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第2章第10話「メイペ・シノリの衝動」

 禁断の秘法「吸血」により、ブロンズからシルバーへと階層を変えることに成功したガノ・ゼトロ。だが目覚めた彼は、まったくの別人になり、恋人ステナは絶望する。
 いっぽうトラッシュは、美少女スイーパー予備隊員、メイペ・シノリと再会する。だが、彼女はトラッシュの命を狙うハンターとなっていた。

     ★     ★     ★

 ガーフに羽交い締めのトラッシュ、向かい合うメイペは、ふたたびトラッシュの左胸に自らの右手を当てる。
「あなたのハート・・・わたしのものに、していい・・・?」
 メイペの語る言葉の一つ一つが、トラッシュには理解できない。
 メイペは右手の人差し指で、まるで目印をつけるように、トラッシュの左胸の上にマルを描くようになぞると・・・

 ザクウゥゥッッ!!

「ぐああああぁぁぁっっっ!!!」

 ヒビナが息を飲んだ。
 メイペは右手で、袈裟がけにトラッシュの左胸に爪を振り下ろす!
 さほど長く伸ばしてもいないメイペのネイルだが、鋭い刃物を振り下ろしたかのように、トラッシュの左胸、ジャケットもその下のツナギも、Tシャツをもえぐり、皮膚を切り裂いた。
 赤い血が飛沫となって、メイペの白い顔を彩る。その一滴が、メイペの涙のように、紅潮した左ほおをつたう。
 すると、メイペの潤んだ右目から、一滴の涙が、ぽろりとこぼれた。メイペの笑顔に、血と涙が、一対となってつたう。
 メイペの碧い瞳は、かわらずスチールブルーの鈍い輝きをたたえる。痛みに震えるトラッシュには、その瞳がまるで作り物のように思える。
 旧市街で見つめ合った、あの時のメイペの瞳とは、まるで別物のように感じていた。
 なのに、右ほほのひとすじの涙は、それだけがトラッシュの記憶に残る、可憐なメイペ・シノリと一致する、暖かみを覚えた。
 トラッシュの困惑は、極みに達する。
 赤ん坊の命を救うために、自らの命を引き換えにさえしようとした、メイペ・シノリ。人目を避けた薄暗くせまい倉庫で、ひととき、心を通わせた、愛らしい少女。
 あのメイペ・シノリは、今ではまるで死神の代理人のごとき黒きいでたちで、刃物のような爪を振るい、この自分の血を浴びて陶然としている。だがその完璧なまでに美しき造形の面差しは、確かに自分の知るメイペ・シノリのそれだ。そのまなざしだけが、まるで人形のように輝きを失っている。
 では、その涙はなんなのだ?
 ただでさえ理解しがたいメイペの行動に加え、トラッシュのような少年には、メイペの自分に対する感情を、知るべくもない。
 メイペは・・・
 嗚咽のような、荒れた吐息で、言葉を押し出す。
「トラッシュくん・・・わたし・・・」
 ひくっ!
 メイペが、息を飲んだ。まるで電撃に打たれたような、一瞬の硬直。
 感情の昂ぶりが、スイッチを切り替えた、ように見えた。
 ヒビナにだけは、メイペが言うはずの言葉がわかった。
 だが、それを言う前に、何かが急ブレーキをかけたようにも見えた。
「何か」が何かは、わからない。
 だが、それとは関係なく、ヒビナは思った。
 言わせてはいけない。その言葉を。
 それは、ヒビナにとって、重要な何かを失うことを意味する。
 トラッシュへの想い? いや、それは正確ではない。
 少女にとって、それは命と等価の、自尊心だ。
 恋愛感情という、プライド。
 ヒビナは、ある種の恐怖にしばられた体を、むりやり駆り立てる。
「うあああああああぁぁぁっっ!!」
 ヒビナは、お気に入りの靴が濡れるのもかまわず、渓流へと駆け込んでいった!
 トラッシュに向かって。
 だが、その前に、ジョデが立ちはだかる。
「どきなさいよおおぉぉっっ!!」
 ヒビナの瞳が、銀色に輝く!
 ヒビナが右手の平を突き出すと、そこにヒビナのアート、物質の密度をコントロールするワザで、空気のかたまりがジョデに向かって叩き付けられる。
 見えない岩石が、ぶつけられたようなものだ。
 だが、ジョデは、

 グワシイイイィィッッ!!

 突きだした両腕で、それを受け止める。
 堅さはあっても、重さの無い空気のかたまりは、ジョデにはなんの衝撃も与えなかったようだ。
「なっっ・・・・・・!」
 ヒビナは、狼狽しながらも、空気のかたまりをジョデに押し込んでいく。
 すると。
 バシャアアアァァッッ!!
 ジョデはとつぜん、その姿を液体に変え、渓流に潜った。
 力押しの相手が、急にいなくなったのだから、ヒビナはたまらない。
「キャアァッッ!!??」
 ビシャアッッ!!
 ヒビナは、浅瀬とは言え、渓流に突っ伏して、ずぶぬれになった。
 はいつくばって、見上げる。その視界には、向かい合い見つめ合う、メイペとトラッシュの姿が映った。
 ヒビナには、とんでもない屈辱だった。
 メイペは、その右手で、トラッシュの首をつかんだ!
 右手一本で、首を締め上げる。
「ぐあああぁぁ・・・ァアッッッ!!」
 苦悶の表情を絞り上げるトラッシュ。反してメイペは多幸感におぼれて、満面の笑みを散らす。
「うふふ、うふふふふ、あははははは・・・・・・」
 トラッシュは両手でメイペの右手を引きはがそうとするのだが、なんという力だろう、まったくびくともしないのだ。
 視界がゆがみ始めた。トラッシュは気が遠くなるのを覚えた。
「メイペ・・・オレ・・・死にたく・・・ない・・・」
「だったら、わたしを殺して! あなたの手で殺して!」
「なん・・・で・・・」
 いっぽう、びしょ濡れのヒビナは、絶望感と戦いながら、ずっと気になっていたことを、考えていた。
 あまり考えることは、得意では無いが。
 あまりにも純粋な、メイペのトラッシュへの想い。そして、トラッシュにも、応えて欲しいと願っている。それが、自分を殺して欲しいという言葉に置き換わっている。
 いずれにせよ、このままでは、本当にトラッシュは殺されてしまう。
 この世界では、人は簡単には死なない。それだけの医療技術がある。だが、この場合は、別の意味を持つとヒビナは直感していた。
 メイペに殺されたとき、トラッシュはメイペのものになる。そう思ったのだ。
「そんなことを・・・あたしが認めるとでも!?」
 ヒビナは、気を込める。ふたたびその瞳が銀色に光る。
 ジョデは、ヒビナの動きに自動的に反応するかのように、再びヒビナに襲いかかろうとする。液体と化したその姿で、渓流を波打たせ、その波が、ジョデの姿に戻ろうとした、そのとき!
 ヒビナは、右手をその波に向けた!
 ジョデの姿に変化しようとする「波」が、固まった! まるでそれは、氷の彫刻のように。
 こんどは、トラッシュを羽交い締めにしていたガーフが、姿を雷(いかづち)に変えて、ヒビナに襲いかかる!
 ヒビナは、浅瀬から立ち上がると、左手をガーフに向ける。ヒビナを撃とうとしていた雷は、ヒビナが作った「空気の壁」にぶち当たった!
 そのまま、ヒビナは開いた左手から、拳を握る仕草をする。と、雷のガーフは、空気の壁、いや、「空気の箱」に封じ込められる。箱の内側で、飛び交いながら壁にぶち当たる雷。しかし、そこからは脱出できない。
 そんな攻防があっても、メイペはまったくヒビナを意に介していない。それが、ヒビナには癇に障る。
「そういうところが、気に入らなかったのよ! メイペ・シノリ!」
 ヒビナは、右足をドンッと踏みしめる。すると、渓流はまるで凍り付いたかのように、流れを止めた。
 上流の滝までも、まるで、時間が止まったかのように停止した!
 ふと、メイペは初めて、トラッシュ以外に気をやった。
 足下の水の流れが、止まっている。水につかっている足が、コンクリートで固められたように、動かない!
 ヒビナのアートで、滝と渓流の水は、密度を高め、メイペの足を固めたのだ。
「ちょっと痛いけど、カンベンしてよね! トラッシュ!」
 ヒビナは、そう叫ぶと、右手を高く掲げる。すると、固体化した波であるジョデが、バキッと渓流からはぎ取られ、空中に舞い上がる。
 さらにヒビナが左手を振ると、空中で封じ込まれたガーフの雷もろとも、空気の箱が、メイペ目がけて、ものすごい勢いで飛んでいく! 同じく、右手を振ると、固体化したジョデが、メイペの元へ!
「!!??」
 ハッ!と、メイペが反応する。が、次の瞬間には、メイペと、ガーフ、ジョデが、凄まじい勢いで激突した!

 ドガアアアァァァッッッ!!!

