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第2章第3話「伝説のグラフィティ」

 ブロンズ階層での生活を始めたトラッシュたちだが、スイーパーも彼を放ってはおかなかった。自称グルメスイーパー、ハボシェ・コルイルグのアートに苦戦するトラッシュだったが、ヒビナやシャマルとともに、なんとか退ける。
 だが、目的地「王の座」はまだまだはるか遠く、その一方で、いくつもの「運命の出会い」がブロンズに集結を始めていた。
 トラッシュたちを待ち受けていたかのように。

     ★     ★     ★

 ブロロロロロロ・・・

 低いモーター音を響かせながら、薄暗くジメジメとした湿地帯を低速で走る、真四角な車両。
 まるで装甲車のようなゴツイ車体は、見るからに湿地帯に沈んでしまいそうにも見えた。だが、丸みのある6個の大型タイヤは、ぬかるむ地面にハマることもなく、悠然と走行してゆく。
 屋根には大小のパラボラアンテナをしつらえ、通信設備を持っていることが分かる。
 ふいに、その車は静かに停止した。
 屋根にしつらえられたキューポラ・ハッチが開く。その中から人影が現れた。
 その人物は、モノキュラー(単眼鏡)を右目に当て、四角い車両の進行方向にある、岩盤を眺めた。
 その岩盤は湿地に半分沈んでいる・・・いや、湿地から半分だけ浮かび上がっているのか?
 四角い車両の右側面、運転席よりも後方のそこから、ウィィーーンとモーター音を上げ、細長いアームが伸びた。関節を持ち、自在でなめらかな動きのそれは、先端がマニピュレーターになっている、ロボットアームのようだ。
 マニピュレーターは、同じく車体右側面の大きなハッチを開くと、中からガン状の機械を取りだした。マニピュレーターは、ガンを岩盤に向けると、引き金を引いた。
 バシュッ!という乾いた音と共に、圧搾空気が銃口から発射された。それは岩盤に命中するや、表面の泥汚れを吹き飛ばしてゆく。単なる圧搾空気ではなく、いくつもの細かなスピンがかかったガスは、見る見るうちに岩盤の表面を洗浄していった。
 ガンの震動は四角い車体をゆさぶり、ハッチの人物も小刻みにゆらぐ。それでも意に介さず、人物はモノキュラーで岩盤を見つめている。
 次第に現れる岩盤の表面には、一面に、絵が描かれていた。
 不思議な色彩と図柄の抽象画。それは何かの遺跡なのか。
 ハッチの人物は、モノキュラーを外すや、声を発した。
「ドメニコット、記録を」
 それは、少女の声だった。凜として落ち着いた、硬質だが透明な、なのに未成熟な青さをたたえた、少女の声。
 四角い車両の前照灯が点灯し、岩盤の抽象画を照らした。

     ★     ★     ★

 ハボシェ・コルイルグの攻撃を受けたトラッシュたちは、オートキャンプ場を後にした。こうして、ワグダたちに居場所を知られるたびに、移動を繰り返すことになる。だが、階層侵害者を追跡することが本職のスイーパーの技術をもってすれば、どこへ逃げても追跡されてしまうのは明白だ。
 いちおう、トラッシュはキャンピングカーを作った際に、簡易的なステルス機能はつけておいた。電波を反射する特殊ペイントや、光学迷彩、また塗装膜に微細な特殊圧電素子を混ぜ込み、これを無線で振動させることで、音波追跡を攪乱する仕組みなどなど。だが、それらはスイーパーの最新設備の前では、気休め、もしくは時間稼ぎにしかならないだろう。
 たとえば「スカイアイ」。階層の「天井」の地盤に打ち込まれたカメラのことである。監視衛星の役割を、宇宙空間に連なる空のないこの惑星では、スカイアイがつとめる。各種のセンサーが、文字どおり「空の目」となって、地上を監視している。もちろんそれがトラッシュのような人間一人を特定できるほどではないにせよ、センサーが捕らえた情報を解析するのに、さほどの時間はかからない。
 トラッシュたちには、不利な逃走劇だった。

 ウェイストと違い、水は豊かなブロンズの地。トラッシュが次に選んだキャンプは、大きな湖のそばだった。かつて何らかの施設があったのだろう、朽ちた建物跡に、キャンピングカーを乗り入れた。隠れみのになりそうだったからだ。
 トラッシュはつぶやく。
「なんだろう、ここ・・・まさか、戦争でもあった訳じゃないだろうに」
「ブロンズで戦争なんて、クーデターすら聞いたことないわよ。シルバーじゃあるまいし」ヒビナが応える。
「えっ?シルバーではあんの?」
「けっこうキナ臭いわよ、シルバーは」
「へええ・・・」
 建物は、放置されて朽ち果てたと言うより、破壊されたようにも見えたのだ。太い柱だけが残り、屋根はほぼ骨組みだけで、ほとんどが吹き飛んだかのように無くなっており、壁も部分的に残っているだけ。キャンピングカーを乗り入れた場所は、建物の内部にあたり、見た感じでは、大きなホテルのロビーのような、広間の跡にも思えた。
 だがそこは、ガレキが床一面に散らばっていた。床が板張りなのかじゅうたん敷なのかもわからないほど。四駆のキャンピングカーの車体がガタガタと揺れる。
「こりゃひどいな、足の踏み場もない・・・シャマル、そっち側も?」
 トラッシュは、運転席のとなり席のシャマルに語りかける。だが、返事はない。シャマルは頬杖をついて、車外をながめていた。
「・・・シャマル?」
「あ?ああ、それでいいんじゃないか」
 噛み合わない会話に、トラッシュは???となる。

 キャンピングカーは、広間よりも奥にあった、広い中庭に駐めた。おそらく、もともとは吹き抜けになっていたのであろう。
 ヒビナが、相変わらず不満げに言葉を吐く。
「まったく、いつまでこんなコソコソした生活しなきゃなんないの? さっさとシルバーには行けないモンなの?」
「ことはそう簡単じゃない・・・と思うけど」と、それではヒビナの機嫌をますます損ねるのも知りつつ、トラッシュは言った。
 そもそも、かつてキリィが言った言葉からも、それはうかがえた。
『キミが旅を続け、成長を遂げるたびに、次の階層への扉を開ける力を身につける』
 ブロンズはブロンズで、何かをつかまなければ、シルバーには行けない・・・
 それまでは、スイーパーの追跡をかわしながら、目を皿のようにしてヒントをつかまなければならない。
 キリィ・キンバレン・・・正直、めんどくさいぞ・・・
「なあヒビナ・・・」
「なに?」
「キリィ・キンバレンって、どんなヤツなんだ?」
 ヒビナが、ドキッとしたのが、目に見えてわかった。
「キッキキッキッキキ、キリィさまが何ですって?」
「・・・訊いたオレが悪かった。忘れて・・・」
「キ、キリィさまはねえ、背がスラーーーっと高くて俳優みたいにハンサムで、一挙手一投足すべてがかっこよくて、声もステキで、実力もスイーパーのナンバーワンで、なのにそんなこと鼻にかけないで、人望も厚くて胸板も厚くて、たぶんだけど芸術の才能もあって歌もうまくてピアノが弾けて作詞作曲も出来てオーケストラのスコアも書けて、バスケットボールとサッカーとテニスとゴルフは世界選手権クラスの実力で、休みの日にはワイン片手に油絵描いたりとかしてて、ランの花を栽培したりアロワナを育てたりしてて、最近の興味はもっぱらカジキの一本釣りでそのために船舶免許を取ろうとしてて、いやキリィさまのことだからきっともう取ってるわね、そんでそんで・・・」
「・・・訊かなきゃ良かったと心底思ってる」
 トラッシュは頭を抱えた。
 途中からは想像というか妄想になっとるじゃないか!
「とにかくあのお方は完璧なのよ! 完璧を絵に描いたらキリィさまに、いや、キリィさまを表す言葉として完璧という言葉がこの世に生まれたに違いないのよ!『完』が『キリィ』で『璧』が『キンバレン』なのよ!」
「どうすりゃそんなデタラメな賞賛の言葉が・・・」
「ただねえ・・・ただひとつ重大な欠落があの方にはあって・・・」
「なんだそりゃ」
「このあたし、ヒビナ・アルアレートが隣にいないこと! キリィさまとヒビナが横に並んで、はじめて絵柄が完成するのに!」
「お内裏さまとヒビナさま?」
「どこの国のどんな言葉なのよ! それは!」
 まあとにかく、ヒビナがキリィにぞっこんなのはわかった。知ってたけど。
 それに、キリィの思惑なんぞ、今ここで想像したって仕方がない。

 キャンプを設営しようと準備していたトラッシュに、エトワが言った。
「ねえトラッシュ、シャマル知らない?」
「そこいらへんにいないか? 手伝わないのはいつものことだろ。ヒビナ同様」
「いないよお?」
「ま、あいつのことだ、どこかで本でも読んでるんだよ。ふらーっと」
「おサイフ持ったまま?」
「さ、サイフを!?」
「シャマルがエトワと『おサイフ鬼ごっこ』しようって。おサイフ持ってるヒトが鬼で、ポケットにおサイフ入れられたら、今度はその人が鬼になるって。シャマルが最初に鬼になったからおサイフ預けたら、いつまでも追いかけて来ないから」
「ということは、シャマルはサイフを持ったまま、姿が見えなくなったと・・・」
「うん」
「・・・・・・・・・・・・・」
 サーッと、顔から血の気が引くトラッシュであった。

