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第2章第9話「ボディ・アンド・ソウル」

 自分と同じ、2つの階層を持つクロス・クラスである看護師・ステナと出会ったシャマル。シャマルはステナに淡い思いを抱くも、彼女とその恋人・ガノ、そして医師ベネックの不審な行動に、疑念を抱く。
 そしてスイーパーの異端児・デタン・デズは、ついにトラッシュ本人に接触。しかし、トラッシュを仲間に引き入れることには失敗した。
 トラッシュとその仲間たちを取り巻く因縁は、いっそう混迷を極めていく・・・

     ★     ★     ★

 ザザザザザザザザ・・・・・・

 背丈を超えるほどのセイタカアワダチソウが生い茂る中を、シャマルは駆け抜ける。姿を隠すにはかっこうの雑草帯、のはずだった。その手にはライフル型のスタンガンが握られている。
 雑草帯の脇の砂利道を走る、2台のスイーパー機動装甲車両。けたたましくサイレンを鳴らしながら、躊躇なく雑草帯へと突っ込み、セイタカアワダチソウの黄色い花が巻き上げられる。
「はあ、はあ、はあ・・・」
 息を切らし、機動装甲車両から逃走するシャマル。
 すると、その背後から、手を伸ばす者が!
 その手は、シャマルの襟首をつかみ、引っ張った!
「だ、誰だ!?」
 驚嘆の表情を振り向かせるシャマル・・・

     ★     ★     ★

 時刻は、それより数時間前のこと。
 ふうっ、と、視界が開けた感覚があった。
 シャマルは、記憶をたぐってみる。
 だが、答えを得る前に、彼の視界に入った、人物がいた。
 ステナ・ビナティリ。ガノ・ゼトロ。そしてベネック・ドワイ。
 全ては、彼女たちの姿をキーにして、思い返された。
 ベネック医院の地下に、謎の医療機器らしきものを見つけたシャマルは、ステナに催眠ガスを吸わされて、眠らされたのだ。
 シャマルは、木製のいすにロープで手足を縛り付けられていた。
「気分はどう?」
 ステナはシャマルに訊く。
「おかげさまで、よく眠れたよ」
 シャマルは、軽口で答える。
「あなたがここに来たことは、とっくに気がついていたのよ」
「??」
「病気を持つ人がわかるって、わたし言ったでしょう? そのせいかしら、あなたが近くにいるのが、わかったの」
「オレ・・・別に病気じゃ・・・」
「クロス・クラスよね? シャマル」
「!!」
 シャマルは驚嘆した。
「どうやらわたしのアートって、病気に限らず、『人の異質』に気づく、というのが正解だったみたい」
「じゃ、オレのことは・・・」
「最初に会ったときから、わかっていたわ。あなたはわたしが初めて出会った、クロス・クラス。だから、わたしも自分のことを話したの」
 なるほど・・・シャマルは腑に落ちた。ステナが自分をクロス・クラスだと告白したのは、自分と同類だったからなのか。
「まだあるわ。あなたがここへ来るまで、ドアにカギの一つもかけずに招き入れたことも、あなたが来ていると感じたから。なぜだかわかる?」
「わかるかよ? こんな拘束までしておいて・・・」
「あなたなら、仲間になってもらえるんじゃないかと思ったからなの」
「おいステナ・・・本気か?」
 これには、ベネックが口をはさんだ。
 ステナは、ベネックを振り返って言った。
「先生、シャマルの洞察力は、並じゃありません。現に、彼はここまでたどりついてしまいました。わたしたちがしていることも、いずれ暴かれてしまうでしょう。なら、彼に怪しまれるより、味方にしたほうがいい。そう思いません?」
「うむ・・・」
「そう思うんなら、オレを縛り付けるのはどういうことなんだ?」
 シャマルの問いに、ステナは、
「あなたが味方になるのなら、すぐにでも自由にしてあげる。でも、あなたが見たことを人に話すようでは、わたしたちが困るの。そのくらいのことは、すでに理解してるんでしょう?」
「・・・仲間になるもならないも、それは事情を聞いてからだな」
「・・・先生、よろしいですね?」ステナは、ベネックを振り返って訊いた。
「わかった・・・」
 ベネックは応える。その間も、ガノはずっと押し黙ったままだった。

     ★     ★     ★

「じゃ、そのベネック医院ってところに、シャマルは向かったんだな? エトワ」
「うん、遅くなっても戻らなかったら、そこにいるって」
 小高い丘の上のキャンプ、トラッシュはエトワの話を聞いていた。
 ただ一人でスクーターを駆り、キャンプに戻ってきたエトワ。シャマルは、ベネック医院に向かったことを、エトワからトラッシュに告げるよう伝言していた。
「シャマルの奴、なに考えてるかわからないのはいつものことだけど・・・ヒビナ、どう思・・・」
 トラッシュは、ヒビナに意見を求めようと思ったが、肝心のヒビナは、テーブルに突っ伏したまま、まったくもって無気力に見えた。
「・・・ヒビナはヒビナで、昨日からあの調子だし・・・何があった?」
「知らないもん! 機嫌悪いかと思ったら、あーしてゴロゴロしてだまっちゃうし」
 エトワはふくれっ面だ。
「なんだかなあ・・・どいつもこいつも、あつかいが難しくてしょうがないよ」
 ぼやくトラッシュであった。

     ★     ★     ★

「言っておくが、話を聞いた以上は、仲間になるか、それがいやなら、ここで聞いたことをすべて忘れてもらう必要がある」
 ベネック医師は、低い声でそう言った。
 ベネック医院の地下、隠し部屋で、いすに縛り付けられたシャマルは、
「どうかな? オレは物覚えが良くてね」
「そんなことは関係ない。忘れられないなら、忘れられるようなクスリもある。わたしは医者だからな」
「ふん、ずいぶんと脅かすじゃないか。つまり、それだけ神経質になるような話ってことなんだな?」
「近頃にしては、なかなか好青年だと思ってたが、とんだ食わせものだったな」
 苦笑いのベネックだ。
「話すにせよ何にせよ、急いだ方がいいぜ? オレにだって仲間はいる。いつまでも帰らなければ、探しにくるかも知れないぞ?」
 強気のシャマルに、ベネックは、肩をすくめた。
「ボクから話そう」
 そう言ったのは、それまでだんまりを決め込んでいた、ガノだった。
「ガノ・・・」
「いいんだ、ステナ。ベネック先生には尋常じゃない迷惑をかけることになる。これ以上、手を煩わせるわけにはいかない」
 シャマルは、ガノを見つめる。いや、にらみつけていたかも知れない。
 だが、ガノは穏やかな笑みさえたたえて、シャマルに語りかける。
「シャマル・・・ボクは、ブロンズで生まれ育った。ステナやキミとは違い、階層の掟がある以上、ブロンズで一生を送るしかない。でも、ブロンズの環境が合わない人間だっている。そうは思わないか?」
「急いだ方がいいと言ったぜ? 能書きから入るのか?」
「シャマル! お願い、まじめに聞いて!」ステナが言った。
「ボクは、ブロンズでの生活が合わないんだ。健康に不安がなければ、体一つでいくらでも生活していく手段はある。でも、ボクの体はそれに耐えられない。けれども、シルバー階層は違う。ボクは電子機器の設計師の勉強をしてる。エンジニアの心得もある。そんな仕事は、ブロンズにはほとんどない。シルバーでなら、ボクの能力を思いっきり試せる。だから・・・」
「・・・つまりアンタ、シルバーに行きたいってのか? スイーパーの追求を逃れて? そんなことが、本気でできるとでも?」
「・・・思ってる。ステナと、ベネック先生の協力があれば」
 話がよく見えない、シャマルだった。階層越えを取り締まるスイーパーの実力は、身を持って知っている。スイーパーから逃れられるのは、いろんな意味で「常識はずれ」の、トラッシュただひとりだと言っていい。この、青白いウラナリ青年に、トラッシュと同じことができるとは、とうてい思えない。そんなことは・・・
「不可能だと思うかい、シャマル・・・」
 ガノは、謎の医療機器、に見えるいすに取り付けられた、アルミ製のタンクをなでながら、言った。
「『吸血』って、知ってるかな?」
 シャマルは、その言葉を聞いて、青ざめた。背中を冷たい電流が走った!
「しょ・・・正気なのか・・・」
 ガノの微笑みは、優しそうに見えて、どこか悲しげだ。その透明感は、絶望に彩られて、青く、冷たかった。

