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第2章第8話「階層の虜囚」

 トラッシュとメイペ、その出会いがもたらすものは・・・

     ★     ★     ★

 スイーパー・ゴールド階層、中核都市デルファイ・シティ。
 そのランドマークたる169階建の超高層ビル、それがスイーパー本部だ。
 その地下一階に、新たな施設が誕生した。フロア構成を大幅に変更してまで作り上げた施設だ。
 それは、美術館である。地下とはいえ、地上から外光を巧みに取り入れる天窓をもつ。そして壁はというと、それ自体が一面の展示スペース、つまり壁から1メートル手前に、全面ガラスがはりめぐらされ、壁とガラスの間に、展示物が置かれているのだ。観覧者は、ガラスごしに展示物を見るというわけだ。
 では、その展示物はというと。
 巨大な岩盤に描かれた、不思議な色彩と絵柄の抽象画。いや、岩盤だけではなく、大理石の板だったり、土のかたまりだったり・・・そう、各地で収集された「グラフィティ」が展示されていた。
 謎のエネルギー反応を持ち、ファウンデーションの研究対象でもある不思議な絵画、グラフィティを、美術品として鑑賞しようという趣向が、キリィ・キンバレンから提唱された。研究施設と展示を兼ねての、グラフィティ展示館なのだ。
 階層の秩序を守る警備組織であるスイーパーの本部に、あまり関係がなさそうな施設ではあるが、キリィ・キンバレンたっての申し出により、市民にも開かれた組織としてスイーパーをアピールする目的を前面に、この展示館は作られたのだ。
 もともと、キリィ・キンバレンは、文化、芸術面においてのスイーパーの影響力を示す必要性を、かなり力を入れて訴えていたひとりだ。ただただ強面の隊員たちが階層侵害行為ににらみをきかせるだけではなく、オーケストラやブラスバンドを結成し、音楽会を主催したり、さまざまなスポーツのクラブチームを結成し、大会に参加したりと、スイーパー隊員の文化活動の推進、ならびに市民との交流に注力することで、市民や地域との信頼関係を築くことを強く推していた。
 それが功を奏したといえよう、市民の理解と敬意を得たスイーパーは、今や政治的な影響力も絶大であり、組織的な強化に成功している。
 近日中にオープンするこのグラフィティ展示館を、開館に先だって訪れた者がいた。
 全身、白の衣服に身を包み、その髪もプラチナのごとき白のロングヘア。だが肌の色はエキゾチックな褐色の少女。若干14歳ながら、稀代の天才と称されるファウンデーション主席研究員、「白」のコジェ・オリクである。キリィ・キンバレン自らが、すでにグラフィティが収められ、開館を待つばかりの展示館を案内していた。
「それにしても、壮観です・・・これだけのグラフィティが一堂に会すると、確かに美術品としても価値あるものと言えそうですね」
「『白のコジェ』にそう言ってもらえると、収集した甲斐があるというものだ」
「先日、ブロンズで発見した6点だけでなく、これまで各階層で発見されたグラフィティ、22点全てが、ここで一度に見られるというのは、とても貴重です・・・」
「ここはファウンデーションの研究施設としても使ってもらってかまわない。それにより、今なお、グラフィティは謎に包まれていることを示すことができる。そんな神秘性もまた、美術品としても価値を高める要因だと思うのだ」
「・・・ところで、この展示には、規則性は特にないのですか?」
「さすがはコジェ、気がつかれてしまったか」
「収集された階層が同じ、というわけではないようです。かといって、絵柄や色彩で分類されているでもなく・・・特にここは」
 コジェが、とある一角で立ち止まった。
 そこは、「行き止まり」とも言える空間だった。
 三方を壁に囲まれている、いや、その壁は全て、展示スペースなのだから、「グラフィティに囲まれている」と言うべきだろう。
 それだけではない。
 そこだけは天窓もなく、天井も床もガラス張りで、その向こうには、やはりグラフィティが置かれている。
 つまり五面のグラフィティで囲まれているのだ。
 なにやら、自分がガラスの箱に閉じ込められていて、グラフィティに取り込まれているようにも感じる。グラフィティの不思議な絵柄も相まって、どこか祝祭的な空間に迷い込んだようだ。
「年中、グラフィティを研究しているわたしでも、この空間は、ちょっとゾッとする感覚を覚えます」
「そうだな。そんな超自然的な感覚を演出したかったのだ」
「超自然的・・・キリィ大尉は、グラフィティにそのような『特徴』があると?」
「はっはっは・・・いや、そういうわけではないのだが」
 だが・・・
 この一角に込められた意図は、いずれある者が身をもって知ることになる。

     ★     ★     ★

 同じく、スイーパー本部ビル。150階展望ラウンジの喫煙エリア、ソファに腰を下ろし、タバコに火をつけようと、アンティークなオイルライターを取り出した初老の男。
 最高会議議長、ザイラ・ファギレルだ。かたわらには秘書とおぼしき、スーツ姿の若い男性がたたずんでいる。
 だが、自慢のライターは調子が悪いのか、シュカッ!シュカッ!と空回りして、点火できない。
 すると、懐に手を入れた秘書よりも先に、ザイラの傍らから、にゅっと手が伸びてきた。その手には、ガスライターが握られている。
 いぶかしげに、ガスライターの持ち主を振り仰ぐザイラ。視線の先には、袖無しの黒いスイーパー制服の男がいた。
 デタン・デズ・デギウスだ。
 一瞬、苦々しい表情を見せたザイラだが、くわえたタバコの先をガスライターに差し出す。シュボンッ!と抜けのいい音を立てて、火が灯された。
 フーーッと、煙を吐き出して、ザイラはデタン・デズに言葉を投げた。
「戻ってきているとは聞いていたが・・・スイーパー本部ビルの出入りは、許可されているのか?」
「これはこれは手厳しい・・・」
 絶えることのないデタン・デズのニヤニヤ笑いは、ザイラにはうっとうしい。
「キギ隊長と鉢合わせでもしたら、居心地が悪かろうよ。クーデターの首謀者としては」
「その罪状は、十分償ってまいりました。なので、引け目を感じることなど、ないと思いますが?」
「食えないヤツだ・・・」苦笑いのザイラだ。
「ザイラ最高会議議長、わたくしがなぜスイーパー組織に楯突いたか、おわかりでしょうか?」
「んん・・・?」煙を吐きながら、話に乗り気を見せないザイラ。
「ザイラ議長もお気づきのとおり、今のスイーパー組織は、綱紀粛正のかけらもありません。単なるならず者集団、いや、腐っていると言っても過言ではないでしょう?」
 ザイラは、デタン・デズと目を合わせず、ただ眉をひそめる。
 逆にデタン・デズは身を乗り出して・・・
「軍にも匹敵する装備・戦力をもつスイーパー、しかしながらその指揮権は、キギ・ラエヴェ隊長が独占していると言っても過言ではありません。こういっては何ですが、一介のスイーパー隊員からたたき上げたキギ隊長は、実力は随一と言っても、市民から選ばれたリーダーではありません。強力な戦力を使用許可する権限を持つものは、市民によって選ばれるべき、そうお思いになりませんか? いや、少なくとも、そうではない現実を市民に納得させるには、市民から絶対的な信頼を得る必要があります。今の、綱紀粛正不在の組織に、その資格がありますか? わたくしは、わたくしなりにスイーパー組織を変えたかった。それが先般の愚行につながったと言わせていただきたい」
「・・・・・・・・・」
 デタン・デズの、どこかヒステリックな熱弁を聞かされればされるほど、醒めていくザイラだった。
「スイーパーの最高指揮権は、市民によって選ばれた最高会議、すなわち議長のザイラ・ファギレル殿にこそあるべき。そうお考えになりませんか」
「・・・要点を聞こうか。わたしも忙しい」
 ザイラがそう言うと、ザイラには、聞こえたわけではないが、デタン・デスが舌打ちしたような感覚を受けた。
 だが、デタン・デズはふたたび薄笑みを浮かべると、
「このわたくしめ、デタン・デズ・デギウスに、ザイラ議長のスイーパー綱紀粛正の手伝いをさせていただきたいのです。決して失望はさせません。申し上げましたとおり、スイーパーの最終指揮権はザイラ議長にこそふさわしい。究極の綱紀粛正はザイラ議長おん自らがスイーパーを・・・」
 デタン・デズの話が核心に触れる前に、ぴしゃりとザイラは言葉を打ち付けた。
「わたしは、別に指揮権が欲しいわけではない。スイーパーの綱紀粛正について、わたしが案じているのは事実だ。だが、キギ・ラエヴェを信頼していないわけではない。ヤツを出し抜くつもりもない。こんにちのスイーパーを強力部隊に鍛え上げ、階層間の秩序を守っているのは、キギ隊長の功績に他ならない。腐ってるように見えたとしたら、残念なことだ」
「ぎ、議長・・・?」
「綱紀粛正についても、スイーパーの組織自体が自浄作用として働くことが望ましい、わたしはそう考える。そのための切り札は、キギ・ラエヴェの信頼も厚い、キリィ・キンバレン大尉だ。キリィがキギの右腕として、スイーパー組織をよりよい方向に導いてくれること、それがわたしの望みだ」
「キリィ・キンバレンが、ですか・・・?」
「貴様の出る幕があるとすれば、キリィの力になってやることぐらいだろうな。もっとも、キギ・ラエヴェがそれを許せばの話だが?」
 ザイラは、タバコをもみ消すと、すっと立ち上がった。
「スイーパーの行く末を案じてくれている気持ちはわかった。ならば、キリィの役に立つことが近道だと、わたしは思うぞ? デタン・デズ・デギウス中尉?」
 見てくれは小男だが、威厳に満ちたたたずまいは、巨人のごときザイラ・ファギレル。自分に取り入ろうとした魂胆などお見通しだ、そう言わんばかりにデタン・デズを軽くあしらい、秘書を伴って展望ラウンジをあとにした。
 デタン・デズは、完全に当てが外れ、ギリギリと奥歯を噛みしめ、拳を握った。