     ★     ★     ★

 四角い車両が岩盤の調査をしていた湿地帯。
 トラッシュたちがキャンプを設営した湖畔。
 その両方を見下ろせる、小高い丘があった。丘の上に枝振りも見事な、樹齢数百年かと見える巨木が立っている。
 そのひとつの枝の上に、一人の人物がいた。さほど大柄ではない。麻とおぼしきボロボロのマントを羽織っている。マントは首周りにまで巻き付き、顔を隠している。頭には綿素材のターバンを巻き、表情がうかがえない。
 くんくんくん。鼻をならす。
「ヨソ者の匂いがするな・・・」
 声の持つ張りは、少年のそれだ。
 マントとターバンの隙間から、ちらりと目が見えた。
 ぎらりと光るその瞳は、鮮やかな赤だった。

     ★     ★     ★

 スイーパー・ブロンズ第4方面支部。
 いすに座っているスイーパー準士官、ヨザム・ヤキリギ。その周りを囲んでいるのは、スイーパー士官のワグダ少尉とカーリカ少尉、そして見習いのフォルケだ。
 ワグダは腕組みしていらついた表情、カーリカは憮然とした表情で、ヨザムをにらんでいる。
 沈黙を破って、ワグダが口を開いた。
「・・・じゃあ、作戦指揮官であるあたしらにも、あんたは従う気がないというんだな?」
「そのとおりでござる。拙者、何者にもかしづかぬ一匹狼、サムライのなかのサムライでござる」と、ヨザム。
「それはおかしいですわ! じゃあ、ここへ来たのは誰の意志ですの? キリィ大尉の命令に従ったんじゃありませんこと?」カーリカはキレ気味にわめいた。
「キリィ大尉はひとことも命令など下してはござらん。イリーガルなる得体の知れぬ輩がおる故に、スイーパー組織内に混乱をきたしておると。拙者をサムライと見込んで、ブロンズへ行ってもらえぬかと」
「それはあなたの解釈でしょうに! キリィ大尉が『お願い』するなど、ありえませんわ!」
「いずれにせよ、拙者、誰の指示も受けるつもりはない。来るべきときが来れば、打つべき手を打つのみ」
「・・・だあああっ、だめだ、こいつには何を言っても・・・」嘆くワグダ。
 すると、フォルケは、
「あのう・・・いいですか?」
 ワグダとカーリカを呼び寄せ、ヨザムに聞こえぬよう、美人上司二人に耳打ちする。
「なんだ、コソコソと?」
「見習い小僧が、士官に意見するつもりですの?」
「そんなつもりは(あるけど)・・・思ったんですが、キリィ大尉は、ようするにヨザム準士官を、言葉は悪いですけど、うまく手玉に取ってる、そう思えませんか?」
「手玉に?」と、ワグダ。
「そうです。ヨザム準士官は、上からの命令口調では動かない。だから自ら動くように仕向けたんです。キリィ大尉の立場からなら、想像ですけど、ヨザム準士官の男気に訴えかけたんじゃないかと思うんです」
「男気、ねえ・・・」怪訝なカーリカ。
「スイーパーの混乱を救うために、頼めるのは真のサムライだけだ、とかなんとか」
「なるほどねえ、部下の性格を知って、ノセるのも上司の器量というわけか」ワグダはうなずく。
「ならば、ここはリーダーの出番ですわね。ヨザム準士官をイリーガル捕獲に仕向けるよう、頭の使いどころですわ」
「えーっ、あたしはリーダーだからって、そんなめんどくさいの、好きくないなあ・・・」
「リーダーのわたくしには作戦があります! わたくしに任せてもらえませんこと?」
「まあ、そもそもカーリカは作戦参謀だしな。よし、リーダーからカーリカに命令する! 好きにやれい!」
 ツッコミどころが多すぎて、ため息すら出ないフォルケである。

     ★     ★     ★

 ゴールド階層・スイーパー本部144階。上の145、146階も含めた3フロアが会議フロアであり、いくつもの会議室が並んでいる。だが144階のラウンジは3フロアをぶち抜いた吹き抜け構造になっており、会議中の休憩用のスペースとして使われている。ソフトドリンクや軽食のベンダーが並んでおり、150階の展望ラウンジと異なり喫煙こそはできないが、ちょっとした打ち合わせ程度にも使うことが出来る。
 キリィ・キンバレンは、秘書メイペ・シノリを伴い、144階ラウンジに現れた。通常の会議ならば秘書が同行することはないが、これから行われるのは指揮官オフィスのセキュリティ報告会なので、秘書ともども参加するのである。
 キリィとメイペが、エレベータ出入り口のあるラウンジをとおり、会議室エリアへ向かおうとした、まさにそのとき、
「よう、エース殿。新しい秘書の働きはどうかな?」
 背後から、野太い声がキリィにかけられた。キリィには誰であるかすぐにわかる。
「キギ・ラエヴェ隊長、お疲れ様です」
「あっ・・・そ、その、お疲れさ・・・さまです」メイペは動揺を隠せない。
 ソファにどっかと腰を下ろしたキギ・ラエヴェの姿がそこにあった。
 メイペは、滅多にお目にかかることのない、スイーパー正規隊隊長にして階層監査省フォーミュラの高級官僚の一人である、キギ・ラエヴェ大佐を前にして、ピークレベルの緊張をあらわにした。
 無理もない。筋肉のかたまりのような威圧感たっぷりのキギと、華奢な美少女メイペとでは、まるでヒグマに出会った野ウサギのようなものだ。
「ブワッハッハッハ、そう堅くなるな、メイペといったか? どこにでもいる暑苦しいオヤジだと思え」
「めっめっめっそうもございません、キギ隊長・・・」縮こまるメイペ。
「隊長、メイペは予備隊員です。あまりいじめないでください」
 キリィが困ったような薄笑みでそう言うと、
「ほほっ!? 珍しいな? 吾輩が貴様にたしなめられるとは・・・さぞや、お気に入りと見える。そのメイペ・シノリが」
「お戯れを・・・」と答えるキリィ。
 キギは手にした紙コップのコーヒー、残りわずかなそれを一気にあおると、トンッ!っとコップをテーブルに置いた。
「メイペ・シノリ、キリィを1分だけ貸せ。ヤツと話がある」
「えっ・・・は、はい、承りました・・・」そう言うしかないメイペだ。
「ふふん・・・」不敵な笑みを浮かべるキギ。ソファから立ち上がり、キリィの肩に手を回すと、メイペに背を向けて、低い声でキリィに語りかける。
「良からぬ企みを抱いてはいまいな?」
「何のことでしょう、大佐」動ぜず、冷静に応えるキリィ。
「ふん、スイーパー士官なら、とぼけるなと言っても無駄なことだな。・・・ザイラ・ファギレル、貴様に余計な話を持ちかけてはこなかったか?」
「そこまでおっしゃるなら、もうすでに確信をお持ちなのでしょう? なら、わたくしもありきたりな答えしかできません。ご想像にお任せします、と」
 キギは、ニヤニヤしながら、右手の拳を、軽くドスッとキリィの脇腹に当てた。
「貴様は『キギ・ラエヴェ派』だと自惚れて良いな?」
「それはわたくしが日頃の行動でお応えしているとおりです、大佐」
「綱紀粛正などと寝言を・・・ザイラも立場上、そうとでも言わぬと議会での影響力を落としてしまうからな。だが、吾輩は同情はせん。スイーパー正規隊の長い歴史が選択した結論だ。今さら動かせるものでもない」
「・・・わたくしにスイーパー正規隊の何たるかをたたき込んだのは、大佐です。これで、答えになりましょうか?」
「・・・『裁くべきは、裏切り者のみ』」
「『従うべきは、おのが魂のみ』・・・」
 キギは、ニヤニヤ顔のまま、キリィを解放した。
「そうそう、綱紀粛正など掲げた日には、最もやり玉に挙げられそうな愚か者、帰ってくるらしいぞ? デタン・デズがな」
「・・・・・・・・・」キリィの表情が曇った。
「正直言うとな、さすがの吾輩でも、あいつは好かん・・・だが、吾輩の好き嫌いなど関係なく、力でのし上がってくるヤツは、最もスイーパーらしいとも言える。エースの座を、ヤツに奪われるなよ?」
「心得ました」
 キギは、メイペに振り向くと、恐らく部下の前では一度も見せたことの無いような、孫娘を見るような優しいまなざしで、言った。
「ジャマしたな、メイペ・シノリ。そろそろ吾輩もお前さんのような可愛い秘書がいいんだがな。30年来の腐れ縁の、オッサン秘書には飽きた」
「あっ・・・えっ・・・その・・・」答えようがないメイペ。
「ブワッハッハッハ・・・」
 ラウンジを去っていくキギ。その後ろ姿を見送るキリィは、やがてメイペを振り返ると、
「あのお方の前で緊張しないのは、愚か者だけだ。良い経験をしたな、メイペ」
「はっ、はいぃ」緊張が解けて、ふにゃふにゃのメイペだった。
 一方で、キリィは、心の中で思った。
『裏切り者とは、誰のことなのか。おのが魂とは、どこにあるものなのか。いずれ明らかにしてみせましょう。キギ・ラエヴェ』
 瞳の奥に、研ぎ澄まされた刃の光が宿った。

