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第1章第3話「誰が呼んだかイリーガル!」

 ザアアアアアアアアアアアアァァァ・・・・・・

 エトワが呼んだ水柱は、いつまでも雨のように丘に降り注いだ。
 呆然と座り込んでいるヒビナ。
 さっきまでは、その将来を約束された、スイーパーの卵だった少女。
 今は、その階層を落とし、アートも失った、無力なウェイストの少女・・・

「ハアッハハハ、ヒャッハッハハハハ、アアッハハハハハハハハハハハハハハ!!!」
 狂気に満ちた笑い。どす黒い情念。激しい雨音さえもかき消すような、ベニッジの笑い声。

     ★     ★     ★

「ヒッ・・・ヒッ・・・ヒッ・・・」
 笑い疲れたのか、引きつった声を上げるベニッジ。
 青い顔のヒビナに、勝ち誇った表情で、さらに告げる。
「・・・もうひとつ言い忘れたことがあってなあ・・・」
「・・・・・・??」
 力無く、ベニッジを見上げるヒビナ。
「このプレハブ小屋・・・じつは建設現場用の火薬が保管してあってな・・・よく考えたら、ブタ箱がわりに使えるようなものじゃなかったよ・・・」
「・・・なんですって・・・?」
「しかも、そうとう古いプレハブだから・・・電気系統にトラブルがあるようだ・・・火花でも火薬に引火したら、大変なことになる・・・なア・・・?」
「!!!!!」

 バサアアァァッッ!!

 ベニッジの背中から、羽根が生えた!
 ヒビナには、そう見えた。その姿はまるで、悪魔だった。
 ベニッジが描いたもう一つの「鳥の絵」が、ベニッジの背中に張り付いて、彼を上空へと舞い上がらせた!
「お前も早く逃げた方がいいぞォ!? ヒビナ! ハアッハッハッハハハハハハ・・・」
「ベニッジ!! アンタ、まさか!?」
 ベニッジは後ろに組んだ手の中で、なにかを押した!

 ドドドオオオオオオオオオオォォォォォォンンンンンッッッッッ!!!!!

 大轟音とともに、プレハブ小屋が爆発した!!
 炎が渦巻いて、ヒビナに襲いかかる!!

「キャアアアアアアアアアアァァァァァッッッッッ!!!!!」

 だが、爆風自体は意外と勢いがなく、ヒビナは飛び散る炎を2つ3つ浴びただけだった。
 炎の1つは、ヒビナの背中で、その長くて美しい髪を焦がした。
 しかし、その程度の爆発なのに、丘の地盤は大きく揺らぎ、崩れ始めた!
 ヒビナにとっては、炎よりも、地滑りの方が深刻だった。

「あああああああああああッッッ!!!」

 ヒビナは、崩れた土砂とともに丘のふもとに転落した。
 泥まみれのヒビナは転がりながらも、ふもとの沼地に落ちる寸前で停止した。髪を焦がした火は消えていた。
 だが、丘の崩壊は治まる気配がない。今にも第二波の土砂崩れが起きそうだ。

「・・・くそっ!? 計算ではあの小娘を吹き飛ばすくらいの爆発のはずが・・・ この水で火薬が湿気ったというわけか・・・」
 ベニッジの目論見は、ヒビナを吹き飛ばすとともに、トラッシュを土砂崩れで生き埋めにして、捕らえようというものだったらしい。ついさっきトラッシュと遭遇したのに、付け焼き刃なりに、その程度の仕掛けはできる能力はあるようだ。多少、計算は違ったが、このまま土砂崩れが起きれば、沼地に落ちたトラッシュだけは計画どおりとにらんだ。
 だが。

「ぶはああああぁぁぁっっっ!!!」

 沼に落ちたフォルケが、やっとのことで水面に姿をあらわした。
「げほっ・・・げほっ・・・うう・・・泥水、飲んだ・・・うわっ!?」
 見上げると、炎上している丘の頂上と、崩れ始めた土砂が目に映った。
「なんだなんだ!? なにが起こった!? ・・・ヒビナ!?」
 フォルケは沼から脱出し、ヒビナの姿を探した。だがパニックの彼には、沼の対岸に落ちたヒビナの姿が目に入らない。
「ヒビナ! どこだ!? おいヒビナ!!」
 沼に落ちたフォルケには、ヒビナがダウンシフトしたこと、ベニッジが罠を仕掛けたことは分かっていない。知らぬ間に丘が炎上し、崩れ落ちそうになっている事実だけがフォルケを焦らせる。
「ヒビナ? ヒビナ! ヒビナアァァッッ!!」
『チッ・・・邪魔が入ったか・・・』
 ベニッジは舌打ちをした。いつもいつもヒビナにくっついている邪魔者フォルケ。計画ではヒビナまたはトラッシュと運命をともにしてもらう予定だったが、1人でうろうろされていては、こちらの思惑が外れる。見られたくないものを見られる怖れもある。
「おい!? フォルケといったか?」
「はいっ!? うわっ!!」
 ベニッジは、フォルケを羽交い締めにすると、「鳥の絵」で上空に羽ばたいた。
「べ、ベニッジ上等士!? 離してください、ヒビナが!」
「このままでは危険だ! それにヒビナは・・・後で説明する! ひとまずは避難だ!」
「ヒビナ! ヒビナァッッ!!」
 ベニッジはフォルケを連れたまま、その場を飛び去った。
『イリーガルの確保はどうにかするさ。ヒビナの始末はついた・・・とりあえず、よしとしよう』
 ベニッジは、いつもの薄笑いを浮かべた。

     ★     ★     ★

 ズドオオオオォォォッッッ!!!

 ベニッジが飛び去った後、沼から飛び出したのは・・・
 トラッシュとエトワのウィンドボードだった。
「ああ〜ん、ドロドロだよ〜っ!」
「ふう、ひどい目にあった・・・って、なんだこりゃあぁ!?」
 沼の上空をボードで飛んでいたトラッシュは、炎上しながら、崩れ始めた丘を見て、驚愕の声を上げた。
「あっ!? あのお姉ちゃんがあそこに!!」
 エトワが下を指さした。沼のほとりで、呆然としたままのヒビナ。その上には、崩れ落ちた土石流が!

 ドドドドドドドド・・・

「やばい! このままじゃ生き埋めだ!」
「トラッシュゥゥ!!」
「わかってる!!!」
 トラッシュはウィンドボードを飛ばしてヒビナに向かう!
「おい! 彼女! なにしてる!? 早く逃げろ!!」
 だが、ヒビナは反応しない。あらぬ一点を見つめて、じっとしているだけだ。

 ドドドドドオオオォォォッッッ・・・

 土石流は、ヒビナを飲み込もうと覆い被さる!
「・・・こンにゃろおおおおおぉぉぉッッッ!!!」
 トラッシュは叫んだ!

 ドドドドドドドドドドドオオオオオォォォッッ!!!