     ★     ★     ★

 ブロンズ旧市街でのイリーガル騒ぎは、トラッシュたちの生活にも影響を及ぼした。ようやく、ブロンズに広まる「救世主祭り」について知ったトラッシュたちは、ほとぼりが冷めるまでは、少なくとも市街地では、うろうろしない方がいいだろう、ということになったのだ。なにせ、市民に熱狂的な支持を得た救世主イリーガル=トラッシュは、先日の赤ん坊救出劇で、その顔を覚えられてしまったからだ。
 ネット上に広まったトラッシュの顔写真を見て、シャマルなどは面白がったものだが、いっぽうで家事一切をトラッシュに押しつけていた彼らも、トラッシュの代わりに働かなくてはならざるをえなくなった。
 ヒビナは、しぶしぶ買い物にでかけることにした。ほんとうはシャマルに押しつけようと思っていたのだが、一足先にシャマルのほうが姿を消してしまったのだ。
 チッ、と舌打ちして、ヒビナは電動スクーターを駆り旧市街へと向かう。
 そしてシャマルはと言えば、まんまと雑用を逃れ、旧市街とはまた別の方角、港湾都市へと足を延ばした。

     ★     ★     ★

 水と緑の豊かなブロンズにあって、ひときわ大きな淡水湖・タルタカス湖。一万平方キロメートルもの巨大湖は、もはや海に見えるほどだ。
 湖岸では淡水魚や貝類など、水産資源が豊富である。港湾都市は漁業の基地として発展した街であり、最近では新興住宅地としても見直されている。
 旧市街に比べると、古くからの港町の風情と、その景観に配慮したレトロモダンな新興住宅街とが入り交じって、暮らしやすい地域だと人気がある。
 この街には、大型の書店があるとの情報を、シャマルはつかんでいた。街の観光案内所で手に入れたマップを眺めながら、目当ての書店を目指し歩くシャマル。
「天球に連なる海洋と大陸の交響」は、つい先日読み終えたばかりだ。これでコジェ・オリクの著書はひととおり読んでしまったことになる。そこで彼女の新刊が出ていないか、わずかばかりの希望を携えて書店を訪れる気になったのだが、ほんの数週間前に会ったばかりの彼女が、もう新刊を書き終えているなどとは、正直考えにくい。ましてやグラフィティの探索の真っ最中だったのだから、そんなヒマがあったかどうか。
 あれ以来、コジェとは会っていない。だが、メールのやりとりは、ヒビナやエトワも含めて、よくやっている。コジェはブロンズでのグラフィティ探索を一段落し、予定ではそろそろゴールド階層のファウンデーション本部に帰還しているはずだ。
 シャマルの脳裏に、コジェのキュートな笑顔が思い出される。
 知性と教養を擬人化したような面差しのコジェだが、時折見せる笑顔は、14歳の少女の素顔だといえる。ちょっとおっとりめの、ふわりとした人当たりの良さは、生まれ持ったものなのだろう。シャマルの回りのがさつな連中とはちょっと違う、気品というものを感じる。
 コジェを学者として尊敬しているシャマルではあるが、それだけにとどめるには、彼女はあまりにも魅力的だった。
 できることならば、コジェとまたお茶でも飲みながら、学問の話でも交わしたいものだ・・・
 シャマルが、そんなことを考えていたとき。
「おばあちゃん! どうしました? おばあちゃん!」
 遊歩道のベンチで、白髪頭の品の良さそうな老婦人が、胸を押さえてうずくまっていた。その老婦人の背中に、手を触れながら声をかけている、少女がいた。
 シャマルは、その小柄な少女が、一瞬、コジェに似ている気がした。だが、小柄という以外に、よく見ればそんなに似ているわけでもなく、コジェのことを考えていたから、錯覚したのだろうか?と、ちょっと耳が赤くなった。
「おばあちゃん! どこか痛い? 苦しいの?」
 さらに我に返って見ると、その少女は、看護師の格好をしていた。体調を崩した老婦人を気遣っているようだ。そんな事態に直面しながら、自分はなにを考えていたのだろうか?と思うと、シャマルはさらに汗顔を重ねた。
 シャマルは、少女と老婦人に駆け寄る。
「助けがいるか?」
「あ・・・ありがとうございます。お願いできますか?」
 そう言って、振り向いた看護師の少女。
 シャマルは、ドキッとした。
 黒髪に切れ長の黒い瞳の、モンゴロイド系だろうか? 彫りの浅い、コジェとはまた違うエキゾチックな面差し。シャマルがこれまであまり出会ったことのないタイプの少女だった。看護師らしく、ほどけば結構な長さだろうと思える髪を、きちんと清潔なアップスタイルにまとめている。だが看護師としては、経験が浅いのか? このような事態に、少々狼狽しているように見える。それゆえか、シャマルに振り向いたその瞳が、すがるように感じ取れたのかも知れない。
 少女が、シャマルに刺さった。
 シャマルは、冷静さを取り繕い、
「あ、ああ・・・」
 最初の勢いとは裏腹に、なんとも気のない言葉を漏らした。

