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第2章第11話「死をまとう少女」

 メイペ・シノリの攻撃で重傷を負ったトラッシュ。ヒビナの活躍とコジェの助けもありキズも癒え始めるが、メイペにはどう相対すれば良いのか、トラッシュ、そしてヒビナは苦悩する。
 いっぽう、トラッシュを癒やすウィンドボードの不思議な力は、地中に潜むグラフィティを呼び出し、コジェを驚嘆させる。
 かたや、トラッシュとヒビナは、メイペ・シノリとの再会を果たし、その壮絶なる秘密に触れる・・・

     ★     ★     ★

 銀色に輝く空飛ぶ円盤、フィアト・ルクスの内部、メディシン・ルームにて、トラッシュとヒビナは驚愕の表情をさらしていた。
 見えないキズさえも浮かび上がらせる、オメガライトの光に照らされた、メイペ・シノリの美しき肢体。その全身には、おびただしい傷跡が描かれていた。
 パッチワークのような、ツギハギの傷跡。
 とつじょ、バチッ!と音がして、ふたたび照明はオメガライトから、琥珀色のLEDに戻った。
 同時に、メイペのからだは、もとの白くすべやかな艶を取り戻した。
 メイペは、バスタブのサイドにしつらえたハンガーラックから、ミントグリーンのバスローブを手にすると、ふわりと羽織った。
 たったそれだけの仕草が、羽衣をまとう天女のように美しい。だが、トラッシュはその美しさに目を奪われる心境では無かった。
 メイペは、ふたたびトラッシュに歩み寄る。ガーフの触手にがんじがらめにされたトラッシュの、ふところに抱かれるように寄り添うと、またもやその陶然とした表情を、トラッシュの胸にうずめ、つぶやいた。
「ほんとうなら、自分の秘密を明かしてしまったら、スイーパーの戦士としては不利になるって、怒られるの。そうよねヒビナさん?」
「え、えええ!?」
 とつぜん話を振られて、あわてるヒビナだった。
「でもね・・・トラッシュくんには、わたしの全てを知って欲しい。わたしとトラッシュくんの間に、秘密も、ウソも無くしたいの。全てをさらして、そして、トラッシュくんを殺すの」
 またそれか・・・トラッシュは思った。
「今のわたし・・・こうして、人間の形をしているけど、オメガライトで見たとおり、ツギハギのからだなの。あの事故があって、わたしは・・・わたしのからだは・・・」
 トラッシュのTシャツの胸元を、ギュッと握りしめ、震えだすメイペ。小刻みな吐息が、トラッシュの胸をも震わせる。
「事故・・・?」トラッシュがつぶやくように聞き返した。
「わたしが、3歳のときのこと・・・」
 メイペは、自分で言いだしたこととはいえ、忘れようとも忘れられない、おぞましい記憶を、トラッシュに語り始めた。