     ★     ★     ★

「しけてやんな・・・」
 財布の中身を確認しつつ、舌打ちするシャマル。まあそれでも、本の数冊は買えるだろう。
 シャマルには思うところがあった。
 階層社会の欺瞞を暴くために始めた旅。そのためにはトラッシュに乗っかってゴールド階層に向かう必要がある。階層という概念を覆す、トラッシュという存在が不可欠だった。
 だが、この調子では、ゴールド階層へたどりつくまで、どれだけの時間がかかることだろう。それまでに、どれだけスイーパーの追撃を逃れなければならないのだろう。
 気が遠くなる話ではある。
 ならば、それまでの旅を無駄に過ごして良いものなのか。
 じつはシャマルは、冒険家を志したことがあった。普段読んでいる本は、読書家ゆえに乱読、つまりジャンルを限定せずに何でも読んでいた。だが、本人の好みはと言うと・・・
「世界の謎を解き明かす」、そんなタイトルが主だった。
 今でも、名だたる冒険家や学者の著書を読みあさる。ダリグノ・K・シェンリング、コジェ・オリク、ダンファース・パンドエナフ三世、マスター・ドクターことブリアンシュ・ケッフィルエル・・・
 冒険家になるために、幼い頃から勉強した。その成果もあって、将来を嘱望された、秀才でもあった。
 だが、ある時、彼はシルバーとゴールド、二つの階層をもつ「クロス・クラス」であることが発覚した。
 そのために、彼は周囲の奇異の目にさらされ、羨望と揶揄にさいなまれ、どちらの階層にも居づらくなった。その事が原因で、カング家は精神的に追い詰められ、バラバラになった。
 階層という概念が生んだ悲劇・・・少なくとも、シャマルはそう思いこみ、自分の身の上を呪った。
 ただひとり、ウェイストに逃れ、世捨て人になることを誓った。

 だが、若い彼には、心の中にまだくすぶる「何か」があった。
 世界の謎を探る・・・その夢を捨て切れていない。
 だから、トラッシュと共に旅に出ることを決めたとき、正直を言えば、心躍るものがあった。
 再び、「知」への欲求がわき上がるのを感じた。
 それだけではない。
 トラッシュ、エトワ、キリィ・キンバレン、そして・・・「セイレイ」。
 自分の周りの謎たちにも、向かい合いたい。そして解き明かしたい。
「階層社会への復讐」など、ちっぽけに思えた。

 キャンプを張った湖の周辺は、林と草原ばかりで、一部にぽつりぽつりと果樹園らしき農園がある他には、人が住んでいる気配がなかった。だが、シャマルは林の向こう側に見える背の高い三角屋根の建物が、学校ではないかとふんでいた。学校のあるところには、たいてい書店がある。トラッシュからせしめた(だまし取った?)金で、「知」への渇望を満たす新しい本を買おうと、林を抜けて歩いていた。
 だが、当てが外れた。
 目の前には、大きな川が流れていた。高いというか深い土手を下った下に、幅30メートルほどの川が悠然と流れており、三角屋根はその向こう岸にあった。それが学校らしいことは間違いなかったのだが、あたりに橋もなければ、渡し船もなく、渡ることは出来なかった。
 二度目の舌打ちをして、シャマルは引き返そうとした。
 すると、背を向けた川の向こう岸からの、ブロロロロ・・・と、低くうなるモーター音が耳に入ったシャマルは、何の気無しに、再び振り返ってみた。
 向こう岸の河川敷を四角い車両が走行している。装甲車のようにゴツイその車両は、丸っこい6つのタイヤで土煙を上げながら、川に向かってまっすぐ突っ込んでくる。
 何する気なんだ?
 そのままでは川に飛び込んでしまう。そんなまさか?と思うシャマルの目前で、そのまさかが、水しぶきを上げて展開された。
 水陸両用車。
 話には聞くが、書籍でしか見たことのないそいつが、こちら岸に向かってミズスマシのように悠々と水面を渡る。
 やがて四角いミズスマシは、こちら岸に上陸すると、土手を駆け上り、シャマルの左手50メートルほどで、林に潜り込んだ。
 なにやら面白そうだ・・・
 そう感じたシャマルは、車両の跡をついて行った。それほど速度を上げていない車両を見失うことはない。
 かつての「世捨て人気取り」はどこへやら、シャマルは今や、自らの好奇心に忠実になっていた。
 これもまた、「トラッシュ効果」なのか・・・
 周囲が次第に薄暗くなってくる。林から徐々に、森と呼ぶべきほどに、木々の深さと枝葉の濃さが増してくる。それでも四角くゴツイ車両がとおり抜けるほどの間隙はあったが、パキパキと落ちた枯れ枝や葉を踏みしめる足場は、普通ならクルマが通るような場所ではない。
 環境保護の観点からは、どうなんだろう?とシャマルは疑問に思わないでもないが、少なくとも四角い車両のドライバーは、それを目的とはしていないことは明白だ。
 だとしたら、うさん臭い輩ではあるな・・・
 シャマルは興味本位ながらも、木々に身を隠しながら、用心深く追跡を続けた。
 やがて、四角い車両は、ゆるやかに停止した。
 その進路の前には、そこだけ森がとぎれたような、直径にして30メートルほどの、円形の「空間」があった。
 薄暗い森の中でそこだけ葉陰がないため、光がさんさんと降り注いでいる。森の暗さに目が慣れていたので、まばゆい円形空間が浮かび上がっているかのようだ。
 よく見ると、その円形はそのまま、何かの建物の跡のような、基礎だけが残った領域だった。まるで、森に囲まれた塔が、巨人の手でもぎ取られた跡にも見える。
 四角い車両は、円内には入らず、その手前に停車していた。
 木の陰から、その様子をうかがうシャマル。すると、車両の屋根のキューポラ・ハッチがおもむろに開く。
 中から現れた人影は、モノキュラーを右目に当てた。
 シャマルの位置からは、車体がジャマで見えないが、円内の何かを眺めているようだ。
『何を見てるんだ? ここからじゃわからんな・・・』
 シャマルは、屋根上のハッチからは死角になる位置を選びながら、そろそろと円形空間に近づいていく。ついには四角い車両の右サイドボディに背中を預け、カニ歩きでフロント方向へとにじり寄る。
 と、突如、右サイドのハッチが開いた!
 シャマルが面食らっていると、車体右サイドのロボットアームがシャマルを目がけて、マニピュレーターを伸ばしてくる。
『!!??』
 シャマルは息を飲んだ。
 ハッチ上の人物は、手元のタブレットPC、そこに映し出されたグラフを眺めていたが、
『マニピュレーター、異常発生! 異常発生!』
 その音声に、ハッとなって視線を上げた。
 マニピュレーターは圧搾空気銃を握って、車体前方に狙いを定めていたのだが・・・
 そのマニピュレーターに、シャマルはシャツの襟首を引っかけられて、空中にぶら下がっていた。
 なので、ぶら下がるシャマルと、ハッチ上の人物の視線が、そこで合わさった。
 シャマルは、息を飲み、ハッチ上の人物に目を奪われた。
 タブレットPCを胸に抱きかかえ、怪訝そうにこちらを見つめる、それは少女。
 うっそうと茂る木々の葉陰にフィルターされ、さらさらと粉をふるように注ぐ日の光が、まるで劇場の演出のようにも思える。そのシアターの主役は、こんな苔むすようなジメつく森の中にあって、非現実的な存在に思えるたたずまいの美少女だった。
 ヒビナよりも小柄な?少女は、見た目どこかあどけなさを湛えたままのようでいて、その落ち着いた物腰からか、大人びても見える。ケープが印象的な白い服、白いカレッジキャップ=角帽は、そもそも森を歩くような想定をまるで感じさせない。年の頃はシャマルと同じくらいか。長い髪の色ははたして生まれつきそうなのか、あるいは染めるか脱色しているのか、あり得ないような白だった。プラチナ・ブロンドという言葉はあるが、それを超えてまるでプラチナそのもの、あるいはパールホワイトと表現した方が正しいと思える。
 そしてもうひとつ目を引くのは、その褐色の肌。シャマル同様の肌の色は、知性的な面差しとはギャップを感じさせる精悍な印象を加え、彼女の容貌にエキゾチックな神秘性をハーモナイズする。
 ジェリービーンズを思わせる、ぷっくりとツヤのある唇。その深いオックス・ブラッド・カラーの大きな瞳は、全てを見通すような、濁りのない意志の強さに縁取られながらも、威圧感めいたものは感じさせない。
「や、やあ・・・」
 シャマルは、少女の見た目が、泥臭い森林地帯や、四角くゴツイ重厚な車両のいずれとも結びつかぬイメージのためか、とまどいを携えたまま、普通にあいさつをしてしまった。
 少女の方も、マニピュレーターにぶら下がった少年を想定しているはずもなく、ゆえに困惑の表情で、シャマルに語りかける。
「・・・ここで何を?」
「と、とにかく、オレを降ろしてくれないか?」
「あ、これは失礼・・・」
 マニピュレーターは、ゆっくりとシャマルを地上に降ろした。シャマルは、シャツの襟を正すと、足下の円形空間、ガレキらしきものしか転がっていないあたりを見回して、
「こんなところに、何があるっていうんだ? 見たところ、そう古くもない、ただの廃屋に見えるが・・・」
「ちょっと待っててください」
 少女が、ハッチの中に姿を消したかと思うと、車体右側面のドアが、プシュッ、と音を立てて開く。あらためて少女は、キューポラハッチでは見えなかったプリーツスカートとブーツ姿で、さっそうとシャマルの眼前に降りたった。
『・・・ちっちぇーな』
 平均的な14歳よりも背の高いシャマルの前では、頭一つ半ほど低い少女は、シャマルを見上げながら、
「申し遅れました、わたしはコジェです。コジェ・オリク」
 その名を聞いたシャマルは・・・
「コジェ・オリク・・・コジェ・・・ちょ、ちょっと待て! あんた、まさかあんた・・・『白のコジェ』か!?」