     ★     ★     ★

 旧市街は、市庁舎のクレーン事故、その修復の影響で、大々的な交通整理を実施していた。幹線道路は交通渋滞で、スクーターですらまっすぐ走るのに一苦労した。そのため、ヒビナは夕食の買い物をするだけで、かなりの時間を食ってしまった。そうなると、ヒビナの機嫌がよろしいはずがない。
 ヒビナは、いくつもの買い物袋をひっさげて、カフェで休憩していた。が、あからさまに不機嫌丸出しで、かわいい顔が台無しだった。
「だから来たくなかったのよ! 庶民階層のブロンズの買い物なんて! それに食料品の買い出しなんて、生活臭全開で、あたしみたいな美少女には似合わないしさ!」
 やっぱり自分で言ってしまった。
「いちごのミルフィーユ」と「ガトーガナッシュ」と「三種のチーズのフロマージュ」と「バナナシフォンケーキ」を平らげ、ミントティーをすすっていた。
「あ〜あ、なんでこんなとこで、こんなことやってるんだろう・・・」
 食料品の詰まった買い物袋を眺めながら、ヒビナはほおづえをついた。
 順調に行けば、あたしは今ごろスイーパー予備隊員として実地研修の真っ最中で、輝かしい実績をキリィ・キンバレン予備隊隊長に絶賛されていたはずだった。
 それがトラッシュと出会い、ダウンシフトし、またアップシフトし、トラッシュのゴールド階層を目指す旅について回り、あちこちでさんざんな目に遭い、ジェットコースターのようにめまぐるしい日々を送っている。
 そのせいで、退屈はしていない。していないが、気が休まることもない。こんな生活が、いや人生が、これからどのくらい続くのだろうか。
 ・・・ほんとうにゴールド階層にたどりつき、キリィ・キンバレンさまと再会し、その心の内を確かめることなど、できるのだろうか。
 つい最近になって、ヒビナも、自分探しが必要なんじゃないかと考えたりもした。だが、実際には日々の騒動に翻弄されるばかりで、自分探しのヒマなども見つけられない。
 トラッシュはなんであんなに自信満々で生きられるのだろうか?
 普段から、あいつはバカだから、と結論づけようとするが、本音を言うと、うらやましくもあった。
 良くも悪くも、あいつには迷いがない。想像も付かない言動をしても、結果それが良い方向に転がったりもする。
 まあ、あのハチャメチャさが、むしろ騒動の引き金になってたりもするのだが。
 あんなふうに、自由に、自信を持って生きていくことが、あたしにはできないのだろうか?
 ときおり、トラッシュがまぶしく見えてしょうがない。
 はあ・・・
 柄にもなく、ため息をつくヒビナ。
 すると・・・
「すみません、『木いちごのミルフィーユ』と、『ガトーガナッシュ』と、『三種のチーズのフロマージュ』と、『バナナシフォンケーキ』。あと、ミントティーを」
 隣のテーブルで、ヒビナと同じような注文が聞こえた。
 気になって、そのテーブルに目線をくれると・・・
「ああああああぁぁぁ〜〜〜〜ッッ!!」
「ええええええぇぇぇ〜〜〜〜ッッ!?」
「アンタ、フォルケ!」
「そういうキミは、ヒビナ!」
 隣のテーブルには、食料品の詰まった買い物袋を携えた、フォルケの姿があった。
 フォルケは珍しく、私服姿だ。ベージュのコーデュロイのノータックパンツに、ブルーのダンガリーのボタンダウンシャツ、そして紺と赤のアーガイル柄ニットベスト。靴はブラウン、コードバンのローファーだ。
「なにその、典型的お坊ちゃまファッションは!」
 ヒビナは、半笑いでフォルケの身なりをクサした。
「ほ・・・ほっといてくれよ! 研修中なんだから、着るものなんて何でもいいと思って・・・」
「いかにも、ママが選んだって感じ! だっさー!」
「違うよ! 一番上の姉と三番目の姉と、七番目の姉と妹が選んだんだよ!」
「・・・アンタ、姉何人いんの?」
「いいじゃないかよ、ひとンちのことだろ! ・・・あ、七番目じゃなくて八番目だった」
「どうでもいいわ! それよか、なに?アンタも買い出し? あれでしょ、どーせワグダあたりに、メシ作れーって、あごで使われてんでしょ」
「ううっ、そこは否定できない・・・」
 そこへ、「お待たせしました」と、フォルケのケーキが運ばれてくる。
「ちょっと! 何でアンタ、あたしのオーダーのまねしてんのよ!」
「まねなんかしてないよ! ボクは今来たところだし、ヒビナのオーダーなんか知らないよ!」
「いちごのミルフィーユとか、まるっきりあたしの注文と同じじゃない!」
「違うよ、わかってないな! これは『木いちご』のミルフィーユだよ! この店の一番人気、てか旧市街の名物だぞ! 普通のいちごのミルフィーユなんて注文した日には、モグリだとバカにされるんだぞ?」
「うっ・・・」
 そう言われると、カフェの他の客から、嘲笑を浴びているような気がしてしょうがないヒビナだった。あっ!あそこのカップル、こっち見てニヤニヤ話してる!あたしのこと笑ってるんじゃないでしょうね?
「あれ?そういうヒビナも、買い出しじゃないのか? その袋・・・」
「こ、これは・・・ほっといてよ!」
「はあ・・・キミって相変わらずだな・・・」
「な、なによ、その自分一人だけ成長してます的な上から目線の物言い」
「今のボクの一言で、そこまで言うところも、相変わらずだ」
 フォルケは、笑顔をたたえて、ミントティーを口に運んだ。
「なにがおかしいのよ。ひょっとして、バカにしてる?」
「バカにはしてないけど、ヒビナ、成長してるのはボクだけじゃないぞ? 同期の予備隊員は、みんなそれぞれがんばってるみたいだよ。研修、中止になったんだって。イリーガル騒ぎのおかげで」
「あら・・・そう・・・」
「で、ちょっと同期のみんなに連絡取ってみたんだ。アマドアは、銃器管理部門に引っ張られて、正規隊員の手伝いしてるって。部長に気に入られて、こんど新兵器のテスト要員になれるかもって、はりきってた。それと、ジョジム・ウバデル、コンピュータが得意だったじゃないか? あいつも、シルバーのスイーパー支部で、ネットワーク管理部署にかり出されて、いそがしいみたいだよ」
 フォルケは、並んだケーキを口に運びながら、話をつむいでいく。
「え・・・あ・・・へえ・・・」
 ヒビナは、無意味な言葉を発した。
「ほかにも、むしろ研修よりも貴重な経験してるメンバーは、少なくないみたい。イリーガル騒動でスイーパーも人手不足だから、研修中止がいい方に転んだのかもね」
 かくいうフォルケも、スイーパー追跡スペシャルチームという、予備隊員としては、破格のエリート扱いと言って過言ではない。本人にその実感はないだろうが。
 ヒビナは、気にも留めなかった同期生たちの、活躍している現状を知り、ちょっとショックを受けた。
 だが、続くフォルケの言葉に、ショックは、ちょっとどころではなくなった。
「そうそう、メイペに会ったよ」
「ええっ!? メイペって、あのメイペ・シノリ?」
「ヒビナのこと、心配してたよ? こういうことに・・・なっちゃったわけじゃないか」
 ざわついていたヒビナの心の内に、じょじょに荒波が押し寄せる。
「・・・フン、どうせ、あたしがスイーパーを追放されたことを、みじめだと思ってるんでしょうよ! あんなヤツにあざ笑われるなんて、あたしも落ちたモンだわね!」
「・・・それはいくらなんでも、言い過ぎだぞ? メイペは真剣にキミのこと・・・」
「あんな良い子ブリッコ、腹ン中ではなに考えてるか、わかったもんじゃないわ! あたしがいなくなって、羽根伸ばし放題なんでしょ?どうせ!」
 フォルケは、カチンときた。ヒビナがメイペを一方的にライバル視するのは勝手だが、根拠もなくメイペをそこまで悪しざまに揶揄するのは、ひどすぎないか?
 とはいえフォルケの性分で、ヒビナを責めるつもりはなかった。だが、ムッとしたせいか、メイペの肩を持ちたくなって、普段なら言わなかったであろうことまで、言ってしまった。
「けどねえ、そのメイペが一番の出世頭だよなあ・・・なんたって、あのキリィ・キンバレン大尉の秘書に抜擢・・・」
「な、な、な、なんですってえぇぇ!!??」
 ヒビナが、飛び上がるんじゃないかという勢いで、いすから立ち上がった。
 目の色が明らかに変わっている。髪の毛が逆立っているようにも見えてしまった。
 フォルケは、しまった!と思ったが、アフター・ザ・カーニバル。
「どどど、どういうことよ! フォルケ、アンタ、ウソ言ってんじゃないわよ! あのメイペが、こともあろうに、キリィ・キンバレンさまの、ひ、ひ、ひ、秘書だなんて! 同じオフィスで同じ水道の水を飲んでいるなんて!」
「最後のほうは、なに言ってんだ?」
 ヒビナは、フォルケにつかみかからんばかりの勢いで詰め寄り、
「早々にウソを認めれば、お上の慈悲もないわけではないわよ! フォルケ! さあ、ウソだとおっしゃい!」
 よくわからない言い回しで、至近距離でがなり立てられて、さすがのフォルケも我慢の限界だった。言ってしまった以上は、しょうがない。
「ウソなもんか! キリィ大尉はメイペを連れて視察に来たんだ! その時、キリィ大尉自ら、秘書としてメイペを紹介したんだ!」
「ウソよウソよウソよ! 絶対絶対、ぜーったいウソだわ! なんでこのあたしじゃなくメイペなんかが、キリィさまのおそばにいられるっていうのよ!」
「現実を認めろよ! ヒビナ!」
 珍しく、厳しい言い方で、フォルケはヒビナに言葉をぶつける。
 その剣幕に、ヒビナはたじろいだ。
 フォルケは、もともと真面目な男ではあるが、ここまで真剣な顔を見せるのは、ヒビナにもはじめてのことだった。
「メイペは、努力してるよ! 認めたくないだろうけど、メイペの才能は、集合研修時代に、いやというほど見ただろ! でも、そんなメイペだけど、勉強でもスポーツでも、努力を怠らなかった。いつも一生懸命で、目標を定めて、一歩一歩努力してた! だから、あれほどの成績を残せたんだ! ボクにはわかる! 研修が中止になってからも、キリィ大尉の秘書に付いてからも、彼女は努力してたに違いないんだ! じゃなきゃ、キリィ大尉が認めるわけがない! キリィ大尉を見ててわかったよ。大尉はメイペを信頼してる。きっと、能力だけじゃない、ひたむきに努力してるところも見てたんだ! キリィ大尉は予備隊隊長だったんだから!」
「・・・・・・・・・」
「・・・本気でメイペをライバルだと思うなら、ガチで勝負してみなよ。誰からも認められるくらい、努力して、結果を出してくしかないだろ! キミも、ボクもだ」
 ヒビナは、うつむいて、黙り込んでしまった。ことキリィ・キンバレン、ことメイペ・シノリとあって、ヒビナには衝撃的な話だったに違いない。フォルケは、ミントティーを飲み干すと、ちょっと言い過ぎたかな・・・と思いながらも、だからといってヒビナを慰めるつもりはなかった。
「メイペに会って、ボクはまたがんばる気になったよ。がんばってる人を見ると、自分も・・・って思うだろ。ヒビナもメイペに会ってみればいい。機会はなかなか無いだろうけど・・・」
 フォルケは立ち上がり、伝票を手に、テーブルを後にした。
 去り際にヒビナに、
「木いちごのミルフィーユ、手つけてないから、よかったらどうぞ」
 やっぱり、それなりに慰めてみるフォルケだった。
 ヒビナは、フォルケを見送ることをしなかった。ずっとうつむいたまま・・・
『そうよ、あたしはなにをしてるんだろう・・・メイペに遅れをとるなんて! あたしがもたもたしている間に、メイペは、あたしが成したかったことをかなえてる! あたしが失ったものも、あたしが欲しかったものも、メイペは全部、全部手に入れてしまう・・・』
 天と地が入れ替わって、体がぐるぐる、ぐるぐる回っているような、そんな感覚を、ヒビナは味わっていた。

     ★     ★     ★

 港湾都市の幹線道路沿いに、小さな病院があった。
 シャマルは、老婦人を背負って、その入り口をくぐる。傍らには、少女看護師がついていた。
「先生! ベネック先生! いらっしゃいますか?」
 看護師は、診察室に入ると、医師を呼んだ。ちょうど休憩時間のようで、診察待ちの患者などの姿は無かった。
 奥から、30代とおぼしき、白衣姿に丸メガネのヒゲ男が現れた。
「どうした、ステナ」
「あっ、先生! このご婦人が、胸が痛いと、苦しんでらしたので・・・」
「どれどれ・・・んっ、キミは? お孫さんかな?」
 先生と呼ばれた男は、老婦人を背負うシャマルに向かって言った。
「いや、オレはただ通りがかって・・・」
「そうか、助かるよ。ありがとう・・・こっちの、このベッドにご婦人を寝かせてくれないか? ステナ、手を貸して・・・」
「はいっ!」
 ステナと呼ばれた看護師は、シャマルが診察室のベッドに老婦人を横たえるのを手伝った。シャマルは、接近したステナのうなじのあたりから感じた、石けんの香りにくすぐられ、またドキドキした。
 ベッドに横たわる老婦人は、意識ははっきりしているようだった。ステナは手際よく血圧と脈拍を測る。さきほどの狼狽ぶりはなりを潜め、てきぱきと処置を施す。