     ★     ★     ★

 11年前。
 シルバー階層のとある大企業、MNCインダストリー社は、画期的な発電施設を開発し、実用に移そうとしていた。
 タマネギのような階層構造のこの惑星では、天井は上の階層の地盤でもある。太陽光は地中に無数に埋まっているガラス状の透明鉱石を、天然の光ファイバーとして透過し、その下の階層を照らす。透明鉱石は地熱をエネルギー源として光を増幅する特性を持っており、エネルギーの減衰分を補っているのだ。つまり、下位の階層で地上を照らす光は、太陽光と地熱のふたつのエネルギーからなる。
 事実上、無尽蔵なエネルギーであるそれを、発電に利用しようというのだ。階層構造であるが故に、「天井」にも地熱がある、という考えだ。
 シルバー階層の、とある大都市の郊外に、その実験施設が建設された。その最大の出資者である資産家、マニトクラット・ナルバ・シノリは、1号機の視察に訪れていた。
 シルバーの名家であるシノリ家は、代々、投資家として知られていた。個人投資家としては最大規模だったシノリ家ではあるが、ここ数年は数々の投資の失敗もあり、凋落傾向が著しかった。
 マニトクラットは、起死回生を求めて、この発電施設に多額の投資を行っていた。傘下の企業が開発した、地中の透明鉱石を結晶化することで増大させ、透過エネルギー効率を向上させる技術をもって、発電施設にめどが立ったのだ。
 この実験が成功し、発電施設が軌道に乗れば、世界中にローコストで無公害のエネルギーが供給される。世界経済のさらなる加速につながり、かつ、シノリ家に名声と巨万の富をもたらすのだ。
 マニトクラットは、家族にも1号機の稼働実験を見せようと、一家総出で訪れていた。
 投資事業の事実上の舵取りを行うマニトクラットの息子マナゾエーリ・シノリ、その妻ミアロペ、7歳の長男マシュカルース、5歳の長女ムスリエリ、3歳の次女メイペ、そしてミアロペに抱かれている8ヶ月の次男モドナード。
 床一面に巨大なファンのような無数の加速器が、ゆるやかに回転する、その真上を、金属製のキャットウォーク、つまり橋が渡されている。
 シノリ家7人と、作業服の技術者1人が、橋の上に歩みを進める。
「すごい、すごい、すごーい!」
 ムスリエリとメイペの姉妹は、巨大スケールの発電施設に目を輝かせ、はしゃいでいる。聡明だがちょっと臆病なマシュカルースは、さながら大渓谷の吊り橋を渡らせられているように、橋の手すりにしがみついて、震えながら恐る恐る足を運ぶ。
 マニトクラットは、はしゃぐ孫たちをよそに、息子マナゾエーリに向かって、つぶやくように言った。
「見ていろ、ここからまたシノリ家の再興が始まるのだ・・・」
 すると、技術者がノートパソコンを操作しながら、
「あれ?・・・おかしい、発電量が上がらない・・・」
 発電効率が売りの新発電システムにしては、想定した発電量の20パーセントにも満たない。これでは、従来のシステム以下でしかない。
 マニトクラットは、いらだち始めた。
「どういうことだ! これにはシノリ家の全てをつぎ込んだのだぞ? 今さら使い物にはならない、では済まされんのだ!」
「も、申し訳ありません、今すぐ・・・」
 技術者は、携帯電話でどこかに連絡している。出資者を怒らせたことで、管制センターでは大騒ぎになっていた。
 マニトクラットは、
「かまわん、フル操業させてみろ! どうせテストはせにゃならんのだ!」
「お、お義父さま! 子供たちが・・・」
 ミアロペが、心配そうにマニトクラットに告げるが、
「いいや、シノリ家の子供たちならば、家の命運のかけたこのプロジェクト、しかと見届けてもらう!」
 技術者は、
「し、しかし・・・」
「しかしもスカシもあるか! わしがやれといったら、やるのだ!」
「は、はいっ!」
 涙目の技術者は、パソコンを操作し、発電施設をフル操業させた。

 ゴオウウンンッッ!!

 眼下の加速器が轟音を上げ、フル回転を始める。その音と振動に、橋の上の子供たちは、ビクッ!と反応した。モドナードが泣き声をあげる。
「発電量は・・・上がってます! 80パーセント、90パーセント・・・想定発電量をマークしてます!」
 技術者の声に張りが出てきた。
「起動時にまだアタリがついていないせいか、最初だけうまく稼働しなかったようです!」
「そうか・・・よし! それでいい!」
 満足げなマニトクラットだ。
 だが、実際には、発電施設には憂慮すべき問題があったのだ。
 フル稼働の発電施設は、発電量こそ当初の想定通りの成果を出したのだが・・・

