいだけだ」
「・・・本気でそう言ってるの・・・?」
「もちろんだ。お前も功を焦るな。オレたちベテランがバックアップする。お前ひとりの手柄も、オレと組んだ手柄も、そう大した差はないだろうが・・・」
 すると、ベニッジはヒビナに向けて、右手をさしだした。
 ヒビナは、ベニッジをにらみつけて・・・
「わかったわ」
 そう言いはしたものの、さしだした手を無視した。くるりときびすを返すと・・・
「とにかくアザクを降ろして。もう捕まえたも同然でしょ」
 上空を旋回する「鳥の絵」とトラッシュに視線を送った。
 そんなヒビナの態度に、ベニッジは苦々しい思いを隠した。
『あくまでも生意気なガキだ・・・』
 一方、ヒビナの方は・・・
『こんな弱い者いじめ野郎の言うことなんか、あてになるものですか・・・ 表面上は手を組んだふりはしてあげるわ。でも、アザクは、あたしの手で捕まえる! あたしの手でなければならないのよ!』

     ★     ★     ★

 市場を出て、集落を離れたヒビナとベニッジは、やや離れた場所にある小高い丘に向かった。
 もちろん、「鳥の絵」もまた、トラッシュをそこへ運んでいく。
「なんでこの場所なのよ!?」
「ここにオレたち第8方面支部の出張所がある。そこを牢屋がわりに、ヤツをぶち込む」
 ベニッジが指さした先、丘の頂上には、プレハブ小屋があった。
 丘のふもとは、大きくくぼんでいて、そこには粘土質の土がひび割れて広がっていた。かつてそこは沼地だったのだろう。
 ベニッジは、腰のホルスターから短銃を抜いた。
「これは小型のキャプチャーガンだ。お前の言うようにこの辺はスイーパーが活躍するような事件が起きたことがないんでな。今日、久しぶりに引っ張り出してきた」
「準備のいい事ね」
「だが、使い方がよくわからん・・・ オレも新人の頃、訓練で撃ったきりだからな。ど、どうすれば粘着弾が撃てるんだ?」
「だらしないわねえ、いざとなったらあたしに貸しなさい。あたしが撃つ」
「そうか、頼む・・・」
 そう言った後、ベニッジは薄笑みを浮かべた。
「じゃ、アザクを降ろして・・・」

「鳥の絵」は、緩やかに旋回しながら、丘の頂上に舞い降りていく。プレハブ小屋の前には、ヒビナとベニッジ。
「くそお、トラッシュ一巻の終わりか・・・ 捕まったらどうなるんだろう、オレ・・・ 刑務所行きかなあ・・・」
 ヒビナとベニッジが見守る中、トラッシュが地面に降ろされようとした、そのとき・・・

「トラッシュゥゥゥッッッ!!!」

 ひときわ甲高い声が響いた!
「なに!?」
 振り向いたヒビナとベニッジの視線の先には、エトワがいた!
 エトワが、飛行するウィンドボードにしがみついて、ものすごい勢いで突進してくる!
「エトワ!? 来ちゃダメだ!」
「トラッシュ! トラッシュ!」
 ヒビナ、ベニッジと、「鳥の絵」の間に割って入るように、エトワのウィンドボードが滑り込んだ!
「なんだ!? またガキか!」
 すかさず、エトワはボードから飛び降りると・・・
 ベニッジをにらみつけた!
『うっっ!? なんだこのチビ!? すごい目をしてやがる!』
 そのまま視線をベニッジから離さず、エトワはその場にしゃがみ込むと、右手を地面に当てた。
「トラッシュをいじめると、エトワ、怒るよ!」
「チビの分際で!」
 ベニッジはエトワにつかみかかろうとした!
 すると!

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・・・・

 地鳴りが聞こえ、小高い丘全体が揺さぶられる感じがした。
「な、なにコレ!? 地震!?」
 ヒビナがそう言うや否や、エトワは地面に当てた手を、今度は天に向けて突き上げた!