     ★     ★     ★

 スイーパー・ブロンズ地区第10方面支部。
 西へ西へと移動を続けるトラッシュを追って、ワグダ、カーリカ、フォルケのイリーガル追跡スペシャルチームは、現在はこの支部に居点を構えていた。
 どういうわけか、スカイアイを用いてもトラッシュたちの行方をトレースすることが、非常に困難になっていた。とつじょとして、トラッシュたちのステルス技術が向上している、としか考えられなかった。ヨザム・ヤキリギの「消える」アートを、トラッシュたちのキャンピングカーに「グラフィティ」の形で取り込んでいることを、ワグダたちは知らない。
 相変わらず、やる気があるのかないのかわからないワグダとカーリカ。遅々として進まない美人上司たちの行動に、フォルケはややいらだち気味だった。
「乳がどうで、何が立ち気味だって?」
「言ってません!」
 ワグダはこうしてフォルケをからかってばかりだ。カーリカはと言うと、悠然と紅茶を味わっていた。やる気があるのかないのかわからないどころか、「ない」と言って良いのではないか? フォルケは思った。
 そのフォルケは、第10方面支部の情報端末を借りて、情報収集にいそしんでいた。
「熱心じゃないか、予備隊員クン。何か新しい情報はあった?」
 そう言って、フォルケの後ろから情報端末をのぞき込む、20歳そこそこの若い男。すらりと長身、サラサラヘアーもさわやか、メタルフレームのメガネの奥に、人なつこい目つき。フォルケが成長した姿のような、育ちの良さ、清潔感、そして知性をたたえる。
「あ、デルリール準士官! すみません、長々とお借りして・・・」
「なに、スペシャルチームには全面的にバックアップするよう、本部指示が出てるんだ。遠慮はいらないよ。それよか、進展は?」
「・・・何もないですね。トラッシュ・・・イリーガルの足取りは」
 デルリールと呼ばれた若い男は、第10方面支部の副支部長だ。この若さで士官まであと一歩の地位にいるというエリートである。フランクな人柄で人望も厚い彼は、スイーパー下士官には珍しく、破天荒なワグダたちを敬遠することもなく、協力を惜しまなかった。というより、イリーガル追跡スペシャルチームに、個人的に興味津々という感も否めなかったのだが。
 と、そのとき。
 ポーン!と、軽快なサウンドと共に、情報端末にウィンドウが一つポップアップした。
「おっと、ブロンズ全支部に情報展開だ。どれどれ・・・」
 デルリールは、フォルケに変わって情報端末を操作する。すると、デルリールの人なつこい表情が、見る間に曇っていくのがわかった。
 フォルケは遠慮して、自分の職務ではないブロンズの情報展開に関与しないよう、そっとその場を離れようとしたのだが・・・
「フォルケくん、いいかな? キミの意見を聞きたい」
「は!? あ、え、その・・・はい」
 デルリールのほうから、フォルケに関与を求めてきた。
 情報展開の内容とは、「このところ、シルバー階層の『死者』から抜き取られた血液が、少量ずつ減っている事件」が起きている、と言うものだった。
「『死者』の血液、ですか?」
「意外かな?だよね・・・医療技術が発展した今の時代では、死者自体、老衰以外に例がない。そんな死者の血液が、何の役に立つのかと」
「そうですよ。輸血用の血液だったら、培養血液と人口血液で十分足りてるはずですし」
 そう、この世界では、人間の血液が空気に、正確に言えば、この惑星の大気のみに存在する、「シルフォニウム」という気体に触れてしまうと、その者のアートが失われ、階層が落ちてしまう。ダウンシフト現象だ。これには一度、ヒビナが痛い目に遭っている。
 なので、この世界では献血の概念はない。だが、医療技術の発展により、そもそも輸血を必要としない治療法が確立しており、輸血はその最中にダウンシフトの危険性が高いとして、最後の手段とされている。仮にその最終手段が必要とあっても、少量の血液から培養する技術や、人工血液によって、輸血血液に不足はないのだ。
 死者の血液は、その培養血液のベースとして保存されるのだが、この時代の医療技術があれば、それもあまり不可欠ではない。あくまでバックアップとしてのストックといえた。
「その死者の血液ストックが少しずつ減っている現象が、つい最近発覚したらしい。シルバーの医療財団では、盗難の可能性もあるとふんでいるそうだ。けど、シルバー内部での捜査にいきづまって、盗難血液の階層越えの可能性が浮上したんだって」
「それで、ブロンズ支部に情報展開を・・・」
「フォルケくんは・・・『吸血』って、聞いたことある?」
「きゅ、吸血って!? ホラー映画なんかで、吸血鬼とか、コウモリとか、ヒルとか・・・」
「ハハッ、そういうんじゃなくて・・・無理ないか、知らなくても。ものすごく大昔にそういうことがあったらしいって、都市伝説に近い技術なんだけどね。いや、技術と言うより、魔法とか、秘法とかいうたぐいの・・・」
「ええっ?」
 フォルケは目を丸くした。

     ★     ★     ★

「さすがだね、シャマルくん。『吸血』も知ってるなんて・・・」
「まさか、真面目にそんなこと口にする人間がいることのほうが、驚きだがね・・・」
 ガノに向かってそう言ったシャマルは、あらためて謎の医療機器を見た。
 いすに取り付けられた2つのアルミタンク。もしや、一方には大量の血液が・・・
「察しのとおりだよ。このタンクには、一方は空で、もう一方にはシルバー階層の人間の血液が入っている。すでに亡くなった方のものだけどね」
 ガノは、極めて穏やかな口調で語り続ける。だが、その内容は、シャマルには、いささか常軌を逸している、としか思えない内容だ。
「古い文献には、人間の血液を総入れ替えすることで、その人の階層を変えることができる、と書かれていたそうだ。ブロンズの人間でも、シルバーの人間の血液に入れ替えれば、シルバー階層になれる。それが『吸血』・・・ その文献自体、原本はどこにあるかもわからないし、ボクらが見たのも、伝聞によるものを総合した、独自の方法だった。ベネック先生の医学知識も加えて、このやり方に落ち着いたんだけどね」
 それを受けて、ベネックが続ける。
「『吸血』を成立させるには、条件がいくつかある。入れ替える血液のすべてが、一人の人間のものであること。当然、血液型も一致している必要がある。そして、できるだけ新鮮な血液であること。とはいえ、生きた人間から血液を抜き取るわけにはいかない。だから、亡くなって間もない人間の血液に目を付けた」
「シルバーの血液を確保するために、クロス・クラスであるステナに、血液を運び出させていたと・・・」
 シャマルが、悟ったことを口にした。
「そう、シルバーとブロンズを行き来できるわたしには、向こうにも同じ考えを持つ人たちがいることを知って、コンタクトをとったの。シルバーの協力者がいなかったら、血液を、その・・・かってに拝借するなんてことは、できなかった」
 ステナは、目を伏せながら、そう言った。
 シャマルは思った。どの階層にも、自分の階層を抜け出して、ほかの階層に行きたがる者は後を絶たない。だから毎日のように、違法な階層越えを試みる事件は起きるし、そのためにスイーパーの活躍の場もあるということだ。
 怪しげな伝説に頼っても、階層を変えたいと思う者が、いたとしても不思議ではない。シルバーにも、そう考える者がいて、ステナに協力したのだろう。そして、ガノのそれが成功すれば、いずれはシルバーから脱出したい者たちにとっても、希望となる。
 だが、それにしては、『吸血』はあまりにも酔狂だ。もはやおとぎ話ともいえるほど過去の伝説だし、今となってはそれが真実かどうかも、確かめようがない。仮に真実だとしても、おそらく階層監査省、「フォーミュラ」が秘密裏に握りつぶしてきたはずだ。だから、安全性もなにも、保証されるデータが皆無なのだ。
 ガノは続ける。
「ひと一人の血液総量は、およそ4リットル。でも、全部の血液を入れ替えるためには、3倍の12リットルは確保する必要がある。だから、持ち込んだシルバーの血液を培養して増やしながら、こうして貯めてきたんだ」
「それも、あと1リットルで達成する。もうすぐ培養が終わり、目標に到達する・・・」
 ベネックは言った。さらに、
「さて、わたしたちの話は、これで十分だろう。シャマル、キミが答える番だ。われわれに協力するか、それとも、記憶を消して、ここを立ち去るか・・・」
「答え? 答えね・・・」
 シャマルは目を伏せ、フッ、と、笑みをこぼした。
 何がおかしいのか?と、ベネックはいぶかしげにシャマルを見据える。
 と、シャマルは・・・
 ダッッ!!
 と、拘束されていたはずのいすから、立ち上がった!
 同時に、その足下に、手と足を縛り付けていた、ロープが落ちた。
「!!?? ばかな!?」
 シャマルは、そのしなかやな長身を弾けさせるようにジャンプして、今まで彼を捕らえていたいすの後ろに着地した。
 そのいすに向かって、シャマルは右手を振り下ろす!
 バシャアアァァッッ!!
 いすは、縦に真っ二つになって、左右に倒れた。
「な・・・何が・・・」
 驚嘆するベネックとステナ。ガノだけが、感情をあらわにせず、立ちすくんでいる。
 シャマルは、右手の人差し指のリングを掲げた。そこから、レーザー光線を思わせる、細い針金のような「光の剣」が伸びている。本物のレーザー光線は、肉眼で見えることはないのだが。
 シルバー細工のリングには、ソーラーバッテリーで発光するLEDが仕込まれており、シャマルのアート、光を武器に変えるワザで、細長い針のような「光の剣」を、いつでも抜けるよう工夫したのだ。木製のいすなどは、たやすく一刀両断だ。
 もはや戦いとは無縁でいられなくなったシャマルが、身を守るために、トラッシュに作らせたものだった。
「答える答えないも含めて、オレの自由だ。誰の問いであってもな!」
「シャマル! ・・・あなたは、わたしたちの敵になるの?」
 ステナの、悲痛な叫びに、シャマルは、
「おっと、別にアンタらが『吸血』なんて酔狂に手を染めようが何しようが、オレには何の関係もない! ジャマもしないし、告げ口する気もないさ」
「・・・仲間には、なってくれないのね?」
「・・・悪いが、お尋ね者にはなりたくないんでね。血液を入れ替えるなんて、おとがめ無しとはいかないだろ?」
 すでに追われる身のはずのシャマルだが、さすがに『吸血』の罪状ははかりしれない。
 だが、切なげな表情のステナに、ちょっぴりシャマルの胸は痛んだ。
「うぬぅ・・・」表情を曇らせるベネックは、じりじりと傍らのデスクに向かって移動する。
「おっと、ベネック先生? 妙な考えは起こさない方がいい。病院だけに、おかしなクスリをオレに放ったりしないよね?」
 だが。

 シュルルルルルルッッ!!

