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第1章第5話「あまいキャンディを召し上がれ」

『どうした、お前らしくもない・・・』
 女神の夢。
 まわりは虹色の雲に包まれている。鮮やかな色彩の雲海。
 薄衣をまとう女神の表情は、憂いに満ちていた。
『なにを案じているのだ、リリネア・・・』
 やっと顔を上げた女神、その目はなんと哀しく、なんと美しいことか。その目だけで、言葉はなくても、訴えかけてくるものは・・・
『イリーガルか・・・アレは面白い・・・ 彼が彼の進むべき道を進むのならば、必ずわたしたちの道と交差する。そのときを待とうではないか・・・』
 一面の雲海から、赤や青や紫の蝶が、一斉に羽ばたいた!
『そう、最善の世界へ・・・ 全ては、あるべき姿へ・・・』

 そこで、目が覚めた。
『また、この夢・・・』
 男は、ベッドに横たわったまま、物思いにふける。
『変わったのは、わたしの方だというのか・・・』
 鍛え抜かれた肉体。端整な顔立ち。力強さと、知性と、神秘性と・・・いくつもの表情が、その風貌に秘められている。

 ピーッ! ピーッ! ピーッ!
 通信機がさえずりを上げる。
 男は、枕元のスイッチを入れ、応えた。

「キリィ・キンバレンだ」
『キリィ大尉。スイーパー最高会議議長がお見えですが』
「予定より早いな?」
『はい。控え室でお待ちいただきましょうか?』
「いや、10分で行く。会議室にお通ししてくれ」
『了解しました。最高会議議長をA会議室にご案内いたします』
 男は、ベッドカバーをはねのけると、シャワールームへと向かった。

     ★     ★     ★

 ガンガンガンガンッッ!! ガンガンガンガンッッ!!

「起きろ〜ッ いつまでも寝てんじゃない! 起きなさいトラッシュ!」

 中華鍋とおたまが、けたたましい金属音を立てて、ヒビナの通る声とともにビィの家に響き渡った。
 だが、トラッシュは寝室から出てくる気配がない。
「もお〜起きろったら起きろ! 寝ぼすけ!」
 そう言ってヒビナは、トラッシュの寝室のドアを開ける。トラッシュは寝ぼけまなこで、ベッドに上体を起こし、頭をボリボリ掻いている。
「相変わらず朝からテンション高いな、ヒビナ・・・」
「とっとと顔洗って歯磨いて! 朝食の用意ができてるわよ!」
「朝食ゥ・・・? あたし、朝食はいらないよぉ・・・」
「えっ!?」
 どこからか、ちょっとハスキーで耳に引っかかる声が聞こえてくる。
 すると、トラッシュの右手側の毛布の下から、長い腕がにょっきりと伸びて、手を振った。
「え・・・なに?・・・これ・・・」
 けげんそうな顔でヒビナはベッドに歩み寄り、トラッシュの毛布を引っぺがす!
 なんと、そこには・・・
「わ、わ、わ、ワグダ・パレスモ!!??」
「・・・んもう〜朝はゆっくり寝かせてってばぁ〜・・・」
 ヒビナは激しいショックを受けた。トラッシュの横に寄り添って、ワイシャツ1枚のあられもない姿で、ワグダが寝ていたからだ!
「・・・ちょ・・・ちょっと! トラッシュ! こ、これ、どういうことよ!!」
 ヒビナは、ワナワナしながら、ヒステリックにがなり立てる。
「ええっ・・・ あ、そうか、ゆうべは・・・」
「ゆうべは・・・? ゆうべはなによ! なんでワグダがここに!?」
「ええ、まあ、ちょっと・・・」
 すると、ワグダは起きてきて、トラッシュのほほに顔をくっつけ、右手をトラッシュのあごにはわせて、ニヤリと笑った。
「ちょっと、なあ? いろいろと、触れ合いがな?」
「ふ・・・ふ・・・ふ・・・」
 ヒビナの頭の中は、真っ赤に熱されたマグマが渦を巻いていた。
「不潔よおおおおおおおおぉぉぉっっっ!!!」

 そこで、目が覚めた。
 ヒビナは、毛布をつかんで、ベッドの上に仁王立ちしていた。
「・・・夢・・・?」
 うえっ!?
 口の中になにか、もそもそしたモノが・・・ペッペッ!
「・・・なにこれ、毛布の切れ端・・・?」
 よく見ると、手にした毛布の端がちぎれていた。あの夢を見ながら食いちぎったらしい。
 そもそも、手の中の毛布自体、Vの字に引き裂かれていた。
 ヒビナは真っ赤になって、ベッドの上にペタンと座り込んだ。
『・・・なんちゅう夢見てんの、あたしったら・・・』
 はあぁぁ〜〜っっ・・・
 深いため息をつく。
『なんでホッとしてんの、あたし・・・』

     ★     ★     ★

「いやあ、やっぱ朝メシはじいさんの手料理に限るな!」
「なにそれ、イヤミで言ってるの?」
「いや、そーいうわけじゃなくてさ・・・」
 ビィの家では、トラッシュ、ヒビナ、エトワ、シャマル、そしてビィが食卓を囲んでいた。
 スクランブルエッグ、かりかりのベーコン、レタスとトマトとチーズのサラダ、焼きたてのパンとホットミルク・・・
 ふと、ビィがトラッシュに話しかけてきた。
「トラッシュくん、これからどうするつもりかね?」
「これからって?」
「決まってるじゃないの! アンタ、これからもズーッと、ビィさんちに居候するつもり?」
 ヒビナが口をはさむ。
「ああ、そういうことか・・・ いや、そのつもりはない。旅は続けるよ。また西を目指すさ」
「それで、いつ出て行くのよ?」
「・・・なんだか、ホントにヒビナの家に世話になってるみたいだな、オレ?」
「アンタは、追われてる身なんだから、あんまり長居しちゃ、ビィさんの迷惑になるでしょ!?」
「ああ、そうか。それはぜんぜん考えてなかったなあ・・・」
「たあっっ!! 相変わらず、どっか人と回路が違うのよねえ、トラッシュは・・・」
「わたしとしては、好きなだけここにいてもらってもかまわないんだが・・・ キミはキミなりに目指すものがあるようだしな」
「そうだな・・・ 今日にでも立つかな?」
「今日!?」
「ああ、じいさんの料理は名残惜しいが、いつまでも一つところに居たんじゃ意味がない。思い立ったときが、そのときだ」
「今日とはまた、急ねえ・・・」
 ヒビナは、ヒビナなりに考えがあって、トラッシュがいつ旅立つかに興味があった。
 スイーパーとしての道を断たれた彼女は、人知れず、次の目標を定めていた。
『規則だか宿命だか知らないけど、指先にトゲが刺さったくらいで人生変わってしまうなんて、納得いかないわ! スイーパーの掟なんて、あたしには受け入れられない! それに、あたしを追放したのが、本当にキリィ・キンバレン隊長なのか・・・』
 不意に、ヒビナの胸が高鳴った。キリィ・キンバレンという名前が浮かんだだけで。
『キリィ隊長・・・今でもあたしは、キリィ隊長のことが・・・』
 と、物思いにふけっていたとき。
 ふと、ヒビナはなんだか、食卓がいつもより静かなような、騒がしいのは自分だけのような気がした。
 変な沈黙があって、その後・・・

「・・・ぅうわあああああああぁぁぁぁぁんんんんんっっっっっ!!!!!」

 とつぜん、サイレンのように泣き声が響き渡った!
 エトワだ。
「ど、ど、ど、どうしたのよエトワ!?」
「トラッシュ、行っちゃやだあああああああぁぁぁっっっ!!!」
「へっ!?」