 密閉されたガーフの電撃エネルギーが、メイペとジョデに激しくぶつかり、トラッシュもろとも、吹き飛ばした!
 実体化したジョデとガーフが、再び流れを取り戻した渓流に、バシャッ!と墜落した。メイペもまた、浅瀬に、あおむけに倒れた。
 すると、ジョデとガーフの姿は、バチバチッ!と火花を上げたかと思うと、フッ、と、消滅した。
 ヒビナは、そのさまに「えっ?」と目を丸くする。
「あの二人・・・人間じゃ無い!?」
 トラッシュもまた、水しぶきを上げて、浅瀬に倒れこむ。
 強大なエネルギーが巻き上げた渓流の水が、雨となって降り注ぐ。
 はあ、はあ、はあ・・・
 息も荒く、渓流の岸辺にへたりこむヒビナ。自分でも信じられないほどのアートの力を発動させ、著しく消耗していた。
 それでも、汗まみれの顔を上げて、叫んだ。
「トラッシュゥゥ!!」
 渓流に倒れ込むトラッシュは、その声に反応するかのように、よろよろと、立ち上がる。トラッシュの無事を確認して、安堵の表情を浮かべるヒビナだった。
 だが、次の瞬間、ヒビナは凍り付く。
 思いも寄らぬ行動に、トラッシュは出たからだ。
 トラッシュは、よろけながら、ゴホゴホと咳き込みながら、メイペの元へと歩みよっていった。
 そして、渓流の浅瀬にかがみ込むと、仰向けのメイペを抱きかかえたのだ。
 ヒビナは、ショックを受けていた。せっかく、あたしがアンタをメイペから助けたのに!
「な、何をやってるのよ! トラッシュ!」
 だが、トラッシュは、ヒビナの叫びが耳に入っていないかのように、メイペを揺り起こす。
「メイペ! メイペ・シノリ! しっかりしろ!」
 メイペは、ゆっくりと目を開けると、トラッシュと視線が合うや、ニッコリと微笑みを送った。
 すると、メイペは、顔を上げて、ヒビナのほうに振り向いた。
「・・・ヒビナさん・・・元気なのね、良かった・・・フォルケくんの、言うとおりだった・・・」
 トラッシュにも、そしてヒビナにも、意表を突かれる一言だった。そもそもトラッシュは、メイペとヒビナやフォルケが旧知であることは知らない。それは置いておくにしても、メイペを攻撃してきたヒビナに対して、気遣うような言葉を贈ったのだ。
 スイーパーの見習いだというメイペは、イリーガル、つまりトラッシュを捕獲する任務を帯びてここへ至ったはずなのだ。なのにトラッシュに対しても、ヒビナに対しても、敵という立ち位置で接してはいない。
 いったい、メイペ・シノリは、何を行動原則とし、何を目的に、オレを殺そうとしたのだろうか?
 そして、ヒビナはと言うと。
 明らかにメイペを敵視して攻撃したのに、自分に対して、怒りや恨みをぶつけることを、まったくしてこなかったことを、理解しがたい。
 予備隊の頃から、メイペをライバル視していたヒビナだ。だが、その当時から、メイペのほうはヒビナと対立しようとはしなかった。
 それがまた、ヒビナにはしゃくに障ったのだが。
 いま、この時をもってしても、トラッシュをめぐって、自分はライバルと目されていないのだろうか・・・
 計り知れぬメイペの言動に、打ちひしがれるヒビナだった。
「メイペ・・・キミは・・・」
 戸惑うトラッシュは、次の瞬間、左脇腹に、鋭い痛みを感じた!
「ぐうぅぅっっ!!??」
 メイペの右手が、その爪が、トラッシュの脇腹に突き刺さっていた。鮮血が、渓流にボタボタと飛散し、澄んだ水にかき流されていく。
 潤んだ瞳で、トラッシュに熱い視線を送るメイペ。トラッシュは、その瞳に吸い込まれるように、釘付けになる。
 痛みに打ち震えながらトラッシュは、メイペの表情と、その行動の矛盾とが、どうやっても受け止められない。
「トラッシュくん、わたし・・・」
 メイペの次の言葉は、どうしても出てこない。そのことに、ヒビナは不審を抱いていた。
 だが、今はそれよりも・・・
「メイペを倒しなさい! トラッシュ!」
 ヒビナは、叫んでいた。
「た、倒すっていったって・・・」
 痛みに抗いながら、当惑するトラッシュだ。
 そんなトラッシュに向けて、さらに混乱を深める一言を、メイペは吐いた。
「わたしを殺すのよ・・・トラッシュくん・・・」
「そんな・・・どうして・・・」
「わたしも・・・殺すの・・・トラッシュくんを・・・だから、トラッシュくんも、わたしを・・・わたしを・・・」
 愕然とするトラッシュ。その間も、トラッシュの血は、メイペの右手をつたって落ちていく。
 トラッシュは・・・
「オレ、オレ・・・だめだよ、メイペを殺すなんて出来ないよ! けど、けど・・・死にたくもない・・・」
「トラッシュ! やらないと! じゃないと、アンタが死んじゃうのよ!」
 ヒビナは、声が枯れるほど、叫んだ。どうして、届かないの? あたしの言葉が、どうして?
 困惑するトラッシュは・・・
 涙を、流した。
「オレ・・・オレ・・・」
 その涙は、ほおをつたって、メイペの顔に落ちた。
 それは、メイペには、肌を焼くのでは無いかと思うほど、熱かった。
「・・・どうして泣いているの? トラッシュくん・・・悲しいの?」
「メイペ・・・」
「わたしは、幸せなのに・・・あなたとこうして、命を交わせるのに・・・殺しても、殺されても、あなたと・・・大切なひとと、命を一つに、溶け合わせることができるのに・・・」
 その表現もまた、トラッシュにはわからなかった。だが、それはもう、どうでもよかった。
 自分を、壊れてると表現したメイペ。
 それがたまらなく切ない、トラッシュだった。
 トラッシュは、メイペに爪を突き立てられたまま・・・メイペの細いからだを、抱きしめた。
 これには、こんどはメイペが困惑する番だった。トラッシュのほほが、そんなメイペのほほに、押し当てられた。
 トラッシュの涙は、あとからあとからあふれ出て、メイペのほほを濡らした。
 トラッシュは、ただ一筋だけ流れた、メイペの涙を信じた。
 それしか、出来なかった。

 そんな二人の姿は、ヒビナの胸を、深く痛めつけた。
 乱れた髪もそのままに、ヒビナは、ただ立ち尽くしていた。
 滝と渓流の流れる音が、彼らの静寂に時を刻む。

 そのとき。

 ゴオオオオウウウウウウウゥゥゥンンンッッッ!!!

 突如として、トラッシュたちの頭上に・・・「空飛ぶ円盤」が現れた!
 直径20メートルほどのそれは、ジュラルミンのような、にぶく光る銀色の金属で覆われ、どこにも推進機やローターのたぐいが見えないのに、空中に浮遊している。かすかに表面が、かげろうのように揺らいで見えるのが、浮上のための何らかのエネルギーの証なのだろうか。

 パアアアァァッッ!!!

「円盤」は、青白い光で、トラッシュとメイペを照らした。と思うと、

 ビュアアアアァァッッ!!

 光にそって、竜巻のような気流が巻き起こった!
「うわああああぁぁあっっっ!!」
 それは、トラッシュとメイペを舞い上がらせると、トラッシュだけをメイペから振り払うように、渓流へとたたき落とした!

 バシャアアッッ!!

 水しぶきを上げて、浅瀬に叩き付けられるトラッシュ。
「トラッシュ!!」
 ヒビナは、浅瀬に駆け込んで、トラッシュに寄っていく。
 竜巻に巻き上げられたメイペは、一瞬、トラッシュに視線をくれたかのように見え・・・
 円盤の底面がハッチのように開くと、メイペの姿は、吸い込まれていった。
 ゆっくりと、円盤は上空へと舞い上がっていく。
 それを見送る、トラッシュとヒビナ。
 全身の傷の痛みで、意識ももうろうとするトラッシュは、ヒビナに支えられて、遠ざかる円盤を見つめていた。
 ついには、円盤は視界から、消えてしまった。

 ヒビナは、自らの決死のアートでトラッシュを救ったにも関わらず、トラッシュがメイペにとった態度が気に入らず、どうにかして恨み言の一つも言ってやろうと、言葉を選んでいた。
 だが、その前に、トラッシュのほうから、声をかけられてしまった。
「ありがとうな、ヒビナ・・・命拾いしたよ」
 ハッ!と、トラッシュの言葉がまっすぐヒビナの胸にヒットした。
 ヒビナは、トラッシュの体を支えていた手をふりほどき、トラッシュを渓流にたたき落とした。
「おわあああっっ!!??」
 バッシャアアアァァッッ!!
「ズルイよ・・・」
 ヒビナは、ボソッとつぶやいた。
「はあ!?」
「何でもない・・・」

     ★     ★     ★

 空飛ぶ円盤の内部は、リノリウム張りの床に、アルミとプラスチックで構成された、モダンな空間だった。
 それは、最先端の医療機器とコンピューターに囲まれて、研究室のようにも見える。
 リノリウムの床に、横たわるのは、メイペ・シノリ。物憂げな表情で。
 と、高い位置にしつらえられた、大型の液晶ディスプレイが、青白く点灯した。
 そこに映し出されたのは・・・
「気分はどうだ? メイペ・シノリ」
「キリィ・キンバレン大尉・・・」
 そう、ディスプレイ越しに笑顔を送ってきたのは、キリィ・キンバレンだった。
 その声に反応して、あわてて立ち上がろうとするメイペ。
「ああ、かまわん。そのままで」
「・・・申し訳ありません、キリィ大尉。初陣は・・・ごらんの有様でした」
「いや、上出来だろう。イリーガルに対しては、挨拶にしては十分すぎる結果だった」
「感情で動いて・・・それで本当に良かったのですか?」
「キミは、トラッシュを愛している。心の底から」
 伏し目がちに、ほほを赤らめるメイペだ。事実とはいえ、キリィの指摘は、メイペの恥じらい心をくすぐる。
「だからこそ、あそこまでトラッシュを追い詰めたのだ。キミはイリーガルをスイーパーの職務として捕獲するでもなく、憎しみに突き動かされて攻撃するでもなく、愛するという感情で迫ったのだ。トラッシュにしてみれば、だからこそ、手も足も出せなかった」
「わたしは・・・壊れています。トラッシュくんも、わたしは、おかしいと・・・そんなわたしでも、かまわないのでしょうか?」
「自信を持て、と言っただろう」
「・・・・・・・・・」
「トラッシュに対する感情を、素直に行動に結びつけるだけでいい。君の望む結果を、追い求めればいいのだ」
 メイペはうつむいて、なんとも幸せそうな笑顔を浮かべる。その心に満たされているのは、あくまで、トラッシュへの想い・・・
「わたしの関与も、ここまでとしよう。メンテナンスは、この機体、『フィアト・ルクス』で行えばいい。次からは、トラッシュの居場所の捜索も含めて、ひとりでやれるな? メイペ・・・」
「・・・わかりました」