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・

 設備全体が、振動を始めた。
 それは振動というレベルを超え、震度6クラスの地震にも匹敵した!
「う、うおおおっっ!!??」
「わあああぁぁぁっっ!!」
「キャアアアアァァァッッッ!!!」
 シノリ家の面々が、悲鳴を上げ始めた!
「な・・・なんだこれは! なんとかしろ!」
「は、はいいぃっ!」
 巨大な発電設備は、本来は低負荷の状態でしばらく運転し、いわゆる慣らし運転を十分行った上で、フル操業させるべきだった。設計上は問題ないはずだったが、いざ急激なフル操業に移行してみると、想定しなかった機械振動が発生したのだ。
 技術者は発電施設を止めようとするが、振動のため、うまくいかない。管制ステーションでも緊急停止を試みるが、あまりにも巨大な施設のため、ただちに稼働停止というわけにはいかない。
 加速器をまたぐ橋の上は、震度6どころでは無かった。ミアロペは赤ん坊を抱きしめてうずくまり、子供たちは手すりにしがみついて、悲鳴を上げていた。マニトクラットは尻もちをつき、目をむいて脂汗を流している。
 そして、悲劇は起こった。

 ガキイイィィッッ!!

 橋の鉄骨を止めているボルトが数本、折れて弾けた!
 橋は、途中でバキッ!と亀裂が生じ、ねじれて大きく傾いた!
 手すりは折れ曲がり、床面のパンチングメタルが、2〜3枚ばらばらと落ちた。
 それは、加速器のファンに巻き込まれ・・・

 ガギギギギギッッ!!

 耳障りな金属音を立てて、引き裂かれた。
 と、今度は。
「キャアアアァァァッッ!!」
 悲鳴が上がった。
 傾いた橋から、一人の子供が、落下した。
 家族たちの、叫びがとどろく。
「メイペ!」
「メ、メイペェ!」
「メイペエエエエェェェッッッ!!!」
 メイペ・シノリの小さなからだは、10メートルはあろう高さを落下し・・・
 加速器の回転ファンに、吸い込まれていった。
 家族たちの表情が、凍り付く。
 目を背ける間もなく、惨劇は一瞬で展開された・・・