 シャマルの体を、何か細いケーブルのようなものが、いくつも這い回り、巻き付いた!
「な・・・なにぃっ!?」
 それは、ツルのような、細い木の枝のような・・・シャマルの体をきつく締め付け、「光の剣」も使えないほど、拘束した。
 そのツルは、シャマルが真っ二つにした木のイスから生えてきていた。生き物のようにそのツルは、シャマルの指からリングを外した。
 シャマルは、ハッと思い当たり、拘束された状態から、顔だけでガノを振り返ってみた。
 ガノは、その瞳を銅色に輝かせ、右手をシャマルの足下のいすの残骸に向けてかざしていた。
『これは、ガノのアート!? 木のいすを植物に戻して操っている?』
 ステナは、悲しげな表情でガノを振り返った。ガノは冷ややかにつぶやく。
「残念だったね、ステナ。やっぱり、ボクらは彼のような賢い人間には、狂ってるようにしか見えないんだよ。理解してはもらえなかったようだ」

     ★     ★     ★

「えーと、ベネック医院って・・・これ、どこがどこなんだか、どっちが北なんだか」
 トラッシュは、電動スクーターの後ろにエトワを乗せて、港湾都市を訪れていた。ブロンズ市民に姿を見られぬよう、マスクと黒のゴーグルで顔を隠している。
 エトワのケータイで、ネットを使ってベネック医院の場所を探していたのだ。
 だが、苦戦していた。
「トラッシュって変だよね・・・機械にも電子機器にも詳しいし、何でも直せるのに、ネットは全然苦手だなんて」
「うっ・・・」
「ほら、ここがあの角っこのカフェだから、その脇をまっすぐ行って2ブロック目を左折したら、ベネック医院だよ?」
「エトワに道案内してもらった方が早いな・・・行くか?」
 言うや、トラッシュは電動スクーターを発進させようとして、ガクンッ!と急ブレーキをかけた。
 エトワが、むぎゅっとトラッシュの背中にめり込むようにつんのめった。
「とっ、トラッシュゥ〜、何してんのよぉ」
「しっ!!」
 トラッシュの視界に入ったのは、エトワが告げたとおりのルートをなぞる、2台のスイーパー・パトロール車両だった。
 スイーパーが、ベネック医院へ向かっている? それとも、ただ方向が同じだけ?
 トラッシュは、パトロール車両の死角をたどりながら、スロースピードで追走する。

     ★     ★     ★

 バンッッ!!
 ベネック医院の裏口が、勢いよく開かれた。
「スイーパーだ! 動くな!」
 先頭切って突入したのは、デルリール副支部長だった。2名のスイーパー隊員がその後に続く。
 だが、裏口から入った倉庫らしき部屋には、誰の姿もなかった。
 もちろん、隠し部屋のことはいまだ知らないスイーパーたちだが、それにしてもベネック医院は静まりかえり、部屋の空気も冷ややかだった。
 表玄関に「臨時休診」の札を見たスイーパーたちは、裏口から突入したのだが、当てが外れた表情をしている。
 と、隊員たちの背後から、悠然と入室した男が一人。
 背が高く、がっしりした体格は、まるでアメフトの選手のようだ。スキンヘッドに黒いあごひげも強面の、40代らしき中年男は、顔を上下逆さまにしても顔に見えるような風貌だ。
「支部長、どうやら不在のようです」
「そうか・・・逃走したとも考えられる。足取りを追うべきかな?」
「わかりました。手配をかけてみましょう」
 デルリールに支部長と呼ばれたスキンヘッドは、第10地区支部長、バゾロ・ゴンディエド少尉。ほわんとしたデルリールとは対照的な、いかつい風体だが、隙のない制服の着こなし、ピンと背筋の伸びた、落ち着き払ったその態度は、どこか紳士的でもある。
 デルリールは、裏口を振り返る。そこにはフォルケがいた。
「フォルケくん、キミの予想どおり、ベネック医院はちょっと怪しいみたいだね」
「そうですか・・・ここ最近でシルバー階層に出入りした者を調べたところ、スイーパー以外では、ここで働いているステナという看護師だけが、階層通行証を持っているんで、あたってみる価値はあると思ったんですが」
 目を付けたベネック医院が休診だったこともあって、デルリールは強行突入を試みたのだ。
「ぐうぜん留守だったのかも知れないけど、とりあえずシロかクロかは、はっきりさせないとね」
 すると、フォルケの背後から、首を突っ込んでくる者がいた。
「ほれ! なんか、面白そうになってきたぞ? こうでなくちゃな!」
 ワグダだった。
「そう言ってまたあなた、暇つぶしに面白がってるんじゃありませんこと?」
 こちらはカーリカだ。
「そういうおまえも、目ぇキラッキラさせてついて来てんじゃん! 興味あるんだろ?」
「あら、血液を盗むなんて、おどろおどろしい罪状(ヤマ)、どんなカルトな連中か、見たかっただけですわ」
 そんな二人のやりとりに、デルリールが首を突っ込んできた。
「そうそう! さすがに『吸血』はともかく、なんだかオカルトチックな匂いがしますよね! なんかワクワクしてきたなあ!」
「ノってるねえ、デルリール準士官! いいよいいよぉ!」
「こう、黒魔術の儀式かなんかやってたりして! できれば現場を押さえたいところですわ! ビデオ回そうかしら?」
 うえ、どういう趣味なんだ?
 それに、どういうわけか、デルリール副支部長は、ワグダやカーリカと馬が合うようだ。きまじめそうなデルリールと、ハチャメチャなワグダたちが気が合うとは・・・フォルケは滅入ってきた。
『ほんと、スイーパーって、わかんない集団だよなあ・・・』
 すると。
「どうやらどこかに隠し部屋があるようですわ。ますます怪しいですわね、ベネック医院」
「はあ!?」
 とつぜんのカーリカの言葉に、フォルケは鳩豆鉄砲だ。いつの間にかカーリカは倉庫に入りこみ、なにか手のひらサイズの、厚めのスマートフォンのような機械を操作していた。
「隠し部屋なんて・・・どうしてわかるんです?」フォルケの問いに、
「あら、わたくしのIQ350は伊達じゃありませんわよ?」
『プラス50、盛ってるじゃないですか・・・』心にボヤくフォルケ。
「この建物の構造と外観からすると、『そこへ至る通路のない空間』がどこかにありますわ。わたくしの発明品の万能探知機が、閉ざされた空気の存在によってそれを示しています。一見、通路がない、つまり通路が隠されている、イコール隠し部屋ですわ」
「ちなみに、そこには誰もいないな。人の気配がない」
「・・・・・・・・・」
 カーリカに続くワグダの言葉に、フォルケは息を飲んだ。
 ふだんはやる気の見えないそぶりの美人上司二人、またしてもただ者ではない片鱗を見せた。カーリカの万能探知機とやら、電波なり音波なりで、建物の構造を検知し、ベネック医院のどこかに「あるはずのない」空気のたまり場、つまり隠し空間を見つけだしたのだろう。
 スイカを叩いて、中に「す」が入っているのを感知するようなものか。
 加えて、「狙った獲物は逃さない」ワグダは、ターゲットの姿を見ずとも、気配だけで察知することができる生粋のハンターだ。「そこには誰もいない」ことなど、容易にわかる。
「ここですわね」
「ああ、ここだな」
 カーリカとワグダは、2階へ至る階段に目を付けた。ワグダが、階段を持ち上げる!
「おおおお・・・」
 スイーパー・ブロンズ階層第10地区支部のメンバーは、思わず感嘆の声を上げた。デルリールはメガネをかけ直す仕草をし、バゾロは「お見事」とばかりに、拍手する。
 隠し部屋へと通じる道が、そこにはあった。

 ベネック医院の裏口の喧噪を、トラッシュも見ていた。室内の様子まではさすがに覗けないが、ベネック医院の裏手、レンガ造りの蔵の屋根に登り、双眼鏡でスイーパーたちの動きを注視する。
『ここは、もぬけの空だったらしい。てことは、シャマルもここにはいない・・・』
 いやな予感を禁じ得ない、トラッシュであった。
 トラッシュは、屋根から飛び降り、いずこかへ去っていった。

「いやあ、さすがワグダ少尉にカーリカ少尉、ウワサ通りの腕利きですね!」
 デルリールのほうが、テンションを上げているように見える。
「大したことありませんわ。この程度、朝メシ前の歯磨き前のアクビする前ですわ」
「そのウワサってのが、いいウワサなのか悪いウワサなのか・・・」
「フォルケ! 一言多いですわ!」
「はいはい・・・」
「んじゃ、あとはよろしく、ってことで」
 ワグダがそう言って、裏口に止めているパトロール車両に戻ってきた。
 すると、
「あのう・・・お訊きしたいんですが・・・」
 ベネック医院の裏口付近で、様子を見ていたらしい3人の人物、そのうちの一人が、ワグダに声をかけた。
「んんっ? あたしに?」