 ゴールド階層のスイーパー本部ビル、キリィは自分のオフィスで、空飛ぶ円盤、フィアト・ルクスの機中のメイペの様子を、うかがっていた。
 手元に控えるいくつものモニタディスプレイが、刻々と変化する数値やグラフを表示している。
『メイペってカワイイー、なんていじらしいの』
 ルゥ、と呼ばれる、いつもの少女の舌足らずな声が、キリィの脳内にひびく。
「リリネアの機嫌を損ねる一方ではあるがな」
『確かにリリネアは、こんな純粋な女のコを、武器として使うことを、許してくれそうも無いけどね』
「さすがに、トラッシュにはメイペをどうすることも出来なかったか・・・」
『いいの?このままだと、ほんとうにメイペは、トラッシュを殺してしまうわよ? そうなったら、キャピタルGにはふさわしくなかっただけ、で済ませてしまって、いいものなの?』
「見ていればいい。次にメイペとトラッシュが出会うときには、トラッシュはもっと強くなっているかもしれん。1分1秒、いや、一瞬のまばたきの間にも、あれは強くなる、そんな男だ」
『ふふっ、キリィが一番楽しそう・・・ということは、トラッシュがメイペを殺しちゃうの? 強くなるって、そういうこと?』
「そこが、見物さ・・・」

     ★     ★     ★

 休耕農地のキャンプで、キャンピングカーのそばにタープを広げ、折りたたみテーブルを広げるエトワ。珍しく、シャマルも手伝っている。シャマルといえど、幼いエトワに一人で仕事をさせるのは、さすがに気が引けるようだ。
「トラッシュもヒビナも、朝からどこ行っちゃったんだろう・・・」
 エトワの言葉に、シャマルが応える。
「珍しいな、あの二人が・・・いや、なんだかんだ言って、あの二人・・・」
 ちょっと、ニヤついているシャマルに、エトワは怪訝そうな表情だ。
 すると、そこへ・・・

 ブロロロロ・・・・・・

 キャンピングカーに近づく、一台の車両があった。車体は真四角で、6コの大きなタイヤで、ゆるやかに農道を踏みしめる。
 それは、ドメニコットだった。
 運転席の窓から、運転手がエトワに声をかける。当然それは、コジェ・オリクだ。
「ハ〜イ、エトワ〜」
「あっ、コジェだ! ヤッホー、コジェ〜!」
 シャマルは、ニヤついていたところに、コジェが現れて、心臓が脳天にぶち当たるほど跳ね上がった。
「えっ、えっ!? こ、コジェが、なんでここに?」
「エトワが呼んだの〜」無邪気に応えるエトワだ。
 ドメニコットを停車して、高い位置の運転席から、ぴょんっと飛び降りるコジェ。小走りに、エトワと、ドギマギしているシャマルの元へ駆け寄る。エトワがコジェにぶら下がるようにしがみついた。
「ブロンズに戻って、研究を再開するってエトワにメールしたんですよ。そしたら居場所を教えてくれて、遊びにきました」
「ど、ど、ど、どうして教えてくんなかったんだよ、エトワ!」
「あ、ごめーん、うっかりしてた」
「・・・シャマルにも、メールしておけば良かったですか?」
 申し訳なさそうなコジェで。
「あ、いや、そんな・・・べ、べつにオレに断る必要は無いさ。いつでも好きにしてくれれば・・・」
 表情を取りつくろうシャマルに、コジェは、ニッコリと微笑んで、
「ええ」
 平静を装うシャマルだが、ただ返事しただけのコジェが、たまらなくカワイイと、ドキドキしていた。

 そこへ・・・

 トラッシュに肩を貸して、ひきずるように、ヒビナが現れた。
「あ、おかえり〜、トラッシュ・・・ええええええぇぇっっ!!」
 エトワは、振り返り見たトラッシュが、血だらけなので、悲鳴を上げた。
「トラッシュ! どうしたの? トラッシュウウゥッッ!!」
 エトワは真っ青な顔で、トラッシュとヒビナに駆け寄る。
「と、トラッシュ!」
「どうした、トラッシュ!」
 コジェもシャマルも、その状況に驚愕の表情で、二人の元へと駆けつける。

 ドメニコットのラボ・ルームに、簡易ベッドをしつらえ、トラッシュを横たえるシャマルとコジェ、そしてヒビナ。車体の左サイドのほとんどを占めるハッチを開け放ったドメニコットは、テントの役割になり、エトワは車外からトラッシュを心配そうに見つめる。だが、車高の高いドメニコットのラボ・ルームでは、エトワにはベッドの上のトラッシュの表情さえうかがえない。
「トラッシュ、しっかり! あたしの言ってることがわかる?」
 トラッシュに語りかけるヒビナ。だが、返答は無い。
 コジェが、シルバーに赤いストライプの意匠の、ジュラルミンケースを引っ張り出す。
「ヒビナ、これ、スイーパー仕様のファーストエイド・キットです! これを・・・」
「スイーパー仕様?」
「わたし、一応、スイーパーの救急訓練も受けましたけど・・・これまで縁が無かったので、あまり自信が・・・」
「あ、あたしだって、予備隊の経験しかないんだから!」
「とりあえず、マニュアル読みながら・・・」
 大丈夫か?と心配になるシャマルだが、狭い車内では、あまり大人数でもかえって作業がやりにくい。そこで車内にはヒビナとコジェが残り、シャマルは車外からサポートしようと、ドメニコットを降りる。
「トラッシュ、トラッシュゥゥ!!」
 トラッシュのもとに駆け寄ろうとするエトワ。シャマルは、あわててエトワの首根っこをつかんで引き戻す。
「離して! は〜な〜し〜て!」
 ジタバタと暴れるエトワだ。
「お前が行っても何も出来ないだろ! オレと一緒にここで見守ってろ!」
「やだ〜! トラッシュが、トラッシュが・・・」
 シャマルは、エトワの背後から肩を抱き・・・
「大丈夫だ! コジェとヒビナに任せろ! それに・・・トラッシュはこんなことでくじけたりしない! そうだろ?」
「うえええ〜ん・・・」
 エトワは、暴れるのをやめたが、泣き出してしまった。
 シャマルは、
『オレのガラじゃ無いよな・・・子供をあやすなんて・・・』

「先に血を止めないと・・・」
「キズをふさげば、止まるんじゃないの?」
「雑に止血したら、内出血するんじゃないでしょうか?」
 スイーパーのファーストエイド・キットは、最先端医療技術が反映された、救急医療キットだった。コジェとヒビナは、マニュアルと首っ引きで、各種の治療装置や、薬品をトラッシュに適用していく。バーコードリーダーのようなスキャナで、キズをスキャンすると、最適な治療方法がディスプレイに表示されるのだ。
 だが、正直、それでほんとうにトラッシュを治療できているのかは、ヒビナたちには自信が無かった。
 それでも、やるだけのことをやるしかなかった。
 医療技術が発達しているこの世界では、キズをふさぐことも、そんなに困難では無い。だが、本来なら今のトラッシュほどの負傷をしてしまえば、ダウンシフトは免れない。それほどのレベルの負傷を、ファーストエイド・キットで完治できるのかは、わからないと言うのがヒビナたちの本音だろう。
 それでも、ヒビナたちは、とにかくいち早く応急処置だけはしておかないと、という気持ちで、必死に治療に取り組んでいた。
 治療装置で止血し、縫合が必要なキズには、医療用ホッチキスや接着剤を使う。傷口にハイパー・ハイドロコロイドテープを貼り付ける。
「いくらハイドロコロイドが効くと行っても、これほどのキズ、治るのでしょうか・・・」
 不安げなコジェに対し、ヒビナは、自分に言い聞かせるように、力を込めて言った。
「大丈夫・・・大丈夫よ! トラッシュには、自然治癒能力があるんだから!」
「自然治癒・・・能力!?」
 ハッ!と、ヒビナは我にかえった。しまった! コジェの前で、トラッシュが「他の人間」と違うところを、ついしゃべってしまった。
 コジェは、怪訝そうな表情を隠さなかったが、そのことを追求はしなかった。
 ヒビナは、心の中で、コジェに感謝した。この緊急事態においては、不審なことも、追求しないでおいてくれたのだろう。

 テープと、包帯でグルグル巻きにされたトラッシュが、簡易ベッドで寝息を立てている。点滴もうまくいっているようだ。だが、包帯の巻き方もヨレヨレで、無様だった。
 ドメニコットのラボ・ルーム、その床にへたり込んでいる、ヒビナとコジェ。シャマルは、何も出来ることは無いからだろうか、車外に張ったタープの下で、ヒビナたちにコーヒーをいれ始めた。
 すると、そこへ・・・もう泣き止んだエトワが、トラッシュのウィンドボードを持って、やってきた。
 ヒビナたちは、エトワの行動を、不思議そうに見つめる。
 簡易ベッドが視界に入る車外から、見上げるエトワ。泣きはらした目で、唇をかみしめて、そしてボードの裏の、キツネのイラストに向かい合う。
 ブロンズの腕輪を口にくわえた、キツネのイラスト。
 エトワは、静かにつぶやく。
「セイレイよ・・・トラッシュを助けて・・・」
 その声は、また涙混じりになりそうな、か細さだった。
 すると・・・
 トラッシュのウィンドボードは、ぼうっと、青い光に包まれた。
 そのさまに、目を見はるのは、コジェだ。
 ウィンドボードの不思議な力を、初めて目の当たりにするコジェとしては、当然の反応だろう。もはやヒビナもシャマルも、そんな不思議な力を、コジェに隠し通すことはできないと、悟った。
 ウィンドボードは、ひとりでに空中を浮遊し、簡易ベッドに横たわるトラッシュの上に浮かんで静止した。
 まるで、トラッシュを見守るような、キツネのイラスト。
 青い光は、降り注ぐように、トラッシュの全身に浴びせられる。
 ぼうぜんと、それを見つめているコジェ。
 セイレイとは?
 エトワは、確かにそう言った。この青い光と関係あるのか、そしてそれは、トラッシュを治癒しているのか、それとも、力を与えているのか?
 コジェの天才的頭脳ですら、困惑を否めない。
 そのときだった。

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・

 地鳴りが聞こえた。かすかに、大地が揺れている。
「な・・・なに? 地震?」
 ヒビナが、不安そうにつぶやく。シャマルの表情も硬い。
 コジェには、彼らにすら想定外のことが起きようとしている、と悟った。
 次の瞬間。

 ドオオオオンンッッ!!!

「きゃぁあっ!?」
 ヒビナが悲鳴を上げた。
 休耕農地の雑草だらけの地面がめくれあがり、その下から・・・
 まばゆい光が、天を突くように射した!