     ★     ★     ★

「ううっ・・・」
 トラッシュは青ざめた。
 震えながらも、淡々とメイペは語るが、その内容に、イメージに。
 それは、ヒビナも同様だった。
「機械に巻き込まれて、八つ裂きになって・・・人のかたちすら残ってない肉片を拾い集めて、祖父も父も愕然としたそうよ」
 ヒビナは、のど元を突き上げる感覚を覚えた。正直、吐いてしまいそうだった。
「祖父は、あまりに新事業に入れ込みすぎたことで、わたしをこんな目に遭わせたと思って、発電施設にまつわる全ての事業を売ったの。そのお金と、資産の全てをつぎ込んで、考えうる最高の医療技術を駆使して、わたしのからだを再生したの。それが贖罪だと信じて・・・」
 この世界の医療技術は、たとえ肉体が八つ裂きになっても、黒焦げになっても、元通りに再生できる、という触れ込みである。それは進んだ医療技術をアピールするたとえ話として言われることはあっても、誰ひとり、実例を聞いたことが無かった。
 理論的には可能と言われても、ほんとうにそんなことができるのか、眉ツバな話としてまかりとおっていたのだ。
 だが、実際にはこうして、生き返った実例があったのである。
「遺伝子には、その人のからだの設計図が書き込まれているらしいの。その情報をコンピュータで解析して、わたしの元のからだを再構成したの。何人もの、名のあるお医者さまが雇われたそうよ。わずかに残った血液を培養して、細胞再生技術を駆使して・・・」
 それにしても、そのような状況で、生命が失われずにいたのは、なぜなのか?
 それはこの世界、この惑星Xに住む人類の秘密なのだが、それが明かされるのは、もう少し先の話としよう。
 言葉を、トラッシュの胸に直に響かせるように語ったメイペは、すっとその顔を起こすと、トラッシュの顔を碧く潤んだ瞳で見上げながら、微笑みかける。
「会社も、家屋も手放して、ほとんどすべての資産をつぎ込んで、何も残らないような、そんな大手術で、わたしは生まれ変わった。もう、シノリ家は、今やごくふつうの、ありきたりな中流家庭でしか無いわ。それだけじゃない。わたしのからだを構成するために、わたしの家族は、髪や爪や、皮膚も供出したの。同じ遺伝子を持つ家族だからって、肉体を構成するアミノ酸やリンやミネラル・・・8ヶ月の弟からも、少しずつもらったの。現代の医療技術をもってしても、わたしが人間のからだに戻るまで、2年かかったわ。その間もずっと、少しずつ、からだの一部をわけてもらった・・・ わたしが今、ここに人として存在するのは、家族のおかげなの。だから、家族はわたしの全て。生きているという感謝を、一生かけて家族に返したい。ずっとそう思っていたの」
 すっと、メイペは両腕を、トラッシュの首に回した。凄惨な状況から、手術をへて作り直したとは思えない、整った顔が、トラッシュに近づく。
 そんなメイペから、トラッシュは目が離せない。
「でも、あなたに出会って、すべてが変わった・・・」
 メイペの笑顔が、ふっと潜められた。なんとも、切ない表情に入れ替わる。
「オメガライトで照らされた、わたしのからだ、醜くても、恥ずかしくても、トラッシュくん・・・あなたには隠したくないの。わたしの全てを、あなたの記憶に刻み込みたいの。だけど・・・」
 メイペのようすが、はっきりと変わった。トラッシュはそう感じた。「顔色」とはよく言ったもので、メイペの表情を占める地の色が変わった気がした。
「メイペ・・・」
「・・・キスのしかたを教えて・・・わたし、今の想いを、どうすることもできないの。トラッシュくん、あなたに・・・あなたに対する感情を、表現できない。何という言葉で、どういう行動で、あなたに伝えればいいの? いえ、頭ではわかっているの。でも、でも・・・わたしのからだに、それが伝わらないのよ!」
「なんだって・・・?」
「わたし、壊れてるの・・・からだも、心も・・・姿形は元どおりでも、なにかがおかしい。細胞活性化剤が無いと、からだは壊死してしまうし、心も・・・」
 トラッシュは、思った。
 メイペ・シノリは、初めて出会ったときと、何も変わっていない。何も矛盾しない。純粋すぎるが故に、自ら「壊れている」と表現する、自分の異質さを、心とからだが受け止められないのだ。
 メイペでなくても、そんなこと、どんな人間なら耐えられるというのか?
 だから、誰かに受け止めて欲しくなる。
 それが・・・オレだというのか?
 いや、オレに・・・それが出来るのか?

 そのとき。
 メイペとトラッシュの、心の交錯をそばで見ていたヒビナは・・・
 耐えられなかった。
 メイペの状況は、同情すべきものかも知れない。だが、だからといって、トラッシュを求めるメイペを、認めるわけにはいかなかった。
 ジョデの触手にがんじがらめにされているヒビナは、物質の密度を制御する自身のアートを使っても、そこから逃れられなかった。
 アートの強さまでも、メイペにかなわないというのか?
 ならば、と、唯一動く口を使って、反撃に出ようとした。それがひどい言葉だと知ってても、言ってしまいたかった。
 だが、躊躇した。トラッシュとメイペに割って入ろうとする自分が、みじめに思えて。
 ふと、トラッシュの首に回された、メイペの腕、その手先を見た。
 メイペの爪が、比喩ではなく、まさに青白く光った!
 たいして長くのばしていないメイペの爪が、鋭利な刃物に変わる瞬間。
 トラッシュののど笛をかき斬ろうと、欲している!
 ヒビナはもう、言わざるを得なかった。
「・・・言えば良いじゃない、トラッシュへの想いを」
「ヒビナ!?」
 トラッシュは、耳を疑った。それができなくて苦しんでいるメイペに向かって、そんなことを・・・言うなんて?
「ヒビナさん・・・」
「ハッキリ、言葉にすればいい! トラッシュのこと、どう思ってるの? トラッシュを、どうしたいの? トラッシュに、何を望むの?」
「おい、やめろよ、ヒビナ・・・」
 メイペの目が泳いだ。朱に染まっていたほほが、青ざめたように見える。
「わたし、わたし・・・トラッシュくんを・・・」
「メイペ・・・?」
「すごく大切なの。ドキドキする・・・ 抱きしめられたの! そのときの感触・・・ 見つめられたら、涙が出そうになった。どうして!? 悲しいわけじゃ無い。なのに切ないの。幸せな気持ちになったと思ったら、すごく苦しくなる。息が浅くなって・・・からだが震えて・・・」
 メイペは、言葉どおり、震えが止まらなくなった。トラッシュの身体を離れ、リノリウムの床にへたり込んだ。
「どうして、どうして・・・言えないの?」
 自分を抱きしめ、髪を乱し、しゃくり上げるように息を乱す。
「わたし・・・わたし・・・壊れるよ・・・からだも心も、またバラバラになる・・・」
「メイペ!」
 トラッシュが叫んだのを、トリガーにしたかのように・・・

「うああああああああああああああぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!」

 メイペが、吠えるように叫んだ!
 うずくまり、頭を抱え、やがて、のたうち回り始めた。
 その瞬間、ジョデとガーフは、ヒビナとトラッシュを拘束していた触手を緩め、人間体に戻った。
 そんなことにはかまわず、トラッシュは、
「ヒビナ、お前、何てこと・・・」
 見るからに不安定なメイペを揺さぶれば、この拘束を抜けられるのではないか。あまりにも思惑が当たって、ヒビナも驚いている。
 ジョデとガーフは、風のようにメイペのもとへと駆けつけると、その身体を支え、メディシン・ルームの壁にしつらえられた医療機器へと運んだ。
 まるで機械のように、ジョデとガーフは、正確で素早い処置を、メイペに施す。
 ジョデは立て続けに3本の注射を、メイペの左腕に突き立てる。ガーフは、5本の薬瓶を並べると、その中の錠剤をザラザラと手に取り、次々とメイペに飲ませる。
 尋常で無いその様子に、トラッシュは、ただ立ち尽くす。ヒビナがトラッシュを急かし、
「ほら、なにボサッとつっ立ってンの! 逃げるわよ!」
「あ? ああ・・・」
 ゼエゼエと、荒い息をつくメイペ。目が真っ赤に血走り、ひたいには大量の汗がにじむ。激しくせき込んで、飲むべき錠剤がバラバラと床に散らばる。
「トラッシュ! 早く!」
「・・・・・・」
 次の瞬間、トラッシュは、メイペの元へと駆けよっていった!
「と、トラッシュ! アンタは何で・・・!」
 思わず、目が吊り上がるヒビナだ。
 トラッシュは、ジョデとガーフをかき分け、リノリウムの床にはいつくばる、メイペを抱き上げる。
 はだけたミントグリーンのバスローブから、真っ白な肌があられもなくのぞく。トラッシュはちょっと躊躇しながら、バスローブを整える。
 うつろな目をしたメイペが、涙と唾液と吐瀉物でまみれた顔で、トラッシュを見上げる。トラッシュは傍らのテーブルにあったガーゼをひったくると、メイペの顔をぬぐう。顔に落ちた前髪をはらい、面差しを整える。メイペは、はあはあと息は荒いが、一時よりは落ち着いたふうに見えた。
「メイペ、キミは・・・」
「・・・ふふっ、ひどいでしょ? この姿・・・細胞活性化剤もそう、本当のわたしは、クスリ漬けじゃないと生きられないの」
「そんな・・・」
「あはっ、おかしいわね? 人は簡単には死なないのに、『クスリが無いと生きられない』って、矛盾してる」
 メイペは、笑って見せた。それがトラッシュには、痛々しく映る。
「結局、八つ裂きになったからだは、完全には元どおりになってない。それは、心も同じ・・・八つ裂きになっても死ななかったってことは、そのときの記憶を抱えたまま生きてるってこと・・・ときどき、スイッチが入って、そのときの記憶がよみがえるの。肉がちぎれて、骨が砕けて、血があふれ出して・・・」
「もういい! 思い出すとダメなんだろ! もう言わなくていいよ!」
「・・・そのときの恐怖で、心までも八つ裂きになるの。今みたいに」
 トラッシュは、ふたたび愕然とした。メイペの、あまりにも壮絶な生き地獄に。
 そのとき、ヒビナは、ハッ!と思いついたことがあった。
「ちょっと待って・・・メイペ、アンタ、そんな体験をしたのなら、ダウンシフトしてるはずよね? なんでスイーパー予備隊に入れたのよ?」
「・・・網膜に、ICチップを入れてあるの。階層を偽装する装置・・・これも、おじいさまが私財を投げ打って開発したもの」
「じゃ、じゃあ・・・インチキじゃないの! アンタは、スイーパーになんかなれるはずなかったんだわ!」
「ヒビナ! 今はそんなことを・・・」
「いいえ、ヒビナさんの言うとおり。でもね、一人だけ、そんなこと、とっくに気づいてる人がいたの。キリィ・キンバレン大尉・・・」
「!? キリィ様・・・キリィ隊長が?」
 ヒビナは、ショックを受けた。なにそれ、知っていてキリィ様は、メイペの予備隊入隊を認めて、自分の秘書にして、あげくイリーガルにぶつける任務に就かせたというの?
 どうして、メイペだけそんな特別扱いを・・・
 ヒビナは、足下がふらつくほど、打ちのめされた思いがした。
「この機体、わたしのメンテナンス用の専用機、『フィアト・ルクス』も、キリィ大尉がくださったの。予備隊の頃も、こっそり細胞活性化剤や、精神安定剤を使ってた。バレてないと思ってたけど、きっとキリィ大尉はお見通しだったんだわ」