     ★     ★     ★

 港湾都市から、郊外へと延びるハイウェイ。
 一台のコンテナ車が疾走していた。
 運転席には、ガノ。冷ややかな表情をしている。
 コンテナの内部は・・・
『吸血』のための、血液交換装置を黙々とメンテナンスする、ベネック。傍らで、血液培養装置が立てる、ブウウウン・・・と低い音がコンテナを満たしている。
 ツル枝にグルグル巻きにされているシャマルは、向かいにひざを抱えて座るステナを、ただ見つめていた。
 その視線は、怒りではなく、憐れみに近い。
 それがわかっているからか、ステナはシャマルと目を合わせず、物憂げにうつむくばかりだった。
 計画が遂行されるまで、シャマルにこのことを口外されては困る。そのためにガノはシャマルを拘束し、同行させているのだろう。クスリで記憶を消す、などとは、さすがに本気ではなかったようだ。
 ふと、シャマルは、ベネックに向かって言った。
「先生、あんたはなぜ、ガノたちに手を貸す? 同情しているからか? それとも、医者として『吸血』に興味があるからか?」
「・・・そんなこと、キミには関係ないだろう。今となってはな」
 そっけないベネックの答えに、シャマルは、フンッ、と嘆息をもらした。
 すると、ステナが、静かに口を開いた。
「先生は・・・ずっとわたしたちの力になってくれた。わたしたちを家族のように扱ってくれたわ。だって・・・」
「ステナ、それは・・・」渋い表情で、ベネックが口をはさむ。
「いいえ、わたしたちにとって、ベネック先生は恩人です。シャマルにも、誰にも誤解して欲しくはないわ」
 ステナは、ようやくシャマルと目を合わせて、語り始めた、先ほどまでのおどおどした態度と違い、真剣なまなざしで。
「先生には、妹さんがいたわ。わたしより6つ年上で、幼なじみだった。わたしには、姉のようだったし、あこがれでもあった。先生のもとで、看護師をしていたの。わたしが看護師を志したのも、将来の夢とかじゃなくて、彼女のあとを追っかけていたに過ぎないわ。
 彼女には、婚約者がいた。とても真面目で、働き者で・・・あるとき、そんな彼が、交通事故に遭って、ベネック医院に運び込まれたの。事故が元でのダウンシフトはしなかったのだけど、妹さんの処置ミスで、出血して・・・ダウンシフトしてしまった」
 シャマルは、ハッと息を飲んだ。
「でも、婚約者は恨み言の一つも言わなかった。彼はウェイストに送られたわ。けど、その事で、先生の妹さんはショックを受けた。当然よね。自分のミスが原因で、婚約者の人生を、大きく変えてしまった。婚約者とも、離れ離れにならなければならなくなった。
 妹さん、ずっと泣いていたわ。わたしには、どうすることもできなくて・・・そして、ある日、妹さんは姿を消した。未だに、行方はわからないの」
 話の最中、ベネックは、作業の手を止めてしまっていた。
「わたしは、妹さんのかわりにはなれないけど、看護師になって、先生の力になりたかった。先生は、そんなわたしを、快く受け入れてくれたわ。そして、このことがあってから、先生もわたしも、人間の階層について、深く考えるようになった。
 医師や看護師ってね、病気やケガで、ダウンシフトした人たちを何人も見てるのよ。病気やケガを治すこと、体を癒やすことはできても、待っているのは、階層追放という現実・・・こんな、やりきれないことはないわ。それが家族や、大切な人となれば、どれだけ辛いことか・・・だから、ベネック先生は、階層についてずっと研究してるの。ケガをしてもダウンシフトしない方法はないかとか。『吸血』だって、もともとは、ダウンシフトしたひとを元の階層に戻す目的で調べ始めたの。そんなとき、わたしはガノと出会って・・・ガノの体のことを知って、先生はなんとかしたいって考えてくれたの。ガノも、自分のためだけじゃなくて、先生の思いに応えたくて、そして階層が原因で辛い思いをしている人たちの役に立ちたくて・・・実験台だとわかっても、『吸血』をやってみようって言いだしたの」
 シャマルは沈黙した。
 彼の中でいつもくすぶっている、階層社会の掟に対する、怒り。こうしてトラッシュたちと旅をして、いろいろな人たちに出会うたびに、最終的には、階層というこの社会のルールが、自分も含め、ひとびとを苦しめるだけに思えてきた。
 それは次第に、シャマルの心の奥で、ルールを変えたい、世界を変えたい、という思いを醸成してきている。
 革命・・・
 そう、革命だ。
 この社会に必要なのは、人を人として生かすルールではないのか。
 それを手に入れるためには、革命を起こすしかない。
 シャマルの心に、鈍い光を放つそんな思いは、徐々に研ぎ澄まされ、鋭い刃に変わりつつあるのだった。
 だが、今は・・・
 そんなシャマルですら戸惑う、『吸血』という秘術に手を染めようというステナやガノやベネック・・・
 ただ見ているしかない自分を、歯がゆく思う。

     ★     ★     ★

 スイーパー・ブロンズ階層第10地区支部は、バゾロ支部長、デルリール副支部長を含め、総勢6名全員が出動した。2台の機動装甲車両は、デルリールをのぞく5名で1台、そしてもう1台には、デルリールと、フォルケ、ワグダ、カーリカ。
 郊外のハイウェイを、軽やかなモーター音とともに疾走する。
「すみませんねえ、イリーガル追跡スペシャルチームに、手を貸していただくなんて、申し訳なくて・・・」
 ハンドルを握るデルリールは、そう言う割には、ちっとも申し訳なさそうな雰囲気がない。むしろ楽しそうだ。
 ほんのさきほど、機動装甲車両に乗り込む際、なぜかワグダ&カーリカチームの運転手をかって出たデルリールは、フォルケにそっと耳打ちしていた。
『こんな美人二人といつも一緒だなんて、フォルケくんも落ち着かないんじゃない?』
 ウィンクしてみせるデルリールに、フォルケは思った。
『あ、この人、ワグダ少尉とカーリカ少尉があんまり美人なんで、浮かれてたんだ・・・』
 きまじめそうな、じっさい「デキル男」のデルリールではあるが、若い男には変わりがなく、けっこうカルイ人だったんだ・・・と、フォルケは苦笑いした。
 ワグダは、そんなデルリールに応えて、
「気にすんなって! どうせ暇つぶ・・・」
「ゴホン!ゴホン!ゴホン!」
「・・・どうしたんだい?フォルケくん。風邪でもひいた?」
「風邪ひくほど、かしこいコじゃありませんわ」
「・・・いえ、ちょっと空気が乾燥してたんで」
 ぶ然とするフォルケだ。
「ま、それに、イリーガル追跡スペシャルチームとしても、けして遊んでるわけじゃない」
「はあ?」
 相変わらず、思わせぶりなセリフをはくワグダに、フォルケは首を傾げた。

 そんなスイーパー機動装甲車両2台を、追走する者がいた。
 いや、それは人目には確認できない。
 トラッシュが、キャンピングカーをステルスモードで走らせているのだ。ヨザム・ヤキリギの「消える」アートを、グラフィティの形で車体に封印したキャンピングカー。トラッシュは自らのアートで、封印したアートを呼び起こすことができる。
 キャンピングカーが消えることで、中の乗員も外からは見えないらしい。ヨザムのように、その間、目が見えないということもない。ある種の光の屈折がおきているのだろうか。
 ただし、トラッシュのアートが長続きしないため、消えている時間も限りがある。
「スイーパーが追ってるベネックとかいう医者、それを探ってるシャマル・・・病院にシャマルがいないということは、シャマルもベネックを追っていったのか?」
 トラッシュのいやな予感とは、シャマルのことだから、エトワを帰してまでベネック医院を探ろうとするのは、なにか事件が関わっているのではないか、そう思ったのだ。
「まさか、シャマルのやつ、ベネックとトラブルがあったりとか・・・」
 いっぽう、キャンピングカーのキャビン後席には、ヒビナとエトワの姿があった。ステルス・キャンピングカーを使う以上、二人を置いてけぼりにはできないとトラッシュは連れてきたのだが・・・
「・・・やっぱり、置いてきたほうがよかったのかな?」
 相変わらず、ヒビナは無言で、ゴロゴロしてるだけだった。さすがにエトワも心配そうだ。
 トラッシュにしても、ルームミラーに写るヒビナの姿は、まったく生気が感じられなかった。

     ★     ★     ★

 ハイウェイを降りて、山岳地帯に入り込んだベネックたちのコンテナ車。林の中の一軒のログハウスで、コンテナ車をガレージに納め、扉を閉じるベネック。
 ズサアアッッ!!
 ガレージの石造りの床に転がされる、ツル枝でグルグル巻きのシャマル。
「いてっ!」
「先生、あまり乱暴には・・・」
 ステナの懇願に耳を貸さぬそぶりのベネックは、ガレージの奥から、何か持ち出してきた。
 ガシャッ!!
 重たい金属の音を立てて、それを構えるベネック。それはライフル銃のような形をしていた。銃口を、シャマルに向ける。
「!! せ、先生!?」悲鳴を上げるステナ。
「安心しろ、これはスタンガンだ。狩猟用の特殊な銃で、殺傷能力はない」
 シャマルは、
「ふんっ、これはまた大層な覚悟だが、オレがどうとかいう以前に、スイーパーから逃げきれるとでも?」
「そんなことはわかっている・・・」
 スタンガンのストラップを肩に掛け、ベネックはコンテナの中に戻り、血液交換装置を準備する。
「だからこそ、やるしかないんだ」
 そう言ってガノが運転席から、かげろうのように、ふらりと姿を見せた。すかさずガノのそばに駆け寄るステナだ。
 ベネックは、
「いずれこの別荘も、スイーパーに感づかれるだろう。時間は限られている。血液の総量はまだ12リットルには満たないが、培養を続けながら『吸血』をやるしかない。終わる頃には培養血液も間に合う計算だ。だが・・・いちかばちかには違いない」
 息を飲むステナ。対照的にガノは、静かなほほえみで、
「覚悟はできています」
 そう、一度すべての血液を入れ替えてしまったら、元へは戻れない。シルバーの血液を4リットル、ガノの体に残すためには、ガノのブロンズの血液を、8リットルのシルバーの血液で押し出すのだ。つまり、ガノの元の血液は、シルバーの血液と混ざってしまい、分離は出来ないのだ。

 血液交換装置のいすの背もたれを倒し、ほぼ横たわる体勢のガノ。青ざめた顔でガノを見つめるステナだ。
 ガノは、優しく右手をステナのほほにあてる。その手に自分の手を重ね、ステナは、
「信じてるから・・・絶対、うまくいく」
 青ざめた顔で、まるで、不安に揺れ動く自分に言い聞かせるように、そう言った。
 ガノは応えて・・・
「目覚めたときには、ステナには笑顔でいて欲しいな」
 そんな二人の様子は、ガレージの床に転がるシャマルには目に入らない。だが、二人の言葉が、もの悲しくこぼれおちるのを、複雑な心境で受け止めていた。
「ガノ、ステナ・・・そろそろ始めるぞ」
 ベネックの言葉を受けて、名残惜しそうにステナはコンテナの外へと出る。外からコンテナのドアを閉じ、ドアにもうけられたテンキーを操作した。プシュッ、と音がして、気密装置が作動した。
 続いて、ゴウウウウンン・・・、と、エアコンが作動する音が聞こえる。
 通常の大気のもとで、ガノの体に注射針を刺してしまうと、どうしても血液がシルフォニウムに触れ、ダウンシフトしてしまう。そこで、コンテナ内の気密性を高め、シルフォニウムを排し、窒素やアルゴンと入れ替えた気体で満たし、ダウンシフトを防ぐのだ。ガノもベネックも、肺の中のシルフォニウムが拡散しないよう、呼吸用マスクを装着した。
 その準備も整い、ベネックの処置が淡々と進む。ガノの左右の腕に、輸血用の注射針が入る。隣り合うアルミ製のタンクに納められた、会ったこともないシルバーの市民の血液と、ガノの血液とが入れ替わるのだ。
 その間も、血液培養は進み、シルバーの血液が増量していく。
 そんなコンテナ内の様子は、外のステナやシャマルには見ることが出来ない。
 ふと、シャマルを拘束していたツル枝が、ぼろぼろと崩れ落ち、シャマルは自由になった。ガノの集中力が切れ、アートが途切れたのだろう。そのことに気づいたシャマルに向けて・・・
 銃口が突きつけられた。
 驚きとともに、見上げるシャマルの視線の先に、ステナがいた。
 スタンガンを構え、その銃口をシャマルに向けるステナの顔に・・・
 ボロボロと、涙があふれ出ていた。
 その涙の意味を、シャマルは理解していた。
 もう、誰にもジャマはさせない。ガノの『吸血』を、絶対に成功させる。
 もとより、シャマルはもう、彼らを止めるつもりなどなかった。スイーパーや外部の者に、このことを告げる気も。ステナだけは、そのことに気づいていたはずだ。だが、追い詰められ、不安に駆られ、愛するガノの身を案じるステナの決意が、こうしてその手に銃を握らせた。
 シャマルは、切なかった。こんな狂気に満ちた秘術だけが、ステナとガノの、希望なのだ。