     ★     ★     ★

「・・・ねえぇ、ボード、どうして飛べなくなっちゃったの? いつまで歩いたらいいの?」
「・・・ウィンドボードは、風がないと飛べないんだよ。もう少しの辛抱だ。市場まで戻れば、トラックがあるから・・・」
「エトワ、疲れちゃった・・・」
「ごめんな、もうちょっとだから・・・」
「いいなあ、お姉ちゃん、トラッシュにおんぶしてもらってさ・・・」
 エトワはふくれっ面で、ウィンドボードを抱えて、とぼとぼと歩いていた。その前を歩くのは、ヒビナを背負ったトラッシュ。
 トラッシュのウィンドボードは、土石流に巻き込まれる寸前で、ヒビナを救い出した。
 だがヒビナは、呆けた表情のまま、一言もしゃべらず、動こうともしなかった。
 泥まみれで、あちこちが焼け焦げ、髪も焦げているヒビナの姿。エトワはヒビナの右手の人差し指が、針で突いたような傷を負っているのを発見した。そんな小さな傷を見つけるエトワに感心したトラッシュだが、それっぽっちの傷で、早く手当てしないと、と大騒ぎするエトワが、なんだか妙に思えた。
 しかたなく、ビィの家に連れて行こうと、トラッシュはヒビナをおぶって、トラックの置き場所を目指した。
 ヒビナになにが起こったかは分からない。だが、ヒビナの様子は尋常ではない。トラッシュには、そんなヒビナに声をかけることさえ、はばかられた。
 一方、ヒビナの方は・・・
『落っこちて・・・泥まみれになって・・・あたし・・・あたし・・・どうすればいい? もう、予備隊には戻れない・・・キリィ隊長にも・・・会えない・・・』
 アートを失い、ダウンシフトした事実よりも、キリィ・キンバレンに会えないことの方が、ヒビナには重大に思えた。
 なぜか、自分の感情が切れてしまったかのように、ヒビナは感じていた。現実を受け入れたくなかったのかも知れない。普通に考えたら、悲しみとか、怒りとか、そんな感情がわき起こって当然なのに・・・
『なんであたし・・・アザクに背負われてるの・・・?』
 そんな現実さえも、よくわからなくなっている。
『・・・この背中・・・やっぱり、アザクだ。前にも一度だけ、こんな風に、アザクに背負われたことがあった・・・ アザクのやつ、賭けに負けて、罰ゲームで、あたしを背負って走った・・・』
 そのときの感触が甦った。
 そして思った。コイツはやっぱり、アザクだと。あくまでもトラッシュと名のるコイツを、あたしはアザクだと確信した。理屈じゃない。アザクにはアザクの空気がある。コイツの空気はアザクのそれだ・・・
 なのに、なぜアンタはアザクだと名乗ってくれないの?
 あの日、修了式のあの日、アンタが言ったあの言葉・・・ずっと、あたしには引っかかっているのに・・・

 プルルルッ!

 とつじょ、軽快な着信音がヒビナの感傷を断った。現実に引き戻す1コール。
「な、なんだ? なんの音だ?」
「あれ? お姉ちゃんのケータイじゃない?」
「・・・・・・・・・」
 トラッシュに背負われたまま、ヒビナは無言で、携帯電話を取り出した。着信音は電子メールだった。
 ヒビナは液晶画面を眺める。

『From:キリィ・キンバレン』

 ヒビナの心臓が跳ね上がった!

『To:ヒビナ・アルアレート
 ウェイスト第8方面支部所属、ベニッジ・ニブライン上等士のスキャナ・オンラインにより、ヒビナ・アルアレート予備隊員の階層検出・ウェイストを確認した。
 本データに基づき、スイーパー内規・第3条第1項により、ヒビナ・アルアレートのスイーパー予備隊除隊を通達する。本書は略式であり、後日、正式に処分措置がなされるものとする』

 ヒビナの頭の中は真っ白になった。覚悟はしていたつもりだが、現実の刃は冷徹にヒビナの喉元に突きつけられた。
 だが、もっと辛い現実は、そのメール画面を少しスクロールした下にあった。

『追伸:
 これは規則というより、スイーパーの宿命なのだ。上司としてなんの力にもなれないことをここに詫びたい。気を落とさず、新たな道を模索して欲しい。非常に残念だ』

 本文だけだったら、これは事務的な処理で、キリィ・キンバレン名義の定型文かなにかだと割り切ることができただろう。だが、その後に追加された一文が、律儀なキリィ本人らしい心遣いが感じ取れて、これが他ならぬキリィ自筆の通達であることを証明したようなものだ。
 それがまた、ヒビナにはショックだった。

 くらあぁ〜〜〜っっ・・・

 ヒビナは気を失い、トラッシュの背中から落ちそうになった。
「ああっ! お姉ちゃん! しっかりしてお姉ちゃん!?」
「おい!? 彼女!? 気を確かに!? おいってば!?」

     ★     ★     ★

 3人がビィの家にたどり着いたときには、もうすっかりと日が暮れようとしていた。ほどなく、ヒビナの意識も回復した。
 泥まみれで焼け焦げだらけの少女が運び込まれただけでもビィには驚きだが、彼女がトラッシュの話に出たスイーパー予備隊員であり、そして指先にケガをしているということで、ビィはすでに察するべきことを察してしまったようだ。
「見たところ、髪を少し焦がした以外に、ヤケドはないようだ。スイーパーの制服には、そういう作用もあるのだな」
 ビィはそう言って救急箱を取り出し、ヒビナの右手の指先を消毒液で洗った。
 人差し指の傷口、とは言っても、針で突いたような傷なのだが・・・血はまだしみ出るように流れていた。ビィは、なにやらオレンジ色の小さな機械を傷口にあて、スイッチを入れた。ジィ〜っという音がして、赤いインジケーターが点滅した。
「なんだそれ? ・・・それっぽっちの傷にしては、大げさじゃないか? そんなもん、ツバでもつけときゃ治るだろ?」
 トラッシュのその言葉に、ヒビナは「ひくっ」と息を飲み、どこにも向けられていない目を見はった。
 かわりに応えたのは、エトワだ。
「トラッシュ! ひどい! お姉ちゃんにあやまりなよ!」
 初めてエトワに厳しい言葉を浴びせられ、トラッシュは面食らった。
「な・・・なんだよ!? そんなひどいこと、オレ言ったか? いいよ、それじゃオレが証明してやる!」
 そう言って、トラッシュは左手の人差し指を立てると、ポケットからナイフを取り出し・・・
 刃先を人差し指の先に突き立てた!
 人差し指の先からは、ヒビナと同じように、血がにじみ出る。
「あっ!?」
「えっ!?」
 エトワとヒビナは、なにかとんでもないものを見てしまったように、目を見開いた。
「ほら、こんなもん、こうすりゃ治るって!」
 トラッシュはそう言うと、人差し指の先をペロッとなめた。エトワはアセって
「ト、トラッシュ! 早く手当をしないと・・・」
「だから、なめときゃ治る! オレが証明するって言ったろ!?」
 トラッシュはニヤリと笑った。
 ビィは、その一部始終を黙って見ていた。
『トラッシュくん・・・キミには、自然治癒能力まで備わっていると言うのかね!?』
 内心は、驚嘆していた。

 湯気に包まれたバスルームで、エトワは、石けんをたっぷり泡立てると、ヒビナの背中に塗りたくって、小さな手でこすり始めた。
「お姉ちゃん、お肌キレイ・・・白くて、ツヤツヤだねっ!」
「・・・・・・・・・」
 ヒビナは、無言のままだった。
 ヒビナとエトワは、泥だらけの体を、風呂で洗い流すことにした。なにもする気が起きないらしいヒビナの体を、エトワが洗ってあげると言い出したのだ。
 ヒビナは、右手の人差し指の先を見つめる。血はすっかり止まり、どこが傷跡だったかさえ分からなくなっていた。だが、だからといって、落ちた階層はもう戻らない。
 まんべんなくヒビナの体を石けんで洗ったエトワは、次にシャンプーを手に取り、ヒビナの長い髪を洗おうとしたのだが・・・
「あっ・・・」
 焼け焦げた毛先の部分が、ボソッと崩れ落ちた。ヒビナは、無反応だ。
「・・・お姉ちゃん、髪の毛・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・あのさ、焦げたとこ、エトワが切ってあげようか・・・?」
「・・・・・・・・・・・・」
「ねっ!? このままにしとくのも変だし、ちょっとくらい短くするのも、気分が変わっていいでしょ?」
「・・・好きにしていいわ・・・」
「うん! それじゃあ・・・」
 エトワは、洗面台のキャビネットから、はさみを取り出した。