 トラッシュは、からだが熱くなるのを感じていた。
「キリィ・キンバレン・・・なんでそうまでして、メイペをオレにぶつける? アイツはオレが・・・そんなに憎いのか!」
「トラッシュくん・・・?」
「メイペを・・・何だと思ってる! メイペみたいなコを、戦いに引きずり出して・・・オレが死ぬか、メイペが死ぬか、そのどちらかで、世界が変わるとでも言うのか!」
 トラッシュは、メイペを抱きしめた。力強く。
 まだキズも癒えぬからだは、激しい痛みに襲われたが、かまうものか。
「もうやめよう、メイペ・・・キリィの命令なんか、聞かなくていいじゃないか! そうだ・・・オレたちと旅しないか? この円盤があれば、メイペは生きられるんだろう? オレたちと一緒に・・・」
「と、トラッシュ! 何を言い出すの!?」
 トラッシュの申し出は、ヒビナにはとても受け入れがたい。ヒビナは、メイペの身の上に同情すべき点があるとしても、どうやっても、相容れない存在としか思えないのだ。
 トラッシュにせよ、キリィにせよ、なぜ、メイペにばかり・・・
 だが、メイペがトラッシュに応えた。
「それはできないわ、トラッシュくん・・・」
「!!なぜ!? どうしてだよ、メイペ?」
 メイペは、トラッシュの目を見つめ、
「わたし、壊れてるから・・・普通じゃ無いのね、わたし・・・トラッシュくんとは、殺すか、殺されるか・・・どちらかしか、選べないの」
「そんな・・・」
「わたしはきっと、あの事故からずっと、『死に続けて』るんだわ・・・トラッシュくんに出会えて、やっと、それが終わる。あなたを殺すか、あなたに殺されれば、わたしの死が終わるの」
「・・・わからないよ、メイペ。わからない・・・」
「キリィ大尉の命令があるからじゃ無い。わたしの望みなの」
 トラッシュは、泣きそうな顔をしている。
 ヒビナには、それが辛かった。
 こんなに悲しんでいるトラッシュは、初めて見た。いつでも人のために、時には身体を投げ打つトラッシュだが、メイペに対しては、何も出来ない、何の役にも立たない、それが悲しい・・・そんなトラッシュの気持ちが、痛いほどわかる。
 だから、ヒビナも辛いのだ。
 トラッシュは、メイペに惹かれ始めているのだろうか・・・
 わからない。
 だが、今、ヒビナに出来ることは、ただひとつ。
「・・・メイペを置いていきなさい、トラッシュ」
「!! 何を言うんだ、ヒビナ!」
「さもなくば、殺しなさい」
「!!??」
「アンタに出来ることは何もない。この円盤があれば、メイペはメイペでいられる。出来ることがあるとするなら、メイペに殺されるか、殺すことだけ。違う?」
「うう・・・・・・」
 言葉を失う、トラッシュだった。
 ヒビナは、思った。こんなことを言ってしまって、トラッシュに嫌われるかも知れない。
 だが、トラッシュを救うにはこう言うしかないと思った。
 でなければ、トラッシュは、ほんとうにメイペに殺されるまで、手も足も出せないのではないか。
 あたしがメイペを殺せれば、まだ良かったかも知れない。でも、ジョデとガーフを前に、そんな腕も度胸も無いあたしでは、とうてい無理だ。
 トラッシュは、呆然と、メイペを見つめるだけだった。メイペはそんなトラッシュに、懸命に笑顔をつくろい、
「殺してくれる?」
 トラッシュは、瞳を潤ませ、左右にかぶりを振ることしか出来ない。
「じゃあ、ヒビナさんが正しいわ・・・」
 メイペは、こんどは自分からトラッシュに抱きつき、ほほとほほを合わせる。そして離れ際、トラッシュの左胸を、右手でつかんだ。
「痛・・・!」
 トラッシュがつぶやきを漏らす。自分でつけたトラッシュの傷を、いとおしむようなメイペ。
 トラッシュは、名残惜しそうに、メイペを床に横たわらせ、立ち上がった。
 ヒビナと共にメディシン・ルームを後にする。
 メイペに視線を向けたまま、後ずさりするように。
 ジョデとガーフは、棒立ちのまま動く気配が無い。
「こんど会うときは、殺してくれる?」
 メイペは、トラッシュに声をかける。メイペもまた、名残惜しいのだろう。だが、トラッシュには、とても返答できない。
 ハッチを抜け、トラッシュは無言でウィンドボードへと向かう。ヒビナには、トラッシュに声をかけられる雰囲気が無かった。
 メイペとトラッシュの間に、入り込む余地が、髪の毛一本も無かった。そんな気がしていた。