     ★     ★     ★

「やだやだやだ、トラッシュが出て行っちゃうなんてやだああああぁぁぁ!!!」
「エ、エトワ・・・」
 それまで黙って話を聞いていたエトワが、急に泣き出したのだ。
 トラッシュはびっくりした顔をして、エトワを見つめる。
「これこれエトワ、あまりわがままを言って、トラッシュを困らせるんじゃない・・・」と、ビィはたしなめるが・・・
「やだやだあ! 絶対やだあ! トラッシュと離ればなれになるの、エトワいやだもぉんっっ!!」
「・・・・・・・・・」
 ヒビナは、しんみりしてきた。
 そんなにも、エトワはトラッシュのことを慕っていたのか・・・
 ヒビナはハンカチを手に、エトワに語りかける。
「あああ、エトワ、ほら泣かないで・・・」
「トラッシュが旅に出るんなら、エトワ、トラッシュについてくもん!」
「ええっ!!??」
「絶対絶対ついてくもん! 離れないもん! ずっとトラッシュと一緒にいるもん!」
「このわたしと、離れてもか!?」
「うくっっ!?」
 ビィの、珍しく厳しい口調に、エトワの泣き声はぴったり止まり、黙り込んだ。
「・・・わたしの家を出て行く、覚悟があるのだな?」
「・・・・・・・・・」
「ちょ、ちょっとビィさん、そんなキツイ言い方しなくても・・・」
「いいんじゃない?」
「へっ!?」
 横から一言、発したのは、それまで黙々と朝食を口に運んでいた、シャマルだった。
「かわいい子には旅をさせよ、だろ? エトワがトラッシュのそばにいることを望むのなら、そうすればいい。ただし、誰も責任はとらないし、とれない。エトワ自身が自分で自分の責任を持たなきゃならないがな」
「あ、アンタねえ! エトワみたいな小さい子に、それはないんじゃない!? アンタこそ無責任じゃないの!?」
「お前こそ、なんでエトワの選択に口を出すんだ?」
「そ、それは・・・エトワはまだ子供なんだから!」
「エトワ、子供じゃないもん!」
「あ、あのねえ・・・ ちょっと、なんとか言いなさいよトラッシュ! アンタの問題なんだから!」
 すると、トラッシュは、もぐもぐと咀嚼していたパンを、ホットミルクで流し込んで、一息置いてから・・・
 エトワと正面から目を合わせ、優しい笑顔で、言った。
「エトワ、自分で考えて、納得のいく答えを出しなよ。オレはそれまで、旅に出るのは待つことにした。いつまでも待つことは、できないけどな」
「・・・トラッシュ・・・」
「もう、トラッシュ! アンタまでなにを・・・」
「エトワはもう、自分のことは自分で決められるさ。ただ、考える時間は必要だ。今、このときの気持ちだけじゃなくて、この先のこともよ〜く考えてから決めるといい。それから、じいさんの話も聞いて、ちゃんと話し合わないとダメだぞ。エトワのことを誰よりも考えているのは、じいさんなんだから」
「・・・・・・・・・」
「その上で出した結論なら、誰も文句は言わないさ」
「・・・・・・うん・・・」
「それから、エトワが一緒に行くというなら、オレは歓迎するぜ」
「うん!」
 エトワの泣きべそ顔が、パアッと明るくなった。
 ヒビナは、「へぇ〜〜〜っ」と言う顔で、トラッシュを見る。
「・・・なんだ? ヒビナ。オレの顔に、なにか付いてる?」
「パンくず付いてる」
「ええっっ!? あっ?」
 いや、そうじゃなくて・・・
 トラッシュって・・・つかまえどころがない。
 発想が人とはズレてるし、なに考えてるかわからない。けど、人のこと、いつでも真剣に受け止めてくれる。
 人の全てを受け入れている。そんな気がする。
 かと思うと、やけに鈍いところもあるし、人の気持ちがホントに分かってるのかどうか・・・
 それに、トラッシュ自身が、どこまで本気なのかがわからない。コッチの思惑なんか関係なく、するりと身をかわしてく。「ここまでおいで」って、言われてる気がする。
 シャマルが言うように、コイツ、ホントにキツネだ・・・

     ★     ★     ★

 スイーパー・ウェイスト階層第8方面支部。言わずと知れたベニッジ・ニブライン上等士の所属する部署だ。
 デスクには、ベニッジが座っている。頭を抱えてガタガタと震えている。顔は青ざめ、目は赤く血走り、脂汗がにじんでいる。

 ガチャアァッッ!!
 勢いよく、ドアが開いた。
「ひっ、ひいいぃっっ!?」
「兄貴! わかりやしたぜ!」
「・・・リ、リドーか!? ばかやろう! いきなり入ってくるんじゃねえ!!」
「すっ・・・すいやせん・・・」
 なにかにおびえきっているベニッジの姿に、リドーは内心、哀れみを感じていた。『こいつはもう、終わりかも知れない』と思った。
「・・・でっ、わ、わかったんだな?」
「へいっ、市場で聞き込みしたんすが、イリーガルのそばでちょろちょろしていたガキ、あれはエトワというそうでさぁ。なんでも、陶芸家のビィとかいうじじいの家で養われてるらしくて・・・」
「で、そ、そこに、イリーガルもいると思っていいんだな!?」
「へいっ、古着屋の話では、なんと、ヒビナらしき娘も一緒らしいんで」
「そ、そうか・・・それはいろいろと、好都合かもしれんな・・・」
「ビィの家は、集落から外れた場所らしいです。位置はつかめてやす」
 相変わらず、青ざめた顔色のままのベニッジだが、口の端を歪めて、薄気味悪い笑みを浮かべた。
「ふっ、ふはははっ・・・連中が、家を空けるのを見計らって・・・いや、こっちから空けるように仕向けてやるさ・・・そしたら・・・」
 またなにやら、企んでいるらしい。
『お、オレはもう、どうやっても出世の見込みはないらしい。なら、イリーガルもワグダも、オレと同じどん底を味あわせてやる! せめてそうでもしないと、オレの気は晴れねえ! そしていずれは、キリィ・キンバレンの野郎も・・・』
 そんなベニッジのさまを、リドーは冷ややかな目で眺めていた。

     ★     ★     ★

「・・・で、トラッシュの居場所は、まだつかめないと・・・」
「はい、ヒビナと一緒だったんで、ヒビナのIDシグナルを追えればと思ったんですが、どうやらヒビナのスイーパー除隊と同時に、シグナルは切られているようで・・・」
「聞き込みはどうだった?」
「そ、それが・・・すいません。集落のどこに行っても、スイーパー隊員はいい顔されないんです・・・」
「・・・まあ、予備隊のお前では、あまり期待してもしょうがないか・・・」
「そ、そんなあ・・・」
 集落のはずれの湖のほとりでオフロードバギーを停めて、ワグダとフォルケは、トラッシュの足取りを追うべく打ち合わせをしていた。そこは、ほんの10日ほど前に、とつじょ水が湧いてできた湖。静かな場所だからと、フォルケがここを集合場所に選んだ。
 ワグダは運転席で、フリーマをもてあそんでいる。
 こと情報収集においては、ウェイスト駐在のベニッジに比べれば、いかに腕利きといえど、ワグダには分が悪かった。そうでなくても、ここ数日は市場でのトラブルが頻発したため、スイーパー隊員に対する人々の警戒心も強まった。それでも、リドーのような強面が凄みをきかせればなんとかなるのだろうが、青白い少年フォルケではあまりにも心許ない。
「だから、昨日、トラッシュを見逃したりしなければ良かったんですよ。せめて、後をつけるくらいのことはしておけば・・・」
「あたしは貸しを作らないと言ったろう? お前は気にしなくていい。責任はあたしがとる!」
「で、でも・・・」
「ねえ、フリーマちゃんならあたしの気持ち、わかってくれまちゅよねぇ〜!」
 ワグダは「謎のぬいぐるみ」、フリーマに話しかける。
「はああ・・・」フォルケはがっくり、だ。
 ワグダの気まぐれで自分勝手なところはヒビナ以上だ。たしかにワグダの実力は認める。だが、その性格は一般常識では計り知れない。スイーパーの士官クラスって、みんなこんなもんなんだろうか?
「しょうがない、あたしのカンでトラッシュを探り当ててみせるさ」
「か、カン? ですか?」
「そうさ。匂いといってもいいかもね」
「でも、あのバイオ・コロンは24時間しか効かないんでしょう?」
「コロンじゃない、トラッシュの匂いを追うんだよ」
「はあ・・・」
「フォルケ・・・女のカンを、甘く見るんじゃないよ?」
 そう言って、ワグダはフォルケに流し目をした。
 ゾクゾクッッ!!
 ウブなフォルケには、それだけで全身に電流が走り、硬直した。
『こ、この人、確かに色っぽいけど、自分からあんな艶っぽいとこ、見せたのははじめてじゃないか?』
 女のカンで、トラッシュを追う?
 フォルケの脳裏に、昨日の光景がよみがった。フリーマを修理したトラッシュへの、ワグダの熱い口づけを。
『まさかと思うけど・・・ワグダ少尉、トラッシュになにか特別な感情でも・・・』
 だが、当のワグダと言えば・・・
『トラッシュ、アンタのような男ははじめてだ。キリィ・キンバレンが、辺境のウェイストにあたしを派遣したときは正直、冗談じゃないと思ったが、今はアンタを追いつめるのが面白くてしょうがない。存分に狩りを楽しませてもらうから、あんまりあたしを失望させないでくれよ・・・』
 色気とは無縁だが、ある意味、それもまた『特別な感情』であった。