     ★     ★     ★

 陶芸家であるビィの家は、となりに工房があった。トラッシュはそこにあるシャワールームで汗と泥を流し、一足先にビィが入れた紅茶をすすっていた。
「トラッシュくん、言っておきたいことがある」
「は?」
 とつぜん、深刻な顔で語りかけたビィに、トラッシュはちょっとびっくりした。
「キミは、やはりわたしたちとは少し違うようだ」
「なんだい、じいさんまでオレのことイリーガルだとか言いだすの?」
「それも無縁ではないが、それだけじゃない。トラッシュくん、この世界では、人間に自然治癒能力は無いのだよ」
「しぜんちゆ・・・?」
「つまり、ケガをしたら、ツバをつけた程度では治らない、ということだ。たとえ針で突いた程度の傷であっても・・・」
「ええっ!? そうなの?」
「そうだ。だからわれわれには、さっきのような治療器が必要なのだ。自然治癒能力が無いことで、ここでは逆に医学が非常に発達している。治せない病気も、ケガもない。極端に言えば、体が八つ裂きになっても、黒焦げになっても、元どおりに治せるし、死ぬことはない。だから、われわれは老衰などの自然死以外に、死というものに遭遇しないのだ」
「えええっ? ホントかよ!? そりゃすげぇ・・・」
「キミもうすうす感じているとは思うが、キミがいた『東』の世界と、こことは大きなギャップがあるようだ。同じように、キミとわたしたちとは、少しばかり違いがある」
「けど、オレはオレだし、人間だぜ?」
「そのとおりだ。だが、違うという事実を認識しておいて欲しい。この先、キミが進むべき道において、このことは否応なしについて回るだろう」
「・・・わかったよ。そう肝に銘じておけば、いちいち驚かなくて済む。そういうことだよね?」
「ああ・・・」
 ビィはもう、ある確信を否定できなかった。
 そして、心の中で思った。
『すまない、トラッシュくん・・・わたしに言えるのはこれだけだ。これ以上は、キミ自身が自分で学ばなければならない。・・・わたしはなんと無力なのだ・・・ 自分で選んだ生き方とはいえ、今になって悔やまれるとは考えもしなかった・・・』

「おまたせ〜!」
 湯上がりでポッと赤みがさしたエトワがパジャマ姿でダイニングルームに飛び込んできた。
 結んでいた長い髪は下ろし、両手でヘアコンディショナーを揉み込んでいる。まだ小さいのに、ずいぶんとおしゃまだ。
 その後に続いて、相変わらず目を伏せたままのヒビナが入ってきた。タイトなスウェットパンツ姿だ。襟ぐりの広いトレーナーの下には、かわいらしい色づかいのキャミソールが見える。ビィがわざわざ市場まで行って、古着屋の娘に見繕ってもらったそうだ。頭にはタオルを巻いている。なんだか、別人のような姿に、トラッシュは見とれた。トラッシュが出会った頃のヒビナのにぎやかさは、今はみじんもないが、憂いを帯びた表情といい、けっこう女の子っぽくなってしまったヒビナに、トラッシュは新鮮な感覚を覚えた。
 だが、落ち込んでいるヒビナの姿は、痛々しい。トラッシュは、さっきのビィの話を思い出して、ちょっと刺激してやろうと思った。
「彼女!」
「!?」
「ほれっっ!!」
「!!!!」
 トラッシュは、左手の人差し指を見せた。あれから20分ほど。なのに、トラッシュの指先の血はすっかり止まっていた。
「しぜんちゆナントカ・・・ってやつ?」
 ヒビナとエトワは、目を丸くして、トラッシュの指先に注目した。

     ★     ★     ★

 第8方面支部の駐屯所で、同じく泥まみれの制服を着替えたフォルケは、呆然としていた。
「ヒビナが・・・あのヒビナがダウンシフト・・・」
 ベニッジから、事の次第、といっても、『無断で整備不良のキャプチャーガンを使用して負傷した』という、インチキの報告を聞かされて、落ち込んでいた。
 どんなにヒビナのワガママに振り回されていたとはいえ、フォルケにとっては半年以上のつきあいのある同期生であり、友だちだった。アザクの失踪や逃走だけでも、内心はショックだったのに、気心の知れた仲間がまた一人、あってはならない事態に落ちてしまったのだから・・・
「どうして、どうしてこんなことに・・・」
「まあフォルケくん、気持ちはわかるが、今となってはイリーガル逮捕に全力を注いだ方が、彼女のためにもなるのではないかね? われわれも仲間として、キミの力になる所存だ。元気を出したまえ」
 ベニッジのそんな言葉は、殊勝な割に、どこかあざ笑う気分が蔓延していて、不快だった。
『どうすればいいんだ、ボクは・・・』
 ベニッジの方は・・・
『このぼうやがいる限り、イリーガル捜索はオレたちが一歩リードだ。なんせイリーガルと顔見知りで、接触が最も多い人間だからな。利用するだけ利用して、手柄はオレたちがいただく。こんなヘキ地の駐在とは、これっきりおさらばだ・・・ククク・・・』
 すると・・・
「兄貴、スイーパー本部から通信が入ってますぜ」
「なにっ!? いよいよ正式にイリーガル追跡の辞令が下りたか? よし、つなげ!」
 ベニッジのデスクにあるモニターに、スイーパー本部からの映像通信が表示された。
『あーあーあー、あのね、こちらスイーパー本部、最高会議通信室・通信担当のね、エンディレル・モスカード準士官なのね』
 スイーパー本部という厳格そうな響きの割に、40代後半くらいの、人の良さそうな紳士、しかも妙に訛りのある言葉が特徴的な男が語りかけてきた。
『キリィ・キンバレン大尉の命令が出たので、代理で通達するのね。キリィ大尉は今、とっても多忙なのね。イリーガルの問題は、アザクなる人物の階層判定から、研修期間中のチェック機構その他もろもろの複雑な問題を抱えててね、それぞれ専任のプロジェクトチームを組むことになったのね。そんでね、その件で、現在、大尉はフォーミュラに出向いてて留守なのね』
 それはそうだろう。今回の事件は、あらゆる部署、あらゆる方面に、かなり根が深い問題を露見した。アザク1人の身柄がどうこうという問題ではないのだ。
『そこでね、まず前提としてね、アザク・ラガランディなる人物、これがまだ身元が確認されていない上に、らしい人物がトラッシュと名乗ったりしてて、ややこしいのでね、今回、コードネームで呼ぶことにしたのね』
「はあ、なるほど」
『そゆこと。それが「イリーガル」なのね。もう耳なじみの言葉だと思うけどね』
「コードネーム・イリーガル・・・」
『それで、これからが本題なのね。命令というのはね、プロジェクトの1つとして、イリーガルを追跡し、これを捕らえることを専門にする、スペシャルチームを結成したのね』
「おお、そうですか! いやもちろん、それが妥当でしょう!」
 ベニッジは、ワクワクした表情で言った。その辞令が自分に下るのを、今か今かと待ちかまえる。
『それじゃ辞令なのね、スペシャルチームのメンバーとして、フォルケ・オードビー。キミが任命されたのね!』
「ええっ!? ボ、ボクですか? けど、けど、ボクは予備隊員で、まだ研修中なんですよ?」
『そうなんだけどね、これはキリィ大尉たっての希望でね。キミはアザクとは同期で、友人だったということで、あえて加えたらしいのね。まあ、予備隊員であることも考慮して、補佐的な役割にはなると思うのね』
「ボクが、イリーガル追跡のスペシャルチーム・・・」
 フォルケの心境は、複雑だった。友人だったアザクは、階層不正(イリーガル)で、しかも失踪中。さらに、イリーガルのトラブルが発端で、同じく友人だったヒビナは、スイーパーを追放された。あげくに、そのボクが、イリーガルを追う立場に・・・
 しかし、考えた。今ここで、悩むことに意味はないんじゃないか? やるだけやってみて、考えるのは後からでもいい。ある意味、開き直るように腹をくくって、フォルケは言った。
「つつしんで拝命します」
『うんうん、大変だけど、がんばって欲しいのね』
 ベニッジは、心の内で思った。まあ、この小僧をあてにしていたのは今までもそうだ。足手まといになったら、そのときはヒビナと同じように・・・
『それで、フォルケくんとスペシャルチームを組む、上司となるポストなんだけどね・・・』
「はい、はい、はい!」
 ベニッジは、もみ手をしながら身を乗り出した。
『あす、フォルケくんと合流するので、迎えに行って欲しいのね』
「はあ!?」
 ベニッジは、あっけにとられた。口をあんぐりと開けて、ギョロ目が倍になるほど、ひんむいた。
『その人は、移動ルートの関係で、ウェイスト第7方面支部の駐屯地に、あすの朝10時に入るのね。だからフォルケくん、先に行って待ってて欲しいのね。地図とか詳細とかは、フォルケくんにメールするのね。それじゃ、健闘を祈るのね。以上』
「ちょちょちょ、ちょおっと待った!!」
 ベニッジはあわてて、エンディレル準士官に食い下がった。
「あ、あの、わたくしベニッジ・ニブラインは、なにをすればよろしいので?」
『なにを、って?』
「いえ、わたくし、キリィ大尉の命令で、イリーガル追跡の命を受けて、フォルケ予備隊員とこうして・・・」
『あ〜あ、そういうこと。それはスペシャルチームを結成した時点で解除なのね。あなたがた第8方面支部は、今までどおり本来の任務に戻るのね』
「そ、そんな!?」
『そおりゃそうでしょう? あなたたちはあなたたちの仕事があって、それをわずらわせないように、キリィ大尉はスペシャルチームを組んだのね。あなたたちは安心して、本業に専念して欲しいのね』
「うっ・・・・・・・・・」
『それじゃ通信終わるのね。あっ、フォルケくんは、この後すぐに第7方面支部に向かった方がいいのね。準備もあるし。向こうには連絡しといてあげるから』
「あ、はい!」