 カアアアァァァッッ!!

 吹き上がった間欠泉のように、大量の光が、地面の下から天空に向かって照射された。
 あぜんと、それを見つめるコジェ、ヒビナ、そしてシャマル。
 エトワは、祈る仕草で、光を見ている。
 光の間欠泉は、七色に輝きながら、やがて水しぶきのように、「光のしぶき」を漂わせる。それは風に乗るタンポポの綿毛さながら、ふわふわ浮遊しながら、ドメニコットの方向に流れていく。
 いや、それは、トラッシュの体に降り注いでいるのだ。
 コジェは、めくれあがった休耕農地へ駆け寄り、光の出所をながめた。
 まぶしい光に目をくらませながら、視界にとらえたのは・・・
「これは・・・グラフィティ?」
「なんだって?」
 コジェに続いて、シャマルも、光の起源を見た。
 雑草と土がはぎとられた農地には、不思議な色彩と抽象的な絵柄、そう、まごうことなきグラフィティが、そこにあった。
「ドメニコット、ここへ来るとき、グラフィティのエネルギー反応は?」
『感知されていません』
 A.I.アルゴリズムの合成音声が、淡々と応える。
「これほどのエネルギーを放射しているのに・・・?」
 コジェは、驚愕しながら、つぶやく。

     ★     ★     ★

 トラッシュは、いつもの夢を見ていた。
 青と紫と緑と、様々な色に囲まれた、心地よい、甘い香りの漂う空間。
 立ちつくすトラッシュの前には、空を泳ぐように浮遊する、女神がいた。
 女神は、どこか悲しげで切なげな憂いをたたえた、美しい笑顔をトラッシュに向けていた。
 だが。
 その女神の目に、涙が・・・
 笑顔のままで、はらはらと、女神のほほを伝う、涙。
 トラッシュは、動揺した。
 初めて見た、夢の女神の涙。
 ふと、記憶の糸がたぐり寄せられる。
 メイペ・シノリの涙。そのほほをつたう、血と涙。
 それはさながら、死と生の二面性に感じられた。
 まさしく、メイペ・シノリの存在そのもの。
「オレは・・・オレは、どうすればいい!? オレには、メイペは殺せない! けど、メイペに殺されるわけにもいかない!」
 そのとき、トラッシュは「感じた」。
 女神の「言葉」を。
 声ではない、言葉が、まぎれもなく女神がトラッシュに伝えようとする言葉が、脳に直接、打ち付けられるのを。
「・・・メイペが、言ったんだ。自分は、壊れてるって・・・だからなのか? だからオレを殺したがっているのか?」
−メイペの想いが、あなたにはわかる?
「メイペの想い?」
−初めて出会ったとき、あなたはメイペを受け止めた。メイペの行動も、心も、体も、すべて受け止めた。
「赤ん坊を、救ったときのこと?」
−あのとき、メイペは知った。あなたなら、壊れている自分をも、全てを受け止めてくれると。
「・・・わからないよ・・・それがどうして、メイペとオレの命の奪い合いになるのか」
−奪い合いじゃない。メイペは命がいとおしいの。そして、あなたの命、想い人の命だからこそ、彼女の特別な命だからこそ・・・
「特別な命・・・?」
−あなたには、受け止められる? 今のメイペを、メイペの想いを・・・
「壊れていても、メイペを受け止めろって・・・?」
−思い出して、あなたは、何者なの?
「オレは・・・オレは・・・直し屋・・・」

     ★     ★     ★

 トラッシュの唇が、かすかに動いた。
 コジェには、そう見えた。ヒビナたちは、気づかなかったようだが。
「??」
 コジェは、そっと、トラッシュの枕元に寄って、その顔をのぞき込んでみた。
 すると。

 ガバアアァァッッ!!

 トラッシュはとつぜん起き上がり・・・
「オレは・・・オレには・・・!」
 その様を見ていた、ヒビナとシャマルは・・・
「ああああああぁぁぁぁっっっ!!!」
「ええええええぇぇぇぇっっっ???」
 叫んでいた。
 トラッシュは、コジェに抱きついていたのだ。
 当のコジェは、目をまんまるにして、言葉を失っていた。
 ヒビナとシャマルは、口をあんぐりと開けたままだ。
 トラッシュは、
「オレ・・・オレ・・・」
 うわごとを漏らしながら、コジェに抱きついて、ぶるぶる震えていた。
 と、コジェは、そんなトラッシュの背中に腕をまわし、優しく抱きしめた。傷口にさわらぬよう、優しく、そして、微笑みながら・・・
「大丈夫、大丈夫ですから・・・キズを負っているから、不安なだけ。大丈夫ですよ、トラッシュ」
 そのふっくらとした唇から、トラッシュを暖める言葉を奏でた。
 コジェのその姿は、普段の大人びた態度ともあいまって、シャマルには、どこか母性を感じさせた。
 神々しいまでに、慈愛に満ちた、コジェの姿。それはまさに・・・
「・・・聖母だ・・・」
「年末にもらう?」
「その歳暮じゃねえ!」
 シャマルとヒビナの漫才でした。
 ふと、意識を取り戻したトラッシュは、コジェに抱きついている自分に気がつき、あわてて、
「ぬあああっっ!?」
 変な声を出して、コジェから離れ、両手を上げて「ブレイク!」のポーズをとった。
 このときトラッシュは、なぜコジェがここにいるのか混乱しているせいもあってか、まだ寝ぼけ半分のまなざしのまま、つぶやいた。
「コジェって、やわらかい・・・」
「あら」
 思いもかけぬ言葉をかけられて、コジェは、ほおを赤らめた。
 黙っていないのは、シャマルとヒビナだった。
 めらめらめら・・・と擬音が書き込まれているような、怒りの炎が二人に揺らぐ。
「てめえ、言うに事欠いて、コジェになにエロゼリフはいてやがんだあああぁぁぁっっ!!!」
「どさくさにまぎれて、女のコに抱きつくなんて、どふざけたことカマしてんじゃないわよおおおぉぉっっ!!!」
「ぎゃあああ!痛い痛い痛い!!」
 トラッシュは、シャマルとヒビナに、ボコられた。
「あっあっ! ちょっと! トラッシュはケガ人なんですから!?」
 あわてたのは、コジェだ。

 簡易ベッドの上のトラッシュ、ひざの上にはエトワが陣取っている。ぴったりとトラッシュにくっついて、離れない。
 トラッシュは、頭上に浮かぶ自分のウィンドボードが気になってしょうがないようだ。
 それとは関係なく、話題はといえば・・・
「じゃあその、メイペ・・・なんだっけ」と訊いたのは、シャマルである。
「メイペ・シノリ」応える、ヒビナ。
「お前やフォルケと同期ってことは、オレたちとも同い年か・・・つまりは、予備隊だろ? なんでそんな経験も無いヤツが、トラッシュ捕獲に加わったんだ?」
「知らないわよ! スイーパー上層部の考えることなんて!」
 ヒビナはそう言うが、心の中では、研修のときから、予備隊の域を超えて、正規隊にも匹敵すると言われたメイペ・シノリの実力ならば、ありえないことではないと考えていた。それを認めることは、ヒビナのプライドが許さなかったのだ。
「それに、イリーガルは生かして捕獲してこそ意義があるんじゃ無いのか? スイーパーとしては、イリーガル事件の解決には、組織の面目がかかっているはずだろう? 殺してしまっては、真相は闇の中、だろうに」
「ええ、わたしもそう思います」
 コジェが同調した。シャマルはさらに、
「ワグダやカーリカや、忍者にサムライ・・・今までの面白軍団とは、明らかに違うな、そのメイペってやつは・・・」
「・・・オレは、未だに信じられないよ」
 トラッシュが、ボソッとつぶやく。
「旧市街で、赤ん坊の命を救った、あのメイペが・・・」
「そうそう、その話! アンタ、どうしてだまってたのよ! 救世主イリーガルだなんてもてはやされて、その裏ではメイペに出会っていたなんて!」
「だまってたというか、話すようなことじゃないと思ってたんだよ」
「ふんっ、あ、あたしらにヒミツにしたいような、何かがあったんじゃないの?」
「はあ?」ポカーン顔のトラッシュだった。
「カワイイ子とお近づきになっちゃって、その、お忍びでつきあおうとか、後ろめたいこと考えてたんじゃないのっ?」
「ヒビナ、ラビのときといっしょじゃん・・・」エトワがつぶやく。
「ほとんど、浮気を追求するヤキモチ彼女だな・・・」シャマルが、軽口をはさんだ。
「何ですって!?」
「・・・どういうこと?」
 ポカン顔が張り付いたままのトラッシュである。
「どういうって・・・あ、アンタって、ほんとこういうことニブイのねえ!」
「こういうことって言われても・・・」
 ヒビナのイライラも最高潮に達していた。
「アンタ・・・気づいてないの? メイペは・・・メイペはねえ、アンタのこと・・・好きなんだよっ!」
「あら、まあ」これには、コジェのほうが驚いた。
「ええっ・・・そうなの?」
 ここへ来ても、実感のわかないトラッシュである。
「じゃ、なんでトラッシュのこと、殺そうとすんだよ?」シャマルの問いに、
「だから、そういう女心なんでしょうよ!?」
「そんな簡単に・・・女心でかたづけていいものなのか?」
「と、とにかく・・・アタシにはわかるの! わかるったらわ・か・る・の!」
「おーこわ・・・けどなあ、トラッシュってそんなにもてたっけ?」
「あら、もてますよ、トラッシュは。きっと」
 平然と、そう言ってのけたコジェだ。これにはシャマルは・・・
「ええ? コイツが? このアホ面下げて、もてるって?」
「女性には、魅力的に見えると思いますよ、トラッシュは」
『な、なんだよそれ・・・』つまり、コジェにもそう見えるってことか?と、シャマルの機嫌に角度がついた。
「とか言われても・・・だってメイペ、一言もそんなこと」
 トラッシュは、なかばぼやき気味にそう言った。
 そうだった。こいつはそういうことにまったく疎いのだ、とヒビナは思った。だから、あたしの気持ちもぜんっぜんわかってなくて・・・
「あのねえ・・・朴念仁にも程があるわね! 言わなくてもわかるでしょ、そういうのって・・・!?」
 そこまで言って、ハッ!と、ヒビナはひらめくものがあった。
 そう、メイペは確かに、トラッシュへの好意を、一度も口にしなかった。
 誰が見ても、その想いは伝わってくる、と感じていたので、気づかなかった。
 というよりも、むしろ・・・「好きだ」と言おうとして、言えない、何か別の力が働いて、その言葉をNGワードにしている、そんな印象すらあった。
「ちょ、ちょっと、コジェ、コジェの知恵を借りたいんだけど・・・」
「えっ?」
 ヒビナは、今、自分が感じたことを、率直に述べてみた。
 トラッシュとメイペが、戦っている最中の印象も含めて。