     ★     ★     ★

 ビィの家では、ビィとヒビナが、ダイニングで、さやえんどうの筋を取りながら語り合っていた。
「・・・んで、エトワはどうしてるの?」
「どうやら、自分の部屋に閉じこもって、うんうんうなっているようだな」
「そっか・・・やっぱり、トラッシュについていくべきかどうかで悩んでんのね・・・」
「いや、それがどうも違うらしい・・・」
「はあ?」
「『考えろ』と言われたのはいいが、今まで物事を深く考えたことがないので、考え方がわからなくて、うなってるらしい・・・」
「はあ・・・」
 ヒビナはちょっとあきれて苦笑いをしたが、そんなところもエトワはかわいい。
「・・・ビィさんは、いいの?」
「んん?」
「エトワが、この家を出て行っても・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・あのさ、あたしが口を挟むのもなんだけど、ビィさんにとっても、やっぱりエトワはかわいいんでしょう? 昨日今日あったばかりの、トラッシュはヨソ者じゃない? エトワがそんなヤツについていっても、それでもいいの?」
「エトワは・・・いずれはこの家を出るんだ。むしろ、やっとこんな日が来たんだよ」
「なに言ってんの? エトワの歳で、『やっと』なんてことはないでしょうに・・・」
「え? あ、まあ、それはそうだな・・・そうだそうだ・・・」
 ビィは、ふっ、と笑った。
 なんだか、ビィもよくわからない人だ、とヒビナは思った。まあ、親切な人ではあるのだけど、トラッシュに対して、あまりにも信頼を寄せすぎじゃないだろうか? まるで、トラッシュとは長ーいつきあいでもあるみたいだ。
「でも・・・」とヒビナが言いかけたとき・・・
「おーい、じいさん。こんなもんでいいかな?」
 トラッシュが手になにか持って、ダイニングに入ってきた。
「おお、もう直ったのか。やっぱり早いな」
「へへっ、こんなのはお手のものさ」
「なあに? またなにか修理してたの?」
「これさ」といってトラッシュが掲げたのは、手のひらサイズの、シルバーメタリックの四角い箱、それはデジタルカメラだった。
「こんな古い型のデジカメ、骨董品として高く売れるぜ?」
「どうしたの? これ・・・」
「倉庫でオレが見つけたんだ。じいさんも忘れてたらしくてな。壊れてたんで、オレが直したってワケ」
「もうずいぶん昔に、どこかでなくしたと思ってたんだがな・・・」
「ほら、こうやってちゃんと使えるように・・・あれ?」
 トラッシュが、デジカメを操作していて、なにかに気づいた。
「?? なに、どしたの?」
「いや、これさ・・・」
 ヒビナがデジカメをのぞき込む。デジカメの裏側の液晶画面には、なにかが映し出されていた。どうやら、内蔵メモリに残っていた画像が表示されたらしい。
 それは、ひとりの男とひとりの女。並んで立っている、ポートレイトだった。
「うわあ、これ、きれいな人・・・」とヒビナが言った。
「!!??」
 あわてて、ビィはトラッシュの手からデジカメをひったくった。いつも穏やかなビィには珍しい行動に、トラッシュもヒビナも仰天した。
 トラッシュは、すまなそうに・・・
「ごめん、見ちゃまずかったかな・・・」
「ん? あ、いや・・・そういうわけではないが・・・」
 ビィは明らかに狼狽している。
「でも、ホントにきれいな人・・・横にいるのは、ビィさんでしょ? もしかして、ビィさんの大切な人?」
「ああ、まあ、そんなもんだ・・・」
「おいヒビナ、あんまり詮索すんなよ・・・」
「いいじゃん! へぇ〜、ビィさんも隅に置けないわよね。でも、ビィさんみたいないい人が、ひとりもんっていうのも、変だとは思ったんだけどね。ねえ、もしかして、ビィさんの奥さん? 恋人?」
「だからやめろって・・・ それになあ、このデジカメ、どう見ても30年はほったらかしだったぞ? 映ってるのがじいさんのはずはないじゃないか! あの画像は今のじいさんそのもの・・・って、あれ?」
 トラッシュは、自分で自分の言ってることがおかしいのに気づいた。
「30年前の画像が、今のじいさんと同じで・・・でも、じいさんはここにいて・・・」
「なに言ってんのよ、そしたら、ビィさんのお父さんじゃないの? 親子生き写しだったとか。ね? そうでしょビィさん?」
 だが、ビィは、じいっとデジカメの液晶をながめているだけで、答えようとしなかった。
「・・・ビィさん?」
「ん? ああ、いや、まあそういうところかな。いやあ、ありがとうトラッシュくん。これはわたしの思い出のカメラなんだよ、思い出の・・・」
 そういってビィは、デジカメを手に、奥へと引っ込んでいった。
「・・・なんだか、様子が変だったわね、ビィさん・・・」
「じいさんにだっていろいろあるんだよ。ヒビナがあんまり聞くから・・・」
「なによう!? あたしのせい?・・・って、やっぱり、そうだよね・・・悪いことしちゃったかなあ・・・」
「ヒビナ、オレ、思ったんだけど・・・」
「どしたの?」
「じいさんの・・・いや、じいさんじゃないかもしれないけど、その隣に映ってたあの女の人、エトワに似てなかったか?」
「ええ? エトワに? ・・・いや、そういわれれば確かに・・・」
 ヒビナは考えた。エトワ似の女性、それはエトワとなんらかの関係があると考えるのが自然だ。そして、一緒に映っていた男性は、ビィに似ていた。これもビィに関係が深い人物だとしたら・・・
 やっぱり、そんなことを興味本位でつっこんだのは、まずかったかなあ、と反省した。
 だが、トラッシュはちょっと違っていた。
 30年以上はたっているだろう、デジカメ画像に映っていた男性。
 それが、どうみてもビィ自身に思えてしかたがなかったのだ。今のビィと、少しも変わっていないその男の姿が・・・