     ★     ★     ★

「あ〜れ〜」
 珍妙な叫び声と共に、ヨザムの足下に倒れ込むカーリカ。
 スイーパー・ブロンズ第4方面支部。相変わらず動こうとしないヨザムだが、目の前で横たわっているカーリカに、さすがに声をかけた。
「どうしたのだ、カーリカ少尉」
「聞いてくださいヨザム準士官! 実は・・・」よよよ、と涙をこぼす(ふりの)カーリカ。
 すると、
「ぬはははははははははは!!」
「イリーガル様にたてつくヤツはいねいがー!」
 いかにも作ったダミ声が二つ響き渡る。
 そこに現れたのは、黄色いツナギに黄色い作業用ヘルメット、溶接工が使うようなゴーグルに、顔にはタオルを巻いて顔を隠した、背丈大小の二人の人物。
 ツナギの胸と背には、「イリーガル」と書かれている。よく見ると、油性フェルトペンで書いたチープな文字だ。
 背の高い方の人物のヘルメットには「作業長」、低い方は「安全」と描かれている。
「作業長」は、手に鉄パイプを握っている。
「デカ胸、もう逃げられんぞ! 観念してわれわれについてくるがいい!」と、「作業長」がうなる。
「そ、それはお許しくださあああい!」カーリカはウソ泣きで答える。
 するとヨザムは、
「おいそこのツナギ兄弟。これは何の悪ふざけでござるか」
「ぬはははは、よくぞ訊いてくれたな。我々はイリーガル教の信者だ! 世界を混沌に陥れるイリーガル様に共感し、イリーガル様のジャマをするやつらを排除するのだ!」
「おサムライさん、このバカどもが、イリーガルの手先となって、ブロンズの市民をいじめているのです。それどころかうすらバカ兄弟は、可憐なわたくしの美貌に目をつけて、イリーガルに売り渡して女中奉公をさせようと、バカ丸出しで追いかけてきたのです」
「バカと言った回数を数えるクイズか?」不機嫌そうな「作業長」。
「いや、今そのツッコミはどうかと・・・」と、「安全」はぼやく。
「ええい、デカ胸のたわごとは聞き飽きたわ! とっととイリーガル様に引き渡して、いろんな意味でやっつけてもらうのだー!」と、「作業長」は、カーリカの手を引っ張ると、羽交い締めにした。
 カーリカは、
「おサムライさん! 後生です! このスイーパー正規隊の財産とも呼ばれるIQ300のカーリカ・ビアレが、イリーガルの下働きとして連れて行かれるのをあわれと思うならば、諸悪の根源イリーガルを逮捕して、あとついでにこのバカ兄弟もたたっ切ってくださいませんこと?」
 それを聞いたヨザムは、自分の膝をバン!と叩いたかと思うと、ゆっくりと立ち上がり・・・
 カーリカの目を見るや、言った。
「断る!」
「ええええええぇぇぇっっ!!??」
「まだ、拙者が動くときではござらぬ!」
 カーリカは憤慨して、
「ちょ、ちょっとお! か弱いわたくしがイリーガルの手先にかどわかされようとしているのに、見て見ぬふりするなんて、それでもサムライですの!?」
「見て見ぬふりはしないでござる。一部始終見ているでござる」
「そりゃそうだけど・・・」と、「安全」はあきれて言う。
「作業長」は、小声でカーリカの耳元にささやく。
「ど、どうする!? なんかもー、引っ込みがつかんぞ?」
「この際ですわ、本当に街で暴れるんですわ!」と、カーリカも小声で答える。
「ど、どうしてそんなことになるんです!?」と、「安全」もささやく。
「いいですこと、ヨザム準士官のやる気を引き出すには、イリーガルに悪者になってもらうしかない、そういうシナリオでしたわよね? こうなったら、あなたたちには本当にイリーガル教の信者として悪事の限りを尽くしてもらう、それしかないですわ!」
「い、いいのかよそれで、ホントに・・・」
「いいんです! どうせ罪はイリーガルがかぶることになるのですから!」
 カーリカと、大小二人の黄色いツナギは、カーリカを羽交い締めにしたまま、ヒソヒソ話しながら、後ろ歩きで第4方面支部を出て行った。

     ★     ★     ★

 郊外の林の中。
 麻のマントをひるがえし、赤い瞳の少年は、地面にかがみ込んだ。
 目の前には、大きなタイヤの跡。かなり大型の車両が、林の中を走行したのだろう。
 赤い瞳の少年は、いまいましげにつぶやく。
『ヨソ者どもが、この地を荒らしに来てる・・・』

     ★     ★     ★

「はい、いかにもわたしは『白』です」
「・・・うそだろ! こんなところで、白のコジェに会えるなんて!」
 郊外の森の中、シャマルは驚嘆の声をあげた。
「・・・失礼ですが、あなたは?」
「あ、すまない、オレはシャマル・カング! アンタのファンなんだ!」
「ファン?」
「世界の謎に迫る、孤高のフィールドワーカー! 階層監査省フォーミュラの総合研究部門、通称『ファウンデーション』において、最高学位の博士号を意味する『白』を、弱冠13歳で取得、学会に彗星のごとく現れた天才、コジェ・オリク!」
「・・・・・・・・・」
「おっと・・・悪い、興奮して。何で本人の前でそんな解説してるんだろな、オレ・・・そ、そうだ、サイン、サインくれないか?」
 そう言って、シャマルはあわてて尻ポケットの文庫本を取り出すと、表紙を見るや、
「しまった! こんなときに限って違うヤツの本じゃないか!」
 文庫本を地面に叩き付ける。
 その、一人で空回りするシャマルの姿を見て、コジェは、クスッ、と笑った。
「いつもはアンタの本ばかり読んでるんだ! ホントなんだぜ? 特にあの、『沼地におけるアニミズムの科学と化学』には感動したんだ! 何回繰り返し読んだかわからない!」
「マルグラット大学の学会論文を再編したアレ、ですか?」
「そうさ! アレはもはやオレの聖書みたいなモンだ! オレにとっての宇宙論であり、オレ自身の思考の起源とも言える。あの本が今のオレの全てを根本から作り直したと言っていい!」
「・・・最新のわたしの著作、『天球に連なる海洋と大陸の交響』はお読みになりました?」
「いや・・・えっ、そんな新刊が出てたのか!?」
「そこで、『沼地における〜』の内容を、全否定してます」
「なんだってえええええぇぇぇ〜〜〜っっ!! そんなバカな!」
 ガビーン!と、ショックを受けるシャマル。
「失望させて申し訳ありません。・・・ですが、真実を追究するのがわたしの使命。間違っている、と思ったら、謝罪して全てを正すのも、わたしのやり方なのです」
「あ・・・そう・・・」
「良かったら、差し上げましょうか? 最新刊」
「えっ・・・いいの?」
「ドメニコット、ラボを開けて」
 四角い車両に向かって、コジェがそう言うと、車体のサイドにあるスピーカーから、男の声がした。
『承知しました、コジェ』
 四角い車両の、左側面にある大きなハッチが、バシュッ!と音を立てて、上に開いた。
「うわっ!」車両の突然の挙動に、驚くシャマル。
 コジェは、開口部から降りてきたステップに足をかけて、
「どうぞ、中へ」
「・・・・・・・・・」
 シャマルは、その場にたたずみ、動かなかった。
「どうしました? シャマル」
「・・・男、いるのか?」
「!?」
 キョトンとした顔になるコジェ。
「ドメニコットって、今、ドアを開けた・・・」と、シャマル。
「男、といいますと?」
「その、パートナーとか、ボーイフレンドとか、彼氏とか・・・」
 その言葉に、しばしフリーズ状態になったコジェは・・・
 とつじょ、はじけたように、
「・・・フフフッ、ウフフフフッ、あははははっ!」
 笑い始めた。
「・・・なんか、おかしいこと言ったか?オレ」憮然とするシャマル。
 コジェは、涙目で、笑いをこらえながら、
「・・・ドメニコット、自己紹介を」
『はじめまして、シャマル・カング。わたしはこの特殊研究施設車両のA.I.アルゴリズム、ドメニコットII(ツー)と申します』
「え・・・A.I.!?」
「今、あなたが聞いているのは、合成音声です。つまりドメニコットとは、この車両のことなのです」
 コジェがそう言うと・・・
 ドメニコットのロボットアームが伸び、シャマルに向かって『手を振った』。
 サーッ、と、血の気が引いていくシャマル。
『恥ずかしい・・・オレ超恥ずかしい・・・』