 ブツッ。
 通信は切れた。
「それじゃ、ベニッジ上等士、リドー初等士。お世話になりました。失礼します」
 フォルケはあわてて身支度をして、駐在所を出て行った。
 カートに乗り込み、深く息をつく。
『がんばるんだ、フォルケ。ヒビナの分も・・・』
 ありがちな青さをてらいもせず、ハンドルを握りしめた。
 駐在所に目を移すと、そこには静止画のように固まった男二人の絵ヅラ。外でカートが発進する音がして、それが遠ざかっていった。
 残されたベニッジとリドーの間に、重〜い沈黙が流れた。
 ベニッジの眉が、ぴくりと動いた。
 ぴくり、ぴくり。2度、3度とそれは動き・・・
 ぴく、ぴくぴく、ぴくぴくぴく、とペースをあげた。
 やがてそれは、びくびくびくびく・・・と、すごい速さと振幅になった。
 そして・・・

「・・・うがああああああああああぁぁぁぁぁっっっ!!!」
 ドガッシャアアアアッッッ!!!

 ベニッジは一声吠えて、テーブルをひっくり返した!
 イスを蹴り上げ、コーヒーカップを投げつけ、棚をなぎ倒した!!

「あ、兄貴、兄貴! 気を確かに!」
「バカにしやがって! バカにしやがって! バカにしやがってええぇぇぇっっ!!」
 リドーに羽交い締めにされながらも、なおベニッジは荒れに荒れた。
「このオレではイリーガル追跡はつとまらないとでも言うのか! 辺境の駐在員の上等士ごときでは! スペシャルチームには能力不足だとでも!」
 ベニッジは、ギョロ目を真っ赤に血走らせ、声を枯らして、吠えまくった。
「ハア、ハア、ハア、ハア・・・・・・」
 ようやく、おとなしくなったと思うと、濁った目で、奥歯をかみしめて、心につぶやいた。
『キリィ・キンバレン・・・次はお前だ! エリート面したてめえの鼻っ柱を、ブチ砕いてやる! ヒビナのようにな・・・』

     ★     ★     ★

 ビィの手料理が、テーブルに並んだ。
 暖かいスープ、白身魚の蒸し物、サワークリームのかかった温野菜、カボチャプディングのひき肉あんかけ・・・そして、山盛りのパンとチーズ。
 どれもいい香りがして、見た目にも鮮やかでつややか。トラッシュなどは、皿を並べている段階でツバを何度も飲んだ。
「お腹空いた」が口癖のエトワも、待ち切れんとばかりに、すでにナイフとフォークをもって、席についている。トラッシュとヒビナも、イスに座っている。
 最後にビィが席について、合図のようににっこりと笑った。
「いただきますっ!!」
「いただきまあす!!」
「はい、いただきます」
 トラッシュとエトワは、挨拶が終わると同時に料理に飛びついた。ビィはそんな2人をにこやかにながめながら、パンをむしった。
 ふと、ビィがヒビナを見ると・・・
 ヒビナはナイフもフォークも持たず、手はひざに置き、料理をじっとながめている。
 トラッシュは口いっぱいに野菜をほおばり、エトワは魚をほぐしてソースをたっぷりまぶし、いざ口に放り込もうとして・・・
 そのまま、ぴたりと動作を止めて、ヒビナに視線を注いだ。
「どうしたの、お姉ちゃん。おじいちゃんの料理、美味しいよ? 暖かいうちに食べよ?」
 それでも無言のヒビナは、湯気ののぼるスープをじっと見ていたかと思うと・・・

「・・・うっ、うっ、うっ・・・うううううううぅぅぅ・・・・・・」

 ポロポロポロポロ、涙をこぼした。
 まるで水瓶の底が割れてしまったように、涙はとめどなくあふれ出して、テープルにぽたぽた落ちた。
 ヒビナは、歯を食いしばって・・・

「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう・・・・・・」

 少女には似合わないそんな言葉を、でも声は少女のか細いそれで、絞り出すようにつぶやいた。

「・・・ううう、ううう、うううううっっ・・・・・・」

 ヒビナが風呂に入っている間に、トラッシュはビィから聞いていた。ヒビナがダウンシフトしてしまったこと、それはスイーパー追放を意味すること・・・ そしてそのことが、電子メールを読んだヒビナの様子からして、どれほどヒビナを傷つけたのかを、トラッシュは悟った。
 こらえていたものが、温かい食事を目にしたとたん、パキッとひびわれてしまったのだろう。
「お姉ちゃ・・・」
 なにか言葉をかけようとしたエトワを、トラッシュは制止した。にっこりと笑って、エトワに向かって首を左右に振った。
 エトワは、心配そうな顔をして、トラッシュとヒビナを見比べた。
 涙も、鼻水もぬぐおうとせず、ただただ熱いものを流れるに任せているヒビナ。
 それを、3人は、言葉もなく、見守っている。
 やがて・・・

「ぐすっ・・・ひく・・・ぐす・・・ひくっ・・・」

 涙は尽きてしまったのか、しゃくりあげながら、真っ赤な目、真っ赤な鼻を、指でぬぐった。
 ヒビナが泣くだけ泣いて泣き尽くして、食卓はまた、沈黙に包まれた。

 すると、トラッシュは・・・
 止めていた手と口を再び動かして、猛然と料理を食べ始めた!
 ばくっ! モグモグ、むしゃむしゃ、ズルズル、がつがつ、ゴックン!
 エトワは、あっけにとられてそれを見ていた。
 ビィは、ただ微笑んでいた。
 ヒビナも、目を見開いて、ビックリした表情で、トラッシュを見る。
 トラッシュは、とにかく一心不乱に、美味そうに料理を平らげていく。
 しばし見ていたエトワも、にこっと笑うと、同じように、料理を食べ始めた。
 ぱくぱく、モグモグ、ばりばり、ゴックン!
 ビィもまた、悠然と、料理を口に運ぶ。
 ヒビナは、アゼンとしたまま、3人を見比べる。
 そんなヒビナに、トラッシュは、料理をほおばったまま・・・