     ★     ★     ★

 トラッシュとヒビナ、2人して黙り込んでしまった、その横を・・・
「邪魔したな」
 そういってとおり過ぎたのは、シャマルだった。
「へ? シャマル、どこ行くんだ?」
「決まってんだろ? 帰るんだよ」
「なんだよ、急ぎの用でもあんのか? もっとゆっくりしてけばいいのに?」
「トラッシュ! こんなオッペケペー野郎、引き留めたりしないでよ!」
「オッペケペーは死語だろう・・・」
「それはこっちのセリフだ! 口先女のヒステリーにかまけてたら、耳がキンキンいってしょうがねえ! 耳鳴りがする前に帰らせてもらう!」
「へへ〜んだ、帰れ〜帰れ〜このヒョロナガもやし!」
「なんだと!?」
 トラッシュは、いいかげんあきれて・・・
「・・・キミら、そうやってお互いにからんでさ、ホントは名残惜しいんじゃねえの?」
「バカ言ってんじゃないわよ!」「アホ抜かせ、アホギツネ!」
 トラッシュの両耳に、2カ国語放送のように罵声が轟いた。耳がキーンとなった。
「じゃな、あばよ」そういうシャマルに・・・
「ああ、元気でな」とトラッシュ。
 ヒビナは、あっかんべーをしている。
 そのとき。

 ヒュッッ!!
 スコッッ!!
「!? あいてッ!?」

 シャマルが、そういって立ち止まった。
「な、なんだコレ!?」
 シャマルの額に、吸盤付きの矢が貼り付いている。
「キャハハ、なにそれ! 大当たり〜!」
「うるさいな口先女!」
 スポンッ!と矢を外して、よく見ると、そこには紙が結びつけてあった。
「や、矢文かよ・・・」
 ボヤきながら、シャマルは紙を広げてみる。トラッシュとヒビナも、のぞき込んで見ると、そこには、ワープロ書きの文章がしたためられていた。

『前略
 イリーガル殿
 貴殿と折り入って話したいことがある。大変、個人的なことで恐縮だが、事と次第によっては、貴殿の身柄拘束を中止することにもなりうる。悪い話ではない。そこより北北東へ6キロメートルほど進んだところに、スイーパー第7方面支部がある。本日11:00AM、そこで待っている。
 スイーパー正規隊少尉 ワグダ・パレスモ』

「わ、ワグダお姉さん!?」
「なんでトラッシュあての手紙が、オレに当たるんだよ!」
「そんなことはどうでもいいわよ! ワグダがトラッシュになんの用よ?」
「そりゃ、聞いてみないとわからない・・・」
「ははあ、ようするに・・・」
「な、なによ?」
「『個人的』な理由で、トラッシュをとっつかまえるのをやめてもいいって書いてあるんだよな? あの女士官、トラッシュのこと気に入ってたみたいだから・・・」
「だから?」
「つきあってくれ、ってんじゃねえか?」
「えええええええええええええええええぇぇぇ〜〜〜っっっ!!!」
 ヒビナは動揺した。昨日の今日である。ヒビナの脳裏に焼き付いたトラッシュとワグダのキスシーン、加えて夕べの夢・・・
 一方のトラッシュは、ヒビナ以上に泡を食っていた。
「ど、どうしようヒビナ!?」
「ど、どうしようって、なによ! なんであたしに聞くのよ!?」
「いいんじゃねえか?トラッシュ。おまえ、ワグダに応えればもう追われることがなくなるんだぜ? それにワグダって、性格はともかく、あの美貌とあのスタイルだ! いいようにしてくれんじゃないか?」
「いいようにって、なにがよ!?」ヒビナは叫んだ。
「そりゃまあ、いろいろと・・・」
「ど、どうしようヒビナ!?」
「だからぁ! あたしに聞くな!」
「お前がからむことはないじゃないか? ヒビナ。この手紙のどこにも、お前のことなんて書いてあるワケじゃ・・・」

『追伸:
 なお、ヒビナ・アルアレート殿もお誘いになり、お2人様だけで、万障お繰り合わせの上おいで下さりますようお願い申し上げます』

「ガクッッ!?」
「なんだこれ、ヒビナも来いってこと?」
「な、なんであたしまで?」
「そりゃ、聞いてみないとわからない・・・」
「文体まで変わっちゃってるぞ? なんだこの手紙?」
「ううううううぅぅぅ〜〜〜んんん・・・」
 最後は3人でうなりはじめてしまった。

     ★     ★     ★

 キリィ・キンバレンは、窓際に立って、紙コップのコーヒーを飲んでいた。
 窓の外は、高層ビルが林立している。見渡す限り荒野のウェイストとは、全く異なる風景。ここからでは、地面すらも視界に入らない。ゴールド階層の典型的な景色。そう、ここは、スイーパー本部ビル120階、展望会議室である。
 とはいえ、会議はたった今、終わったばかりだった。
「どうした、キリィ大尉! 珍しく疲れたか?」
 そういって後ろからキリィの背中を力強くたたいたのは、総髪に立派な口ひげを蓄えた、首の太い、血色の良い男だった。ごつごつと節くれ立った、野球のグローブのような手で背中をたたかれれば、並大抵の人間なら、呼吸が止まってしまうかも知れない。だが、キリィ・キンバレンの鍛え抜かれた肉体は、そんなごつごつの手にも手応えを感じるほどの、ずしっと重たい響きを会議室に響かせた。
「キギ・ラエヴェ隊長・・・」
 キリィにその名を呼ばれた男。キリィ同様、正規隊の制服に身を包んでいる。その上からは、シルクのマントをまとっているのだが、薄くなめらかなその布地の奥には、筋骨隆々とした肉体が包み隠されている。
 立ち居振る舞いからして、キリィをもしのぐ存在感を感じさせる。むしろそれは威圧感だ。
「無理もない、このところ貴様はろくに休むヒマもないのであろう? いかにタフなキリィ大尉とはいえ、そこそこに休みを取らねばつぶれてしまうぞ?」
「恐縮です、隊長」
「今朝も、このザイラ・ファギレルに、仮眠中をたたき起こされたそうじゃないか。最高会議議長だかなんだか知らんが、あまりウチのエースをいじめんで欲しいな? この男、吾輩の後継者になる身なのだぞ。いや、いずれはフォーミュラの長官のイスすらものにするやも・・・」
「お戯れを・・・わたくしごときが、そのような・・・」
「ブワッハッハッハ! 謙遜を申すな!」
「いや、今朝は本当にスマンことをした。許せよ。キリィ・キンバレン」
 そう言ったのは、キギという男とは対照的に、さっぱりとした小男。だが、初老とおぼしき風貌ながら、存在感という点では、キギにひけをとらない。ダークグレーのスーツに身を包んだ小男は、浅黒い肌に刻まれたしわ、一見優しげな目の奥に潜む鋭い眼光、静かにたたえられた口元の笑み一つをとっても、余裕が感じられる。肉体ではなく、精神の強さというものが、この男を見てくれ以上に大きな人物として感じさせる。
 大男の名は、キギ・ラエヴェ大佐。スイーパー正規隊隊長であり、階層監査省フォーミュラの高級官僚である。予備隊隊長であるキリィ・キンバレンの、直属の上司である。
 小男の名は、ザイラ・ファギレル。スイーパー組織の管理機構である、最高会議議長だ。この2人が、フォーミュラの下部組織・スイーパーの実質的トップである。
「ときにキリィ、貴様が今追っている、イリーガルなる人物、あれはなんなのだ?」
「隊長の御身をわずらわせる類のものではありません。予備隊入隊審査に置ける、単なるバグです。ですが、厳格なるスイーパー組織のシステムにおいては、許されざるバグ。担当者の早急な処分とともに、再発防止策、そしてなにより、イリーガルの身柄確保を最優先に、現在スペシャルチームが奔走しております」
「そうか。その問題は貴様に一任すると決めたのだから、吾輩がグダグダ口出しはしない。だが、報告だけは怠らないように」
「心得ております、隊長」
「まあ、これも吾輩の立場上の、段取りゼリフとしか思うとらんわい。貴様に任せた仕事で、一度たりとも手抜かりがあったことなどない。信頼しておるからな。ブワッハッハハハハハ・・・」
 キギは豪快に笑いながら、キリィに背を向けた。キリィは軽く会釈をした。
 キギとザイラは、談笑しながらその場を去っていった。キリィ・キンバレンをしても、トップ2人が去った後は、緊張感が薄れるのを実感できる。
『単なるバグ、か・・・』
 キリィは、フッ、と笑みを浮かべた。