「セイレイよ!」

 エトワがそう叫んだ瞬間、丘のふもとのひび割れた土から、水が噴き出した!

 ドドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォッッッ!!!

 それは天をつく巨大な水柱となり、飛び散る水しぶきが丘の上のトラッシュやヒビナたちに降り注いだ!
「キャッッ!!?? なに、なにが起こったの!?」
「これは・・・ここの水はとっくに枯れたはずじゃ!?」

 するとさらに、小さな水柱もあちこちから吹き上がった。
 丘の上の、ヒビナたちの足下からも!
「うわあっ!?」
 それはヒビナとベニッジの足下をすくい、2人を転倒させた。さらに、「鳥の絵」に水しぶきが吹き付けられると、じわじわと絵の輪郭は溶けていった!
「しまった! 水でえんぴつの成分が流されてる!」
「鳥の絵」は消滅し、トラッシュは解放された。
「よおし、今度はこっちの番だな・・・」
 倒れているヒビナとベニッジを見おろし、トラッシュは、両手の指をポキポキと鳴らした。
 ヒビナは、息を飲んだ。
「さんざんな目にあわせてもらったから・・・逃げるぞ!」
 トラッシュはエトワと共にウィンドボードに飛び乗り、地面を蹴った。
「な、なによそれ! 逃げるな! アザク!」
「アザクじゃない! オレの名はトラッシュ!」
 すると、そこへ・・・
「待つんだ、トラッシュ!」
「だ、誰だ!? オレの名をちゃんと呼ぶのは!?」

 ヒュルルルルルルルル・・・

 トラッシュのボードに向けて、地をはうように、猛スピードで向かってくるもの・・・
 それはロープだ。
 だが、ロープはまるで生き物のように、うねうねとうねりながら、いくつもの水柱をかいくぐって接近してくる!
「な、なんだこりゃ!?」
 ついにロープは、ウィンドボードに達すると、ヘビのようにかま首をもたげて、ボードをぐるぐる巻きにした!
「おとなしくお縄をちょうだいしろ! トラッシュ!」
 時代錯誤なセリフとともに駆け寄ってくる者。それは、フォルケだった。
 フォルケの瞳が、銀色に輝く!
「これがボクのアートだ! 長いものは全てボクの意のままに操れる! 観念しろ! トラッシュ!」
「トラッシュじゃない! ア・ザ・ク!」
「アザクじゃない! ト・ラ・ッ・シュ!」
 ヒビナとトラッシュが叫んだ。
「くそおっ! こんなもの!」
 ロープが巻き付いたまま、トラッシュはいさいかまわず、ボードを発進させる!
「えっ!?」
 あせったのは、フォルケだ。フォルケはロープの端をにぎったまま、ボードに引っ張られる格好になった。
「ちょっ・・・ちょっちょっちょっとおおおおぉぉぉッッッ!!??」
 ロープから手を離すタイミングを失って、フォルケは宙を舞うウィンドボードにぶら下がる格好になった。今さら手を離せば、落ちてしまう。
「わわわわっっ!? ボク、高いとこダメなんだよおおぉぉっっ!?」
「・・・か、かっちょわるぅ・・・」
 ヒビナが肩を落とした。
 一方、トラッシュの方も、ボードに自分とエトワに加えて、フォルケの重さまでもが加わって、飛ぶに飛べなくなった。
「だ、だめだ・・・落ちる!」
「今よ! キャプチャーガン!」
 様子をうかがっていたヒビナは、ベニッジに向かって叫んだ!
 だが・・・
「ス、スマン! やはりオマエが撃ってくれ!」
 そう言って、ベニッジは、手にした短銃を、ヒビナに向けて放り投げた。
 そのとき、確かに一瞬、ベニッジは笑っていた・・・
「もう! 意気地がないんだから!」
 短銃をキャッチしたヒビナは、素早く照準をトラッシュに合わせると・・・
 引き金を、引いた!

 ドンッッ!!

 そのとき!
「!!! いたっっ!!??」
 小さく悲鳴を上げたのは、ヒビナだった!

 ビチャッッ!!