 老婦人は、もともと心臓が弱く、血圧が不安定になって気分を悪くしたようだった。薬を飲み、少し休んで、気分もかなり良くなったらしい。しきりと、シャマルとステナに礼を述べた。
 医師は、シャマルに向かって語りかける。
「ご家族には連絡しておいたよ。でも、もう少し休んでから、迎えに来てもらうといいだろう。たいしたことは無かったんだが、キミがいてくれなかったら、もっと容態は変わってたかも知れない。ほんとにありがとう」
「いや、そんな・・・この看護師・・・さん、がいたからで・・・」
「わたしは、ベネック・ドワイ。キミの名前は?」
「シャマル。シャマル・カング・・・」
「彼女は、ステナだ」ベネック医師は、看護師ステナをシャマルに紹介する。ステナは、はじめてシャマルに笑顔を向け、
「ステナ・ビナティリです。シャマル、ありがとう」
「そ、そりゃどうも・・・」
 どうにも歯切れの悪いシャマルだ。そのあたりを察したのか、ベネックは、
「ステナ、キミは昼休みをつぶしてしまったろう? 今からでも、ティータイムにしたらどうだい? シャマルと一緒に・・・」
「ええぇっ!?」これには、シャマルのほうが驚いた。

     ★     ★     ★

 そこがどこであるかもわからないほど、暗い部屋の中で、二人の男女が語り合っていた。
 男は、黒い袖無しのスイーパー制服。前髪が立ち上がった黒髪に、鍛えられた体つきの青年。
 デタン・デズ・デギウスだ。
「ザイラ・ファギレル・・・甘く見たつもりはないが、やはり一筋縄ではいかんな」
「どうします? ひと思いに・・・」
 それは少女の声。暗闇で顔もよくわからないが、デタン・デズの傍らにひざまずいている。
「いや、キギ・ラエヴェに一泡吹かせるには、あの男ほどの地位と名誉がないとな・・・もう少し、作戦を考える必要がある」
「ガベイジのほうは、どうなさるおつもりで」
「こちらも、思ったようにはいかなかったが、使い道はある。あのイリーガルと互角に渡り合った点は評価できる。泳がせておくが、監視は怠るな」
「はっ!」
「ザイラと、ガベイジ、そしてイリーガル・・・うまく利用すれば、スイーパー組織をこの手に入れるも、夢物語ではない・・・とくにイリーガルは、手の内においておきたいものだが・・・」

     ★     ★     ★

 電動スクーターを駆り、ヒビナは小高い丘のキャンプへと戻ってきた。
 エトワがパタパタと駆け寄って迎える。
「おかえり〜ヒビナ!」
「・・・ただいま〜」
 エトワがぎょっとするぐらい、ダルそうにヒビナは体を引きずる。
「・・・どうかしたの、ヒビナ。具合悪いの?」
「どうもしないわよ〜・・・はい、買い物〜」
 テーブルの上に、買い込んだ食料品を転がした。
「・・・はあああぁぁ〜〜」
 ずっしりした濃いため息を、ヒビナは吐き出した。
 しばしテーブルに突っ伏していたかと思うと・・・
「・・・トラッシュは?」
「どこか、その辺じゃない? シャマルも出かけたっきりだし、エトワ、退屈ぅ〜」
「へえ・・・」
「ねえ、ヒビナ、なんかして遊ぼうよ〜!ねえ、ねえってば!」
「もう、ほっといてよ・・・」
「つまんないよ〜、ねえ、ヒビナぁ〜」
「どうせあたしはつまんない女よ! いいから、ほっといてってば!」
 強い調子でそう言ったヒビナは、エトワが、半べそ顔になっているのに気づき、ハッとなった。
 エトワは・・・
「いいもん! エトワ、一人でも遊べるもん!」
 どこかへ走り去っていった。
 ヒビナは、より一層、ずしーーんと落ち込んだ。
『ホントに、なにやってるのよ、あたしったら! エトワに当たるなんて、最低! 最低だわ!』
 泣きたくなった。
 むしろ、泣いた方がスッキリしたかも知れなかった。だが、気持ちのモヤモヤが一層濃くなっただけで、ヒビナは混乱を抜け出せなかった。

     ★     ★     ★

 トラッシュは、丘のキャンプを抜け出して、河原で一人、ウィンドボードを飛ばしていた。
 タルタカス湖へと注ぎ込む第一級の河川の、広々とした河川敷は、普段はサッカーやバレーボールなど、スポーツや遊びに興じる人々がチラホラといた。今日に限って、人の姿が少なめだったため、トラッシュは息抜きとばかりにウィンドボードを駆っていた。
 ウィンドボードの裏側のキツネのイラストに、アートを無効化する力があることを知ったのは、最近のことだ。これは便利とばかりに、アート使いとの戦いでは、楯代わりにウィンドボードを使っていた。だが、ヨザムとの戦いでは、キツネイラストの力にも限界があることを知った。
 そこで、トラッシュはウィンドボードを「休ませる」事を心がけるようになった。先日の旧市街への買い物も、ボードをチョイ乗りで便利に使うことは、極力控えようとしたのだ。そのために、メイペや赤ん坊の救出には、相当な無茶をするはめになったのだが。
 なので、あまりウィンドボードを使わなすぎるのも考え物だと思い始めた。
「やっぱ、こうしてるときが一番楽しいな! ウィンドボード乗りのトラッシュが、一番オレらしいっちゃ、らしいんだな」
 と、そのとき。
「助けてぇぇぇっっ!! 助けてくださああぁぁぃぃっっ!!」
 とつぜんの、絹を引き裂くような少女の叫び声に、完全に虚を突かれたトラッシュは、
「どわあああぁぁっっ!!??」
 バランスを崩して、ウィンドボードごとひっくり返った!
「あいててて・・・」
 さかさまのトラッシュの視界に、駆け寄る少女のシルエットが入った。
 年の頃はトラッシュと同じくらいだろうか。ピンクのサテンのジャンパーに、赤系のタータンチェックのスカート、それはそれは、とてつもなく短いスカートの少女。ネイビーブルーのタイツこそはいてはいたが、トラッシュはそんな短いスカート姿の少女を、ほとんど初めて見た。
 肩に斜めにかけたハート柄のポシェットが、駆け寄る少女の腰で跳ねる。
 面食らっているトラッシュが、ウィンドボードを外して立ち上がると、それを待っていたかのように、少女はトラッシュの左腕にしがみついた!
「お、おい・・・!?」ドギマギするトラッシュ。
 少女は、茶髪のポニーテールを弾ませながら、
「助けてください! ヘンなヤツに追われてるんです!」
 トラッシュの背後に隠れるように、身を縮める。
「追われてる・・・?」
 少女の視線の先に、ふと目をやったトラッシュは、またまた面食らった!
「おまえは、オラの嫁になるのだーーーーッッ!!」
 麻のマントに、綿のターバン姿の、顔を隠した少年がそう叫びながら、こちらに駆け寄ってくる。赤い目がぎらりと輝いた!
「お・・・おまえ! ガベイジ!?」
「なにぃ!? そう言うおまえは、イリーガル!」
 そう、少女を追ってきた「ヘンなヤツ」は、どう見てもガベイジだった。
「ガベイジ、おまえ! こんなところでなにしてる! パビクたちはどうした?」
「パビク・・・? 知るか!」
「な・・・おまえ・・・そ、それに、おまえはヒビナ一筋じゃなかったのか!? なんでこのコを嫁に?」
「嫁は一人でも二人でも困るまい! むしろ多い方がなにかとムフフだ!」
「・・・なんか、キャラ変わってない?」
「うるさい! オラのジャマをするなら、おまえも天国に送ってやる!」
「助けて・・・助けてください!」ぎゅっと、トラッシュにしがみつく腕に力がこもる少女。
「な、なにがなんだかわからんが・・・」
 トラッシュは、少女を下がらせると、ガベイジに向かって身構えた。
「キャホオオオオォォッッ!!」
 ガベイジは、奇声を上げながら、トラッシュに迫る!
「だからオレはケンカはキライだって・・・」
 突進してくるガベイジを、トラッシュは身軽にかわした。
 すると、ガベイジは、なんということはない河原の石にけつまづいて、盛大にすっころんだ!
 ズサササアアアァァッッ!!
「あ・・・あれ?」トラッシュはあっけにとられる。
 ガベイジは、わなわな震えながら立ち上がると、
「ちくしょう、覚えてろ! イリーガル!」
 そう言って、走り去っていった。
 ぽかーん。
 トラッシュは、心の中でつぶやく。
『あいつ、オレのことイリーガルって呼んでたっけ?』
 だが、首をかしげるトラッシュが、それ以上考える暇も無く、少女がトラッシュの首にすがりついた!
「ああっ、ありがとう! あなたのおかげで助かったわ!」
「えっ!?おい、あの・・・」
 とつぜんのことに、トラッシュはとまどうばかりだ。
「あの、よかったら、あたしの兄に会ってくれない? お礼がしたいし、兄もきっとあなたに感謝すると思うの」
「いや、オレは・・・」
「じゃ、行きましょう!」
 有無を言わさず、少女はトラッシュを引っ張っていく。見かけによらず、ものすごい力だ。トラッシュは、
「おい、ちょ・・・待っ・・・」
 あわててウィンドボードを拾い上げると、引きずられるように少女に手を引かれていく。