     ★     ★     ★

「なんでお前までついてくるんだよ、シャマル?」
「だって面白そうじゃねえか」
「もう、アンタだってワグダににらまれてるんじゃなかったの?」
「捕まるようなヘマはしない。それに今のところは、ワグダはお前ら2人に用があるんだろ」
 スイーパー第7方面支部駐在所。そこを視野に入れられる、少し離れた岩場の影で、トラッシュ、ヒビナ、シャマルの3人は、声をひそめて話をしていた。
 矢文の待ち合わせ場所に直接おもむく前に、様子を見ようと言うのだ。
「でも、もう約束の時間だというのに、ワグダは姿見せないじゃない?」
「恥ずかしがってんのかもよ」
「あのワグダが恥ずかしがるタマか! 笑い話なら笑えるのにしてよ!」
「誰がタマだって?」

 ん?

 最後のハスキーな声の一言を、3人はそお〜っと振り返ってみた。
 そこにあったのは、胸の谷間。
「こ、この谷間は!?」
 3人の視線が、いっせいに上を向いた!
 そこには、ワグダ・パレスモが、ニッ、と笑っていた。
「で、出たああああっっ!!」
「タマだの出たのって、人をそんな、都会に出現したゴマヒゲアザラシみたいに・・・」とワグダ。
「いや、その例えはどうかと・・・」と言ったのはフォルケだ。
「ほうらフォルケ、あたしの言ったとおりだろ? トラッシュの居場所を匂いで察知したじゃないか?」
「パトロールから帰ってきたら、たまたまトラッシュがいただけじゃないですか!」
「まあ、そうとも言うな。いずれにしても、トラッシュを捕まえることには変わりないってことだ。うりゃっ!」
 ワグダは、トラッシュを後ろからスリーパーホールドの体勢で抱きしめた。
「むぎゅ・・・」
「ちょ、ちょっと! ちょっっとお!! なにしてんのよ、ワグダ!」
「なにって、トラッシュを捕まえてんの」
「捕まえてるっていうか抱きしめてんじゃないの! それは!」
「あ、トラッシュってなんか抱き心地いいな? こうしてるとなんか、落ち着くぞ?」
「だ、だ、だ、抱き心地って、アンタねえ!」
 ワグダとヒビナの掛け合いに、シャマルが口を挟んだ。
「ところでワグダ、トラッシュに一体なんの用だ?」
「用って、あたしの用はコイツを捕まえることだけだが?」
「なんか、事と次第によっちゃ、身柄を自由にするとかなんとか、の話はどうしたんだよ?」
「なんだそりゃ? そんな甘い話があるか! コイツは拘束して、いろいろしてから本部へ連れてくさ」
「い、い、いろいろってなによ!?」と、ヒビナ。
「取り調べ」
「あっ・・・」
「・・・どうも話が要領を得ないな。じゃあ、これはどういうことだよ?」
 シャマルは、矢文をワグダに差し出した。
 トラッシュを抱きしめたまま、指先で矢文を受けとって一瞥したワグダは・・・
「知らんぞ? こんな手紙。あたしはこんな回りくどいことはしない。お前らの居場所が分かってるなら、即、襲撃するさ」
「・・・言えてるな。アンタはそういうタイプだ。そもそも、交渉ごとが似合わない」
「ふむ・・・」
 ワグダは、その腕をほどいて、トラッシュを解放した。
「・・・たはっ! はあ、はあ、はあ・・・く、苦しかった・・・」
「行けよ」
「はあ!?」
 ワグダの一言に、一同はあっけにとられた。
 フォルケは、あせって・・・
「わ、ワグダ少尉? いいんですか、またそんなことして? せっかくのトラッシュ捕獲のチャンスなのに?」
「あたしはこんな手紙出してない」
「あ、また無視ですか・・・」
「ということは、誰かがあたしをカタって、お前をおびき出したと言うことだ。トラッシュ、お前を誘い出すのが目的か、あるいは、どこかから引き離すのが目的か・・・」
 それを聞いて、ヒビナは・・・
「そ、そうよ! 考えたら、トラッシュはともかく、ワグダがあたしまで呼び出すなんて、おかしいじゃない! 用があるのはトラッシュやあたしじゃなくて、それ以外の・・・」
 トラッシュの脳裏に、エトワの姿が浮かんだ!
「と、とりあえず戻ろう! じいさんの家へ!」
 トラッシュとヒビナは、乗ってきたトラックの運転席へ転がり込むと、モーターを始動した。
 それを黙って眺めていたシャマルは・・・
 一拍の間をおいて、走り出そうとするトラックを追って駆け出すと、荷台に飛び乗った。
 ワグダとフォルケは、そんな一同を見送る形になった。
「ワグダ少尉・・・これはいったい、どういうことなんでしょう?」
「ふむ・・・策をろうする、といったら、今、あたしの頭ン中には、ひとりしか浮かばないけどね・・・」

     ★     ★     ★

 ビィの家へ向けて、トラックを飛ばすトラッシュ。ヒビナは、不安そうな表情を隠せない。シャマルは荷台で、険しい顔をして、銀髪を風になびかせている。
「あ、あれ・・・!!」
「!!??」
 ヒビナの指さす先・・・ビィの家らしき場所から、黒い煙がもくもくと立ちのぼっている!
「ま、まさか・・・!!」
 トラックは、そのまさかの光景の真っ正面でブレーキノイズとともに停止した。
 ビィの家が・・・炎上している!
 真っ赤な炎は、あざ笑うかのようにトラッシュたちの行方に立ちふさがる。
「ビィさん・・・エトワ! ビィさぁん!! 返事して!!」
 ヒビナのその叫びは、もはや悲鳴だった。
「危ない! ヒビナ! キミはここにいろ!」
「イヤよ! だって、だってエトワが・・・ビィさんが!」
「ここにいろ!!」
 ヒビナは、ハッと息をのんだ。トラッシュのそんな真剣な顔を、はじめて見た。トラッシュの瞳が、痛かった。
 トラッシュが、トラックの座席下にくくりつけてあった消火器を手に、ビィの家へと駆けだしてゆく。
 だが。
「待て! トラッシュ!」
「止めるな! シャマル! オレは・・・」
「わかってる! オレに続け!」
 シャマルは、いつのまにかトラックのヘッドライトを点灯させていた。シャマルの右目が銀色に光り、ヘッドライトから「光のスティック」を引き抜く! シャマルのアート!
 シャマルは光のスティックを振り回すと、炎をかき散らし、燃え上がる建材をなぎ倒して、道を作った。トラッシュはその後に続く。
「エトワ! じいさ〜ん! 返事しろ! いるのか!?」
 ヒビナは、ただただ立ちつくして、その様を見守るしかない。アートを失った自分の無力さを呪うヒビナ。
「くっ・・・ひどいなコレは・・・」
 シャマルは鮮やかに光のスティックを振り回し、なんとかとおり道を作るが、炎を消し去ることまでは出来ない。トラッシュはいざというときのために、消火器を温存している。
「・・・!! おい、あれ・・・」
 まだ炎がまわっていないダイニングのあたりに、倒れている人影が見える。火はなくとも、煙が立ちこめている。
「・・・じいさん! しっかりしろ! じいさん!!」
 倒れている人影は、ビィだった。トラッシュはビィに駆け寄ると、ビィを背負って、出口を目指した。
 シャマルの光のスティックと、トラッシュが片手で消火器を操作して、どうにか脱出を試みるが・・・
「だ・・・だめだ! 間に合わない!」
 燃え上がるビィの家が、今にも崩れ落ちる!
「トラッシュ! シャマル! エトワァァァ!!」
 ヒビナの声がむなしくこだまする・・・

 そのときだった!