「・・・じゃあ、ドメニコットは、いわばロボット・・・」
「そうですね。サポート・ロボットであり移動手段であり研究施設であり、わたしの住居スペースでもあります」
 ドメニコットの後部スペース、ラボ=研究室であるそこで、丸テーブルに向かいあって腰掛け、コーヒーを飲んでいるコジェとシャマル。
「でもすげえな、A.I.だなんて・・・」
「厳密に言えば、ドメニコットのA.I.アルゴリズムは、わたしの思考そのものなのです」
「へ?コジェの思考?」
「そうです。人間、考えが行き詰まると、普段どおりの思考が出来なくなることがあります。わたしの思考をコピーして、それとの対話により、いうなれば初心に返るわけですね。自分自身との対話で、新たな思考が出来ることもある、ということです」
「なんでまた、それを男の声に・・・」
「そうはいっても、自分自身の声だと、逆に構えてしまうんです。わざと自分とは違う人格に見せかけることで、より対話しやすくしてるんです」
「なるほどね・・・」
「はい、これが最新刊です」
 そう言ってコジェは、「天球に連なる海洋と大陸の交響」を差し出した。感激した面持ちでシャマルは、表紙を眺めながら、ボソッと
「ありがとう・・・」
 と告げた。シャマルのこんな素直なセリフを、トラッシュたちが聞いたら、どれほど驚くことだろうか。
 そして一点、気になっていた、ドメニコットが森林を踏み荒らしていることについて、コジェの見解を訊いてみた。
 じつはドメニコットは、車体後部から、環境復帰のためのバイオ・マイクロマシンを散布している。それは踏みしめた土を掘り起こし、ある種の酵素を撒くことで、時間はかかるが元の土壌に戻していく。あたかもミミズのような役割を果たすのだ。マイクロマシン自体、地磁気をエネルギー源とし、植物由来のバイオプラスチックと鉄で出来ているので、いずれは土に還る。そうして環境保全と修復には気をつかっている、と。シャマルは安心すると共に、感心した。
「あと、これもぜひ聞きたいことがある! アンタの著書、『階層世界における地磁気とプラズマ帯の相克』で、疑似プレートの珪素含有率と地熱変位周期の3次的相関関係をポートフォリオ化するとき、普通はマスプリート・サベル理論でいうフラクチュエート・マトリクスの法線方向にクォンタム最適化指数のZ軸を定めるじゃないか。そこをわざわざ階層別に地層間磁性体を仮想電離層と見なす環状パラメトリック浮動値のFベクトルを遊離電子補正して、データの時間軸偏差を積分化しないで保持してるのは、なんでなんだ?」
「・・・・・・・・・」コジェは、目をパチクリさせる。
「あれ、オレなんか変なこと言った?」
「・・・いいえ、とても良い質問です。あの場合、プラズマ帯のゲートウェイ・サージをレベル5から6ぐらいに想定したデータ分布では、地磁気のバックラッシュ・スピンアウトを右螺旋変位と左螺旋変位とで鏡面展開しただけの、いわゆるスモーク・アンド・ミラー・エフェクトになってしまうので、本題である階層間の地質学的影響のリエントラント収束リスクの説明にならないと思って。あの計測ではサージレベルを13ぐらいまで想定して、ちょっと面倒ですけど1ステップずつアーク・スプリット曲線でグラフ化してみて、最小公倍数的にテトラブロックをフェイズリンクする、ようは慣性ポテンシャルがエキセントリック・コンバージェンスに与える影響をトータルでコントロールできるようにしたかったんです。最終的にポートフォリオに記録されますから、ダメモトで」
「でも、だとしたらローダックス・パルスの2次崩壊曲線をモノフォニック/PMエンファシス率で近接離脱ドリフトすれば、2、3回のピーククリッピングがあったとしても、最終的には階層ごとの地熱以外のエネルギー分布を多元非連動ヒューリット式に当てはめれば、疑似プレートにおける重力遷移と重心遷移が単純に磁気拡散と同一マトリックスでパラメータ化できるじゃないか。それだとサージレベルは10を切るぐらいでも、じゅうぶん精度を上げられると思うけど」
「それもアリですが、測定日に、夏至に一番近い新月を選んだために、アルファスペクトラムの密集減算値のローレベル・ブレイクダウンが下限値を下回るので、フォトン分裂のリアル電離層への影響を考慮する必要がないんです」
「なるほど! そしたら確かに地磁気のファンダメンタル・スキッドの素数間隔の連続性が維持されたまま、プラズマ帯だけFzパラメーターの位相スレッショルド分布が一元化できるわけか! 納得がいった!」
「・・・・・・・・・」
「・・・やっぱりオレ、とんちんかんなこと言ってる?」
「いえ・・・正直、わたしの著書をそこまで読み込んでいる人が、在野にいるとは・・・これも失礼な言い方かも知れませんが・・・」
「言っただろ! アンタのファンだって!」
 コジェは、はにかんだ笑顔をフォルケに向けた。

「お茶、ごちそうさん。それと、本も・・・」
「いいえ、わたしも、楽しかったです。同世代の方とお話しするの、久しぶりでした」
 シャマルはドメニコットの車外から、コジェは車内から、そう言葉を交わした。
「しばらくは、このあたりにいるのか?」
「?ええ、多少の移動はするでしょうけど・・・」
『また、会えるか?』・・・シャマルは、そう言いたかったが、言葉を飲み込んだ。
 自分のキャラではない、そう思ったからだ。
 心の中で、コジェの方が、そう言ってくれないか、期待した。
「それでは、失礼します。シャマル・カング」
「あ・・・ああ」
 プシュッ!と、ドアが閉まった。
 シャマルは、拍子抜けした。
 ブロロロロ・・・と、低いモーター音とともに、四角い車両、ドメニコットは去っていく。
 見送りながら、シャマルは、ハッ!と思った。
 円形の空間に、目当てのものは無かった、とコジェは言った。目当てのものとは、何だったのだろう?
 しまった、聞いておけばよかった。かといって、今さら追いかけていって質問するのも、なんだか気が引けた。
 コジェ・オリクに出会って、舞い上がっている自分を思い出して、汗顔の思いがあったこともある。
 質問攻めにしてしまった、そんな気がする。ガッツいているように思われたんじゃないか?
 だが・・・
 あの「白のコジェ」に出会えた。
 思ったとおりの人物だった。押しつけがましくないインテリジェンス、柔軟な発想、鋭敏な洞察力、深く多彩な知識・・・見ているだけでそれがわかった。
 しかも・・・とても、かなり、すごく、チャーミングだった。
 14歳だということは知っていても、著書のイメージからは、それ相応の女の子として印象を感じることはなかった。
 だが、実際に目の当たりにした、コジェ・オリクは・・・
 チョコレート・アイスクリームのような肌の色、神秘的なパールホワイトの髪。大きな瞳。全てが魅力的だった。
 難解な理論を語るときでも、息づかいも声もかわいらしく、内容とのギャップが大きすぎる。
 ときおり見せる笑顔も、少女のそれそのものだった。

 シャマルは、いつのまにか、ニヤついている自分に気づいた。
 いかんいかん、こんな顔、ヒビナにでも見られたら、未来永劫、ネタにされる。
 誰が見てるわけでもないのに、シャマルは、表情を結び直した。
 それでも、浮かれている自分を、コントロールできずにいた。

     ★     ★     ★

 ブロンズの森には、野生の動物が多く見られる。自然の多いブロンズは、動物たちにも居心地がいいらしい。山間部では、狩猟を趣味とする市民も少なくない。
 とある森の中、小鹿が草をはんでいる。低い樹木の陰から、その小鹿を視界に捕らえる人影がいた。
 麻のマントに、綿のターバン。手にはギリギリと矢をつがえた弓。赤い瞳が、矢じりをとおして小鹿の喉もとにフォーカスする。
 と、小鹿は、ふいにきびすを返すと、森の奥へと足早に駆け去っていった。
 赤い瞳の少年は、チッ、と舌打ちすると、弓をゆるめて矢を降ろした。
「ヨソ者が増えすぎだ・・・みんな警戒してる」

     ★     ★     ★

 ブロンズの町中を走るワゴン車。その進路に、黄色いツナギの二人組が鉄パイプをかかげて、立ちはだかった。ワゴン車は急ブレーキを踏む。
「おい、そのクルマ、現金がたっぷり満載なんだろ? イリーガル教のお布施に置いていきな! じゃないとバチが当たるぜ!」と、「作業長」が叫んだ。
 ワゴン車の運転手は、
「ケガするのはそっちだぞ! さっさと道を空けろ!」
 輸送車の左右の窓から、二人の警備員姿の男が、拳銃を構えた!
「ひえっ!? む、向こうは飛び道具ですよ!?」と、「安全」が泣きそうな声を上げる。
「作業長」は、フンッ、と、顔に巻いたタオル越しに鼻息であざ笑った。
 次の瞬間、「作業長」の姿が消えた! と思いきや、上空高くジャンプしていた。
 そしてワゴン車の左サイドに着地するやいなや、左窓の警備員の拳銃を、鉄パイプでたたき落とし、裏拳を警備員のあごに一発! 警備員は気絶する。
「うっ!?」運転手は驚嘆する。
 続いて、「作業長」は鉄パイプを棒術さながらにくるくる回転させると、身をひるがえしつつ、ワゴン車のフロントガラスを叩いた。ビシッ!と、ガラスには細かなヒビが入り、運転手の視界をさえぎる。
 そして「作業長」は、鉄パイプを棒高跳びのように使い再びジャンプすると、ワゴン車の屋根の上に乗った。その位置から、真下にあたる右窓の警備員の後頭部に、鉄パイプでガツンッ!と一発。「ぐえっ!」と声を上げて、二人目の警備員もこれまた気を失った。
「く、くそっ!?」
 運転手はあわてて車外に飛び出し、逃げ出していった。
「作業長」は、屋根の上で、運転手に向かって敬礼のポーズをすると、
「おつとめ、ご苦労さん! 現金はわれわれが引き継ぎますゆえ!」
 と、冗談めかして言う。
 すると、けたたましいサイレン音とともに、4〜5台のパトカーが、ワゴン車の周りを取り囲む! パトカーから降りた、合計十数人の警察官が、拳銃を抜くや・・・
 ワゴン車の運転手に向かって銃口を突きつけた!
「ひええっ!」と、運転手は両手を上げる。
「観念しろ!」
 そのさまを、敬礼ポーズのまま、あっけにとられて見守っていた「作業長」に向かって、トレンチコート姿の刑事らしき男が、
「ご協力、感謝します!」
 と、こちらも敬礼を返した。
「作業長」は、苦笑いするしかない。