     ★     ★     ★

 山岳地帯に、スイーパーたちはたどりついていた。熱源センサーや音響センサー、上空から地上を監視するカメラ「スカイアイ」を駆使し、ベネックたちの足取りを追ったのだ。
 ベネック医院がもぬけの殻であることは確認したが、ベネックたちが逃走したのか、だとしたらどこへどうやって、などなど、すべてが不明でありながら、ここまで追いつめることができる、それがスイーパーのスイーパーたる面目だろう。ベネックたちが疑わしいかどうかは、捜し当ててから調べあげればよいのだ。
 とはいえ、さすがにベネックのログハウスまでは探り当てていない。が、それも時間の問題だろう。
 そしてトラッシュもまた、スイーパーの後を追って、山岳地帯に到着した。
 トラッシュも、そこにシャマルがいるという確信はなかった。だが、ベネック医院を探っていたシャマルが謎の失踪を遂げており、そしてそのベネックがスイーパーに追われているとなれば、当たってみるに越したことはない・・・相変わらず、行き当たりばったりなトラッシュだ。
「いくら見えないクルマに乗ってるからって、ここからはクルマで探るのはきびしいかな・・・」と、トラッシュはひとりごちる。
 山岳地帯ともなれば、クルマで入り込む場所にも限界があるというわけだ。
「エトワ、クルマで留守番できるな?」
「え〜〜〜〜っ、エトワも行くぅぅ〜」ふくれっ面のエトワだ。
「スイーパーに見つかっちゃうだろ! オレ一人で探ってみるから」
「つまんないの・・・」
 すると、トラッシュは後部座席のヒビナに振り向いて、
「ヒビナ、後はよろしく頼む。スイーパーに見つかりそうになったら、エトワと一緒にクルマで逃げてくれ。オレのほうは何とかするから」
「・・・・・・・・・」
 ヒビナは無言で、反応がない。
 カチンときたトラッシュは、ヒビナの両肩をつかんで、ゆさぶりながら、
「おい、しっかりしろ! 何があったか知らないが、いつものヒビナらしくないぞ?」
 それでも、うつろな目をしているヒビナに・・・

 バシィッッ!!

 トラッシュは、ビンタを食らわした!
「あっ!?」と叫ぶエトワだ。
 ヒビナは、目をパチクリさせたかと思うと、

 ドグワシャッッ!!

「あがああぁっっ!?」
 妙な声を発して、もんどりうつトラッシュ。
 ヒビナは、トラッシュの顔面に、強烈なグーパンチを食らわしていた!
「ほっといてって言ったでしょ! あたしなんか、あたしなんか、役立たずなんだから! 予備隊の頃から中途半端、ブロンズに来てからも何の役にも立ってない、じゃあ自分は何をしたいのかってのもハッキリしない! 何の成長もしてない! どんどんみんなに追い越されて、フォルケにも置いて行かれて・・・メイペにも・・・」
「あはは、やっとヒビナらしくなった」
「はあ!?」
「なんだよ、やっぱ悩んでたんだな? いいじゃん、悩んでも悔やんでも、若いんだから」
「歳、違わないくせに、何をそんな上から・・・」
「けどな、自分を他人と比べたって、しょうがないだろ? ひととは環境も違うんだし。だいたい、ダウンシフトから復活しただけで、ヒビナはすげえよ」
「えっ・・・??」
「まあ、思うようにうまいこといかなくて、足踏みすることもあるよな。オレなんて、しょっちゅうだ。西へ西へ向かって、階層を上り詰めて、『王の座』を目指さなきゃならないのに、いまだにブロンズでうろちょろしてる。みんな、自分がぜんぜん前へ進んでないように思うもんなんだよ、たぶん」
 ヒビナは、目を丸くしてトラッシュを見ている。
「と言ってもな、今は今で、目の前のことをやるしかないんだよ。タイミングって奴は、追っかけても近づかないのに、準備ができてないときに限ってやってくる。そんなときにあわてないですむように、やるべきことはやっとくんだ。オレはそうする」
「・・・わかったふうな口きいて・・・」
「へっへっへ、ヒビナらしいセリフ、ようやく聞けた」
「はあぁ!?」
「素直じゃないとこ、ヒビナらしいよ。オレに一方的にしゃべられて、負けてるような気分になったんだろ。悔しいから、イヤミのひとつも言いたくなった」
「それがわかったふうな、って言ってんの!」
「わかってるさ。いつも見てんだから、ヒビナのこと」
「えっ!?」
 ヒビナは、胸の奥が、ズキッ、と鳴ったのを感じた。
「そんなの、見てればわかる。オレもエトワもシャマルも、ちゃあんと見てる。ヒビナはヒビナらしくいればいいんだ。ヒビナ以外、誰もヒビナにはなれないんだから、ひとと比べること自体、おかしいだろ?」
 トラッシュは、ニッと笑った。エトワもまた、ニコニコしながらヒビナを見つめている。
「じゃな、あとは頼んだ・・・って、それはもう言ったか」
 トラッシュは、ウィンドボードを背負って、車外へと飛び出していった。トラッシュがいなくなると、消えるアートは効力を失い、キャンピングカーは姿を現す。
 ヒビナは、揺れるまなざしで、トラッシュの背中を見つめる。
 体を縛り付けていた鉛の鎧が、スカッと消えてなくなったような、そんな気分だ。
 なんだか、晴れ渡った空が、今までよりずっと高くなったように思えた。
 体の奥から、力がわき起こる。
 なんで悩んでいたのかさえ、わからなくなった。

 トラッシュは山岳地帯の森林を走り抜けながら、思った。
『あれ?さっき・・・メイペって?』
 今ごろになって、ヒビナの口をついて出た名前が、ひっかかった。

     ★     ★     ★

 あれから、数時間がたった。
 ステナにスタンガンを突きつけられたままのシャマル。その間も、『吸血』は続いている。
 すると、静かだったログハウスの外が、にわかに騒々しくなってきた。

 ブロロロロ・・・・・・

 モーター音が少しずつ近づいてくる。車両がログハウスの近くを走っているようだ。
 ハッ!と、ステナの表情が曇る。窓の外に視線を送り、一瞬、シャマルから目を離した。
 すかさず、その瞬間、シャマルは行動した。

 ガッッ!!

 シャマルは、ステナの持つスタンガンを蹴り上げた!
「あっっ!?」
 宙に舞うスタンガン。落下したそれを、シャマルはつかみ取った。
 見つめ合うシャマルとステナ。ステナはもう、憔悴しきった表情をしていた。
 シャマルは、だまってきびすを返すと、窓の外をうかがった。
 窓の外には、スイーパーの機動走行車両が2台、こちらへ向かっている。
「ここが知れるのは、時間の問題だな」
 シャマルの言葉に、ステナは狼狽する。
「そんな・・・もう少し、あと少しなのに!」
 シャマルは、スタンガンを抱えて、ガレージの外へと出て行く。
「シャマル!」
 ステナの叫びに、シャマルは応える。
「・・・そろそろおいとまさせてもらうよ。言ってなかったけど、オレもスイーパーに追われる身なんでね。スイーパーの前に姿を見せたら、オレのほうが追っかけられるかも知れないな」
「シャマル・・・」
「ガノによろしく。あと、ベネック先生に無礼を謝っておいてくれ」
 ステナには、シャマルの心の内がわかった。シャマルは、おとりになって、ログハウスからスイーパーの目をそらせるつもりなのだ。
 シャマルは、ログハウスを後に、駆けだしていった。
 見送るステナは、
「ありがとう、シャマル・・・」

 ログハウスの位置が知れないように、林や花畑、雑草地帯に隠れながら、身を低く移動するシャマル。
 砂利道を、こちらへ向かう2台のスイーパーの機動装甲車両が視界に入る。
 タイミングを見計らい、機動装甲車両の前に飛び出す!

 キキイイィィッッ!!

 急ブレーキを駆ける先頭の車両。
「おい、危ないぞ! キミ!」
 運転席のスイーパー隊員がシャマルに向かって叫ぶ。
 と、そこへ、シャマルは機動装甲車両の前輪、その50センチメートル手前の路面に、スタンガンを発射した!

 バリバリバリィッッ!!
 バシャアアァァッッ!!

「うわっ! おい、何をする!!」
 電撃が砂利道の路面を叩き、砂ぼこりが舞い上がる。
 シャマルは、機動装甲車両とすれ違う向き、ログハウスとは反対方向に、駆けていった。
 すれ違いざまに、2台目の機動装甲車両に目をやると、
「ああっ! キミは、シャマル!」
 叫んだのは、フォルケだ。
 キャビンにいたフォルケと目があった。
 そこには、ワグダとカーリカの姿もあった。
『これは好都合・・・』
 シャマルは、ワグダに向かって、
「おおい、こんなとこで遊んでていいのか? イリーガルを捕まえるのがおまえらの使命だろう!?」
 挑発する言葉を捨てていくと、その場を後に、走り去っていった。
 チラリ、と、振り返ってみると・・・
 機動装甲車両は、停止こそはしたが、こちらを追いかけてくる素振りを見せない。
『チッ、オレを追いかけてくれば、と思ったが、オレってそれほど大物じゃなかったらしい・・・』
 ならば、と、シャマルはスタンガンをぶっ放し、機動装甲車両の周囲に電撃の雨を降らせた!