 ボシュワアアアアァァァッッッ!!!

 なにが起こったのか?
 あたりは真っ白い煙が立ちこめた!
「ヒビナ! みんなは大丈夫か!?」
「フォルケ・・・ ワグダも!?」
 フォルケとワグダが、それぞれ太いパイプを構えている。ヒビナにはそれは見覚えがある。スイーパーの装備の1つ、マルチディスチャージャー。今は消火剤を散布しているのだ。

 ドンッ! ドンッ!
「ちいッッ!!」

 ワグダは、消火剤を2、3発打ち込むと、パイプを捨てて家の中に飛び込んでいった!
「わ、ワグダ少尉!!」

 ドシャアアアアァァァッッッ!!!

 黒い煙と砂埃を巻き上げ、音を立てて、ビィの家は崩れさった!
「トラッシュ!! トラッシュゥ!!」
 叫び続けるヒビナ。フォルケもまた青い顔をしてその光景を見つめる。
 ふと、煙の向こうから・・・
 人影がいくつか、見えた!
 トラッシュがビィを背負い、シャマルとワグダに支えられて、歩いてくる!
「無事だ! みんな無事だよ! ヒビナ!」フォルケが破顔でヒビナの肩を揺さぶる。
「トラッシュ・・・ビィさん・・・」
 だが、喜びもつかの間・・・
「エトワは・・・? エトワはどこ? どこにいるの!?」

 完全に崩れ去ったビィの家。そこここで、まだ火がくすぶっている。あたりには消火剤と黒煙が舞い上がり、むせかえる。
 トラッシュは、ビィをトラックの日陰に寝かしつける。ビィの意識は、比較的しっかりしていた。ヒビナが、持っていた缶入りのお茶を少し、ビィに含ませる。
「・・・ごほっ、ごほ・・・」
「ビィさん! しっかりして、ビィさん!」
「・・・ヒビナくん、みんな・・・ わたしは、助かったのか・・・」
「少しヤケドを負っているな。あとは煙を吸ったか・・・しかし・・・」
「・・・しかし、なんだよ? ワグダお姉さん?」
 ワグダの所見に、トラッシュは口をはさんだ。
「・・・じいさん、アンタ、この外傷は、火事によるものじゃないね?」
「えっ!?」
 確かに、ビィはあちこちに怪我をしていた。青あざ、すり傷・・・おびただしい傷が、ビィの全身にあった。
「・・・スイーパーの男に、襲われた・・・エトワが、連れ去られた・・・」
「なんだって!!??」

     ★     ★     ★

 ワグダの計らいで、ビィは救急病院へ運ばれた。手当の甲斐あって、ビィは大事には至らなかった。
 意識もしっかりしていたので、医者はすぐにトラッシュたちの面会を許してくれた。
 ベッドのわきに、トラッシュ、ヒビナ、シャマル、フォルケ、ワグダ。
 包帯姿も痛々しいビィが、ゆっくりと語り始めた。
「トラッシュたちが出かけたあと、わたしは片づけものをしていた・・・すると、エトワの部屋から、悲鳴が聞こえた。すぐさま駆けつけると、目つきがギョロっと鋭い男が、エトワを連れ去ろうとしていた。ひきとめようとしたわたしは、そいつにさんざん痛めつけられ・・・ そいつは、何事かわめき散らして、エトワを連れ去り、火を放った・・・」
「ひどい・・・」
「ねっ、そのギョロ目の男って・・・」
 ヒビナの問いかけに、ワグダは答えた。
「ベニッジ・ニブライン」
 わざわざ聞かなくても、その場に居合わせた者の総意でもあった。フォルケのモバイル・データベースでベニッジの顔写真をビィに見せて、面は割れた。
「・・・やれやれ、あの男もこれでおしまいだな・・・」ワグダは腕組みをした。
「ワグダ少尉、このことをスイーパー本部に直ちに報告を!」
「待って!!!」
 ワグダとフォルケの会話を制したのは、ヒビナだった。
「待ってよ! エトワが連れてかれたのよ! そんなことしたら、エトワはどうなるの!?」
「え・・・」
「あいつがエトワを連れて行ったのには、なにか企みがあってのことよ! エトワを取り返すのが先よ! でないと、あいつはなにをするかわからない!」
「そんなこと言ったって・・・」
「ヒビナの言うとおりだ」
 トラッシュが静かに、そう言った。
「少なくとも、エトワの手がかりをつかむまでは、うかつなことはできない」
「ふむ・・・」と、ワグダは頭をかいた。
「まずはあのギョロ目の出方を見るしかないか・・・」
「わ、ワグダ少尉!?」
「フォルケの『わ、ワグダ少尉!?』は少々飽きたな。ちっとは腹を据えろ。責任ならあたしがとる」
「で、でも・・・」
「フォルケ、われわれスイーパーは、階層越えを取り締まるのが仕事だが、それはとりもなおさず、階層世界の秩序を守るという理念があってのことだ。市民の安全は、全てにおいて優先事項に他ならない。それに・・・」
 ワグダは、表情を引き締めた。
「たぶん、あたしも原因の一つだ。身内の恥は、あたしが粛正する」
 その言葉に、フォルケは息をのんだ。
「やれやれ、お前らに関わると、やっかいな事ばかりだな・・・」
 めんどくさそうに、そう言ってシャマルは、病室の窓を開けた。
 すると・・・

 ヒュッッ!!
 スコッッ!!
「!? いててッ!?」

 シャマルが、小さく叫んだ。
「ま、またコレかよ!?」
 シャマルの額に、またしても吸盤の矢文が貼り付いていた。
「どうやら、おいでなすったようだぜ・・・」
 ワグダはすばやく、窓の外に視線を送ったが、それらしき人影はなかった。
『おそらく、ベニッジめ、アートを使って矢を放ったな・・・』
 トラッシュたちは騒然となり、シャマルが開く矢文の文面を、緊張の面持ちでながめた。

『イリーガルへ
 エトワという子供は預かった。
 返して欲しければ、ワグダとともに、今日の15:00に、市場の南20キロメートルの位置にある、湖へ来い。
 他の者に知らせたら、エトワの身の安全は保証しない』

「差出人が書いてないぞ?」
「どこまでも卑劣なヤツだ。ばれてないつもりでいるのか?」
「フリーマといいあのお嬢ちゃんといい、弱い者をダシにしなければ、言いたいことも言えないのか!?」
「エトワ・・・」
 トラッシュは、祈る面持ちで、その矢文を握りしめた。

     ★     ★     ★

 スイーパー本部ビル145階、隊長室。
 キギ・ラエヴェ大佐は、秘書を呼びだした。
「お呼びでしょうか、隊長」
「急ですまんが、今日の15時から、キリィ・キンバレンと打ち合わせをしたいのだがな。ヤツのスケジュールを確認してくれんか?」
「キリィ大尉でしたら、さきほど連絡がございました。本日は出動のため、スケジュールを入れないようにと」
「ほう? では明日でも良いが、キリィのヤツ、午前中はそんなこと一言も言ってなかったな?」
「なんでも、ウェイストへ向かわれたそうで・・・内容は秘密にと」
「・・・そうか・・・わかった。明日のスケジュールを入れてくれ」
「承知しました、キギ隊長」
 キギは席を立つと、窓の外をながめながら、思った。
『ウェイスト・・・そうか、イリーガルの件だな。キリィ自身が現場へ向かうことなど珍しくはないが、ウェイストとはまた・・・ やつもそうとう、この件を重視していると言うことか』
 キギは葉巻に火を付けると、ゆっくりと煙と香りを口腔でもてあそんだ。