「食べなよ」

 エトワも、にっこり笑って・・・

「美味しいよ!」

 ヒビナは、空っぽだった自分の体が、満たされるのを待っていると気づいた。
 そして、スプーンを手にして、湯気が立たなくなってしまったスープを、ゆっくりとすくう。
 口に運ぶ。
 それはすっかりさめてしまっているのに、じんわりと、温もりがしみわたる。温度ではなく、やさしい味わいが、冷えた心を暖めてゆく。
 それだけで、また涙が出そうになったヒビナは・・・
 今度は、こらえながら、目を伏せながら、スープを口に運ぶ。
 温野菜、白身魚、パン、プディング、チーズ・・・
 もくもくと、料理を食べる。そのどれもが、美味しかったが、彼女を満たしていたのは、料理だけではなかった。
 それに素直に応えられるだけの心境には、まだなれなかったが。
 トラッシュもエトワもビィも、うつむいて料理を食べるヒビナの様子に、すこしだけホッとして、一緒に食事を続けた。

     ★     ★     ★

『また、アンタか・・・』
 トラッシュは、女神の夢を見ていた。
 女神はゆっくりとトラッシュに寄り添い、その耳元に唇をよせ・・・

 ガンガンガンガンッッ!! ガンガンガンガンッッ!!

「起きろ〜ッ いつまで寝てんの! さっさと起きなさ〜いッッ!」

 けたたましい金属音とともに、通る声がビィの家に響き渡った。
 夢の女神との逢瀬を断ち切られ、飛び起きたトラッシュは、Tシャツ姿のままで寝室を飛び出した。
 廊下で、誰かが中華鍋をおたまでたたきながら歩いている。
 エトワも、眠い目をこすりながら、廊下に出てきた。

「ほらっ! エトワ! 寝ぼけてないで、さっさと顔洗って歯を磨いて!」
 中華鍋をかかえて、そう言ってるのは・・・
 ヒビナだった。
 ヒビナは、トラッシュに気づいて、つかつかと歩み寄ってきて・・・

 ガツンッ!!
「いてッ!?」

 おたまで一発、頭をはたいた。
「いてえなあ、なにすんだよ! 彼女!」
「彼女じゃない! あたしの名前はヒビナ!」
 その口調、その態度は、はじめてあったときと同じだった。
「ボーっとしてないで、アザクもサッサと着替えて、顔洗ってらっしゃい! 朝ご飯よ!」
「アザクじゃない! オレの名は・・・」
「はいはいはい! トラッシュでしょう? わかったわよ、アンタの正体がわかるまでは、そう言うことにしといてあげる!」
「・・・ヒビナ、朝からテンション高いなあ・・・」
「5分後に食堂に集合! いいわね!?」
 スイーパー生活のクセが残ってるのか?とトラッシュは思った。
 すると、トラッシュはあることに気づいて、ヒビナに言ってみた。
「ヒビナ、髪、切った?」
 ヒビナは、ドキッとした。
「えっ!? あっ、き、切ったけど・・・ほら、焦げてたし・・・」
「へ〜、いいじゃん。短いの」
「!?」
「んじゃ、朝飯にしますか・・・ふああぁ〜」
 あくびをしながら、トラッシュは洗面所に向かっていった。
 その後ろ姿を、ヒビナはあっけにとられて、ながめていた。
『・・・そういうこと、気づかなそうなタイプなのに・・・』
 廊下にかけてあった鏡に気づいたヒビナは、自分の顔を映し、短くなった髪をなでてみた。
 そして、今朝起きて、洗面所の鏡を見たときのことを思い返した。
 少し目が腫れぼったかったのは、あれだけ泣いたからだとしても、短くなった髪は、ベニッジの罠の傷跡であり、ヒビナにとっては屈辱だった。
 それが逆に、ヒビナの闘志に火をつけた。いつまでも落ち込んでいるのは、ヒビナの性に合わない。それでちょっと無理をして、元気を振り絞ってみた。
 まだ、いろいろと引きずっていることの裏返しだった。
 髪を切った自分を、自分自身で受け入れられないのに・・・
 トラッシュは、あっさりと受け入れた。
 しょせん、他人事だからかも知れない。だが、意表を突くトラッシュのその一言が、自分のカラ元気に気づかせてくれた。
 少し、気分がすっとして、肩の力が抜けた。

 トラッシュ、エトワ、ヒビナ、ビィの4人は、食卓を囲んで座った。
「いっただきまあぁす!」
「いやあ、腹減ったあ!」
「おじいちゃん、今日の朝ご飯も美味しそうだね!」
「今日の朝ご飯を作ったのは、あたし」
「えっ!?」
 ヒビナのセリフを聞いたときには、トラッシュもエトワも、朝ご飯を口にほおばっていた。
「ほら、夕べはすっかりごちそうになったじゃない? だから、せめて今朝はビィさんにゆっくり休んでもらおうと思ってさ、朝ご飯はあたしが作ったの!」
 それだけなら、別に大したことではないのだが・・・
 口に押し込んだヒビナの手料理は、とんでもなく・・・
「ぶわああっっ!!」
「いやあん! なんか苦い! いや渋い! と思ったら後からすごく辛い!」
 トラッシュとエトワは、洗面所に駆け込んで、あわてうがいを始めた。
「な、な、なによう! それちょっとひどいんじゃない!? ねえビィさん!?」
 ビィは、笑顔だったが、少し困った顔をしていた。ヒビナは、不満そうな顔をしながら、自分の料理を口に運んでみた。
「・・・苦い! 渋い! ・・・かああっ、後からとんでもない辛さが!」
 すぐさま、洗面所にかけこんで、うがいを始めた。
 トラッシュは、珍しく顔を真っ赤にして怒った!
「オレはなあ、メシがまずいのが一番許せないんだよっ! もういい! オレは旅に出る! メシがまずいところには1日だっていたくない!」
「なんですって! そんな言い方無いじゃない! ご飯ぐらいでがたがた言うんじゃないわよ!」
「これならオレが自炊した方が100倍マシだ! じいさんの飯が食えないなら、ここに長居する意味はない! オレの荷物はどこだ! 今すぐ旅に出る!」
「ええ〜ん、トラッシュ、行っちゃヤダよう〜!」
「ああ! 女の子を泣かした! この最低野郎! やっぱりアンタはイリーガルだ!」
「オレの名は、トラッシュだああ!!」
 朝からのとつぜんの大騒ぎに、ビィは苦笑いをするしかなかった。

     ★     ★     ★

 フォルケは、前日遅くに第7方面支部の宿舎に入った。そして緊張の朝を迎えている。
「スイーパー本部から派遣されるボクの上司って、どんな人なんだろう? キリィ隊長じきじきのプロジェクトチームだということは、そうとうな実力者に違いない・・・ボクに、そんな人の補佐なんて務まるのかな? まだ、実地研修を始めたばかりのボクに・・・」
 不安だったが、やるしかないと決めたのだから、どんなことがあろうと、がんばってついて行こう。フォルケはそう自分に言い聞かせた。これはチャンスでもあるのだ。それに、今となっては、アザクやヒビナのためにも、精一杯の仕事をすることが、一番の友情だと思うことにした。アザクにだって、なにか事情があってこんなことになったに違いない。それも知らぬまま、オロオロしていてもしょうがない。彼に会えば全ては明らかになるのだ。
 地平線をながめていたフォルケは、やがて彼方から、砂煙が上がっているのに気づいた。それは、次第にこちらへ近づいてくる。視界に映ったのは、正規隊仕様のオフロードバギー。ベニッジが乗っていた旧型とは比べ物にならない、最新型の高機動タイプだ。
 腕時計のデジタルは9:59。目測した距離からすれば、おそらく時刻ぴったりだ。さすがはスイーパー正規隊のエリート。こういう待ち合わせは、早すぎても遅すぎても、迎える側にしてみれば困るものだ
 デジタルが10:00に変わると同時に、フォルケの寸前で、オフロードバギーはパワースライドを決め、ぴたりと静止した。
 か、かっこいい・・・
 フォルケは、あまりにもスマートなそのバギーの挙動に、ホレボレした。今まさに、その運転席から、イリーガル追跡スペシャルチームのエージェントが降りてくる。はたして、それはエリート然としたクールガイか、それとも、いかつい猛者か?
 どきどきして待ちかまえるフォルケの視線が、運転席に集中する。
 すると、そこには・・・

 にょきっ!!