 バリバリバリィッッ!!

「スイーパーなんて、頭数そろえたところで、大したこと無いな!?」
 シャマルは叫んで、砂利道を逃走していく。
 ようやく、シャマルの挑発に乗ったのか、2台の機動装甲車両は、シャマルを追走し始めた。
『来た来た!・・・は、いいが、クルマ相手に逃げなきゃならんとは・・・』
 シャマルは、砂利道から脇にはずれ、セイタカアワダチソウの生い茂る雑草帯に逃げ込んだ。
 だが、機動装甲車両は、黄色い花を蹴散らし巻き上げ、シャマルを追う。
「はあ、はあ、はあ・・・」
 シャマルは息を上げはじめた。
 すると、そこに。

 バサアアァァッッ!!

「おわあぁっっ!?」
 シャマルの襟首を引っ張る者がいた。
「だ、誰だ!?」
 シャマルは、あわててスタンガンをそいつに向けると・・・
「ストーーップ! ストップストップ! オレだよ、シャマル! トラッシュだ!」
「トラッシュ!?」
 セイタカアワダチソウに隠れて、トラッシュとシャマルは小声で話をする。
「おまえ、何してんだよ!? なんでベネックってやつを探ってる? で、なんでスイーパーにちょっかい出してる?」
 スイーパーを見張っていたトラッシュの目の前で、この騒ぎが起こり、トラッシュはシャマルを見つけたというわけだ。
 シャマルは、ふとひらめいて、
「それどころじゃない、トラッシュ! いいか、目をつぶって3ツ数えろ!」
「はあ!? なんで?」
「いいから! 悪いようにはしない!」
 トラッシュは、しぶしぶ目をつぶり・・・
「いーち、にーい、さーん・・・」
 目を開けてみると、・・・
 そこには、誰もいなかった。なぜか、周囲のセイタカアワダチソウが踏みしめられて倒れており、立ち尽くすトラッシュが周囲から丸見えだった。
 そのとき、数メートル離れた場所から、声が聞こえた。
「おおおおい、トラッシュ! スイーパー部隊がいるから、気をつけろよおおおぉぉっっ!!」
 シャマルだった。
「わっ、わっ! 何言ってんだシャマル! 見つかるだろ!」
 あわてふためくトラッシュだ。

 シャマルの叫び声を聞いて、機動装甲車両では、フォルケが騒いでいた。
「やっぱり! シャマルだけじゃない、トラッシュもいたんですよ!」
「あっ、あそこ!」
 デルリールが指さす先に、トラッシュの姿が。
 スイーパー隊員たちの視線が、一斉にトラッシュに照準された。
 それに気づいたトラッシュは、タラーッと、こめかみに汗がしたたる。

「わあああああぁぁぁぁっっ!!」

 焦りながら、ウィンドボードを装着し、飛行して逃げるトラッシュだった。
 デルリールの運転する車両に、バゾロ支部長の無線が入る。
『ベネックより先に、イリーガルを発見した。どちらを追うべきかな?』
「当然、イリーガルでしょう!」
 バゾロ支部長の口癖は、決して優柔不断なのではなく、デルリールや部下たちを育てるために、随所で判断を強いているのだ。
 デルリールはトラッシュ確保を優先し、2台の機動走行車両が、そろってトラッシュを追いかけ、ログハウスから遠ざかって行く。

 まんまと隙を突いて、シャマルは、ログハウスに駆け戻った。
「ステナ! 首尾はどうだ?」
 ステナにそう語りかけるシャマルだが、返事はない。
 ステナは、祈るような仕草で、コンテナ車を見つめていた。
 すると。

 プシュウウウウゥゥゥ・・・

 気密装置が開かれ、コンテナ内の気体が漏れ出てくる音がした。
 シャマルは、息を飲んでそれを見守る。
 コンテナ車のドアが開き、中から、ベネック医師が姿を現した。
「先生! ガノは・・・『吸血』はうまくいったのですか?」
 ステナの言葉に、ベネックは応える。
「やるだけのことはやった・・・今、ガノの体には、シルバーの血液が満たされている。あとは、彼が目覚めるのを待つだけだ。そうすれば、成功か失敗か・・・」
「それを見届けるのを、こっちは待てないけどな?」
 最後の声は、ちょっとハスキーな、女の声だった。
 ハッ!と、シャマル、ステナ、ベネックが、声の主を振り返る。
 ログハウスのガレージのドアに、もたれかかるように立つ、スイーパーの制服姿の女士官がいた。
「ワグダ!」
 シャマルが、その名を叫ぶ。
「どうして・・・アンタも、トラッシュを追ったんじゃなかったのか!?」
「シャマル、お前、人助けしたそうじゃないか? お前のこと、探してた年配のご婦人がいたぜ。ベネック医院に来てた」
「なっ・・・・・・」
 そう、スイーパーがベネック医院を捜索していたとき、ワグダに話しかけた人物とは、先だってシャマルとステナが介抱した、老婦人だった。息子夫婦と共にベネック医院を訪れ、あらためてステナとシャマルに礼を言いたかったのだ。老婦人から聞いた少年の背格好、風体から、それがシャマルだと気づいたワグダは、シャマルがステナやベネックとなんらかの関わりを持ったと確信した。
 その上で、今し方の、ステナやベネックを探ろうとしていたスイーパーの行動を、撹乱するかのようなシャマルの突然の登場、ワグダにはもはや偶然とは思えなかった。
「背が高くて褐色の肌で銀髪で、十字架のペンダントしてて。尻ポケットの文庫本まで覚えてたよ。なかなかそんなヤツはこのブロンズでは見かけないからな。ホントは親切なやつだって事も含めてな」
「くっ・・・!」
 スタンガンを構えようとするシャマルだが・・・
「おっと、さすがにお前さんはあたし一人じゃ手に余る」

 ジャキイイイィィッッ!!

 ガレージは、すでに7〜8人の、ライフル型スタンガンを抱えたスイーパー隊員に囲まれていた。
「な・・・なんだと?」
「出動していたのは、第10支部だけじゃないってこと」
 ワグダはそう言って、ニヤリと笑った。機動走行車両を前にしたシャマルの行動は、スイーパーをおびきだそうとしていると読んだワグダは、シャマルの動きを逆にたどればベネックたちに行き着くと考え、たどりついたのがこのログハウスだったわけだ。
 ひそかにカーリカたちと別行動をとっていたワグダは、この地区に一番近いスイーパー支部に出動を要請し、ここに至ったのだ。
「ベネック・ドワイ、ステナ・ビナティリ・・・シルバーから血液を持ち出した容疑で、調べさせてもらうぞ? それに・・・」
 ワグダは、コンテナ内の医療機器、タンクなどを一瞥し、表情を歪めて言った。
「まさか、ホントに『吸血』をやっていたというのか・・・本気でそんな・・・」
 信じがたい、といった面持ちだ。
「・・・これはあたしの仕事じゃないが、スイーパー支部にアンタらを引き渡さなきゃならんな」
 ワグダが合図すると、スイーパー隊員たちは一斉にガレージ内に突入した。あっという間に、ベネック、ステナはとらわれの身になった。
「くそおっ! 来るな!」
 シャマルはスタンガンを構えようとするが、屈強な2名のスイーパー隊員にそれをたたき落とされた。鍛え上げられたスイーパー隊員相手では、シャマルなどはひとたまりもない。アートを使うひまも与えてはもらえなかった。
 抵抗するシャマルに向かって、
「やめて! もういいの、シャマル! これ以上は、ケガをするだけよ!」
 ステナが叫んだ。
「ステナ・・・」
「いいの。もういいの・・・ここで捕まっても。ガノと一緒なら、刑務所でもどこでもいいの。二人で罪を償って、自由になったら、ガノとシルバーに・・・いえ、そこがどんな場所でも、どんな階層でも・・・たとえウェイストでも、ガノと二人なら、死ぬまで二人なら・・・」
「なんだって・・・」
「ごめんなさい、ベネック先生。先生にも迷惑をかけてしまった・・・」
「いや・・・いいんだ」ベネックも、観念しているようだ。
 シャマルは、愕然とした。そもそも、スイーパーの追求を考えれば、無謀な計画だった。ガノの『吸血』は成功したのかも知れない。だが、ステナはこうなることも覚悟していたのだろう。本当は、ステナ自身は、ガノほどシルバーにこだわっていなかったのだろうか。
 そう、ガノと永遠に二人で手を携えて生きていければ、どんなに辛くても、苦しい生活でも・・・
 そのとき。
 ゆっくりと、ステナが右手を掲げた。その右目が、銀色に輝いた!
「!!?? あちっ! あちちち!!」
 シャマルを捕らえていた、2人のスイーパー隊員が、あわてだした。機動隊員服の手袋が、溶け出していた!
「逃げて! シャマル!」
 そう、ステナのアートで、スイーパー隊員のスキを作ったのだ。
 シャマルは、隊員を振り切って、駆け出した!
「あっ、この!」
 ワグダは、シャマルを追いかけようとするが、そのとき、ログハウスのガレージの真ん前に、突如として、キャンピングカーが出現した!
「シャマル、こっちだ!」
 キャンピングカーの運転席で、トラッシュが叫んだ。どうにか、スイーパーたちの追撃を逃れたらしい。
 4座のキャビンのリアドアを、ヒビナが開けた。シャマルは飛び込むように乗車する。
 チラリと、ステナを振り返るシャマル。ステナは、涙ぐみながらも、微笑んでいた。
『さよなら、シャマル・・・』
 そう言っているような気がした。
「待たんかい、この!」
 追おうとするワグダだが、

 ドオオンッッ!!

「うわぷっっ!?」
 ワグダは、「見えない壁」に激突した。ヒビナが、右手の平を突き出している。ヒビナのアートで、いつもの「空気の壁」を作ったのだ。

 ギャギイイイィィッッ!!