     ★     ★     ★

 まもなく15時になろうとしている。
 トラッシュ、ヒビナ、ワグダ、フォルケ、シャマルは、トラックとオフロードバギーに分乗して、指定された湖へやってきた。
「あれ、そうか、ここはさっきの・・・」
 フォルケには見覚えのある場所だった。今朝、ワグダとフォルケが打ち合わせをした湖であった。
「ふん・・・あいつらしいな、こんな場所を選ぶなんて・・・」
「こんなって、ここは普通の湖でしょう? なんの変哲もない、静かな湖・・・」
「フォルケ、お前、今朝は知らずに、ここを集合場所に指定したのか?」
「えっ? なにをです?」
「・・・そうか、知らないということは幸せなことだな。言っておくが、間違っても、この湖の水には触れるなよ。たとえ一滴でも」
 ワグダの言葉に、首をかしげるフォルケ。

「オレの名はトラッシュ! 約束を守って、やってきたぞ!」

 トラッシュが、その静かな湖に響き渡る声で、叫んだ。
「エトワを返してくれ! アンタの言うとおりにしただろ!」
 すると、湖畔の岩陰から・・・
 ブウウンとモーター音を立てて、クレーン車が姿を現した。
 クレーンの先には、なにやらぶら下がっている。黒い針金のようなもので作られた、網状の球体。まるで鳥かごのようだ。
「あっ!?」
 そう叫んで、ヒビナが鳥かごを指さした。
 かごの中には・・・
「エトワ!!」

「よく来たなあ! イリーガル! そしてワグダ!」
 クレーン車の運転席には、その場の誰もが想像した人物がいた。
「ベニッジ・ニブライン! 貴様・・・相も変わらず、汚いやり方しか思いつかないようだな!?」
「く、口の利き方に気を付けろ、ワグダ少尉! ここには、ガキの運命がぶら下がってるんだぜ!」
「トラッシュゥゥ!!」
 カゴの中のエトワが叫んだ。
 ベニッジは、じりじりと、クレーンでエトワが捕らわれているかごを、湖の水の上につり下げた。
「くそっ、そういうことか・・・」
「なにが、そう言うことなんだよ? ワグダお姉さん?」トラッシュが尋ねた。
「見てればわかる・・・」
 ワグダは、足下の小石をけって、湖に落とした。

 ジュワアァッッ!!

 真っ白い煙が立ちのぼって、湖面が泡だった。
「ゲッ!? なんだ、今のは?」
「この湖の水は、強い酸なんだよ!」
「ええええええぇぇぇ〜〜〜っっっ!?」
「この近くには火山帯があってな。火山活動自体は休止しているが、地層内の硫化水素ガスのせいで、このあたりの湧き水は強酸性を帯びることがわかってた。だが、ここに水が湧いたのは50年ぶりだから、酸の湖ができることは、あまり知られてないだろう」
 フォルケは、ゾ〜っと背筋が寒くなった。
「そ、そんな事も知らずにボクは、こんなところで打ち合わせを・・・」
「知ってるモノと思ってたんだがな。だいたい静かすぎるだろ、この湖。水があるのに、集落もなければ、水鳥も動物も寄りつかない、死の湖なんだよ」
「そ・・・そんなところに、エトワは吊されているのか!」
 トラッシュは、額に汗を浮かべ、歯がみした。
「たぶん、あたしのアートを警戒したんだな。ここではおいそれと水を蒸発させられない。有毒な硫酸ガスになってしまう。こっちまで危険だからな」
「アートと言えば、あの鳥かご・・・」とヒビナはつぶやく。
「あれはたぶんベニッジのアート、えんぴつ描きの絵だ。トラッシュ、あの女の子にはアートがあるのか?」
「えっ!?」
「ああいう形で拘束すると言うことは、あの子のアートを封印しているように思えたんだが・・・」
「トラッシュ、もしかして!!」
「あ・・・」
 トラッシュは、つい先日のことを思い出した。ベニッジがヒビナをだまし討ちにしたとき。
 エトワが水を呼べると言うことは、ビィから聞いていた。あのとき、地下水脈から水柱を上げたあの力・・・
 あれはエトワのアートだったのか? そう考えても不思議はない。そして、ベニッジもその力を目の当たりにしている。
「そういうことか・・・」

「イリーガル! ワグダ! 両手を上げて、こちらへ来てもらおうか! ワグダは一切の装備を外してこい! イリーガルは・・・あの妙ちきりんなボードを置いてからこい!」
「くっ・・・」
「行くしかないか、とりあえずはな・・・」
「ワグダお姉さん!?」
 トラッシュとワグダは、ベニッジに言われるがまま、両手を上げて、クレーン車へ向かう。

     ★     ★     ★

「ヒビナ、気を付けろ。リドー初等士の姿が見えない」
 フォルケがそう言った。
「あ・・・確かに! あの筋肉男、またどこかに隠れて、後ろからスキをうかがおうと・・・」
「その筋肉男というのは、こいつか?」
 後ろからシャマルの声がした。ヒビナとフォルケは振り返って、その光景に面食らった!
 シャマルが、リドーの後ろ手をとって捕まえていたからだ。
「あいてて、いててて! おい、離せ! 離してくれよ!」
「そうはいくか。お前さん、ベニッジとやらの仲間だろ? なんでオレたちの後ろをこそこそしていた?」
「や、やっぱりアンタ!?」とヒビナは叫ぶ。
「ち、違うんだ! 話を聞いてくれ! お、オレはもうあのベニッジ上等士のやり方に嫌気がさして、あいつの目を盗んで逃げてきたんだよ! 今回のことは全て、ベニッジがひとりでやったんだ!」
「うそおっしゃい! アンタとベニッジがつるんでるのは明白よ!」
「信じてくれよ! 確かにあの女の子の家を突き止めたのはオレだ。だが、ベニッジが家に火を放つと言い出したときに、オレは恐くなって逃げたんだ! いくらなんでも、子供とじいさん相手にそんなことするなんて・・・」
「ヒビナ、そういえば、ビィさんは確か、襲ったのはギョロ目の男とは言ったけど、2人組とは言ってなかったぞ?」とフォルケ。
 リドーはそれを受けて・・・
「そうだよ! それに、ベニッジはもう終わりだ。スイーパーとしても先がないし、あまりにもやることが姑息なんで、オレももうあいつと組むのはウンザリだったんだ。そこへ来て、今回のことがあったから・・・」
「じゃあなんで、こんなところでコソコソしてたのよ!」
「今さらアンタらに合わす顔はないが、せめてベニッジがなにをやるつもりかを、アンタらに教えようと思って・・・」
「ふっ、聞くまでもない。アイツは、トラッシュとワグダを、この強酸の湖に落とす気なんだろ?」
「し、シャマル!?」ヒビナが悲鳴に近い声を発した。そこにかぶさるように、リドーは、
「それだけじゃない!」
「は?」
「アレを見てみろ」
 リドーが指さす先に、高さ1メートルほどの、干し草を積み上げた小山があった。
「アレで隠しているつもりらしいが、あの下には気象制御装置が埋めてある。この湖の周りを取り囲むように、全部で6機だ。ウェイストでは不安定な自然環境に及ぼす影響がでかいからって、使用を禁止されている機械だ!」
「そんなもの、どうやって・・・」
「スイーパーが押収したものを、くすねて持ち出したんだ」
「・・・!!まさか、ベニッジがやろうとしていることって・・・?」フォルケが青ざめる。
「そうだ・・・」
 リドーは息を飲んで続けた。
「あいつ、この湖の水を吸い上げて、この辺り一帯に強酸の雨を降らせるつもりなんだ!」
「なっっ・・・なんですってええええぇぇ!!??」