 浮上するフィアト・ルクスを、見送るトラッシュとヒビナ。
 トラッシュは、もう泣きべそ顔ではなかった。表情を締めて、銀色の円盤を見上げる。
 フィアト・ルクスは、かげろうのように揺らいで、上空に消えた。
 ヒビナは、トラッシュの背中を、ぼーっと眺めていた。
 おそらく、メイペ・シノリは、惨劇から蘇ったことをのぞけば、ごくふつうの少女だった。その頭脳や身体能力がずば抜けていたことも、関係ない。だが、コジェが言うように、トラッシュへの想いが、ひとを好きになったという事実が、メイペの隠されたスイッチを入れてしまった。
「きっと、メイペの初恋なんですよ」
 コジェの言葉が、脳裏によみがえる。
 そう、予備隊時代も含めて、生きることに精一杯で、生きることに喜びを感じ、そうさせてくれた家族に感謝し・・・脇目もふらず生きることに全力を尽くした少女。
 事故の記憶から、恐怖と苦痛にさいなまれても、自ら死を選ぶことは決して無い。それは家族への裏切りになるから。
 どんなに予備隊の成績が良かったといっても、ある意味では、不器用な生き方だったかも知れない。
 そんなメイペにとって、初めての恋は、彼女の「壊れ」を顕在化してしまったのだ。
 想いを、「殺す」か「殺される」というかたちでしか、表現できない。
 なのに、トラッシュを捕獲するというチャンスがありながら、メイペはひと思いに殺すことをしなかった。それどころか、自分の決定的なウィークポイントをトラッシュに教えた。
 ヒビナには理解しがたいが、それがメイペのルールなのだろう。
「殺意」とは異なる、それがメイペの恋愛感情なのだ。
 そんな彼女の想いを、トラッシュは背負わされてしまった。
 ヒビナにとっては、ますます、あってはならない存在に、メイペはなってしまったのか?
 なのに、トラッシュもキリィも、メイペにばかり肩入れして、自分には振り向いてくれないのか・・・?
 と、思っていたら。
 トラッシュが、こちらを振り向いた。ヒビナは、ドキッ!と、心臓が弾んだ。
「ヒビナがいなかったら、オレ、死んでたな」
「・・・怒ってないの?」
 メイペを傷つけるような、そんな態度ばかりとっていたのに。
「なんで? あのままなら、メイペはオレを殺すことが出来た。ヒビナは命の恩人だよ」
 ヒビナは、潤んできそうな目を、こらえるのに精一杯だった。トラッシュに背を向けて、表情を伺わせまいとした。
 そんなヒビナに、トラッシュは、
「・・・メイペのことは、オレに任せてくれ。これ以上は、ヒビナも危険だ」
「そんな・・・」
「お前を危険にさらすことはできない。もちろんエトワやシャマルも」
 なによ! 水くさいじゃない?
 そんなセリフを、ヒビナは言おうかどうか、迷った。
 だが、トラッシュに対して、そんな仲間ヅラができるようなことを、自分はしてきたのか?
 ヒビナは、涙があふれそうな気分が一気に醒めるほど、自身の情けなさを覚えて、ただただ困惑を抱きしめるしかなかった。