 脚が現れた!

「!!??」
 フォルケは、完全に意表を突かれて、ガツンと頭を殴られたように感じた。
 とんでもなく、長い脚。それは、黒い革のブーツをまとっていた。膝上まである超ロングブーツだ。だが、その脚が、長いだけでなく、細くしなやかで躍動的なラインを描いていることが、ブーツに隠されていてもわかった。
 そんな脚に最初に目が惹きつけられたものだから、フォルケは、さっそうと運転席から降り立ったその人部を、脚から順に、視線を上へ上へ、なめるように見上げる格好になった。
 ロングブーツの上には、同じく革製の、タイトな超ミニのスカートがあった。この時点でフォルケの上司が女性であることは認識されたのだが、そのまたさらに上に、引き締まった腹筋に刻まれた、ヘソが露出していたことで、フォルケのパニック状態にいっそうの拍車をかけた。
 極めつけは、そのさらに上に視線を移したとき。
 フォルケの視線は、完全にその1点に釘付けになり、微動だにしなくなった。
 そこにあったのは、胸の谷間。形の良いバストが、正規隊士官のコートに窮屈そうに押し込められ、広い襟ぐりに、クッキリとした谷間を描きあげていたのだ。
 それにしても、14歳のフォルケはまだまだ成長途上とはいえ、身長は158センチメートルある。そのフォルケの目線の位置に胸の谷間があるというのだから、この女性はとんでもなく背が高く、その上にスーパーモデル並みのプロポーションを持っていることになる。
 フォルケの頭の中は、ハレーションでもおこしたように真っ白になった。

 ポカーンとしているフォルケの頭上から、ちょっとハスキーで、耳に心地よく引っかかる声が降ってきた。
「キリィ・キンバレン大尉の命により、本日付けでイリーガル追跡特別班として赴任した。ワグダ・パレスモ少尉だ」
「あ、は、はい! ご苦労さまです!」
「お前の名前は?」
「は、はい、えと、ス、スイーパー予備隊所属、フォルケンバウマー・リッヒビッヒ・ド・ヌールベール・オードビー13世です!」
「長いな」
「え、あ、はい! フォルケとお呼びください!」
「キリィ・キンバレン大尉の辞令は受けていると思うが」
「は、はい、ええ、アザク、いやトラッシュ、じゃなくて、イリーガルを追跡し、これを捕らえるべく、ワ、ワグダ少尉の配下で補佐役を務めるようにと・・・」
「フォルケ・・・」
「は、はい!?」
「お前はいったい、なにと話をしているのだ?」
 ワグダにそう言われて、はじめて、フォルケは自分がどんなありさまであるか、気づかされた。
 フォルケの視線は、ワグダの胸の谷間に集中したまま、ピクリとも動いていなかった。
 いや、それどころか、フォルケの顔は次第に、谷間に吸い込まれるように前のめりの状態で、胸にうずまる寸前だったのだ。
「あ、あわわわっ! も、申し訳ございませぇんっっ!!」
 大あわてで、フォルケはなぜか敬礼しながら、ワグダの顔をはじめて見上げた。
 そこでまた、フォルケの頭の中は、破裂した。
『うっ・・・わあぁ・・・』
 ワグダの引き締まった小顔は、実はフォルケと3歳しか違わないあどけなさを残しながらも、小麦色の肌と、無造作なセットの黒髪が、精悍さを醸し出していた。すっと通った鼻筋と、その上にちょこんと乗せられた鼻メガネが知性を、ツヤがありふっくらと肉感的な唇がセクシーさを表出する。
 だが、それらをひっくるめても、なによりもフォルケの心を射すくめたのは・・・
 ワグダの、目だった。
 クッキリとした目は、大きさがというより、その目の光の強さによって、存在を強くアピールしていた。まるで野生動物の目だ。引き寄せられながらも、畏怖すら感じさせる、そんな魅力的な目ヂカラだった。
 単純に、美人という言葉では、陳腐すぎて表現にならない。フォルケはそんな女性をはじめて目にした。ヒビナやメイペ・シノリのような美少女を目の前にしても、それほど心躍らすというわけでもなかったフォルケをして、衝撃とも言えるワグダの美と存在感であった。
 またしても、ポカーンとなってフリーズしたフォルケに、ワグダはけげんそうな顔で、首をかしげた。
「大丈夫か? さっきから様子が変だぞ? 具合でも悪いのか?」
 それでも、フォルケは目が点になったまま、突っ立っている。
「・・・・・・・・・」
 ワグダもまた無言になり、2、3歩回り込んだかと思うと・・・

 ドカアッッ!!
「わ、わああっ!?」

 フォルケの尻を、思いっきり蹴り上げた!
「しっかりしろ! 見習いとはいえ、お前は立派なスペシャルチームの一員だぞ!」
「は、は、は、はいぃーーーーっっ!! 失礼しましたぁっっ!!」
 やっと正気に戻ったフォルケは、涙目でそう叫んだ。
「まあいい、機材を点検するから、お前は横で見ていろ、フォルケ」
「は、はいっ!」
 ワグダは、フォルケをバギーへと誘う。
 幌をオープンにしたバギーの荷台には、整然とジュラルミンケースが並べられている。その1つ1つを開けるたびに、フォルケは歓声を上げた。
「・・・うわあぁ〜っ! スゴイ! どれも最新式の武器ばかりだ! この数年で発表されたものばかり、バリバリの最新ローカジ・ウェポン!」
「ほお、詳しいな」
 機材台帳に目を通していたワグダは、感心するように言った。実はフォルケは、武器マニアでもあった。ローカジとは、Low Casualties、被害者を最小限に抑える武器である。ただ、どんなケガも病気も治してしまうこの世界の医療技術があっては、いかなる武器も殺傷能力を持っているとは言いがたい。逃亡者を足止めするのに、足をちょん切ってしまっても、元どおりに治療できるのである。だが、スイーパーはそのような残酷な手段を使わないことを至上としている。むしろ、そういうルールを楽しんでいるといった方が正しい。そのため、可能な限りケガをさせない武器を好んで使うのである。
「これに比べれば、キャプチャーガンなんて子供のオモチャだな。さすが正規隊の最新鋭設備」
 と同時に、スイーパー本部の、イリーガル追跡に賭ける「本気度」が伝わってきて、フォルケはちょっとゾクゾクした。
 ふと、フォルケはバギーの助手席に目をやった。
 そこには、武器マニアのフォルケでさえも、見たことのない物体が置いてあったからだ。
 色はくすんだピンク。ちょっと、モコモコした、柔らかそうな外観をしている、表皮は毛羽立っていて、使い込んだくたびれ方をしている。センサーなのかアンテナなのか、2本の細長い突起物がある。
「これ、なんなのですか?」
 ふいに、フォルケがその謎の物体に手をのばそうとしたとき・・・
「それに触るな!!」
 ワグダの鋭い一声がたたきつけられ、フォルケはビクッとして、手を引っ込めた。
「・・・それに、触るな」
 今度は少し口調が穏やかになっていたが、ワグダの声と表情には、スゴミがあった。
 フォルケはますます「それ」に興味を引かれた。
「・・・すみません。でも、これって、そんなに重要なものなのですか?」
「ああ、『フリーマ』は絶対になくてはならないもの。あたしにとっては、命を預けるにふさわしいものだ」
「フリーマ!?」
 そんな名前、聞いたことがない。コードネームか? それとも、最新鋭の秘密兵器なのか?
 フォルケは、我慢できなくなった。
「ワグダ少尉! 教えてください! フリーマとはいったい、なんなのかを!」
 ワグダは、ニヤリと笑って、「フリーマ」を助手席から引っ張り上げた。
 フォルケは、固唾をのんで、そのさまを見つめる。
「フリーマはな・・・」
 ぞくぞくっ!
「あたしの大事なお友だち! おお!よちよち! 長旅で疲れまちたか〜!? うんうん、ほこりっぽいウェイストは、フリーマちゃんには居心地悪いでちゅよね〜!? でもね、あたしも大事なお仕事なの! 我慢してちょうだいね〜チュッチュッ!」

 はあ!?