「なるほど・・・彼女が『壊れている』と言ったのと、何か関連があるんじゃないか、ヒビナはそう見ているんですね?」
「うん、ボンヤリとだけど・・・」
「ふうん・・・」
 コジェは、腕組みをして、考えた。
「壊れている、というのが・・・何かしら、障害のようなものを指すのでしょうか? 一つの例ですけど、失読症という障害があります。あまり障害だとか、心の病といった言い回し、わたしは好みませんが・・・疾病の一つとして」
「失読症?」と、ヒビナ。
「メイペがそうというわけではなくて、あくまで一例です。文字としての言葉と、その意味とがうまく結びつかない、そういう症例があるのです。カフェのメニューに、『アップルパイ』と書かれていたら、たいていの人は、記憶にある美味しいアップルパイのイメージと結びつきます。でも、失読症の方は、文字を見ても、アップルパイそのものを連想できないのです。わたしたちにとっては当たり前のことが、当たり前でない人がいる。逆に、その人にとって当たり前のことが、わたしたちには理解しがたい。これは疾病や傷害にかかわらず、あり得る話ですよね」
「メイペも、出来て当たり前のことが出来ない、と・・・?」シャマルが言った。
「メイペの場合、何らかの理由で、『好き』という言葉がどうしても言えない。特定の感情が、相応の言語と結びつかない。代わりに、その感情が、殺意に結びついてしまう。トラッシュへの想いが募れば募るほど、それはトラッシュへの殺意に直結してしまう・・・」
「壊れてるってのが、そういうことなの?」
「仮説ですよ、あくまで」
 コジェの話を聞いてトラッシュは、わかったようなわからないような・・・だが、表情は複雑だった。
 シャマルは、お手上げのポーズをして、
「おいおいおい、やっかいな話だな・・・ヒビナ、予備隊研修の最中は、気づかなかったのか? メイペ・シノリが、そんな爆弾だなんて・・・」
「知ってたら、こんなにドタバタしてないわよ! やっぱり食わせ物だったわ、メイペ・シノリ・・・」
「ふふっ、罪作りですね、トラッシュ?」
「へ?」
 コジェのいたずらな言い回しに、当惑するトラッシュ。
「きっと、メイペの初恋なんですよ、あなたは」
 コジェは、そう言ってウィンクした。
「はあ・・・はあ?」
 気の抜けた返答しか出来ないトラッシュだ。
 場の空気が、一変してしまう、コジェの茶目っ気だった。

     ★     ★     ★

 数日後。
 ゴールド階層、デルファイ・シティのスイーパー本部ビル。ここはキリィ・キンバレンのオフィスだ。
 どかどかと、足音を響かせて、やってきた者がいた。
 バンッッ!!
 そいつは、キリィの新秘書、タバーズ・エオガルのデスクを、力強く叩いた。
「キリィ・キンバレン大尉に会いたい」
 ふだんは血色のいい、小太りな30代男性のタバーズだが、このときばかりは青ざめ、震える声で言った。
「あ、あの、アポイントは・・・」
「ワグダ・パレスモ少尉が来たと言えばいい!」
 そう、訪問者とは、スイーパー追跡スペシャルチーム、ワグダその人だった。それだけではなく、カーリカとフォルケも、そこにはいた。
 フォルケは、スイーパー本部ビルを訪れるのはこれが初めてであり、ピークの緊張を抱えていた。
「かまわん、入室したまえ」
 オフィスルームから、パーティション越しにキリィの声が聞こえた。
 ずかずかとキリィの面前へと歩み寄るワグダ。表情はいつになく固く、そして真剣だ。カーリカもそれは同じく、フォルケだけが、おどおどした態度だった。
『上官に対して、この態度はないんじゃないの・・・?』
 フォルケはタバーズ同様、青い顔をしている。
 ワグダは、背を向けてチェアにかけているキリィに向かって、押さえた声で言った。
「キリィ大尉、あたしらは大尉の特命による、スイーパー追跡スペシャルチームですよね?」
「いかにも?」
「じゃ、なんで、メイペ・シノリが、イリーガルを攻撃するんです? あれは大尉の秘書でしょう!?」
「もう秘書ではない。辞令が出ているのだ。人事往来を見なかったか?」
 そう、メイペ・シノリがイリーガルと接触し、攻撃した事実は、スイーパー内には広く知れ渡っているのだ。
「はん、あたしらもナメられたもんですね。あたしらの立場はどうなるんです?」
「今までどおりだ。イリーガル追跡スペシャルチームとして、ターゲットを追い・・・」
「それだ! なんであたしらは『追跡』が任務で、メイペはトラッシュ・・・イリーガルを攻撃できるんです? しかも、殺そうとしたというじゃないですか!」
「ああ、イリーガルの処遇は、メイペ自身にまかせてあるからな・・・」
「予備隊の小娘にですか! それがあたしらをナメてるっていうんです!」
「まあまあ、ワグダ、落ち着いて・・・」
 シャマルとワグダの間に割ってはいるカーリカ。だが、そのカーリカも、怒りを押し殺したような、いつものカナリアのような美声を、低く押さえつけるように、言葉を吐き出す。
「キリィ大尉は、おっしゃいましたよね? われわれイリーガル追跡スペシャルチームの任務は、イリーガルを追いかけること。そして、『スペシャルチーム以外のなんぴとたりとも、イリーガルを捕獲させないこと』」
「・・・なんですって!?」
 フォルケは、ついつい口に出して言ってしまった。
 ボクたちの任務は、トラッシュを捕まえることじゃなかったのか? なのに、ボクたち以外には、もしかしてそれがスイーパーであっても、トラッシュを捕まえさせるな、ということなのか?
 その一瞬で、フォルケの脳裏には、思い当たることが次々とフラッシュバックした。
 ワグダとカーリカ、傍目にもスイーパー士官として第一級の腕前を持ちながら、トラッシュ捕獲に本気を出しているように見えなかったこと。
 あまつさえ、謎の忍者・ザザがトラッシュを狙ったときには、ワグダ少尉がこれを退けた。あのときは、チームの面子のためだと思っていたが、そうではなかったのか?
「わたくしたちにはそう命じておいて、メイペには、イリーガル殺害もやむなし、と命じているのですか? それではわたくしたちは、いったい何のためにイリーガルを追っているのです?」
 フォルケは、キリィの返答を待った。それは、ワグダやカーリカも同様だ。
 キリィは、厳かに口を開く。
「諸君が機嫌を損ねるのも無理はない。これはわたしの説明不足だった。申し訳なく思う」
「謝罪は不要です! 本題を話してくれませんか?」
「辞令に際して話したように、イリーガルの問題は、もっと組織の根幹にかかわる、とわたしはにらんでいる。そのために、諸君等や、スイーパーのエージェントたちにイリーガルを追跡させ、イリーガルがどう対応するかを監視してきた。イリーガルなる者が出現した経緯が、何らかの形で顕在化すると考えたからだ」
 フォルケは、息を飲んだ。キリィ大尉は、そこまで考えて・・・だが、正直、フォルケの頭では、キリィが何をどこまで考えているのか、計り知れない。
「だが、予想以上にイリーガルは力を付けてきている。このままでは、イリーガルのなんたるかを知る前に、スイーパーはイリーガルに倒されてしまうのではないか。そう考えて、よりいっそう、イリーガルを追いつめる手段を講じた。それがわたしの切り札、メイペ・シノリだ」
「切り札、ですって・・・?」
「もしイリーガルが、メイペに殺されるようなら、そこまでだったということだ」
 フォルケは、息が詰まるのを感じた。口の中がカラカラになり、飲み下す唾液も出ない。
 いったい、キリィ大尉は、トラッシュを、どうとらえているのか。イリーガルとは、表面に出てきた一つの現象でしか無く、もっと奥底に、なにか・・・もっと大きな問題点が潜んでいて・・・
 それを引っ張り出すための、囮でしかないと?
 メイペに殺される程度なら、囮としての価値もないと?
 果てしなく空恐ろしい感覚を覚える、フォルケだった。
 そんなフォルケをよそに、ワグダは、
「承知しました。ですが、われわれは当初の命令通り、イリーガルをチーム以外の誰にも手は出させない。場合によっては、メイペ・シノリと対立することもあり得る。それで・・・異論はありませんね?」
「ああ。もちろんだ・・・」
 ワグダは、最後までこちらを向かなかったキリィに不満を抱えながらも、その後ろ姿をにらみつけて・・・
「・・・帰るぞ。仕事に戻る」
「えっ・・・?」フォルケが、意外そうにつぶやくと、
「えっ、じゃない! 帰るといったら帰るんだ!」
「はっ、はい!」
 ワグダ、カーリカ、フォルケは、煮えきらない思いを抱えたまま、キリィのオフィスを後にした。
 キリィはいったい、何がしたいのか、何をしようとしているのか。
 だが、スイーパーとは、そういう組織なのだと、ワグダは知っていた。各々が、自らの考えと信念に基づき、行動する。秘密主義など、当然のようにまかりとおっている。上官の命令は絶対だが、命令外のことは、自分の考えで行動するまで。
 ならば、イリーガル追跡スペシャルチームは、本来の任務を遂行するにすぎない。だが、秘密は秘密で、こちらも暴いてみせる。キリィが、あるいはスイーパー本部が、何をたくらんでいるのか・・・
 奥歯をかみしめ、決意するワグダだった。