「ヒャッハッハハハハハ! いいざまだな! お、お前らがオレをバカにするから、こんな事になったんだ! 思い知れ!」
 ベニッジは、狂ったようにわめき散らす。
「・・・どうしようもないな、あいつは・・・なにを言っても無駄だとは思うが・・・」
 ワグダは、視界の端に干し草の山をとらえて、冷ややかにそう言い放った。もうとっくに気づいているのだ。
 その表情が、ベニッジには気にくわなかったらしい。
「わ、笑ったな!? 今、オレを笑っただろう? ワグダ! 貴様!」
 ワグダはもはや、ため息をつくしかない。
 トラッシュはじれて、叫んだ。
「オッサン! アンタの目的はなんだ! もうエトワは解放してくれ! アンタの言うとおりにするから!」
「オレの言うとおりだと・・・ククク・・・よく言ったぞ、イリーガル! じゃあ、まずはお前だ! そこの岩に登ってもらおうか!」
 湖のほとり、ちょうどクレーン車から50メートルほど離れた場所に、高さ2メートルほどの岩場があった。それはまるで飛び込み台のように、オーバーハングになって湖に突き出している。強酸性の湖の水が、岩の根本を溶かして、オーバーハングになっているのだ。

「と、トラッシュ!」
 悲鳴に似た、ヒビナの声。
 フォルケはつぶやく。
「強酸性の湖、そこに落ちたら・・・肉は焼け、骨まで溶かされてしまう! いくら現代の医学が発達しているからって、そうなったら、元の体に戻ることなんてことが、できるのか?」
「同じ事が、この付近一帯の集落にも起きる・・・」
「シャマル・・・」
「気象制御装置6機・・・たぶん半径20キロ、ヘタすりゃ30キロを超えて強酸の雨が降る。いや、あの装置が、この階層の環境に及ぼす影響を考えたら・・・あのオヤジ、トラッシュやオレたちの命だけでは足りないらしい・・・」

 トラッシュは言われるがままに、「飛び込み台」の岩に登る。
「ヒャッハハハ! それっ!」
 ベニッジは手にしたスケッチブックを掲げた。すると、そのページから、「鳥の絵」が飛び出した!
「うわあっ!?」
 鳥の絵は、バサバサと飛んでいくと、岩の上にたどり着いたトラッシュの両肩をつかみ、湖の上空へ舞い上がった!
「ああっっ!!」ヒビナが叫ぶ!
 エトワは、かごの中からトラッシュを見つめる。思わず、その名を呼ぶ!
「トラッシュ! トラッシュ! トラッシュゥゥ!!」

「これでお別れだな、イリーガル! 骨まで溶けてしまえ!!」
「トラッシュ!!!」ワグダが叫んだ!
 ヒビナは、声すらも上げられなかった!
 シャマルは、なすすべもなく奥歯を噛みしめる!
「鳥の絵」は上空でトラッシュを放した!
「わああああぁぁっっっ!!!」
 トラッシュは、真っ逆さまに湖へ転落する!!

「うわあああぁぁぁっっっ!!!」
 かごの中のエトワは、叫ぶと・・・
 鳥かごの網を内側からつかみ、精一杯の力を込めて、スキマを広げた!
 ほんのわずかに広がったスキマから、エトワの右手、小さな手が、かごの外に飛び出す!

「トラッシュウウウウゥゥゥッッッ!!!」
 かごに張られた結界が、電流となってエトワの小さな体を痛めつける!
「ウウウッッ!!」
 だが、それに負けじと・・・
 エトワは集中して、かごの外の右手に気をこめた。
 すると、右手の中に・・・
 青い光とともに、小さな青い粒が、その姿を現した。
 やがてそれは、一条の光となって、トラッシュのもとに飛んだ!!
「セイレイよ! トラッシュに力を! エトワの力を!」
 エトワは、そう叫んで、がっくりと崩れた。

     ★     ★     ★

 転落するトラッシュ。湖面はもうすぐそこに迫っていた。
 ヒビナは目を覆った!
『もうだめか・・・』
 トラッシュがそう思った、その瞬間・・・
 青い光が、トラッシュの口の中に飛び込んだ!
「あうむっ!? な、なんだコレ!?」

「ヒャッハッハッハハハハハハハハハ!! これでイリーガルは終わりだ! ヤツはこの世から消える!!」
 ベニッジの狂気の笑いがこだまし、トラッシュが、湖面に着水した!

 ・・・と思ったが・・・

 そこからは、ドボンという着水の音が聞こえなかった。
 その光景に、ベニッジはギョロ目がこぼれ落ちんばかりに目をむいた。
 ヒビナも、ワグダも、シャマルも、信じられないものを目にして、凍り付いたように立ちつくした。

 トラッシュが、湖面に立っている!
 そこが湖であるとは思えないくらい、まるで氷の上に立っているように、トラッシュは水面に立っているのだ!
「な、なんだ、これはいったい・・・」
 トラッシュ自身が、信じられないという表情だ。
 それを見ていたシャマルは・・・
「な、なんだ、トラッシュのヤツ、アートが使えるのか!?」

 すると、トラッシュの耳元に、声が聞こえた。
『トラッシュ、トラッシュ・・・』
「この声は! ・・・エトワか!」
 トラッシュは、湖面に立ったまま、鳥かごのエトワに目をやる。
 だが、かごの中のエトワは、がっくりと力無く座り込んでいる。
「エトワ!? エトワァーッッ!!」
『トラッシュ、エトワは大丈夫だよ』
「エトワ、今、聞こえてるのは、エトワの声なのか?」
『トラッシュ、今、トラッシュのお口には、キャンディが入ってるでしょ?』
「キャ、キャンディ!?」
 トラッシュは、口に中を探る。確かに、甘いキャンディが1粒、口の中にある。
『それは、エトワの力だよ』
「なんだって? エトワの?」
『エトワはね、エトワのアート、それとか、他の人のアートを、キャンディに固めて、誰かに食べさせることができるんだ。そうすると、食べた人は、お口の中でキャンディが溶けてなくなるまでは、そのアートを使えるの。トラッシュは今、エトワのアート、水のアートが使えるんだよ』
「水のアート!?」
『そう、水を呼べる力、水を操る力・・・だから、トラッシュは水の上に立てるし、水の上でも歩けるんだ。自分で自分の力に、耳を傾けて。今のトラッシュの力を、トラッシュは知ることができるから・・・』
「自分の力に、耳を・・・」
 トラッシュは、意識を集中した。
『わかる・・・今のオレの力、オレになにができるかが、わかる・・・オレは知っている!』
 トラッシュは、目を開いて、エトワを見た。
 エトワはまだ、力無く倒れ込んでいる。
 トラッシュのほほを、涙が伝った。
『エトワ、エトワ自身は、キャンディを与えている間、アートを使えないんだな・・・オレは今、エトワの力を、借りているんだな・・・』
 トラッシュは、キッと表情を結ぶと・・・
 ベニッジを指さして、叫んだ!

「オッサン! アンタは・・・アンタは、かわいそうな人だ! 憎しみだけで、人を押しつぶせると思ってる! 憎しみだけで、人を思いどおりにできると思ってる! オレが、その間違いを教えてやる! 憎しみでは、なんの力にもならないことを、教えてやる!」
 ベニッジは、背中が凍り付く感覚を憶えた!
「ひっ、ひっ、ひいいいぃぃぃっっ!!」
 トラッシュは、クレーン車に向かって駆けだしていった!
 水の上を駆けるトラッシュ。それはエトワの力!

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉっっっ!!!」
 トラッシュが吠えた!

     ★     ★     ★

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>>>第1章第6話へつづく。
次回「トラッシュ!それがオレの名だ!」

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