 フォルケは口をあんぐりと大きく開けた。
「あ、あの、それって、もしかして・・・ぬいぐるみですか?」

 ボガアアアッッ!!!

 フォルケに向かって、その「フリーマ」がすっ飛んできて、したたかに顔にぶつかった。結構な重さのそれは、ぬいぐるみとはいえ、意外と痛かった。
「あたたたっっ!?」
「なんてこというんだ、このガキ!? フリーマちゃんはなあ、ぬいぐるみじゃない! ちゃんとあたしとお話しも出来るし、心が通じ合っているんだよッッ!!」
 その大事なお友だちを、なんで投げつけるんだよ!?
 内心でフォルケはそう思った。でも口には出来なかった。
 フォルケは愕然とした。キリィ隊長が派遣した、スイーパーきっての腕利きエージェント、スペシャルチームのパートナーとなるべき人物・・・しかも、その美貌に心奪われたフォルケとしては、短時間で築き上げたワグダのイメージが、一瞬で崩壊してしまった。
 今となっては、ヒビナがいかにマトモだったかを思い知らされる。
「わ、わかりました・・・フリーマ・・・さんは、ワグダ少尉の大切なお友だち・・・」
「そっ! 以後、口の利き方には気をつけるように!」
「はっ!?」
「フリーマにだよ!」
「あ、え・・・? いえ、はい・・・」
 ボクは、ぬいぐるみよりも下に配置されちゃったのか・・・?
 フォルケは、がっくりと、肩を落とした。
 と、同時に・・・フォルケには、新たな疑問がわいた。
 フリーマは・・・「なんの」ぬいぐるみなのだろう?
 ウサギとかネコとかクマとか、そんな類のぬいぐるみなら、女の子がカワイイと思うのはわかる。だが、ピンク色のフリーマの形は、なにがなんだかわからない。これはいったい?
 突き出した2本の突起は、目らしきものが描かれている。最初は、カタツムリかとおもったが、殻を背負っていない。じゃあ、ナメクジかと思うと、それにしては横に平べったくて、腹側はビラビラしているし、背中にも縦にビラビラが付いている。ナメクジには見えない。
『な、なんなんだろうコレ・・・気になる・・・』
 フォルケは、いったん疑問を持つと、気になって気になって、もうそのことで頭がいっぱいになってしまうのである。
 とはいっても、ワグダにそれを聞くのは恐い。たった数分間で、ワグダの性格が、とてつもなくエキセントリックであることを、フォルケは悟ってしまったからだ。
 このとき、デジタルは10:10。

     ★     ★     ★

「ほお、似合うじゃないか・・・」
 ビィは、感心したようにつぶやいた。
「ほんとほんと! ヒビナ、超イケテル! かっこいい! カワイイ!」
 エトワがはしゃいでいる。
「そ、そお? でへへ・・・」
 ヒビナは、珍しく照れていた。
 ビィの運転で市場を訪れたヒビナとエトワは、ヒビナの服を物色しに、また古着屋を訪れた。
 たまたま古着屋の娘が、年格好がヒビナと同じくらいだったので、見立ててもらったのだ。
 ピンクと紺の切り返しが鮮やかなワンピースは、古着というにはかなり新しくてキレイで、若いヒビナにはよく似合った。古着屋の娘によれば、質流れ品であまり袖も通して無かったらしい。
 下にはコットンのショートパンツ。
 スイーパーの制服姿では目立たなかった脚を、惜しげもなく露出している。
「ちょ、ちょっと・・・脚、出し過ぎじゃない?」
「ううん、ヒビナの脚、とってもキレイだもん。見せなきゃソンソン!」
 さらにスカーフと帽子で、それまでの無骨な制服姿とは一変した、14歳の少女らしいファッションになった。
「ほらあ、照れてないで鏡の前で一回転とかしてみてよ!」
 エトワにそう急かされ、ヒビナもその気になった。
「えへへ、こ、こう?」
「あ、ちょ、ちょっとぉ! タテに一回転じゃないよお!」

 トラッシュは、市場の外に停めたトラックの運転席で、シートを倒し、トマトをかじっていた。
 あれだけ大立ち回りをした昨日の今日で、市場に顔を出すのは控えたのだ。そもそも、女の子の洋服選びなど、興味なかった。トラッシュは、食べ損なった朝食の代わりに、トマトを2個、ポケットに入れていたのだ。

 ガンッ!!

 なにやら派手な金属音と振動で、トラッシュは飛び起きた。
「な、なんだ!?」

 ふと窓の外を見ると、そこに・・・
 黒髪で小麦色の肌をした、背の高い少女がいた。
 目がすごく印象的だ。
「あ・・・お姉さん、なにかご用ですか?」
「降りて」
「へ?」
「降りて、っつったんだよッッ!!」

 ガンッ!!

 そう言って少女はトラックのドアを蹴り上げた! さっきの衝撃は、少女のブーツがドアに激突したものだったのだ。
 トラッシュは面食らった。
「な、なんなんだ? ずいぶん乱暴だな?」
 しぶしぶ、運転席の窓から顔を出すと・・・
 いきなり、少女は窓越しにトラッシュの胸ぐらをつかみ、鼻と鼻がぶつかる距離で目を合わせた!
 少女の、ちょっと大人っぽい香りのコロンが、トラッシュの鼻をくすぐる。
「こんなところでウロウロしてて、自分の置かれている立場ってものを、理解していないようだな! ・・・イリーガル!?」
 トラッシュは、その言葉に反応して、ハッとなった!
 背の高い少女の影に隠れるように、フォルケがいることに気づく!
「お前・・・!?」
 トラッシュはとっさに、運転席のドアを内側から蹴った!
「うあッッ!?」
 ドアが開いて、黒髪の少女・ワグダははじき飛ばされ、フォルケを下敷きにして転んだ。
 トラッシュはあわてて、トラックのモーターに火を入れ、発進させようとする!
「そうはいくか!」
 ワグダが右手の人差し指を掲げ、トラックを指さす。ワグダの目が、銀色に光った!

 ボシュワッッ!!

「な、なんだァ!?」
 トラックのどこかから、破裂音が聞こえたかと思うと、トラックのモーターは、うんともすんとも言わなくなった!
 なんだか、きな臭いような、金属くさいような匂いがただよう。
「!? これ、バッテリーがいかれた!?」
 経験的にトラックのどこが故障したかを悟ったトラッシュは、助手席側から転げ落ちるように運転席を飛び出すと、ウィンドボードを抱えて駆けだした!
「逃がすか!!」
 ワグダは、すかさず後を追う。
 フォルケは、その一部始終を、あっけにとられて見ていた。
『このトラック・・・うわっ、バッテリーが破裂してる! ・・・電解液が沸騰してるのか!?』
 これはもしや、ワグダのアート・・・!?