     ★     ★     ★

 休耕農地のキャンプにて。
 コジェは、キョロキョロと辺りを見回していたかと思うと、コンロでお湯を沸かしていたシャマルに尋ねた。
「トラッシュが見あたりませんけど・・・」
「ヒビナと渓流に行ったぜ。じっとしてられない性分なんだろ。それに、エトワが眠ってるんだ」
 トラッシュの簡易ベッドで、エトワはぐっすりと眠っていた。エトワはトラッシュの看病で、すっかり疲れてしまったのだろう。トラッシュはエトワをゆっくり寝かせてやりたかったのだ。
「まだ安静にした方がいいんですけど・・・でも、すごいですね。トラッシュの回復力」
「ああ、ありゃ野生動物だから」
「ヒビナがつきそってるのなら、安心ですね」
「トラッシュの奴、アートが使えないんだって?」
「本人曰くですけど・・・感覚なんでしょうか」
「ヒビナがいて安心と言っていいのかどうか・・・」
「ふふっ・・・やっぱり、あれでしょ? ヒビナって・・・」
「は?」
「ヒビナは、メイペの想いがわかるって言ってましたけど、ヒビナも・・・バレバレですよね?」
「コジェも、そう思うか?」
「ええ・・・」
 ニコニコと、シャマルに微笑みかけるコジェ。
 シャマルは、ちょっと気まずい・・・と思っていた。今、ここにはコジェと自分の二人きり、と言っていい。
 コジェという少女は、いつでも、人の目をまっすぐ見て、語りかけてくる。こうして、こんな美少女に笑顔で見つめられたら、ドキドキしない男なんて、いるんだろうか。
 いや、それだけではない。
 シャマルは、ほんの少し前、ステナという女性に、心奪われていた。その間は、コジェのことを少しだけ、ほんとに少しだけですよ?忘れていたかもしれなかった。
 べつにコジェとシャマルは、つきあっているわけではない。シャマルがほかの女性に心惹かれたからといって、それは浮気でもなんでもない。
 ましてや、そんなことはコジェの知ったことではない。
 だが、シャマルがそんな自分をちょっと後ろめたく感じるのは、男心というものなのかもしれない。
 コジェがまぶしくてしょうがない、シャマルだった。
 すると。
 コジェのほうから、シャマルに語りかけてきた。
「あの・・・シャマル?」
「な、なんだい?」
 妙にガチガチな返事をしてしまうシャマルだ。
「あなたに、訊きたいことがあるんですけど・・・いいかしら?」
「えっ!?」
 シャマルの心臓が早鐘をうった。な、なんだこの空気は。まさか、そんな、コジェのほうからオレに・・・?
「その、わたしたち・・・隠し事は、なしにしません?」
 そういうコジェに、いっそうドキッとする。
 まさか、ステナのことがバレてるんじゃ・・・
「な、なんのこと・・・?」
 汗がにじみ出す、シャマルに向かって、コジェは、
「トラッシュの、自然治癒能力って、どういうことですか? それと、ウィンドボードのこと、セイレイのこと、トラッシュに力を与えた、あのグラフィティのこと・・・」
「あ、あ〜あ、そのこと?」
 シャマルは、上がったり下がったり、汗だくになったあげく、完全に当てが外れて、どっと疲れた。
「・・・わたし、やっぱり、みなさんから見たら、警戒すべき人物なんでしょうか・・・」
「そ、そんなことないさ! べつに、秘密にしたかった訳じゃない。オレたちは、追われる身だろ? キミにまで危険が及ぶようだと・・・」
「自分の身は、自分で守れます。ドメニコットもいるし、これまでもそうしてきました」
「そりゃ、そうだろうけど・・・」
「わたしたち、お友達ですよね? 力になりたいんです。トラッシュがあんな大ケガまでして、あなたたちにそんな危険が及ぶなんて、想像もしてなかったから・・・」
 コジェのまなざしは、真剣だった。
 トラッシュを力づけた、あの言葉といい、態度といい、シャマルには、この少女が、立場も何もかも越えて、人のために尽くしたい気持ちが、熱く伝わってきた。
「・・・わかった。知ってることは全部話す。コジェが力になってくれれば、トラッシュもヒビナも、エトワも喜ぶだろうさ」
「シャマル・・・」
「けど、オレたちに関わってしまったら、今度はキミにも何が起こるかわからない」
「そのときは、あなたが守ってくれますよね?シャマル・・・」
「えっ・・・?」
 そのときの、コジェの熱いまなざしに、シャマルにとっては、特別な何かを感じた。
 思い過ごしかもしれない。
 だが、シャマルは、それでもいいと思った。
「トラッシュは、どこから来たのかわからない、って話をしたよな? 実は・・・」
 シャマルは、トラッシュにまつわる不思議な体験、そして不思議な現象について、語り始めた。

     ★     ★     ★

 トラッシュとヒビナは、渓流に再び来ていた。
 というより、まだ点滴の途中のトラッシュは、ヒビナに点滴を持たせているのだ。痛みはまだあるが、傷はすでにふさがっていた。
 トラッシュは、いつものツナギの上半身、その袖を腰で結んで、上半身はTシャツ姿だった。もっとも、Tシャツの下は、まだ包帯だらけ。ジャケットは袖を通さず、はおっているだけだ。
 トラッシュの回復力は、コジェの言うとおり、驚異的だった。もともと、この世界の医療技術により、ファーストエイド・キットの処置とはいえ、効果は抜群といえる。だが、それに加えてトラッシュには、この世界の人間が持たない、自然治癒能力がある。やはりこの世界においては、驚異的な回復力なのである。
 ただ一点を除けば。
 トラッシュは、アートの力を使えなくなっている、と感じていた。
 もしかして、これがダウンシフトというヤツ?
『ま、いいか・・・旅を始めたときのオレに戻っただけの話だ』
 まったくといって意に介していない、トラッシュだった。
 さておき、この渓流はほんの数日前、メイペに体中切り刻まれた場所。再びメイペが現れる可能性も、なくはない。
「ほんっとに、何考えてんのかね? このトウヘンボクは」
「ひさびさに聞いたな、ヒビナの死語・・・」
 トラッシュは、ウィンドボードの手入れをしていた。渓流の水で、キツネのイラストを含め、きれいに汚れを落としていく。
「また、こいつには世話になったな・・・」
「えっ、覚えてるの? ウィンドボードが、不思議な光をアンタに浴びせたこと・・・」
「いや、なんとなくだけど・・・」
 自分も知らない、ウィンドボード、そのキツネイラストの力。
 なんども、その不思議な力で、ピンチを脱してきた。
 なんだか、このボードが、守り神のように思えてきた。
 せめて、きれいに手入れする事でしか、応えられないのがもどかしい。
「・・・また、メイペが来るのかな」
「・・・かもね」
「どうすればいいんだろう、今度またメイペに会ったりしたら」
「どうもこうもないわよ、ブッ倒すしかないでしょう?」
「ブッ倒すって、相手は女の子だぜ?」
「その女の子に、殺されそうになったくせに・・・なんでそんな、メイペに甘いのよ?」
「そんなつもりは・・・」
 ヒビナは、訊くのがコワイ質問を、ドキドキしながら訊いてみた。
「・・・好きなの?メイペのこと」
「はあ?」
「向こうは、殺したいくらいあんたのことスキスキなのよ?」
「・・・わかんないよ」
「わかんないってことはないでしょ?」
「オレ、あんまり女の子のことは・・・」
「だろうと思ったけどね・・・」
 ウィンドボードを、湿らせたウェスでていねいに拭き上げるトラッシュ。少しの間、沈黙が訪れた。
 点滴を持って、トラッシュのそばにたたずむヒビナ。
 思い切って、言ってみた。
「・・・あたしのことは?」
「なんか言った?」
 ヒビナは思いの外、小声でボソボソ言ってしまったらしい。あらためて、
「あたしのことは、どう思って・・・」
「ああああああっっ!!」
 ヒビナが意を決して言ったセリフに、思いっきりかぶって、トラッシュは叫んだ。
「な、なによ! そんな驚くようなこと?」
「あ、あれ、あれ!」
 トラッシュは、上空を指さした。
 そこには、飛行する円盤、フィアト・ルクスがあった。
 直径20メートルほどの、鈍い銀色に輝くそれは、渓流の上空を横切って、森林地帯のほうへと飛んでいった。
「あれ、メイペが乗っていった奴だよな?」
「乗っていったというか、拾われていったというか・・・」
「追いかける!」
「ええっ!? バ、バカ言ってんじゃないわよ!」
「ヒビナは残れ! 危険だから!」
「アンタのほうが危険でしょ! やめておきなって! 今度こそ殺されるわよ!」
 だが、トラッシュは意に介さず、ウィンドボードに乗って、ブーツをドッキングさせる。
「聞いてんの!? 無理だって、その体じゃ!」
「お前こそ、離れてろって!」
「無理言わないでよ! これ、これ!」
 ヒビナは、手に持つ点滴を指さす。それはトラッシュの左腕につながっているのだ。
「あ・・・」

 フィアト・ルクスを追いかける、トラッシュのウィンドボード。
 森林地帯をとおり、木々に隠れながら、あとをつけてゆく。
「あんまり無茶するんじゃないぞ?ヒビナ」
「アンタ以上の無茶を、誰がするってのよ!」
 ヒビナは、トラッシュのウィンドボードに乗り、トラッシュの背中にしがみついている。
 そういえば、これに乗るのは、初めてだった。
 さながら、タンデム・ツーリングである。点滴を持ったままなのが不格好だが、トラッシュの背中にしっかりとつかまって、風を切って飛ぶのは、なかなか爽快だ。
 ふと、トラッシュの背中の感触に、ヒビナは考える。
 以前、ベニッジ・ニブラインの策略でダウンシフトしたあたしを、トラッシュがおぶってくれたことがあった。それと、予備隊研修時代、アザク・ラガランディにも、背負われたことがある。
 二人の背中の感触は、同じだったように、そのときは思った。
 だが、今やアザクの思い出は、遠くなりつつある。
 ほんとうに、アザクとトラッシュの背中は同じだったろうか?
 トラッシュの正体がアザクだとしたら、メイペ、あたしの勝ちね。
 だって、アザクはあたしにぞっこんだったんだから。
 でも、今のあたしは、アザクの求愛に、どう応えるのだろう?
 それに、アザクがトラッシュと同一人物だとしても、あたしの心は、アザクとトラッシュ、どちらに向かっているのだろう?
 ・・・トラッシュが、アザクの記憶を取り戻したとき、そいつは、トラッシュといえるのだろうか?
 だとしたら、あたしの想いは、どこへ・・・
 ヒビナは、ブルブルッ!と、かぶりを振った。こんな時にいったい、あたしったら・・・
「何考えてるのよ!」
「・・・悪いと思ってるよ」
「えっ?」
「わかってる。オレのこの状態でメイペと鉢合わせしたら・・・」
「あ・・・」
 そのことか。
 だが、結論はトラッシュが出した。
「まっ、なんとかなるでしょ?」
 ・・・やっぱりコイツは、行き当たりばったりだ。