 手錠をかけられ、連行されるワゴン車の運転手と、警備員二人。
「いやあ、お手柄ですよ、表彰状ものですよ! よく見破りましたね!? ニセ警備員とニセ運転手による現金輸送車の強奪事件。あなたがたが止めてくれなければ、まんまと逃げられるところでした」
 トレンチコートの男は、警部だった。ポカーンと話を聞くだけの、大小二人の黄色いツナギ。
「その胸の文字は、チーム名か何かですかな?『イリーガル』、ですか。正義の市民、その名はイリーガル! かっこいいじゃないですか!」

 物陰で一部始終を見ていたカーリカは、歯ぎしりをした。

 アタッシュケースを大事そうに抱えている、スーツ姿のきまじめそうな男が歩いている。どこか思いつめた表情だ。
 男はふいに、深いため息をついた。
 するとそこへ、黄色いツナギを着た二人の人物が、オートバイに乗って現れた。「作業長」が運転し、その後ろに「安全」がしがみついている。
 ブロロロロロロロ・・・
 オートバイが、スーツ男の後方から接近するや、「安全」が、アタッシュケースをひったくった!
「ああっ! そ、それは・・・」スーツ男が狼狽する。
「へへっ、これはイリーガル教がいただいていくぜーーッ!」と、「作業長」が叫ぶ。
 と、オートバイが大きな河川にかかる橋の上を走行しているとき。
「ああっ!」
「安全」が、手を滑らせてアタッシュケースを落としてしまった。アタッシュケースはそのまま、橋の下の河川に、ドボーーンと落ちた。
 次の瞬間。

 ドカアアアアァァァーーーーンンッッッ!!

「ぎぇえっっ!?」
 大音響と共に、アタッシュケースは大爆発し、水しぶきを上げた。驚いて急ブレーキをかけたオートバイから、「安全」が転げ落ちた。

「・・・興味本位で、水に濡れると大爆発する爆弾を作ってしまったんですが、いざできあがったら恐ろしくなって、どうしようか途方に暮れていたんです。あなたたちが目を覚まさせてくれなかったら、わたしはどうしていたかわかりません。これからは心を入れ替えて、真面目な人生を送ることにします! 本当にありがとう!」
 涙ながらに、黄色いツナギの二人に感謝の意を述べるスーツ男。トレンチコートの警部は、
「また、あんたらのお手柄ですか! 彼も、罪をつぐなったら、きっと立ち直ってくれるでしょう。イリーガルはホントに、街のヒーローですな!」
「ははは・・・」
 照れ笑いするしかない、ツナギの二人。

 物陰で、地団駄を踏んでいるカーリカ。

 黄色いツナギの二人組は、その後も・・・
 パワーショベルで他人の畑を荒らそうと掘り返していたら、温泉を掘り当ててしまい、高齢ゆえに農業を廃業しようとしていた借金苦の地主に感謝されたり・・・
 一人暮らしの資産家の老婆をカマボコ詐欺に引っかけようと連れ出したら、タクシー運転手がぐうぜん、老婆と40年前に生き別れた息子で、感動の再会をお膳立てしてしまったり・・・
 工場に忍び込んで、製造ラインをデタラメに組み替えたら、斬新な新製品が出来てしまい、倒産寸前の親会社に空前のヒット商品を提供してしまったり・・・

 スイーパー・ブロンズ第4方面支部。
 おにぎりをパクつきながらテレビを見ているヨザム。
 50インチ液晶画面に映し出されているのは・・・

『ご覧のように、ここブロンズの街は、黄色いツナギの二人組の話題で持ちきりです。彼らは自らをイリーガル教と名乗り、市民からは救世主、ヒーローと讃えられています。彼らは決して自身の正体を明かすことはしませんが、どうやらイリーガルと呼ばれる人物が彼らのリーダーであり、ウワサでは階層を越えてやってきた、神のごとき存在であると、ちまたやネットではささやかれているもようです』

 一方、第4方面支部の別室では・・・
「どうしてこうなるのよ! これではイリーガルの評判が上がるだけですわ!」
 カーリカが声を潜めながらも、ヒステリックに吠える。ヨザムに聞かれないよう、コソコソと話しているようだ。
「しかたないでしょう! こっちもそのつもりはないのに、やることなすこと、良い方向に転がっちゃうんですから!」と、フォルケも声を潜めて。
「なあ、カマボコ詐欺って何なんだ?」と、こちらはワグダ。
「今そんなこと、どうでもいいんです! とにかくこのままでは、ヨザム準士官がまったくやる気を出してくれませんわ! あのサムライかぶれの正義感を引き出すことが目当てなのに!」
「それどころか、マスコミが黄色いツナギの正体を暴こうと、網をはってるらしいんです! これ以上おおっぴらに活動することは危険です!」
 カーリカは頭を抱えて、
「まったく、使えないポンコツどものせいで、わたくしの作戦が台無しですわ!」
「作戦というか、よくあんなにいろいろと悪事を思いつくよな? カーリカ、お前、道を誤ったんじゃないの?」
 カーリカは、血走った目で、ワグダをギヌロッ!とにらむ。
「のんきなこと言わないでくださいよ、ワグダ少尉・・・ヨザム準士官に働いてもらわないと、キリィ大尉に合わせる顔がないんですから」
「だからって、あのオッサンの気分なんかわかんないよ。どおせいっちゅうんだ・・・」
 頭を抱える、ワグダ、カーリカ、フォルケの三人であった。

     ★     ★     ★

 湖の近く、朽ちたホテルに張られた、トラッシュたちのキャンプ。
 ブロロロロ・・・と、低いモーター音。四角い車両が、キャンプへ近づき、やがて停車した。
 ドメニコットだ。
 左サイドのドアが開き、コジェが降りてくる。
「すみません・・・どなたかいらっしゃいますか?」
 返事がない。
 コジェは、さらに奥へと歩みを進める。足場の悪い広間を抜け、中庭へ。
「!?」
 コジェは、異変に気づいた。
 二人の少女が、折りたたみテーブルに突っ伏している。ピクリとも動かない。その他には、誰もいないようだ。
「もしもし!? どうしました?」
 コジェは、幼い方の少女、エトワの背中に触れ、語りかける。
 エトワは、それに応えて・・・
「お〜な〜か〜す〜い〜た〜・・・」

     ★     ★     ★

 郊外の森の中。
 赤い瞳の少年が、矢をつがえた弓で、三羽のウサギの群れを狙う。矢も三本、一度に仕留めようというのか?
 今まさに、矢を放とうとした瞬間!

 バサアアーッ!

 三羽のウサギが、大きな網でかっさらわれた。タモ網のような長い柄の網。ものすごいスピードで森を駆け抜ける人物が、網でウサギをすくい上げたのだ。
 それは、ウィンドボードに乗った、トラッシュだった。
「やりぃ! 昼飯ゲットォ!」
 トラッシュは、ウサギを抱えて、そのままウィンドボードで去っていった。
 あっという間の出来事に、あっけにとられる赤い瞳の少年。次の瞬間、ギリギリと歯ぎしりをした。
 赤い瞳は、怒りの炎に見えた。

     ★     ★     ★

 ガツガツガツ!
 バクバクバク!
 湖畔のキャンプで、ヒビナとエトワは、パンやチーズやソーセージをむさぼり食い、ミルクを流し込んだ。
「ゆっくり食べても大丈夫ですよ・・・」と、コジェ。
「ありがとう、お姉ちゃん! エトワ、死ぬかと思った・・・」
「でも、一体何が・・・」
 そこへ。
「おおい、エトワ、ヒビナ! 飯を捕まえてきたぞ!」
 ウィンドボードに乗った、トラッシュが戻ってきた。
 トラッシュは、すでに食事をしている二人と、褐色の肌の少女に気づき、
「あれ? 食料が・・・」
「あ、トラッシュ!」エトワがにこやかに迎える。