     ★     ★     ★

 港湾都市の幹線道路沿い、ベネック・ドワイの小さな個人医院からクルマで10分ほど、旧市街のカフェで、シャマルとステナは向かい合ってすわっていた。
 ウェイトレスに向かって、シャマルはオーダーを告げる。
「ええと・・・オレはコーヒーでいいや」
 するとステナは、
「遠慮しないで良いのよ? ここはケーキが美味しいことでも有名なんだから」
「んあ・・・じゃ、この『木いちごのミルフィーユ』ってやつを・・・」
「あ、待って? こっちの『いちごのミルフィーユ』があたしのオススメだから、そっちにしない? じゃ、『いちごのミルフィーユ』と、ブレンドコーヒー、2つずつね」
 受けて、ウェイトレスがにこやかに立ち去ると、ステナは小声でシャマルに耳打ちする。
「ここの『木いちごのミルフィーユ』って、すんごくマズイのよ? どういうわけだかこの街の名物になってるけど、普通の『いちごのミルフィーユ』のほうが、だんぜん美味しいんだから」
「そ・・・そうなのか?」
「そう!お姉さんに任せておきなさい」
「お姉さんて・・・そんなに歳、かわらないだろ?」
「あたし、19よ?」
「うそっ!? オレ、14だぜ?」
「ええええっっ!? 年下だとは思ったけど、そんなに若いの?」
「ステナこそ・・・悪い、女性に歳のことああだこうだ言うのは、失礼だよな」
「たしかに看護師としては若いほうなんだけど・・・よく、子供っぽいとは言われるわ」
 そう言って笑うステナは、やはりシャマルには、あどけなさの漂う少女にしか見えなかった。
「そうよね・・・急患を前に、あんなにオタオタしてたら、子供っぽく見えてもしょうが無いわよね」
「そんなこと・・・アンタがいなけりゃ、あのばあさんもどうなってたか。看護師だからって、誰でもあんなふうにできるわけじゃないだろう?」
「ふふっ、優しいのね、シャマルって・・・」
「そ、そんなことは・・・」
 シャマルは照れた。柄にもなく。
 頭をかくシャマルの右手、人差し指に、いぶしたシルバーのリングがあるのを見つけたステナは、
「あら、14にしては、ずいぶんとオシャレなこと・・・」
「あ、これ・・・」
「なあに?もしかして、彼女のプレゼントとか?」
 と、いたずらな微笑みを寄せるステナに、シャマルはドギマギ・・・を見せぬよう、表情を取り繕う。
「そうじゃねえよ・・・手先の器用な、その、仲間がいてね。そいつの手作り」
「ふうん・・・」
 するとステナは、話題を変えてくれたのか、天を仰いで、言った。
「そっか、14かあ・・・あたし、14のころって、どうだったろう? 夢に向かってまっしぐら、なんて格好いいものじゃなかったし、看護師は目指してたけど、働きながら勉強してたし、目の前のことで精一杯、って生活だったなあ」
「ブロンズじゃあ、みんなそんなもんじゃないのか?」
「あははっ、なんだかシャマル、大人びた物言いよね。だから14に見えないのかも」
 コーヒーと、いちごのミルフィーユが目の前に並べられた。
「あなたみたいに、これからの若者に言うのも何だけど、たしかにブロンズでは、脇目も振らずに働いて働いて、その日の暮らしのことしか考える余裕もなく働いて・・・それでやっと人並みに暮らせる、ってところよね」
「まあ、そうだよな・・・」
「ブロンズに生まれ、ブロンズで育ち・・・どんなにがんばっても、生涯、ブロンズなりの暮らししかできない。どんなに才能があっても、頭がよくても、ブロンズはシルバーやゴールドにはなれないんだから・・・」
「・・・でも、もし、そんなに才能があるヤツがいるのなら、スイーパーを目指せば良いじゃないか? それなら、階層も関係ないし、いい暮らしも出来るだろう?」
 スイーパーを、忌み嫌っているくせに、おざなりにそう言うシャマルだ。
「・・・でも、スイーパーは才能だけじゃダメなの、知ってるでしょ? スイーパー資格の条件として、健康状態も問われるのよ? 持病によっては、試験すら受けられないんだから」
「ステナ、持病が?」
「あら、あたしのことじゃないわよ? あたし、そもそもスイーパーなんて・・・」
「じゃ、身近に誰か、そういう経験を?」
「・・・・・・・・・」
 シャマルは、ついつい鋭いツッコミを入れてしまっていた。持ち前の、人並外れた洞察力のせいで、何気ない会話の中にも、ひっかかる事は追求してしまう。シャマルはステナの反応から、彼女が触れられたくない事に触れてしまったのに気づいた。それもまた、洞察力である。
 シャマルは、トラッシュを真似たような言葉を並べた。
「ま、どうでもいいか? ブロンズはブロンズなりに、出来ることをやって生きてくしかない。今日は今日を生きる、ってのも、悪くはないだろ?」
「そうね・・・でも・・・」
 言いよどんだステナを見て、シャマルは確信した。やはり、ステナの知る誰かが、才能を持ちながら何らかの理由で、「ブロンズなりの生活」を送っていることを、彼女は受け入れがたいのだろう。そんな不満は、普段は心の奥に秘めている分、ひょんなことで口をついてしまう。
 スイーパーになる資格条件には、いろいろある。犯罪歴があったり、反社会的活動、あるいは極端な政治的活動に手を染めた経歴があると、資格試験を受けられないことがある。だが、彼女は「健康状態」に限った物言いをした。それは、具体的な例を彼女が知っているからなのだろう。
 だが、シャマルはこれ以上、追求することはやめにした。
 個人的事情に立ち入る事になるから・・・それもある。だが、本音を言えば、これ以上踏み込めば、ステナに嫌われるかも知れない、そう思ったのも事実だ。
 すると、シャマルが立ち入る以前に、ステナのほうが、話の舵取りを変えた。
 いや、変えてはいなかったのかも知れない。
「さっきのおばあさん、たしかに町中で苦しんでいたから、わたしは介抱していたの。でも、ただ単に、ぐうぜん苦しんでいるおばあさんに出くわしたわけではないの」
「えっ?」
「わたしね・・・病気を持つひとがわかるの。何ブロックも先から、あのおばあさんが循環器系の疾患を持っていて、数分後に苦しみだすことがわかっていたの。だから、急いでおばあさんのもとに向かった。案の定、たどりついたと同時くらいに、あのおばあさんは苦しみだしたの。間に合ってよかったわ」
「ええっ・・・それはすごいな」
「ベネック先生は、それはわたしのアートじゃないかって言うの。ブロンズのアートね」
「それじゃあ、看護師は天職だな。ステナは・・・」
「それだけじゃないわ」
「??」
 ステナは、いちごのミルフィーユに、右手をかざした。すうっと、軽く息を吸い込むと、ミルフィーユをじっと見つめた。
 すると、ステナの右目が、右目だけが、銀色に輝いた!
「!!??」
 シャマルは、その光景に驚く。
 ステナの右手に力がこもっているのがわかる。小刻みに震える右手のひらから、「気」が発せられているように、シャマルは感じた。
 アートだ!
 これまで、何人ものアートを目にしてきたシャマルだからこそ、そう直感したのかも知れない。
 と、ステナのいちごのミルフィーユは、じわじわと・・・溶けていった!
 それを、驚きと共に見つめるシャマル。
 ステナのケーキ皿には、溶けたミルフィーユが、ジャムのように広がっていた。
 ステナは、小声でシャマルに語りかける。
「これもアートだとしたら、わたしは2つのアートを持っていることになる。どういうことかわかる?」
「もしかして・・・クロス・クラスなのか?」
 ステナは、笑顔で、こくりと頷いた。
「誰にも内緒よ? このことを知っているのは、ごく限られたひとだけ。わたしの親しいひとだけなの」
 つまり、ステナはブロンズとシルバーの2つの階層をもつ、クロス・クラス・・・シャマルは驚嘆した。
「だからわたし、シルバー階層にも出入りできるの。でも、わたしはブロンズから出ることはないでしょうね。だってシルバーに行ったからって、わたしみたいな大した才能も無い人間は、いい暮らしができるとも思えない。だったらブロンズにいても変わりないもの」
「そんな・・・ひとの病気がわかるんだろう? それはシルバーに行っても、すごいことだと思うぞ?」
「でもそれは、ブロンズのアートとしか、ひとは見てくれないわ。シルバーでブロンズのアートを使うなんて、もちろん使っちゃいけない決まりなんて無いけど、物笑いのタネにしかならないわ」
 そんなこと、あるのか?・・・と言おうとして、シャマルは言葉を飲み込んだ。クロス・クラスである彼女のことだ。それは実体験から出た言葉なのかも知れない。
「わかる? 何万人かにひとり、正式に階層を越える事を許されたわたしでも、だからといって何一ついいことなんてない。いっぽうで、才能に恵まれながら、階層に閉じこめられて、それを発揮する場もチャンスも与えられないひともいるの。なんだか・・・世の中って、不公平よね」
 自分と同じクロス・クラス。シャマルは初めて出会った。
 そして、クロス・クラスであることが、階層社会においては必ずしも良いことではない、と言う点も、同じだった。
 二つの階層を持つものは、二つの階層のどちらにも居場所がない。階層とは、いや、階層社会に取り込まれた人間とは、そんなにも不寛容で、排他的なものなのだろうか。
 シャマルの、階層社会に対する憤りが、またしてもふつふつとわき上がってくるのを、彼自身は止められなかった。
 だが、シャマルのそんな感情があふれ出す前に、ステナは、
「ごめんなさいね。どうしてこんな話になっちゃったのかしら。シャマルみたいな、前途ある若い子に向かって・・・」
 まったくだ。ステナはなぜ、この話をオレにしてくれたのだろう? クロス・クラスであることを告白するなんて、今日初めて会ったオレに、そんな重要な話を・・・
 そんな疑問を呈するより早く、その場に入り込んできたものがいた。
「ステナ・・・ステナか?」
 それは、20歳前後とおぼしき若い男。すらりとした、というよりは、ヒョロッとした感じの、優男だった。ステナと同じく、黒髪に一重のまぶた、黄色系とおぼしき肌の色。
 きまじめそうだが、少し、神経質にも思える。紺のチノクロス・パンツに、白い開襟のシャツのいでたちからも、真っ当な人格が現れるかのようだ。
「ガノ・・・」
 ステナは、立ち上がるや、それまでの疲れたような表情とは全く異なる、満面の笑みをこぼす。まるでガノというその青年のふところに飛び込むかのように、吸い寄せられていった。
 シャマルののど元を、グッと呼気がかたまりで詰まった、そんな感覚を覚えた。
 そんな感傷をよそに、ステナは、
「・・・えっ?今日は仕事じゃなかったの?」
「午前中で終わったよ・・・時短ってヤツだ。どうも、今の職場も景気がよくないらしい・・・」
「あ、紹介するわ。こちらはシャマル・カング。急患を運ぶのに手助けしてくれたの。お礼にお茶をごちそうしようと・・・」
「そうか。ステナが世話になったんだな。ボクからも礼を言うよ。ボクの名は、ガノ・ゼトロ」
「あ、よろしく・・・シャマルだ」
 ガノと名乗った青年と握手を交わすシャマル。なんとも精気の無いその青年だが、その手は暖かかった。
 その瞬間、シャマルの研ぎ澄まされた洞察力は、多くを悟ってしまった。それはシャマルを、少しばかり落胆させる要素だった。
 ガノを見つめるステナの目や態度、それは二人の親密さを表すに十分だった。
 ステナとふたりきりで「お茶」していた自分を、余裕を持って受け入れたガノの態度からは、ステナとの信頼関係が、中途半端ではないことを示す。
 そして、この昼ひなかから、景気の悪そうな職場を上がってきたとの話から、失礼ながら、さほどいい暮らしはしてなさそうな印象を受けた。「今日は」仕事、というステナの言葉から、働き者ぞろいのブロンズにあって、いつも仕事があるわけではないということも。
 そして、これは推測になるが・・・
 先ほどのステナの話にあった、「才能はあっても、健康に恵まれない」者とは、このガノのことではないか?
 たしかに、聡明そうで、「できる」印象のこの青年が、仕事に恵まれないとは信じがたい。見た感じの青白さ、覇気のなさは、健康状態から来るものなのかもしれない。もしかすると本当に、スイーパーを目指したが、健康を理由に、その夢をあきらめたのかもしれなかった。
 そして、ガノの存在があればこそ、ステナはブロンズを離れられない・・・
 シャマルには、もはやそれは確信であった。
 そしてシャマルは、自分がステナに何を感じていたのかを、そしてそれが失われたことを自覚した。