     ★     ★     ★

「・・・あれぇ、トラッシュは?」
 トラックに戻ってきたビィ、ヒビナ、エトワ。空っぽのトラックを見て、首をかしげる。食べかけのトマトが、地面に落ちていた。
「・・・なんだ? トラックが壊されてる!?」
 ビィの言葉に、ヒビナは、ハッとなった。
『アザク・・・トラッシュ! 追っ手が!?』

「風、風、風ェ! 吹いてくれよ!」
 風がなければタダの板きれでしかないウィンドボードを抱えて、トラッシュは走った。
「・・・なんて、逃げ足の早い・・・」
 ワグダも、大きなストライドで全力疾走しているが、なかなか追いつかない。足の速さには自信のあったワグダだが、あてが外れた。
 すると、集落を抜け出したあたりで、ようやく風が吹いてくるのをトラッシュは感じた。
「しめた! 風さえ吹けば!」
 トラッシュは走りながらジャンプし、すばやく足の下にボードを滑り込ませる。瞬時にブーツはバインディングと結合し、そのまま宙に浮かぶ!
「!? あれが風乗りボード!?」
「へっへ〜ん、捕まるわけにはいかないよ、お姉さん!?」
 するとワグダは、コートの内ポケットから、なにやら取り出した。
 直系10センチほどの円盤状の物体。
「こっちも、みすみす逃がすわけにはいかないんだよッ!」
 円盤状の物体を、上空のトラッシュめがけて投げつける!

 バシュウゥゥッッ!!

 円盤は空中でいくつかに分解したかと思うと、浮遊しながらそれは、トラッシュを取り囲んだ!

 バチイィッッ!!

「あつつッッ!?」
 火花が飛び散って、トラッシュの顔が苦渋に歪む! 空中でボードのバランスが崩れ、トラッシュはそのまま落下した!

 ドサアアッッ!!

「あいててて・・・ なんだ、今、静電気がビリッと・・・」
「フライング・コンデンサの静電気攻撃はどうだ? 一瞬だが、2万ボルトのショックだ!」
 トラッシュの髪が、静電気で逆立っている。
 ワグダは、倒れているトラッシュに歩み寄ると、両手で胸ぐらをつかみ、今度は唇が触れそうなくらいに、グッと引き寄せる。またしても、コロンの香りがした。
「観念しなよ。このあたし、ワグダに追われて、逃げ切ったものはいない。階層越えだろうと、イリーガルだろうとね?」
「オレの名は、トラッシュだ・・・!」
「そんなことはどうでもいい! イリーガル追跡スペシャルチーム、1日も立たずに解散だな。こんなにあっけないとは思いもしなかったろう、キリィ・キンバレンも・・・」
「お姉さん、オレのこと好みなの?」
「? なにいってんだ、この・・・」
「やたらオレと密着したがるからさ!」
「バカ言え、お前みたいな子供、誰が・・・」
「子供だからって見くびると、イタイ目を見るよ!」

 バチバチイィッッ!!

「うああっっ!?」
 激しい火花が散って、今度は、ワグダが悲鳴を上げた!
 その電気ショックで一瞬、ワグダは動けなくなって、トラッシュを取り逃がした。
「オレは仕事柄、電気には強いの! じゃあね!」
 とはいえトラッシュ自身も静電気ショックを受けているはずだが、2、3歩よろけながらも、ウィンドボードを拾って、走り去っていった。
「・・・こ、これは・・・」
 ふと見ると、ワグダの胸の谷間に、フライング・コンデンサが挟まっている。
「これは予備の・・・あたしの内ポケットから抜き取ったな? ・・・でも、使い方が違う・・・」
 たった今、ワグダに詰め寄られたときに、スキを見てフライング・コンデンサを抜き取ったトラッシュ。わずかな押し問答の間に、その機構を見抜いて、空中展開しなくても放電する方法を探り当てたのだ。
 直し屋トラッシュのそんな技能を、ワグダは知らなかった。
 ようやく体を動かせるようになったワグダ。髪が逆立っている。
「前言撤回だ、イリーガル・・・ お前に興味がわいた・・・」

     ★     ★     ★

「はあ、はあ、はあ・・・」
 またしても風がやんでしまったため、ウィンドボードは使えず、トラッシュはひたすらに走りつづけて、ようやく林の中に逃げ込んだ。
 水の乏しいウェイストの大地にあって、枯れずにいる林はめずらしい。見渡すばかりの荒野では見通しがよすぎて、逃げるには不都合だった。そこでトラッシュは林に逃げ込んだのだ。
「ここなら、姿を隠す場所はいくらでもある・・・」
「そいつはどうかな!?」
 ギクッ!?
 ハスキーな声を、トラッシュの耳がとらえた。
 ハッと思い、振り向くと、そこにはワグダがいた。
 モーター付きのキックボードに乗っている。
「な、なんで・・・オレの逃げる場所がわかったんだ?」
「あたしと一度でも接触した者は、絶対に逃がさない・・・ 種明かしをするとね、あたしのコロンは、バイオテクノロジーの力で、いったん付着したものを半径2キロメートルまでなら捕捉できる。コロン自体が微生物でね。それが発する生命反応を、コイツでキャッチするのさ」
 そういってワグダは、鼻メガネを指先でつついた。メガネのようだがそれは、トラッシュのゴーグルと同じ、センサー兼モニターなのだ。
「そんな、わかるわけない! 今まで何人がお姉さんと接触してるんだよ!?」
「識別できるのさ。コロンは寄生した宿主の生命反応を取り込むから、お前に付着した時点でお前だけのコロンに変化する。微生物は24時間で死んでしまうが、あたしにはそれだけの時間があれば十分」
 トラッシュは息を飲んだ。そんな高度なテクノロジーまで使って、そこまでしてオレを捕まえたいのか? オレっていったい、アンタたちにとって、なんなんだよ!?
「さあ、そろそろ覚悟してもらおうか・・・」
 ワグダが、じりじりとトラッシュににじり寄る・・・
 そのとき!
「誰だ!?」
 とつぜん、ワグダがそう叫び、振り返った!
 そこにいたのは・・・
「エトワ! ヒビナ!」
「トラッシュ!」
「トラッシュゥゥ!!」
 どこから借りてきたのか、電動スクーターにまたがった2人の姿がそこにあった。
 さらに!
「ヒ、ヒビナ! キミが何故ここに!」
「あ、アンタ! フォルケ!?」
 フォルケが、カートでワグダを追ってきていた。
 集落はずれの林で、トラッシュを追う者、トラッシュを案ずる者が一堂に会していた。
 それぞれがそれぞれの思惑で、にらみ合いを始めたとき・・・

「騒がしいな。せっかく読書に最適の、静かな場所を見つけたと思ったのに・・・」

 トラッシュたちの頭上から、声が聞こえた!

     ★     ★     ★

 一同が、声のする方向を振り仰ぐと・・・
 一本の大木の枝に、ひとりの少年が腰掛けていた。手には、なにやら文庫サイズの本を持っている。
 革のパンツに、タイトなシャツのラフな格好、短い髪は染めているのか、銀色だ。年の頃はトラッシュと同じくらいのようだが、トラッシュよりはずっと背が高い。
 そして最も印象的なのは、その褐色の肌。しなやかな肢体、クールな表情と相まって、エキゾチックな雰囲気を感じさせる。
 そんな彼は、このときは、ちょっとした騒ぎにたまたま遭遇しただけで、自分とは無縁だと思っていた。
 しかし、トラッシュとここで出会ってしまったことが・・・
 少年、シャマル・カングにとっては、この先ずっと続く、大いなる受難の始まりであった。

     ★     ★     ★

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>>>第1章第4話へつづく。
次回「追って追われてどこまでも」

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