 派手なホイールスピンをして、キャンピングカーはその場をあとにした。「消えるアート」を駆使し、とつじょ現れたキャンピングカーは、再びこつぜんと姿を消して、逃走した。
「あいててて・・・トラッシュのヤツ、いつのまにあんな忍者みたいな・・・」
 したたかにぶつけた鼻をさすりながら、ワグダは舌打ちをした。

「さあ、来るんだ!」
 スイーパー隊員に後ろ手をつかまれ、ベネックとステナは、連行されようとしていた。
 と、その時。
「うう・・・」
 コンテナの中から、小さなうめき声が漏れた。
 ハッ!と、ステナは目を見ひらいた。
「ガノ!」
 小柄なステナにしてはあり得ないほどの力で、スイーパー隊員を振り切り、コンテナ内に向かって駆けていった!
「あっ、こいつ!」
 すると、ベネックは、スイーパー隊員に向かって言った。
「頼む、後生だ! ガノの、あの青年の容態を診させてくれ! 罪は全てわたしにある! だが、せめて彼の体が無事なのか・・・」
 どうします?と、ワグダに指示を仰ぐスイーパー隊員。それに応えて、腕組みのワグダはアゴで指示をした。やらせてやれ、と。
 コンテナ内に駆け込んだステナとベネック。ガノは、うっすらと目を開けるところだった。
 ベネックは、階層判定機を取り出し、ガノの目に当てて作動させた。ガノの網膜データを読み取る。
 ピピッ!
 判定機をのぞき込むベネックは・・・
「・・・シルバー、階層はシルバーだ! やったぞステナ! ガノの階層は、シルバーだ!」
「・・・ホントに・・・ホントなんですね! ガノは、シルバーに・・・」
 ワグダは、それを聞いて驚嘆した。『吸血』が、成功した!? 都市伝説ともオカルトとも言われた、怪しげな秘術が、現実に成功したというのか?
 ステナは、ガノにしがみついた。
「ああ、良かった! 夢が叶ったのよ、ガノ! とうとう、あなたの夢が! わたしたちの・・・」
 すると、しずかに目を開いたガノは・・・
 突然、ガバッ!と、血液交換装置のいすから立ち上がるや、ステナを振り払った!
 小さく「キャッ」と悲鳴を上げて、コンテナの床に、倒れ込むステナ。
「ガ、ガノ!? どうしたの?」
「誰だ、お前は!」
「!!??」
 ステナの顔が、一気に蒼白になった。
 ガンッ!という衝撃が、全身を駆け抜ける。
「ガノ・・・どうしたんだ!?」
 ベネックの言葉に、「ガノ」は、
「ガノ・・・? 誰のことだ! お前らは何だ! オレに何をした!」
 口調が、きまじめで穏やかで、物静かなガノとは別人だ。
「・・・何を言ってるの、ガノ・・・あなたは、『吸血』に成功したのよ? 念願の、シルバーになったのよ、ガノ!」
「だから、オレはガノじゃない! それにオレは、もともとシルバーだ! 念願の、って、どういうことだ!」
 ステナの顔が、引きつった。
 ベネックもまた、言葉を失うほど、衝撃を受けていた。
 ガノは、頭を抱えた。
「待て、待て待て・・・オレは・・・オレは誰なんだ、思い出せない、今までオレは、どこで何をしていたんだ・・・そう、オレは、オレは・・・死んだんじゃなかったのか!?」
 ステナは、ひざから崩れ落ちた。震えが止まらない。
「そんな・・・どうして・・・どうして・・・」
 ガノと二人なら。
 そう決意したはずなのに。
 ガノは・・・
 ステナが愛した、ガノ・ゼトロは、もうそこにはいなかった。

     ★     ★     ★

 夕景のハイウェイを疾走する、トラッシュのキャンピングカー。
 後席のヒビナは、じーっと、ルームミラーに映るトラッシュを見つめていた。
 トラッシュは、それに気づき、
「な、なんだよヒビナ? どうかしたか?」
「えっっ!? あっ、いや、その、アンタが居眠り運転しないように見はってたの!」
「かえって集中できないんですけど!」
「悪かったわね! どうせあたしは・・・」
「はいはいはい! 仲良し仲良し!」
 エトワが割って入って、ちゃかした。
「何よエトワ! 仲良しって!」
 いつものようにツッコミを入れるヒビナに、エトワは、
「みんながトラッシュ大好き! トラッシュもみんなが大好き!」
「えっ!?」
 ヒビナは、それを聞いて、赤くなった。
 夕日に照らされて、誰にも気づかれなかったが。
「あははは、エトワ、何だよ急に!」
 トラッシュが笑った。

 シャマルは、そんな喧噪には加わらず、窓の外を、ほおづえをついて眺めていた。
『これで良かったのかもな・・・ステナとガノ・・・』
 ステナの悲劇など、知るよしもないシャマルだった。
 シャマルのひとときの感傷は、こうして、うたかたのように消えていった。

     ★     ★     ★

 夜が訪れ・・・
 トラッシュたちは、ハイウェイを降りて街道を抜け、休耕農地らしき空き地の脇にキャンピングカーを駐めた。草むす平地の裏手には渓流が流れ、上流からだろう、滝の音が聞こえる。
 夕食を済ませ、眠りにつく。
 トラッシュもシャマルもエトワも、すやすやと眠っていた。
 だが、ヒビナだけは、なかなか眠れないでいた。
 ヒビナは、トラッシュの言葉を思い返していた。
『そんなの、見てればわかる』
 そう、トラッシュは、あたしが一人であせって、空回りして、八つ当たりして・・・
 そんなぶざまなあたしでも、見ていてくれた。
 そういえば、ウェイストであたしがダウンシフトして落ち込んで、悔し涙を流したときも、だまって見守ってくれた。
 あたしが自分で立ち直る、その時まで。
 今回は、ガラにもなく、アドバイスらしき言葉まで吐きやがった。
 誰かと自分を比べて、進んでいるとか遅れているとか、勝(まさ)っているとか劣っているとか、そんなこと気にしてどうする。
 自分は自分。ヒトはヒト。自分は自分の道を自分のペースで進めばいい。
 ・・・とでも、言いたかったのだろうか。
 何をやってもうまくいかないとき、何をしたらいいかわからないとき、そんなときは歩みを止めてもいいんだ。
 多少、ひとから遅れたとしても、それがなんだ。
 今はただ、目の前のことだけを、淡々と片づけててもいい。
 その全てが、準備期間だと思えばいい。
 チャンスはいずれ来る。まだ来ていないだけだ。
 そのとき、目が曇っていたら、チャンスを見逃してしまう。そのときのために、眼力を鍛えていなければならない。
 いざチャンスが訪れたとき、自分自身の、能力全開ができなければ、悔いを残すことになる。
 だから、何があっても大丈夫なように、今はただ、準備をすればいいのだ。

 ヒビナは、泣きそうになった。
 うれしさで泣きそうになるなんて、初めてのことだった。
 そばで寝息を立てるエトワに気づかれないよう、毛布を握りしめて、泣かないように耐えた。

     ★     ★     ★

 翌朝、早く。
 滝のそばの渓流にトラッシュはいた。
 ポリタンクに水をくみに来ていたのだ。
 まだモヤの立ちこめる朝まだき、この時間帯なら、救世主イリーガルの姿をブロンズ市民に悟られぬだろうと。
 街外れの休耕農地や渓流では、そもそも人っ子一人見かけないのではあるが。
 20メートルは高さがあるであろう滝は、霧のような水しぶきを上げる。渓谷に囲まれた清流のほとりは、針葉樹林とシダが生い茂り、フィトンチッドとマイナスイオンの香りに包まれていた。滝が水面を刻む音と、せせらぎの音がすがすがしい。
 上流の森林が濾過したキレイな水を、トラッシュは手ですくって、一口ふくんだ。
 体の隅々まで、アクを流してしまうかのような、清冽な味わい。この水はいずれ、タルタカス湖まで流れこむのだろうか。
 う〜〜〜ん、と、トラッシュは声に出して背伸びをした。
 ふと、気配を感じて、振り返ってみる。そこに人の姿を認めて、ビックリした。
「ヒビナ・・・」
 そう、そこにはヒビナがたたずんでいた。
 見たこともない表情で。
 いつもの賑やかしい雰囲気は潜め、微笑みをたたえたその端正な顔は、滝の水しぶきに濡れているように見えた。
 なにかこう、恥じらいをかかえているような・・・?
 トラッシュは、正直、いぶかしい感覚を抱えた。
 そんなトラッシュに、ヒビナのほうから声をかけた。
「トラッシュ・・・あの・・・あのさぁ」
 こう言っては失礼なのだろうが、トラッシュは、ギョッとした。
「昨日は、その・・・何て言ったらいいんだろう・・・」
 これまで聞いたことも無いような、ヒビナのそれは「少女」の声質だった。
 ヒビナがトラッシュを意識していたのは、これまでもそうだったといえる。
 だがそれは、アザク・ラガランディへの意識が、同じ姿のトラッシュに重なっていたに過ぎない。
 それが今や、ヒビナの意識は、トラッシュ自身へ向けられていた。
 もはや、アザクに告白された事実など、どうでも良くなっていた。
 そのことを、まだヒビナ自身も戸惑っているのかも知れない。
 だから、トラッシュに対する感情を、定義づけできない。
 それでも、何かをトラッシュに告げなければならない、そんな思いに突き動かされている。
 ただ単に、トラッシュに礼を言いたかっただけなのに、そこには御しがたい感情が上乗せされてしまう。
 ヒビナの体の芯が、熱くなり始めた。
 肝心のトラッシュは、そんなヒビナの変化が、まったくわかってはいないのだが。