     ★     ★     ★

「ここよ」
 少女に連れられたトラッシュは、郊外の廃屋へと連れ込まれた。それは何かの工場跡地のようであった。機械油とサビた金属の匂いが漂う。
「な・・・なに、ここ? こんな所にキミの兄貴が・・・?」
 いぶかしげなトラッシュの耳に、コツ・・・コツ・・・と、靴音の響きが入ってきた。
 破れたトタン屋根を抜けた日の光がスポットライトになって降り注ぐ中、歩み寄る男のシルエットが見える。
 それは背の高い、スリムながらもガッシリとした体躯の青年。どこかキリィ・キンバレンに似た、鍛え抜かれた肉体であると感じさせる。黒の革ジャン、黒のジーンズに身を包み、黒のサングラスで表情を隠しながらも、口元には薄笑みを浮かべ、トラッシュには・・・うさん臭い人物丸出しに思えた。
 少女は、パタパタと男に駆け寄ると、トラッシュにそうしたように、男の腕にしがみついた。
 少女はトラッシュにウインクを投じながら言った。
「紹介するわ。わたしの兄よ」
 男は、トラッシュの前に立つと、薄笑みを浮かべた口から、言葉を発した。
「よろしく」
 右手を差し出す。握手を求めているのか?
「は、はあ・・・」
 河原での出来事からこっち、何が何だかわからないままのトラッシュ、頭の中は「????」で満たされながら、右手を出そうとすると。

 ビュンンッッ!!

 男は、一転して回し蹴りを繰り出してきた!
「!!??」
 トラッシュの頭の中の文字が半分入れ替わり、それでも体は本能的に男の蹴りをかわしていた。
 ズサッ!と、一歩後方へと跳ねたトラッシュは、
「なんのつもりだ!?」
 すると、男は・・・・
 パチ、パチ、パチ・・・
 とつぜん、拍手した。
 これまた、何のことやら、と、目をぱちくりとさせるトラッシュ。
 男は、やはり口の端に染みついた薄笑みもそのままに、
「お見事・・・やはりキミは伊達に『救世主イリーガル』などと呼ばれてはいないようだ」
「!? な、なんでオレがイリーガルだと?」
「これは意外なセリフを・・・キミは、この地では有名人なのだよ?」
 そうだった。
 原因はトラッシュの知るよしもなかったが、自分はなぜかこのブロンズの街のすみずみまで、救世主として知られているのだった。しかも先日の赤ん坊救出の際に、ネット上に顔写真までが広まってしまった。
 この青年が、自分をイリーガルと知っていることに、何ら不審な点はない。
「妹から連絡を受けたときに、キミがイリーガルではないかと目星をつけていたのだが、まさしくそうだったとは」
「連絡?キミ、いつの間に兄さんに連絡なんか?」
 少女を振り向いて、トラッシュは訊いた。
「そ、それは・・・乙女のヒ・ミ・ツ!」
『なんじゃそら・・・』と、トラッシュは心につぶやく。
「自己紹介が遅れた。わたしはギデ・スタンダ。ジャーナリストをやっている。と言えば聞こえは良いが、スクープばかり追っている小者だがな。こちらは妹のキキ」
「よろしくね」
「は、はあ・・・」
 ジャーナリストなら、さっきの回し蹴りには何の意味が・・・と、トラッシュが困惑していると、それすらも許さぬタイミングで、ギデと名乗る男は切り出した。
「さっそくだがイリーガル・・・」
「あ、オレのことは、トラッシュと呼んでくれない?」
「では、トラッシュ。キミが救世主と呼ばれていることを、快く思っていない連中もいることは、気づいているかね?」
「ええっ・・・? そう言われても、救世主呼ばわりだって、ついこの間知ったんで、なんとも・・・」
「それはな、スイーパーだよ。いいかね?キミはスイーパーの秩序を乱す存在だ。階層社会という、この世界のルールを根底からひっくり返しかねない。そんなキミが、一方では世の中のために良いことをして、救世主とあがめられている。そんな者を、スイーパーが快く受け入れると思っているのかね?」
「あ、アンタ・・・オレがスイーパーに追われていることまで、知ってるっての?」
「小者とはいえ、ジャーナリストの端くれだからな」
「うう・・・」
 ギデという男の言葉、そう言われればそうだ。自分にはまったく覚えのない救世主扱いだが、一方で自分はスイーパーに追われる身。オールギッズ司令も言っていたが、スイーパーに取ってみれば、面白くない存在だろうとは想像できる。
「だからスイーパーは、裏の世界に手を回して、イリーガル捕獲に賞金をかけた。知ってるか?」
「ええっ!? オ、オレは賞金首になっちゃったの?」
「ガベイジという男を知っているだろう?」
「ガベイジなら、さっきも・・・」
「キミは以前にガベイジと戦った。なぜ、彼はキミを襲ったか、わかるか?」
「そりゃ、オレがあいつの仲間たちを売ったと誤解して・・・」
「フフン・・・それも理由だろうが、アイツはキミにかけられた賞金が目当てだったのだ」
「!!・・・うそだろ、アイツがそんな」
「仲間を失ったヤツとしてみれば、キミに仕返しすることで金ももらえるとなれば、一石二鳥だからな」
「でも、さっきはアイツ、それらしきことは一言も・・・」
「それだけじゃない、キミの賞金が目当てなのは、もっと身近にもいる」
「はあ?」
 と、頭上から、声が降り注いだ。
「イリーガル!」
 はっ!と、トラッシュは声の出所を振り仰ぐ。
 廃墟同然の工場の、屋根の鉄骨に、人影があった。
 それは、トラッシュ目がけて、飛び降りてきた!「赤い目」を輝かせながら!
「おまえ・・・ガベイジか!?」
 トラッシュの目の前に着地した、麻のマントに綿のターバンの少年。ついさっきトラッシュと対峙し、逃げていったはずのガベイジがそこにいた。
「人前で賞金の話など、出すわけがないだろう!? オラが独り占めするんだからな!」
「な・・・おまえ、いくら生活が厳しいからって、金に執着するようなヤツじゃないだろう?」
「フン、お前、意外と甘ちゃんだな!」
 ガベイジが、トラッシュに飛びかかろうとする。
 すると、トラッシュとガベイジの間に、同じく上空から何者かが飛び込んできた!

 シュタタッッ!!