 キャプチャーガンの粘着弾は、ウィンドボードをぐるぐる巻きにしているロープに付着した。
 その衝撃は、ボードのバランスを大きく崩した。
「だめだっ・・・ 落ちるゥ!」
「トラッシュゥゥ!!」
「ひええええぇぇぇ!!!」
 トラッシュ、エトワ、フォルケは、悲鳴とともに落下していった。
 その真下は、吹き上げた水がたまり、沼地に戻ったくぼみだった!

 ドッボォォォンン!!

     ★     ★     ★

 ザアアアアアアアアアアアアァァァ・・・・・・

 水柱は勢いを失わず、丘の頂上はまるで豪雨を浴びているようだった。

 ガシャッッ!!

 ヒビナは、短銃を落とした。
 右手に走った、チクッとした痛みに。
「な・・・なによ・・・これ・・・」
「おやおや・・・どうしたのかな・・・見習い予備隊員さん・・・?」
 背筋が寒くなる薄笑みを浮かべて、ベニッジがヒビナに歩み寄る。
 ヒビナは呆然としていた。
 ベニッジは、ヒビナの足下から短銃を拾うと、それをしげしげと眺めた。
「おやあぁ・・・こんなところに、トゲが・・・」
 よく見ると、短銃の引き金には、1ミリほどの、金属のバリのようなトゲが生えていた。
 ヒビナは青い顔をして、ベニッジをにらみつける。
「こんな引き金を引いたんじゃあ、ひょっとして・・・」

 グイッッ!!
「いたッッ!!」

 ベニッジはヒビナの右手首をつかんで引き上げ、その右手の指先を見た。
 右手の人差し指の先には・・・

 血。

「ほほう・・・これはこれは・・・名誉の負傷ですかな・・・て、ことは・・・」
 ベニッジはポケットから網膜スキャナを引っ張り出し、青ざめたヒビナの顔に当てた!

 ピーーーーーーーッッ!

 スキャナはビープ音を発し、液晶スクリーンには・・・

『WASTE』

「ウ・エ・イ・ス・ト」
 わざとベニッジは、スクリーンの文字をはっきりと発音した。
「いやああああああああああああああぁぁぁぁぁ!!!!!」
 悲鳴を上げて、ヒビナはその場にひざまづいた。
「これはこれは・・・残念ながら、キリィ・キンバレン大尉に報告せねばならんな・・・」
「ま、待っ・・・」
 ヒビナの目の前で、ベニッジは網膜スキャナのボタンを1つ押した。

 ピポッ!

 軽快な電子音が1つ。
「これでスイーパー本部に、キミのIDナンバーと、検査結果が送信された。まもなく、しかるべき措置が検討されることだろう。こういう処理は迅速だからな。スイーパー組織は」
「ベニッジ上等士・・・あたしを罠に・・・?」
「人聞きの悪い話だなあ? ヒビナ予備隊員? 確かにキャプチャーガンの整備不良は不運な出来事だが、使用機材は事前に入念にチェックするのが、スイーパーの規則。そう、研修で習わなかったのかね?」
「・・・なんて卑劣な・・・」
「そうそう、それと、今回の件は全てキリィ・キンバレン大尉に報告させてもらう。命令無視、独断先行、第8方面支部の管轄侵害・・・そのあげくの負傷と、ウェイストへのダウンシフト。もっとも、その報告書はもうとっくに書いてしまっているのだがね」
「・・・・・・・・・」
「そちらもオレのことを報告するかね? はたして、今のキミの身分で、キミの発言を聞き入れてくれる者が、スイーパーにいるかどうか・・・なにせキミはもう・・・」
 ヒビナは愕然とした。
「スイーパーではないのだから!」

 ヒビナは、がっくりとへたり込んだ。

「フフフ、フワッハハ、ワアッハッハッハッハハハハハハハハ・・・」
 ベニッジの笑い声が、吹き上げる水柱の間を響き渡った。

     ★     ★     ★

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>>>第1章第3話へつづく。
次回「誰が呼んだかイリーガル!」

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