「そうか、たまたまアンタがとおりがかって・・・」と、トラッシュ。パンをかじっている。
「ええ、お二人が何も食べていないというので、食料を・・・」と、コジェ。
「助かったわ〜、ありがとう、コジェ」と言うのは、めずらしく素直なヒビナだ。
「いやあ、実は連れがサイフを持っていったまま行方不明でね・・・買いだめの食料は底をつくし、しかたなくオレは狩りに行ったわけ。ほら、収穫」
 と、トラッシュは、網ごとウサギを、ドンッとテーブルに置く。
「な、何これ! ウサギじゃないの!」と、ヒビナが声を荒げる。
「いやあん、トラッシュ! かわいそうだよ!」と、エトワ。
「そりゃ、かわいそうだよ! 今食ってるソーセージの牛や豚や羊だってかわいそうだし、ウサギも同じさ!」
「そうですよ。それにウサギって、美味しいんですよ?」と言うのはコジェだ。
「おっ、コジェもウサギ食べたことある?」
「ええ、今も食料庫に・・・あ、そうだ! わたし、ここにはお願いがあって来たんです」
「お願い?」
「実は、バッテリーが切れてしまって・・・」
「バッテリー? クルマの?」
「いえ、計測器です。それで、もしバッテリーが余っていたら、譲っていただけないかと・・・DCA−020Bという型番なんですけど」
「それならあるけど、良かったら、その計測器、見せてもらえる?」

 折りたたみテーブルで、コジェの持ってきた測定器をいじっているトラッシュ。
「うん、確かにバッテリー切れだね。でもたぶん、これ新品に替えても、すぐまた切れちゃうよ?」
「えっ?」
「回路がどこかショートしてる。だからバッテリーが無駄に消費されてるんだ・・・ほら、やっぱりここ、配線がはがれてケースに接触してる」
「ああ、どうりで、まだバッテリーは新しかったはずなのに・・・すごいですね、トラッシュ。すぐにわかるなんて」
「トラッシュは、直し屋なんだよ! こんなの、お茶の子さいさいだよ!」と、エトワが自慢げに言う。
 そのトラッシュは、
「コジェも、なんだかすごい機械に囲まれて・・・どういう仕事?」
「ええ、わたし、学者の端くれなんです・・・」
 会話が弾んでいた、その時。

 上空から、何か巨大なものが、トラッシュたちのキャンプ目がけて落ちてきた!

 ドオオオオォォォンンッッ!!

「うわあああぁぁあっっっ!!??」
 落下物は、トラッシュたちの目と鼻の先、中庭のど真ん中にめりこんだ!
 それは、3メートルほどの大きさの、岩だった。
 落石の振動で、トラッシュ、エトワ、ヒビナは、尻餅をついた。コジェは、突然の出来事に、目を白黒させている。
 よく見ると、岩の上には、人間が立っていた。
 麻のマント、綿のターバン。背丈はトラッシュと同じくらい。布地で顔が隠されていて、表情がうかがえない。
 だが、ギロリとにらむ瞳の色が、真っ赤だった。
 おもむろに、赤い瞳の少年が叫ぶ。
「オラの獲物を返してもらおうか!」
 トラッシュは、面食らいながらも、応える。
「獲物?」
「とぼけるな! そいつだ!」
 赤い瞳の少年は、テーブルの上のウサギ三羽を指さす。
「オラのって、どういうことだ? これはオレが取ってきた野生のウサギだぞ! 持ち主がいるなんて話・・・」
「うるせえ! ヨソ者にくれてやる獲物なんて、ここには無い!」
 はっ?と、トラッシュは息を飲む。ヨソ者って・・・この赤目の人物は、俺たちがブロンズの人間じゃないことを、知っているのか?
 赤目は、コジェとヒビナを順番に指さし、
「お前とお前は、ヨソの階層の人間だ! そしてお前らは・・・」
 今度は、トラッシュとエトワを指さし、
「どこの階層でもない! ヨソ者中のヨソ者だ!」
 トラッシュは、ガンッと頭を殴られたような感覚を覚えた。
「ちょ、ちょっと! ヨソ者中のヨソ者って、どういう言いぐさなのよ!」
 ヒビナは怒り心頭に達し、ずかずかと赤目に歩み寄る。
 赤目は、そんなヒビナに、ハッ?と反応し、注目した。
「とにかくそっから降りなさいよ! 話はそれからだわ!」
「話なんかさせる気はないくせに・・・」トラッシュはぼやく。
「・・・そのとおり! 話なんかしない!」
 赤目はそう叫ぶと、ジャンプ一番、岩の上から跳躍すると・・・
 その赤目が、赤いまま、光を放つ!
 そして着地とともに、右の拳で、思いっきり地面を叩いた!
 すると・・・
 トラッシュたちの足下の地面が、土煙とともに、ドンッと盛り上がった!
 それは拳の形をした、巨大な土のかたまりが持ちあがったのだ。
「キャッ・・・!!??」
 驚くまもなく、ヒビナの体が「土の拳」に吹っ飛ばされた! コジェやエトワは、地面の震動で、よろめく。
「ヒビナッ!?」
 吹っ飛ばされたヒビナの体を、トラッシュが受け止めた!
「なんだあれは・・・アートか? あの赤目はアート使い! まさか・・・スイーパーの手の者か!?」
 ヒビナは、トラッシュにお姫様だっこされていることに驚き、
「ちょ、ちょっとお! 降ろしなさいよ、このスットコドッコイ!」
 真っ赤な顔をして、トラッシュの腕の中でジタバタ暴れ、頭をポカスカ叩いた。
「お、おい、痛えな!」トラッシュは困惑する。
 コジェはそれを見て、クスッと笑う。
 赤目は、右腕を肩からグルグル回すと、
「スイーパーだと・・・? オラの一番気にくわない連中だ! 一緒にすんな!」
 今度は右拳を軽く地面に当てると、赤い目の輝きとともに、地面にめり込ませる!
 それを勢いよく引き抜くと、右手が巨大な「土の拳」で覆われていた!
「うわっ!? スイーパーでもないのにアート!?」トラッシュが驚くと、
「アートはスイーパーだけのものじゃないわ!」ヒビナが叫ぶ。
「食らえええぇぇっっ!!」
 赤目が右手でトラッシュ目がけ、パンチを繰り出す! と、「土の拳」が飛んできた!
「なんだあああぁぁっっ!!??」
 トラッシュが「土の拳」を避けようとするが、間に合いそうもない!
 すると。

 ドカアアアァァァッッ!!

 土の拳はトラッシュに激突するより以前に、2メートルほど前で、砕け散った!
 土煙がもうもうと舞い起きる。
「!!??」
 今度は赤目が面食らう番だ。
 ヒビナが、銀色の瞳で、右手の平を突き出していた。
「サンキュー、ヒビナ!」
「もう、世話が焼ける!」
 そう、ヒビナのアート、「空気の壁」で、トラッシュを守ったのだ。
 赤目は、ヒビナがアートを使ったことに驚いているようだが・・・
 りりしいヒビナの姿に、じっと見入っている。
『この女は・・・』
 心なしか、赤い瞳が泳いでいる。
「じゃ、今度はオレのターンだな!」
 トラッシュは、足下のウィンドボードの端を勢いよく踏む! ポンッとボードは立ち上がり、トラッシュはそれをつかむと、裏面のキツネのイラストを前面に押し出して構えた。
「おのれっ!」
 赤目が叫んで、今度は左手で「土の拳」を繰り出す!
 が、トラッシュがそれをウィンドボードの裏で受けると、

 ドゴオオオォォッッ!!

「土の拳」は砕けた。
「このボードには、アートは効かないんだよ!」
 そのまま赤目に向かって駆け出すと、ジャンプし、ウィンドボードに乗った!
「・・・さっきの、空飛ぶ板切れか!」
 トラッシュは、空中から赤目めがけて突進する。
 すると、赤目はグッと腰を落とすと、両手を脇に引きつけて構え・・・
「はあああっっ!!」
 気合い一閃、赤目を輝かせると、両手の平を天に向けて突き上げた!
 と、地面にめり込んでいた巨石が、勢いよく上空へ舞い上がる!
「な、なんだああっっ!?」
 トラッシュが叫んだ!

『まったく、格好つかないぜ、道に迷ったなんて・・・』
 シャマルは、コジェとの邂逅の後、元のキャンプに帰る道を見失っていた。慣れない場所でウロチョロ歩き回ったのだから、当然と言える。もっとも、普段のシャマルならこんなことは無いのだろうが、普段のシャマルでは無かったというわけだ。
 ようやく、キャンプを見つけて、ほっとしていた。
『あいつらになんて言い訳すりゃ・・・ヒビナには一生、言われるんじゃないか? へこむぜ、正直・・・』
 ふと、キャンプ地に、見慣れた四角い車両が止まっているのに気づく。
『ドメニコット!? マジかよ、コジェが来てるのか?』
 胸がざわつくのもつかの間・・・

 ドオオオオオオォォォォンンッッッ!!!

 大音響とともに、地鳴りがして、ドメニコットの車体が大きく揺れた!
『・・・コジェ!』
 胸騒ぎがして、シャマルはキャンプに向けて走った!