「なにぃ!?」ガベイジが目をむく。
「お、おまえら!」トラッシュがあっけにとられる。
 それは二人の人物。背の高い少年と、スレンダーな少女だ。
「まったく、レベルの低い連中とつきあわされるのも、うんざりだ」
「いいかげん、バカは見限った方が身のためね」
 そう言い放つ二人の姿に、トラッシュは目を疑った。
「シャマル! ヒビナ?」
 身構えていたトラッシュは、怪訝そうな表情で、シャマルに歩み寄る。
「どうしておまえたちオレがここにいるとわかって・・・」
 そんなトラッシュに向かってシャマルは、掌底を突き出した!
 ドオオンッッ!!
 単なる打撃だけではなく、「気」のかたまりが飛んできて、トラッシュは後方に吹っ飛ばされた!
「うああああっっ!!??」
 ズザザザアアァァッッ!!
 面食らうトラッシュ。なにが起こったのかわからない表情をしている。
 シャマルは、
「勘違いするなよ? おまえを助けに来たんじゃない」
「そうよ? あたしたち、もうアンタに振り回されるのは飽き飽きなの。あたしらなりにメリットがあるからここまでアンタについてきたけど、ヘボなアンタじゃ、スイーパーに捕まるのは時間の問題。てか、一度捕まってるし? なら、裏の世界にアンタをつきだして、賞金をもらった方がオイシイってね!」
「な、なんだって!?」
 トラッシュは愕然とする。
「まあ、おまえの値打ちはそこまで落ちたって事だがな!」
 あっはははははは・・・
 シャマルの言葉に、ヒビナ、ガベイジは、トラッシュをあざ笑った。
 トラッシュの表情がゆがむ。
 そんなトラッシュの目の前に、スッと割って入る革ジャンの青年・ギデ。
「そういうことだ、イリーガル。おまえが仲間だと思ってる連中は、こんなもんだ」
「そんなバカな・・・」
 ガベイジは、
「おい、そこの黒ずくめ! ジャマするとケガするぞ!」
 そんな言葉にも、薄笑みを絶やさないギデは、ファイティングポーズを取った。
「言ってもわからなければ、ぶっ飛ばすまで!」と、ガベイジ。
「どうせ、あんたも賞金目当てなんでしょ!?」と、ヒビナ。
「トラッシュもろとも、締め上げてやるさ!」と、シャマル。
 ガベイジ、シャマル、ヒビナは、ギデに向かって飛びかかる。
 ギデは、その場で身を低くかがめると、素早く体をコマのようにスピンさせた!
 すると、ガベイジ、シャマル、ヒビナは、ギデに触れる前に、はじき飛ばされた!
「なにいぃッ!?」
「キャアァッ!?」
「うおおぉっ!?」
 三人は、3〜4メートルは吹き飛ばされ、柱に、壁に激突した。
「ヒビナ! シャマル・・・ガベイジ!」
 トラッシュは、三人を案じて叫んだ。
 シュタッ!と、回転を止めたギデは、トラッシュに向かって言い放つ。
「どうだ? イリーガル・・・このオレと組まないか?」
「ええっ!?」
「オレはジャーナリストだが、スイーパー組織をひっくり返したいと思っている。連中は血も涙もない、管理主義者の集まりだ。そのくせ、やっていることは姑息で汚い・・・キミに賞金をかけて、裏社会に狙わせるのも、市民の救世主たるイリーガルを敵に回すことを、表だって市民に悟られたくないためだ」
「スイーパーを、ひっくり返す・・・?」
 と、立ち上がったガベイジが、トラッシュに襲いかかる!
 ボクサーばりのパンチを、次々と繰り出し、トラッシュに迫る。
「おわあっ!? ガベイジ!おい、やめろよ!」
「仲間ヅラしていても、そいつらの言うとおり、キミの値打ちはそいつらにとって、幾ばくかの金に置き換わる程度のものだ。そんな連中とつるむことが、キミにとってそんなに重要なことか?」
 ギデの言葉が、トラッシュをさらに混乱させる。
 そしてトラッシュは、ガベイジのパンチをかわしつつも、追い詰められていった。
 ギデは、同じく再び攻撃を仕掛けるシャマルとヒビナを迎え撃つ。ヒビナは鉄パイプを振りかざし、シャマルはパンチとキックを繰り出していく。
「ヒャアアッホオオオオオウウウゥゥッッ!!」
 雄叫びを上げるのは、ガベイジだ。
 トラッシュは、汗ににじむ表情をゆがませ、ガベイジの攻撃をかわす一方だ。決して、自分から手を出すことはしない。
 ギデは叫んだ。
「目を覚ませ、イリーガル! まだ、仲間を信じたいとでも言うのか? 人間は条件次第で、カンタンに裏切るものだ! そんな荒んだ世の中を変えるためには、まずスイーパーを潰さなければならんのだ!」
「仲間・・・裏切る・・・?」
「オレと組め! そうすれば、世界は変えられる!」
 トラッシュは・・・
 ピタリと、動きを止めた!
 そして、叫んだ!

「断る!」
「なにいぃっ!?」
 ギデは、驚嘆の声を漏らした。

 グワシイイィッッ!!

 ガベイジの右フックが、トラッシュの顔面を捕らえた!
 だが、トラッシュは立ち尽くしたまま、たじろぎもしない。その瞳は、あくまでも緑色の瞳は澄んで、しかしその奥に、まばゆい光を讃えるかのように、力強い視線をガベイジに突きつける。
 トラッシュは、口の端を切って、血を流していた。口の中にも、赤血球の鉄くさい味が広がる。
 トラッシュは、力強く、言葉を放つ。
「仲間を信じる信じないは、オレの問題だ! 裏切られても、だまされても、利用されても、オレが、オレ自身が信じると決めたら、信じ抜く! シャマルも、ヒビナも、ガベイジも、それぞれが自分の信念に基づいて生きてるんだ! コイツらの選択がどうであろうと、オレが信じると決めたら、それはオレの責任だ!」
「な・・・」
 ギデの顔から、薄笑みが消えた。正直、トラッシュの言うことは、ギデには信じがたい。というよりも、理解できない。
「悪いけど、ギデ、アンタを信じるには、オレはアンタを知らなすぎる! 少なくとも、オレはガベイジやシャマルやヒビナを少しは知ってるつもりだ。信じるに値する人間だと! だから、コイツらがオレを襲うホントの理由を確かめもしないで、裏切ることは出来ない!」
「イリーガル・・・なんという、愚かな!?」
「ああ、オレはバカだ!」
 ガベイジが、さらにパンチを、トラッシュに繰り出そうと拳を振りかざす!
 すると!

 ビカアアアァァッッ!!

 トラッシュの背のウィンドボードが、まばゆい光を放った!
 正確には、ボードの裏のキツネのイラストが、紫色に光っている。
 それはトラッシュの頭上に放たれると、「紫の光のキツネ」の姿に変わった。
「光のキツネ」は、トラッシュの頭上から、ガベイジをギロリとにらみつける。ガベイジは、赤い目をむいて、たじろぐ。
 紫の光のキツネが発現した瞬間、トラッシュの脳裏に、閃光が走った。それは、かつて自分の内なる力に目覚めたときのように、トラッシュに「ひらめき」を授けた・・・トラッシュには、少なくともそう思えた。
 トラッシュは、それを言葉に変える。
「答えろ、ガベイジ・・・オレはニセモノか、ホンモノか・・・」
「な、なんだと・・・?」ガベイジはうめく。
「おまえは知ってるだろう? この街には、オレのニセモノがいる。ここにいるオレが、賞金をかけられたホンモノかどうか、おまえなら見抜けるはずだ!」
「そ、それは・・・ホンモノだろう!」
「どうしてそう思う!?」
「ど、どうしてって・・・」
「オレがホンモノである理由を、おまえなら説明できるだろう? おまえが・・・ホンモノのガベイジならば!」
「!!??」
 ガベイジと共に、ギデの表情が、明らかに変わった。
「り、理由を説明する必要など無い!」
「なら、オレにとどめを刺せ! この首を裏社会に持ち込んで、賞金をもらえばいい! ただし、とどめは、おまえのアートでだ!」
「な・・・なんだと・・・」
「『光のキツネ』がおまえを狙ってる! 一度オレと戦ったおまえだ、おまえのアートで無ければ、オレを倒せないことはわかるだろう? おまえがアートを出さなければ、『光のキツネ』がおまえに襲いかかるぞ!」
 トラッシュが、一歩前へ踏み出す。ガベイジは、トラッシュに気圧されて、後ずさる。
 じりじりと、にらみ合いながら、トラッシュはガベイジに迫る。
 ガベイジのひたいに汗がしたたり、落ちる。
「うがああああぁぁっっ!!」
 追い詰められたガベイジは、拳一つで、トラッシュに襲いかかる!
 だがトラッシュは、ガベイジの拳をかわし、左手の人差し指を、ガベイジのひたいに当てた!
 たったそれだけで、ガベイジの動きは止まった!
「おまえは・・・ニセモノだ!」
 トラッシュの目が、紫色に光った!
 とたんに、ガベイジの姿は、煙になって、ちりぢりに消えた!
「ば・・・ばかな!」
 ギデは狼狽した。
「・・・なにをあせってんの、ギデ・・・」
 トラッシュは、冷ややかな視線をギデに向ける。
 そして、ビシッ!と、左手の人差し指を、ギデと戦っているはずのシャマルに向ける!
 トラッシュの頭上の「光のキツネ」が、紫の稲妻に変わって、シャマルに叩き付けられる。と、シャマルもまた、声も無く、煙になって消えた! 同じように、ヒビナを指さすトラッシュ。ヒビナも同様に、紫の稲妻に打たれて、消えた。
 トラッシュは、ゆっくりとギデに歩み寄る。
「あんたと会ってたら、オレの仲間のニセモノが襲ってきた。これって・・・偶然かな?」
「くっ・・・」
 ギデににじり寄るトラッシュ。その表情は、静かな怒りの炎に包まれている。
 と、そのとき。

 ヒュヒュヒュッッ!!
 シュタタタッッ!!

 トラッシュの足下に、柳刃手裏剣が数本突き刺さり、トラッシュの歩みを止める。
 ギデとトラッシュの間に、シュタッ!と、舞い降りた人影。ピンクのサテンのジャンパーに、タータンチェックのミニスカート。茶髪のポニーテールが跳ねる。
 キキと呼ばれた少女だ。
「ボーッとしてると思ったら、意外とキレるのね、イリーガル。でも、バカはバカだわ!」
 腰のハート柄のポシェットから、何か丸いものを取り出したかと思うと、それを地面に叩き付けた!

 ボワアアアァァッッ!!