 シュオオオオオォォォ・・・

 空飛ぶ円盤、フィアト・ルクスは、ゆっくりと、地上に着陸した。
 そこは、廃墟らしき、朽ちたコンクリート建造物の跡地だった。
 この場所を選んだのには、理由があるのだろうか?
 いぶかしい思いで、トラッシュもまた、廃墟の陰に着陸した。
 ウィンドボートをはずし、コンクリートの壁に立てかける。
「ヒビナは、ここで待っててくれ。様子を見てくる」
「何言ってんの! 点滴が・・・」
「もう、終わってるよ?」
「あ・・・・・・」
 ヒビナが手に持つ点滴のパックは、すでに空っぽだった。
 トラッシュは、自分で針をはずすと、針あとの絆創膏を手で押さえつけて、歩みを進めた。
 と、その袖をつかむ、ヒビナ。
「?? なんだ?」
「アンタ一人では行かせられない」
「だめだって、危険なんだから!」
「アンタは危険でもいいの?」
「ヒビナ・・・」
「その・・・エトワが悲しむでしょ!」
 やっぱりヒビナは、素直な気持ちを口にできない。
 コジェが言っていた、「言葉に出来ない」病というのは、あたしのほうじゃないんだろうか?
 それは、それとして。
 ヒビナは、なんだか泣きそうな顔をしていた。自分で気づいていないだろうが、トラッシュは、これにはぎょっとした。
「・・・わかったよ。オレから離れるな」
 トラッシュとヒビナは、そおっと、廃墟の中に入っていった。
 狭い廃墟では、ウィンドボードはうまく使えないだろうと、外に置いてきたのだ。
 壁づたいにすり足で歩くと、銀色の機体が、廃墟のど真ん中にあるのが見えた。
 その一カ所に、ハッチらしきものが開いている。出入り口なのか?
 と、そのハッチから、二人の人物が、姿を現した。
 トラッシュは、いっそう壁に体を押しつけて、二人の人物の視界から隠れた。
 それは、ジョデとガーフであった。これまでにも、一度も口を開いていない、無口と言っていいのか?その二人は、ハッチから降りると、廃墟の室内を物色し始めた。
『ここ、病院だったのかな・・・?』
 ジョデとガーフがさわっていたものは、なんだか病院にある、薬品棚のように見えた。ガラスが割れ、瓶やビーカーが転がっている。ジョデとガーフは、鉗子やピンセットや、箱物、あれはガーゼか?それら使えそうなものを拾い集めている。
 ヒビナは、声を潜めて、
「メイペは間違いなくいるわね」
「へっ?」
「あの二人、人間じゃ無いわ。メイペのアートよ」
「なっ・・・なんだって?」
 トラッシュは、まじまじとジョデとガーフを眺める。たしかに人間とは思えない能力を示した二人ではあるが・・・
 だとしたら、医療用品を集めているのは、メイペの指示なのか?
 ふいに、ガーフがこちらを向きかけた。トラッシュはあわてて壁に身を潜める。
 ヒビナに振り返って、こちらも小声で言った。
「こういうとき、パターンでは、枯れ木とか石ころを踏んで居場所がバレるから、注意しろよ! バレそうになったら、ネコの鳴きまねをするんだ」
「アンタって・・・つくづくバカだわ」
 すると、
「ニャアアァァ〜〜」
「まだ、やんなくていいって! バレてないから!」
 トラッシュがヒビナに言うと、ヒビナは、
「違うわよ! あれよ!」
 ジョデの足下に、ノラネコがまとわりついていた。ジョデが追い払おうとすると、ネコはいち早く逃げ出し、トラッシュのほうに向かってきた。
「あっ、おい、今はだめだ!」
 ネコは、トラッシュを見つけて、じゃれついてきた。というか、トラッシュの左腕の包帯がほどけていて、ヒラヒラするそれにじゃれついたのだ。
「わっ、ちょっと、だめだって!」
 ネコは、ついにはほどけた包帯を口にくわえて、思い切り引っ張った!
「いててててててっっ!!」
「バ、バカ!」
 トラッシュは、引っ張られた包帯が傷口にさわり、悲鳴を上げた。ヒビナがあわてても、後の祭り。
 ジョデとガーフが、こちらを見たかと思うと、

 ビュウンッッ!!

 次の瞬間には、ジョデとガーフは、トラッシュとヒビナの目の前にいた。冗談でも何でもなく、音速で接近したとしか思えない。
「あ、あははは・・・やっぱネコはくせものだね」
「アンタって・・・」
 と、ため息をつく間もなく。
 ジョデとガーフの体が、バサアッ!と「ほどけた」ように見えた!
 頭だけが人間で、体は無数の触手でできた、異様な姿に変わった!
「わーーーーっっ!! なんだ! キモい! グロい!」
 悲鳴をあげるトラッシュ。
 ジョデはヒビナの、ガーフはトラッシュの、体を触手で縛り上げ、拘束した!

     ★     ★     ★

 最先端の医療機器が並べられた、ここはフィアト・ルクスの内部。
 無数のモニタディスプレイと、コンピュータと、電子機器類が壁側にしつらえられている。
 天井には、LEDとおぼしき照明器具が、琥珀色の光を落としている。どちらかというと薄暗い、ほんのり淡い照明は、ハイテクな機材から見て取れるような、医療機関の趣はない。
 そして、円形の部屋の中央に、ぽつんとしつらえられているもの。
 それは、バスタブだ。
 チャプ、チャプ・・・と水音を立てる、ゴールドのバスタブ。
 ほのかな湯気を舞いあげるそこには、真っ白い肢体が浸されていた。
 メイペ・シノリである。
 透明な液体が張られたバスタブに、一糸まとわぬ姿、髪はタオルに巻かれてアップにされている。
 液体を手ですくい、再びバスタブにこぼす。
 鼻歌を歌っている。

♪ねむれ ねむれ いとしい みどりご♪
♪ははのむねに いだかれ せいれいに まもられ♪
♪すこやかな ねいきを うたごえに かさねて♪
♪うるわしき きみのゆめ つきとほしに にじをかけて♪