 と。

 その時だった。

 意を決したヒビナが、素直な気持ちを、それだけではない意味を彩りに、唇から奏でようとした、まさにその瞬間。

「トラッシュくん!」

 天空から降り注ぐかのように、渓谷にエコーする、フルートのような澄んだ声。
 ヒビナ以上に、特別な感情が、トラッシュの名を歌わせる。

 トラッシュは、その声の主を振り仰いだ。
 ヒビナもまた、何かを断ち切られた不快感を携えて、滝を見上げる。

 渓谷の上に、人影が見えた。
 黒い人影が、3つ。
 背の高い2つの影に、はさまれる小柄な影。
 黒い衣装に身を包んだ、3人の女性だった。
 3人とも、いわゆるゴシック調の、もっともトラッシュにはゴシック・ロリータもゴシック・パンクも区別がつかないのだが・・・黒・黒・黒のダークで華美な衣装に、編み上げの厚底ブーツ。鋲やスタッドをイメージさせる金属的なアクセサリがきらめく。この自然の光景に、なんと似つかわしくないことか。
 中央の少女は、白くなめらかな肌に、髪はプラチナ・ブロンドを、いわゆるツインテールに、頭の両サイドでまとめて垂らしたヘアスタイルだ。細い細い胴回りのタイトさに対し、パニエでボリュームを増したスカート。デコルテの肌白さは際だって、まぶしいほどだ。
 碧い瞳で、射貫くような熱い視線をトラッシュに送る。
 トラッシュは、動揺していた。
「トラッシュくん」という、くすぐったい呼び名。そんなことをしたのは、これまでただ一人しかいない。
 思わず、その一人の名をつぶやく。
「・・・メイペ・シノリ!?」
 そして、そのつぶやきを聞いたヒビナもまた、息を飲んだ。
「うそ・・・あれがメイペ、メイペ・シノリだというの!?」
 その名で呼ばれた、スレンダーな少女は、スカートのフリルをなびかせながら、20メートルの高さの渓谷から、ジャンプした!
 渓谷の岩場を、野生動物のように飛び移りながら降下し、トラッシュの目の前に、華奢なその姿態を着地させる! 見てくれからは想像もつかない、その身体能力こそ、メイペ・シノリの証だ。
 驚嘆するトラッシュに、ほほを染め、小首をかしげて、陶然とした表情を投げかけるメイペ。
「うれしい・・・また会えた・・・」
 すると、困惑するトラッシュの心の内などおかまいなしに、この清流にも似たメイペの碧い瞳が、とつじょ、スチールブルーの金属的な鈍い輝きに変わった!
 メイペに遅れて、残り二人の黒装束が、トラッシュの両サイドに着地した。
 と、気をやる間もなく、両サイドの黒装束の女性は、トラッシュの左右の脇腹にそれぞれ、手の爪をたたき込んだ!

 ザシュウウウゥゥッッ!!

 引き裂かれるような痛みが、トラッシュの両脇腹をつらぬく!
「ぐはああぁっっ!!??」
 思わず、うずくまりかけるトラッシュ。ヒビナは、息を飲み、驚愕の表情のまま凍り付く。
 今度はメイペが、つかつかとトラッシュに歩み寄る。鈍い輝きの瞳はともかく、陶然とした表情はそのままに。
 トラッシュは、痛みをこらえながら、言葉を絞り出す。
「メイペ・・・オレを・・・イリーガルを捕らえる指令が?」
 メイペは、端正な顔をトラッシュに寄せて、ささやくように言葉を漏らす。
「捕らえる?・・・違うわ。わたしの望みは・・・」

 バシュウゥゥッッ!!

「うぐあああっっ!!??」
 メイペの右手が、その爪が、トラッシュのみぞおちに突き刺さった!
「きゃあああっ!!」
 ヒビナの悲鳴が爆ぜた!
 トラッシュのみぞおちに、赤い血がにじむ。
「あなたを殺すの」
「なん・・・だってえぇ!?」
 メイペの言葉で、トラッシュの背筋を、電流が走った。
 メイペは、トラッシュの血がついた右手を眺めながら、うっとりと、
「すてき・・・わたし、トラッシュくんで汚れてく・・・」
「な・・・・・・」
 メイペの言葉の意味するところが、トラッシュには理解できない。
 メイペは再びトラッシュに熱い視線を送ると、両手でトラッシュのほほを包んだ。
 自分の血で、左ほほを濡らすトラッシュ。
「トラッシュくん・・・あなたのことを考えるだけで、わたし、わたし・・・高ぶるの。ようやく、あなたに会えた。あなたみたいなひとに会えた。わたしが殺すべきひとに・・・」
「うわあああぁぁっっ!!」
 トラッシュは、全身の力を振り絞り、3人の黒き乙女を振り払った!
 そのまま、後方へジャンプする。渓流の浅瀬へと、バシャッと着地した。
 痛みによろけ、トラッシュはひざをつく。清冽な流れが、トラッシュの足下を濡らす。
「わかんねえ・・・言ってることがわかんねえよ、メイペ! キミは、そんなコじゃなかったろう!? 自らの命を、体をなげうって、赤ん坊の命を救った! あのときのメイペ・シノリと、キミは同じコなのか!?」
 メイペは、微笑みを崩さないまま、トラッシュに答える。
「うふふ、うふふふふふ・・・そうよ、わたしはわたし。何も変わってないわ。トラッシュくん。あのときのメイペのまま。あのとき、あなたに救われて、あなたに惹かれて・・・」
 メイペはますますほほを紅く染めた。両手で自分のほほを押さえた。
「やだ、わたし・・・」
 ヒビナは、メイペの言葉に、その一挙手一投足に、衝撃を受けた。
『メイペ・シノリ・・・このコ、このコは・・・トラッシュのことを好き・・・』
 なぜ、トラッシュとメイペはお互いを知っているのか、ヒビナは知るよしもない。
 だが、そんなことよりも・・・
 メイペは、トラッシュを殺すといった。
 理由はわからない。
 しかしながら、ヒビナは直感した。女のカンと言ってしまうと、ありきたりすぎるだろうか。
 メイペは、トラッシュに恋をしている。トラッシュを求めている。その感情の高ぶりが、トラッシュの命を奪うことの意味。
 ざわざわざわ・・・
 ヒビナの心が波立った。
 体の芯から、なにかが抜き取られる感じがあった。
 代わりに、言いようのない空虚な感覚が、体の中に生まれた。
 背筋が寒くなった。
 代わりに、脳が熱くなった。
 胸が痛くなった。
 ダウンシフトして、スイーパーとしての未来を奪われたとき・・・
 キリィ・キンバレンから、スイーパー追放を告げられたとき・・・
 いや、その時よりも、はるかに深い絶望感が、絶対零度の空洞となって、胸の中に巣くわれた。
 震えが止まらない。
『あのコ・・・あのコ・・・トラッシュを奪っていっちゃう! 予備隊ナンバーワンの座も、キリィさまのおそばに仕えることも、何もかも奪って、手に入れて、その上、トラッシュも自分のものにしようというの? わたしには・・・わたしには、何も残らないというの!?』
 なのに、いつものような闘志がわかない。
 黙って見ていたら、トラッシュはメイペのものになる。
 理屈じゃなく、そう感じた。
 なのに、なのに・・・
 ヒビナには、手も足も出なかった。
 恐怖、ではない。
 迷いのない、圧倒的なまでの、メイペのトラッシュへの想いに、打ちのめされていた。

「ジョデ! ガーフ!」
 メイペが叫んだ。

 ズササササササッッ!!

 メイペの両サイドの二人が、まるで水面を駆けるように、浅瀬を猛スピードで走り抜け、トラッシュに迫る。
 ジョデとガーフ。それがこの二人の名前のようだ。
 まずは、長い黒髪のジョデが、その爪をギラリと光らせ、トラッシュに襲いかかる。
 身構えるトラッシュ。
 すると。

 バシャアアアッッ!!

 とつじょ、ジョデの体が、液体に変化し、渓流の水に混ざって消えた!
「なにぃっ!?」
 トラッシュが目をむいていると、その背後で、渓流の水面が盛り上がり、それがジョデの姿に変わった!

 ザシャアアッッ!!

 ジョデが爪を振り下ろす。トラッシュの背中を、ざっくりと切り裂いた!
「うあああああっっ!?」
 と、こんどは、短髪赤毛のガーフが水面を駆ける。痛みに顔を歪めるトラッシュが、視線を向けると、その先でガーフは・・・
 その姿を、「電気」に変えた!

 バリバリバリバリィィッッ!!

 光る稲妻になり、ガーフはトラッシュに電撃を浴びせる!
「があああっっ!!」
 電気に強いと豪語していたはずのトラッシュですら、苦痛に叫びを上げる。焦げ臭い匂いがした。
 電撃は空中でガーフの姿に戻り、トラッシュの背後に降り立つ。そのまま、トラッシュを羽交い締めにする。
 もうろうとする意識の中で、トラッシュは、
『こいつら・・・メイペの仲間、いや手下なのか? アート使いなのか?』
 考える暇もなく、メイペは、いつの間にかトラッシュの目の前に立っていた。
 トラッシュは、メイペのスピードに、信じられないという表情をしていた。
 メイペは、相変わらずトロンとした表情で、おもむろにトラッシュの左胸に右手を当て、苦痛にしかめるトラッシュの顔を見上げた。
 サクラ色の、少し薄い唇が、咲くように開かれる。
「ねえ、トラッシュくん・・・」
 ため息のような、メイペのささやき。
「わたしに殺されるか、わたしを殺すか・・・あなたが選んで」
「な、なに・・・・・・!!??」
 メイペは、こんどは自分の左胸に右手を当てて、
「ここ、ここを貫いて・・・あなたがわたしの返り血にまみれるの、見てみたい・・・」
「何言ってるんだ、メイペ! おかしいよ! スイーパーにいると、おかしくなっちまうのか!?」
「おかしい?・・・わたし、おかしい・・・? うふっ、うふふふ・・・」
 メイペの視線が、妖しくトラッシュを愛撫する。
 ヒビナは、青ざめた顔で、そのさまをみつめていた。
 トラッシュは、背筋に冷たい気が走るのを感じた。
 メイペは、なまめかしく、言葉をこぼす。

「わたし、壊れてるの・・・いいカンジに・・・」

     ★     ★     ★

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>>>第2章第10話へつづく。
次回「メイペ・シノリの衝動」

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