 巨石が、上空から再び地面にたたきつけられた。
 その衝撃波はすさまじく、トラッシュ、ヒビナ、エトワ、コジェを吹き飛ばした。
 さらに、中庭の後方にあたる広間の、床一面に散らばったガレキをも、吹き飛ばしていく。
「きゃああっっ!!」
 エトワの小さな体が、中空に舞う。真横にいたコジェは、そのままではエトワが吹っ飛ぶ!と思い、泳ぐように回り込んで、エトワの体を受け止めた。
 だが、衝撃波の勢いはとどまらず、エトワをかばうコジェを、背中から柱にたたきつけた!
「ううっ!!」
「お、お姉ちゃん!」
 コジェのうめきと、エトワの悲鳴が重なる。

 シャマルが駆けつけたときには、衝撃波は収まっていた。
 トラッシュ、ヒビナ・・・地面に転がっている姿が視界に入る。
 さらに、うつ伏せに倒れて、ピクリとも動かない、白い装束の少女。
 その背中を、ベソをかきながら、揺すっているエトワ。
「お姉ちゃん、起きて、お姉ちゃん!」
 それは、コジェだった。
 シャマルは、カッ、と、頭に血が上るのが分かった。
 中庭の中心に、麻のマント、綿のターバンの人物。その目が、赤く光っている。
 謎の人物。その目にアートの光。衝撃波・・・
 シャマルはすべてを悟った!
「ドメニコット! ヘッドライトをつけろ!」
『状況に適切な指示と判断できません』
「今からそれを見せてやる!」
 ドメニコットのヘッドライトが灯され、シャマルはそこに手を突っ込むと、右目が銀色に光るのが早いか、「光のスティック」を引き抜いた!
 シャマルは、赤目に飛びかかる!
「てめえ、何モンだ!?」と、シャマル。
「おめえも、ヨソ者だな!?」と、赤目。
「光のスティック」を振り回すシャマル。だが、赤目は身軽にこれをかわしていく。
『なんだ、こいつの身軽さ・・・トラッシュみたいじゃないか!』
 赤目は、シャマルをかわして上空にジャンプすると、両足を地面にたたきつけて着地した。
 すると、今度は地面から「土の足」が2つ、ドオオオンッ!と盛り上がった!
「うあああっっ!?」
 シャマルは、その「土の足」にけ飛ばされる! 上空に舞い上がるシャマルの体。
「シャマル・・・!」
 ようやく、よろけながら立ち上がるトラッシュ。
 エトワに支えられて、コジェも上体を起こす。もうろうとした頭で、
『シャマル・・・? ここに、シャマルが?』
 空中で体制を整えたシャマルは、気合いを込める!
「はあああああぁぁぁっっっ!!」
 すると、「光のスティック」は、その長さを急激に伸ばし、ビームのように赤目を狙う!
「なにっ!?」
 赤目は、間一髪でビームをかわす。それは赤目の足下に着弾し、土煙を上げた。
 舞い上がる土煙で、シャマルを見失う赤目。
 と、気配に気づき、赤目は振り返る。
 シャマルが、光のスティックを、赤目の首筋に突きつけた。
 だが、赤目もまた、矢を握りしめ、矢じりをシャマルののど笛に突きつけていた!
 にらみ合う、シャマルと赤目。互いに、一歩も動けない。
 あたりは、緊迫した空気に満たされた。

 すると・・・
「そこまでだ! もういいだろう、二人とも!」と叫ぶのは、トラッシュだ。シャマルと赤目の間に割って入る。
「そうはいくか! コジェを傷つけたんだ、こいつは!」と、シャマル。
「てめえらこそ、この地を荒らした!」こちらは、赤目だ。
「だから落ちつけって!・・・おい赤目、妥協案がある! 聞いてくれ!」
「妥協案だ・・・?」
「オレたちは確かにヨソ者だ・・・けど、オレたちだって食わなきゃいけない。自分の力で狩ったウサギを、そう簡単に手放す気はない。けど、ヨソ者に領海侵犯・・・領地侵犯?そう思う気持ちはわかる。だから、獲物を半分こしないか? 三羽あるから、一羽と半分ずつだ」
「ふざけんな! お前らの取り分など認めねえ! ヨソ者の泥棒めが!」
「そりゃ聞けないな! お前だってヨソ者なんだろ?」
「!!??」
「・・・図星みたいだな?」
「うるせえ! とにかく取引には応じない!」
「トラッシュ、話しても無駄だ! こいつはオレが・・・」と、シャマルが叫ぶ。
 すると・・・
「それでは、これでどうですか?」
 コジェが、にらみ合う少年たちの傍らにたたずんでいた。
 コジェは、手に何かラップに包まれた固まりを持っている。
「これ、ウサギ肉です。冷凍ですけど、わたしの食料庫から持ってきました。これを加えて、合計四羽。お互い二羽ずつで、分け合いませんか?」
「コジェ・・・」シャマルがつぶやく。
「コジェ、べつにキミまで加わらなくても・・・」と、トラッシュ。
「いいえ、わたしもヨソ者です。研究のために合法的にブロンズに来ましたが、ヨソ者であることには変わりありません。わたしもこの場にいた以上、同じように加わらなければ、フェアではありません。赤目さんもトラッシュも、二羽仕留めて、一羽取り逃がした。わたしも一羽失いました。ということで、どうですか?赤目さん」
「・・・・・・・・・」
 赤目は沈黙するが、やがて矢をシャマルののど元から降ろした。併せて、シャマルも光のスティックを消した。
 赤目は、コジェの手からウサギ肉を受け取ると、
「・・・一羽は、お前のをもらう」
 それは、コジェの提案を受け入れた意思表示なのか。
「ええ」ニッコリと微笑むコジェ。
 赤目は、二羽のウサギをぶら下げ、トラッシュたちに背を向けた。
 よく考えれば、筋の通る話というわけではない。だが、赤目は、褐色の肌の少女の言葉に、凜としたたたずまいに、心地よい何かを感じた。戦意とは対極の、品格、気高さ、そして優しさ。
 赤目の怒りを鎮めるには、それで十分だった。
 トラッシュは、そんな赤目に、
「オレの名はトラッシュだ。お前の名前は?」
「・・・ヨソ者に名乗る名前なんかあるか!」
 赤目がそう言うと・・・
 ヒビナが、堪忍袋の緒が切れたとばかり、
「いいかげんにしなさいよ! さっきから聞いてりゃヨソ者ヨソ者って! いつまでも優しくしてると思ったら大間違いよ!」
「ヒビナは優しくはしてないんじゃ・・・」と、トラッシュ。
 すると、赤目は、ヒビナを振り返り、
「おい女、お前の名前は?」
「女!とか言うな! あたしの名前はヒビナ! ヒビナ・アルアレート!」
「ヒビナ・アルアレートか・・・オラは、ガベイジだ」
 それだけ言うと、くるりときびすを返し、次の瞬間には、ジャンプしてその場を離れた。
 とてつもない跳躍力で、ジャンプを繰り返し、ガベイジは去っていった。
「・・・なんなのよ、あいつ」憮然とするヒビナ。
 シャマルは、トラッシュに
「よく、赤目がヨソ者だとわかったな」
「ブロンズは食うに困るほど貧しい土地じゃないだろ? にしては、赤目はウサギぐらいで、必死すぎる。わけありだと思って・・・じつは、ハッタリ」
「なんだ、そうか」
 すると。
「ああああああああっっ!!」
 叫んだのは、コジェだった。
「どうしたコジェ!」
 コジェの声がした方角に、駆けていくシャマル。トラッシュも後に続く。遅れてヒビナ、エトワも。
「これ・・・これは!」
 コジェが立っていたのは、広間だった。
 ガレキで埋まっていたはずの広間は、ガベイジの衝撃波で吹き飛ばされ、石造りの床面があらわになっていた。
 その床面いっぱいに・・・
 不思議な絵柄の抽象画が描かれていた。
「こ・・・これは!?」
 トラッシュたちには、それに見覚えがあった。
 絵柄こそ全く違うが、不思議な抽象画。トラッシュのアートで、ベニッジの、そしてハボシェのアートを封印したときに発現した、あの絵に似ていたのだ。
 だが、それらに比べると、ここの絵ははるかに大きい。30メートル四方の広間いっぱいの大きさなのだ。
 コジェが、声の震えを押し込めるように、話しだす。
「シャマル、わたしが探していたのは、これです。『グラフィティ』です!」
「グラフィティ!?」と、シャマル。
「ブロンズに限らず、世界中で目撃されているけれど、いつ頃、どのように、誰が描いたものなのか、全くの謎。しかし、ここには解析不能なエネルギーが満ちている。特にここのグラフィティは・・・7色、いえ、8色は使われています! これだけ色数の多いグラフィティは滅多にない、伝説のグラフィティなのです」
 トラッシュたちは言葉を失った。あの絵が、そんな伝説めいた扱いを受けていたとは。
 そして、少なくとも、ここにあるグラフィティは、トラッシュが「描いた」ものではないはずだ。では、誰が?
 もしかしてそれは、トラッシュと同じ力を持つ者なのか?

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 スイーパー・ブロンズ第4方面支部。
 腕組みをしたまま、いすに座って微動だにしないヨザム。
 ワグダ、カーリカ、フォルケの三人は、息も絶え絶えに、床に転がっていた。
 なぜかワグダはナース、カーリカはチャイナ服、フォルケは桃太郎の鬼退治装束のコスプレをしていた。
「も、もうこれ以上、打つ手は無いですわ・・・」カーリカがうめく。
 ぜえぜえと荒い息とともに、言葉を放つワグダ。
「ヨザム準士官、あんたはいったい、いつになったら動くというんだ・・・」
「いつになったら、だと? 決まっているでござる!」
 そう言うヨザムに、三人の視線が集中した。
 ヨザムは、すっくと立ち上がると、
「拙者の出番は、次回でござる!」
 ワグダ、カーリカ、フォルケは、引きつり笑いをすると・・・
 大の字に、ぶっ倒れた。
「いいかげんにしろおおおぉぉぉ〜〜〜・・・」
 ワグダの嘆きが、ブロンズにこだまするかのよう。

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>>>第2章第4話へつづく。
次回「女トラッシュ?その名はラビ」

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