 あれ?と、メイペは思った。
 なんで、子守歌を歌ってるんだろう、わたし・・・
 あ・・・そうだ。
 これは、トラッシュくんと出会った、あの旧市街で・・・
 赤ん坊のために歌った、子守歌。
 何もかもが、トラッシュくんとの出会いのために、あったと思える。
 メイペは、両ほほに手を当てて、思い出に浸る。しぜんと、からだが熱くなる。
 ただただ、幸せな気持ちだけが、白いからだを染め上げる。
 思い出す、トラッシュの、血の感触。乾くにつれてべたつくそれさえも、メイペには心地よかった。
 耳をくすぐるのは、トラッシュの声・・・
「痛い痛い痛い! もうちょっと優しくつれてけ!」
 数日前のことなのに、今でも、ハッキリと耳に響く、その声・・・
 あれ?
 それにしちゃ、あまりに鮮明な・・・
「ケガ人の扱いをもうちょっと・・・」
 バスルーム、ならぬ、医療機器で埋め尽くされた「メディシン・ルーム」に、ジョデとガーフが、トラッシュとヒビナを引っ立てて、入室した。
 トラッシュは・・・
「な、なんだこの部屋・・・わああああぁぁぁっっ!!??」
 部屋の中央に、入浴中のメイペ・シノリを見つけて、仰天した。
 メイペもまた・・・
「キャッッ!?」
 小さく叫んで、バスタブに潜り込んだ。両手で、薄い胸を隠す。
「な、なんなの! ここで何してんのよ、メイペ!」
 ヒビナもまた、驚きで素っ頓狂な声をあげる。
「トラッシュくん・・・ヒビナさん・・・」
 真っ赤な顔をして、メイペは恥じらいに沈む。
「どどどど、どうなってんの? これは空飛ぶお風呂なのか?」
「もう、何言ってンだか・・・」
 メイペはというと・・・
 恥ずかしさで染まった顔が、しだいにほころんできた。
 思いもよらぬ、想い人の出現・・・
 わたしに、会いに来てくれたのだろうか・・・
 メイペは意を決した表情で、バスタブから立ち上がり、床に降りた。
「わっ、わわっ!お、おい、何を・・・」トラッシュがテンパる。
 メイペの後を追うように、バスタブを満たす液体がいくらか、メディシンルームの冷たい床にバシャッとうちまかれた。
 トラッシュはあわてて目をそらす。当然だろう。14歳の少女が、一糸まとわぬ姿でこちらに向かって歩みを進めてくる。同い年の少年が、平静を保てるはずがない。
「目をそらさないで、トラッシュくん・・・」
 メイペは、潤んだ瞳で、朱に染めた頬で、微笑んで言った。それに応えるかのように、ガーフは触手をトラッシュの頭にはわせ、むりやり顔をメイペに向けさせ、その目を開かせる。
 想像だにしないメイペの行動に、ヒビナもまた言葉を失った。眉間にしわを寄せている。
 メイペは、髪に巻いたタオルをほどき、背後に放り投げた。長いブロンドは、湿り気を帯びてメイペの白いからだに落ちる。
「・・・・・・・・・!!」
 トラッシュはガーフにがんじがらめに取り付かれ、メイペから視線をはずすことを許されない。したたる汗が湯気に変わりそうな真っ赤な顔で、その拘束を受け入れるしかなかった。
 ヒビナも色白だが、メイペの肌の白さは、とてもこの世のものとは思えない。むしろ青さすら感じる透明感と、ホクロやシミ一つないなめらかな質感は、白磁の器を思い起こさせた。
 トラッシュより少し背の低い、背格好はヒビナと同じくらいのメイペはしかし、スレンダーなヒビナよりもさらに華奢に思えた。胸のふくらみはあきらかにヒビナより薄く、細い腰と細い脚、起伏に乏しいライン、でありながらも、そのカドのない女性らしい立体造形は、トラッシュには未知の美しさだった。
 トラッシュは息を飲んだ。もはや今では自から目をそらすことができなくなった。
 ヒビナはそのことに気づいたのか、トラッシュの表情を伺うのが怖くなった。トラッシュがメイペの美しさに惹かれていく瞬間を、目の当たりにしてしまうのではないかと。
 メイペは恥じらいをたたえながらも、ヒタヒタと素足をリノリウムの床に進めた。その碧い瞳は、潤みに琥珀色のLEDの照明をゆらがせながら、トラッシュから視線をはずさない。
「あ、あの・・・おい・・・?」
 困惑の極みに、トラッシュは意味のない言葉をメイペにばらまいた。意に介さぬメイペはついに、トラッシュと面と向かい合い、陶然とした表情で笑みをこぼす。
 次の瞬間、トラッシュの脳は沸点に達した。
 さすがにヒビナも、そのさまを、呼吸を止めて見ていた。
 メイペは細くて白い裸身のすべてを、トラッシュの体に沈めるように預けた。トラッシュの胸と左頬にかけて、その顔をうずめた。
 トラッシュはまず、こう感じた。
 軽い・・・!
 ヒビナには出会って早々、のしかかられたり、背負わされたり、あるいはワグダに思いも寄らぬ密着を受けたりと、美少女たちにやたら接触されてきたトラッシュだが、その記憶のどこにもないほど、メイペの体は、軽かった。そんなに大柄でもない自分の体に、そのすべてが包まれてしまうほど細いメイペの「軽さ」が、なんだか切なくなるほど、空虚な感触だった。
 だが、次の瞬間には・・・
 トラッシュの衣服を通したメイペの体温、そして息づかいに、胸が締め付けられた。軽さに感じた絶望が、それでも生きている人間の体温に、救われるような感覚。
 薄い胸も、細い太股も、まとわりつく柔らかですべやかな感触が、トラッシュにすべて預けられた。見た目よりはるかに、それは実在感を伴った量感に思えて、軽さの感触と相反する。
 トラッシュは怖れを感じた。メイペは、こんな無防備きわまりない姿で、何の迷いもなく、すべてをトラッシュに託した。この少女は、なぜそれほどまでに、自分にからだを投げうつのか。つい先だって、お互いを、殺すか殺されるかという関係だと、自分で定めておきながら。
 メイペは、鼻孔で静かに深く息を吸うと、吐息に混ぜて言葉をこぼした。
「・・・どうして、こんなことしてるんだろう、わたし・・・恥ずかしいけど、でも、こうするんだって思っちゃった・・・」
 その声はかすかに震えている。乾き始めた白い肌と同様に。
 これは、何かの罰なのか? トラッシュは今まで受けたことのない仕打ちに、戒めを受けている感覚を覚えた。恥ずかしいのはこっちの方だ。今すぐこの場から逃げだしたい!
 ヒビナは、むりやり絞り出すように言葉を放った。
「メ・・・メイペ!いいかげんにしなさいよ!あんた、何考えてこんなバカなことを・・・」
「バカよね・・・そう、ヒビナさんの言うとおり。でも、こんなわたしにしたのは、トラッシュくん・・・」
「はあ!?」
 さすがにトラッシュは首をひねった。
「初めてあったときから、トラッシュくんとわたしは、特別なんだって思った。特別なカンケイなんだって」
「な、なんだって・・・?」
「あなたアザクくんじゃないわ・・・アザクくんにはこんな感情、わかないもの。トラッシュくんはトラッシュくん。ほかの誰でもない、わたしだけのトラッシュくんなの」
「そ、そりゃどうも・・・」
「お礼を言うようなことじゃないでしょ! よく考えなさいよ!」ヒビナがわめく。
「だって、オレのことほかの誰でもないって言ってくれたの、この子が初めてだ」
「そう、わたし、トラッシュくんの初めてになるわ。何もかも」
「な、ななな・・・!?」
 何を思ったのか、ヒビナはいっそう顔を赤くした。
「ねえ、トラッシュくん・・・」
 甘えた表情で、メイペは言葉でトラッシュの耳をくすぐる。
「キスのしかた・・・教えて?」
「のわっ!?なななななな、なに今そのあの、キ、キ、キ、キスゥゥゥゥ!?」
 トラッシュの心臓がひっくり返る。ヒビナはあぜんとし、そして目をむいた。
「キ、キ、キ、キスなんてオレ、そんな、しかたとかそんな・・・」
「うそぉ・・・もてるんでしょ? トラッシュくんて・・・」
「そんな、オレ、オレ・・・ど、どうなの?」ヒビナに問いかけるトラッシュ。
「し、知るかそんなの! あたしに訊くな!」
「ヒビナさんは、どう? トラッシュくんのこと、どう思うの?」
「ぅえええええぇぇっっ!?」
 メイペにそう問われ、あわてるヒビナ。
「ば、ば、ばか言っちゃ困るわ、あたしがこんなスットコドッコイのオッペケペー、どうこう思うわけが・・・」
「そうよね、ヒビナさんはずーーーっと、キリィ大尉ひとすじだものね」
「あうっ!?」
 ヒビナは図星に言葉を詰まらせた。
「じゃあ、トラッシュくんはわたしが独り占め・・・」
 そう言って、メイペはさらに体をトラッシュに押しつけていく。その密着度に、トラッシュの体が押し上げられるほどに。
 半乾きのブロンドと、メイペの頭部の感触が、トラッシュの胸板にさらに沈められていく。
 ふいにメイペは、トラッシュの顔を見上げ、上目で視線を交わした。
 メイペの碧い瞳に写し込まれる、トラッシュの困惑の表情。少女の、蜜に浸したようなつやめく唇が、甘く奏でる。
「こうすればいいの・・・?」
 目を閉じてメイペは、言葉を止めた唇をトラッシュに寄せる。
「うわ、おい、あの、ちょっと・・・」
 あわてるトラッシュなどものともせず、メイペはその整った顔をトラッシュの顔に重ねていく。
 ヒビナは青ざめて、その様を見守るしかない。
 観念したのか、羞恥心からか、目を閉じたトラッシュ。
 温もりが近づくのがわかる。

 が、次の瞬間・・・
「いててててててててててて! 痛い痛い痛いぃぃ!!」
 トラッシュが悲鳴を上げた!
「んふふふふふふふふ・・・」
 いたずらっぽい微笑みを浮かべるメイペは、トラッシュの下唇を噛んで、引っ張っていた。
 なんだかバカバカしいその光景に、ヒビナは口をあんぐりと。
「あはははは、あはははははははは!!」
 メイペはようやくトラッシュの唇を離すと、すかさず体をトラッシュから離すやいなや、

 バシイイイィィッッ!!

「ぐふっ!?」
 メイペはその白い裸身をピルエットし、その勢いでトラッシュの左頬に強烈なビンタをお見舞いしていた!
「あははははは、痛かった? ごめんなさい、わたしね、痛みに無頓着なの。なにがどのくらい痛いのか、ひとはどうすれば痛いのか痛くないのか、よくわかってないの」
「言ってることが、全然わからないんですけど!?」ヒビナがあきれて言葉を発した。
「わたし、ここで何してたと思う? 単なるお風呂タイムに見えた?」
「??」
「このバスタブ、ただのお湯が張ってあるわけじゃないの」
 バスタブに戻って、メイペはそこに満たされた液体を手ですくい・・・
 バシャッ!
 トラッシュに浴びせかけた!
「うわっ!? あちちち!? ・・・痛い痛い痛い! ひりひりするぅ!」
「これはね・・・簡単に言うと、細胞活性化剤。細胞増殖能力のバランスを整えるためのものなの。ときどき、この液体につからないと、わたしのからだ、壊死しちゃうの。普通の人には、刺激が強すぎるみたいだけど」
「な・・・そんなモン、かけるなよ!?」とトラッシュ。
「なんでこんなものが必要なのかしら?」ひとごとのようなメイペだ。
「知らないわよ、そんなの! いちいち回りくどいわね、アンタ!」
 ヒビナのもっともな言葉が投げつけられる。
「ねえ、トラッシュくん、わたしのからだ、きれい?」
「え・・・ええっっ!?」
 メイペの言葉一つ一つが、トラッシュには戸惑い以外の何物でもない。
「キズひとつないでしょ? 結構、きれいかなって、自分でも思うのね」
「なにそれ、アンタ、自慢? サイッテーな女ね!」とヒビナ。
「オメガライトって知ってる?」
「お、オメガライト・・・?」
 ヒビナには聞いたことのある言葉だが、トラッシュは初めて知った。
「この部屋、天井にオメガライトが仕込まれているの。ここには、大学病院にも無いような、最新の医療設備がそろっているのよ。オメガライトは、ふつうの照明や太陽光の下では見えないような傷跡や炎症を浮かび上がらせる、特殊波長の光線なの。現代の医療技術では、どんなひどい傷跡も、何事もなかったかのように、消すことができる。でも、オメガライトを照射すれば、どんな傷跡も見えるようになるわけ」
 ヒビナもトラッシュも、困惑しながらメイペに聞き入っていた。
「わたしの言いたいこと、わからない? わたしのからだも、オメガライトを浴びたら・・・」
 メイペは、右手の指をパチン!と鳴らした。とたんに、バチッ!と、メディシンルームのLED照明が落ち、かわりに、青紫の照明が点灯した。
 それはオメガライト。
「!!!!!?????」
 トラッシュは、そしてヒビナは、息を飲んだ。その衝撃に心臓が大きく跳ね上がり、脊髄に電流が、全身に寒気が走った。
 オメガライトに照らされたメイペ・シノリの白い裸身。
 その全身に、無数の傷跡が浮かび上がっていた。いや、むしろそれは、パッチワークのように、肉体がツギハギされた痕、というべきだった。
 青紫に照らされて、メイペは、笑みを浮かべた。

     ★     ★     ★

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>>>第2章第11話へつづく。
次回「死をまとう少女」

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