「うわっ!?」
 真っ白い煙がもうもうと立ちこめ、トラッシュは視界を失った。
 その煙が晴れたとき、そこには・・・ギデやキキの姿は無かった。
「逃げた・・・ということは、あいつらが仕組んだって自分でばらしたようなもんだ」
 トラッシュは、苦虫を噛みつぶした。
 そして、確信した。
 ガベイジが言っていた、自分のニセモノの所行を教えた人物。シャマルたちのニセモノをあやつるギデとキキ、共通項があるのではないか? そう、彼らこそが自分のニセモノの正体ではないか?
 だとしたら、あいつらは何故、オレに、ガベイジの仲間を売ったという濡れ衣をかぶせたのか?
 そして、そのオレに何故、仲間になれなどと言い寄ってきたのか?
 疑念は、より深まった。

     ★     ★     ★

「申し訳ありません! いいところまで追い詰めたと思ったのですが・・・」
「まったくだ!・・・と言いたいが、仕方あるまい。あいつの、イリーガルの思考回路は、予測できん」
 キキとギデは、暗がりの中で語り合っていた。
 いや、キキとギデという名は、もはや必要なかった。
「おまえの分身の術は、ホンモノそっくりに似せられても、アートまでは再現できるはずが無い。イリーガルのヤツ、そこに気づくとは、侮れんな・・・」
「いえ、もう少し、ヤツを精神的に追い詰められれば、そこまで頭を働かすことは無かったかと・・・」
「そこまで言うなら、次が最後の機会だと思うのだな、ギギエ」
「承知しました、デタン・デズ様・・・」
 男は、黒いサングラスを外した。
 ギデの正体は、スイーパー中尉、デタン・デズ・デギウスであった。そして、傍らにひざまずく少女は、ギギエ。スイーパー諜報部の忍者・ザザの弟子である。
 ギギエの分身の術こそ、彼女のアートであった。それも、ただ分身が出来るだけでは無く、それぞれが何者かに変装できるという、高度なワザだ。ギギエ自身も変装の名手だが、彼女の分身がそれぞれ、シャマル、ヒビナ、ガベイジに変装していたのだ。
 分身自体は、目の錯覚を利用した虚像なのだが、それぞれの分身と、ギギエの実体が自在に入れ替わることが出来、実体は直接的な攻撃が出来る。トラッシュを殴ったガベイジは、ギギエだったのだ。キキの姿の分身も含めれば、見抜かれることはまずないと踏んでいたのだが、トラッシュはニセのガベイジにアートを使わせようとした。そのために、トラッシュにニセモノと見破られてしまったのだ。
 だが、見破られた本当の理由は、トラッシュが仲間を信じ抜く、その思いにあったことは、彼らには理解できないことだろう。

     ★     ★     ★

 翌日。
 港湾都市のマルシェで、買い物を終えた、シャマルとエトワが、いくつもの紙袋を抱えて歩いていた。
「バゲットも買えたし、よかったね、シャマル?」
「ああ・・・」
 あからさまに不機嫌そうなシャマルだ。今日は、雑用から逃げ損ねたらしい。しかもお目付役にエトワを付けられて。
「でも、お買い物、なんでこの街にしたの? ちょっと遠いんじゃない?」
「それは・・・いいところだろ?ここ。評判を聞いていたからさ」
 まさか、またステナと会えるかも知れない、と考えたなどとは、口に出来るはずも無いシャマルだ。
 マルシェの駐車場へ向かうシャマルとエトワ。すると、駐車場の出口で、一台の小型ワゴンが停車していた。その運転席に、二人の男が張り付いている。スイーパーの機動部隊の制服だ。
 シャマルは、スイーパーの姿にハッとなって、柱の陰に身を隠す。
「シャマル、どうしたの・・・」
「シッ!」
 問いかけるエトワに、シャマルは口に指を当てる。
 どうやら、ワゴンのドライバーは、スイーパーの事情聴取を受けているようだ。
 柱の陰から、そっとその様子を見つめるシャマル。ワゴンの運転席を見てみると・・・
「・・・ステナ!?」
 ワゴンのドライバーは、ステナだった。
 すると、ステナは、ふところからカードらしきものを出し、スイーパーに見せた。
 そのカードは、遠目に見ても、シャマルには見覚えがあった。
『あれは、クロス・クラスのIDカード!』
 クロス・クラスであることを示す身分証明書。同じものを、シャマルも当然持っていたことがある。今は、どこにあるのかも忘れてしまったが。
 IDカードを見せられたスイーパーは、敬礼を返した。ステナは、笑顔でスイーパーに会釈すると、ワゴンを発進させた。
 そのとき、走り去るワゴンのフロントガラスに、通行証が掲示されていたのを、シャマルは見逃さなかった。
 透明なフォルダに収められた書類は、ブロンズとシルバーの階層間通行証だった。スタンプが押されているそれは、シルバーからブロンズへ戻ってきたことを示している。そもそも階層間通行証などというものは、自分の所属階層を出られないこの世界の人間が、普通は所持しているたぐいのものでは無い。スイーパー以外でその通行証の意味するところを理解できるのは、シャマルくらいのものだろう。
 通行証を見かけたスイーパーが、ドライバーであるステナに確認を求めたのということのようだ。
 ステナは、シルバーを訪れたのだ。
 だが、それは「ブロンズから出ることはない」というステナの言葉とは矛盾する。クロス・クラスだからといって、他人や企業や、ステナの場合ならばベネック医院の利益のためにシルバーを訪れることは違法となる。
 自身ではシルバーに何のメリットもないと言っていたはずのステナは、では何のためにシルバーを訪れたのか・・・

     ★     ★     ★

 ステナのワゴンは、ベネック医院の裏手に駐車した。
 そこには、ベネック医師が待ち受けていた。
 ステナは運転席から降りると、ワゴンの荷室を開ける。その中から、ジュラルミンケースがひとつ、運び出された。
 シャマルは、遠巻きにそれを眺めていた。ステナの行き先は、ベネック医院と読み、先回りしていた。それが当たったというわけだ。
 シャマルは、ステナの怪しげな行動に、万が一のことを考え、エトワを一人でキャンプに帰していた。
 ケースの中身は何なのか? シャマルには知る由もないが、おそらく、シルバー階層から持ちこんできたものと推測される。表面にプリントされている「RH+」の文字が気にかかる。
 ケースを運び込んだベネックとステナは、病院の裏口を閉じた。
 シャマルは、そっと裏口に近づき、ドアに耳を当てて、室内の様子をうかがう。すると、中でもう一つ、ドアが閉じられる音がした。
 シャマルは、そおっと、裏口を開ける。薄暗い倉庫のようなそこに、人影はなかった。
 無造作に段ボール箱がいくつか置かれ、書棚や鉄製のラックがしつらえてある。奥には2階へ通じる階段がある。
 おそらく、「もう一つのドア」を開け、ベネックとステナはどこかへ移動したのだろう。
 シャマルは、キョロキョロと、その「もう一つのドア」を探す。だが、それらしきものは見当たらない・・・
 ということは、一見してわからない隠し扉がどこかにあるということだ。やはり、ステナたちは、知られては困る何かを抱えているという証ではないのか。
 シャマルは、隠し扉を探した。これが映画ならば、本棚の裏とか、巨大な肖像画が怪しいのだが、そんなものはなかった。
 書棚やラックを触ってはみたが、動きそうな気配はない。
 ふと、奥の階段に目をやるシャマル。ドアが閉じられるような音は聞こえたが、それは上方向から聞こえたのではなかった。それに、階段を上るような気配はなかったと思う。
 そこで、ハッ!と、シャマルはひらめいた。
 こじんまりとした個人病院であるベネック医院。隠し扉があったとして、水平方向に隠し部屋があるような、そんな広さがあるとは思えない。とすると、隠し部屋は、上下方向にあると考えるのが自然だ。
 階段を登ったのでなければ、降りたのではないか?
 シャマルは、階段の最下段、その下に手を突っ込んでみた。
 動く!
 手に触れた感触で、それを感じた。
 シャマルは、力を込めて、階段を持ち上げた!
 とはいえ、さほどの力も必要なく、階段は、その最上段をヒンジとして、全体が跳ね上げ扉になって持ち上がった。ビンゴ!
 上り階段の裏に、下り階段が隠されていた。その奥に、目当てのドアがあった!
 シャマルは、隠し階段を忍び足で降りると、そおっと、そのドアを押し開けてみる。
 薄暗い通路が、またその奥にあった。シャマルは足音を潜ませ、通路を通り抜けていく。たいした距離もなく、すぐに行き止まりになり、またそこにドアがあった。隙間から、明かりが漏れている。
 このドアの向こうに、ステナたちがいる。シャマルはそう悟った。
 再び、ドアに耳を当て、内部の様子に聞き耳を立てるシャマル。
 予想通り、中では、ベネックとステナが、会話していた。
「残るは、あと1リットルもあれば十分だろう。いよいよだな・・・」
「ええ・・・」
 シャマルはいぶかしげに、心につぶやく。
『いよいよ?』
 すると。
 バンッッ!!
 とつぜん、ドアが開いた!
 シャマルはあわてるが、時すでに遅し。
 そこには、ステナがいた。険しい表情で、シャマルを見つめる。
 ドアの向こうは、治療室のように見える。なにやら医療器具のようなものが設置されている。
 シャマルには、それは歯医者の治療いすのように見えた。そのいすに取り付けられた、アルミ製らしきタンクが2つあった。
 謎の医療器具のそばには、驚いた表情のベネック医師。
 そして・・・
 ガノが立ちすくんでいた。
 ステナは、一転してシャマルにニッコリと笑顔を向けたかと思うと・・・
 シュッ!
 ふところから取り出したスプレー缶で、シャマルの顔に、なにやらガスを噴射した。
 シャマルは、視界が白々とかすんでいくのを感じる。
 やられた・・・と思いつつ、意識は遠のいていった。

     ★     ★     ★

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>>>第2章第9話へつづく。
次回「ボディ・アンド・ソウル」

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