     ★     ★     ★

 スイーパー・ゴールド階層の中核都市デルファイ・シティ。
 華々しく、グラフィティ展示施設のオープニング・セレモニーはとりおこなわれた。
 各界の著名人、政治家、財界の重鎮など、そうそうたる面々が、グラフィティの不思議な魅力に魅入られたように眺め歩く。
 盛況に満足げなキリィ・キンバレンの背中を、コツンとこづく者がいた。
「よう、なかなかの評判じゃないか、キリィ大尉?」
「キギ隊長・・・」
 筋骨隆々とした肉体をシルクのマントに包んだ、首の太い、血色の良い偉丈夫、キギ・ラエヴェ大佐がそこにいた。
「しかし吾輩は、どうもこういう、ゲージュツだブンガクだといったたぐいは苦手だな・・・」
「まあ、そうおっしゃらず・・・」苦笑いのキリィだ。
「それはそうと、貴様、なかなか思い切ったな。メイペ・シノリ・・・」
「はい・・・わたしの切り札、いかがでした?」
「まさかあの華奢なお嬢ちゃんが・・・貴様の見立ては相変わらず鋭い、感心しすぎて、あきれるわい」
「お褒めの言葉と、受け取っておきましょう」
「ちと、残念だがな・・・メイペは可愛いままが良かった。ウチの孫といい勝負だったのに」
 するとそこへ、ひとりの初老の小男が現れた。
「これはこれは、キギ大佐にキリィ大尉、何か悪い相談かな」
 キギは、苦虫を噛みつぶしたような顔を、わざとした。
「貴様の独壇場だな、ザイラ。ゲージュツとやらに関しては」
 小男は、最高会議議長、ザイラ・ファギレルだ。
「そう言うが、こうも人だかりが多くては、じっくり観られん・・・キリィ、ほとぼりがさめた頃に、あらためて案内してもらえんかな」
「ええ、喜んで」
「ふん、またウチのエースに取り入ろうと・・・綱紀粛正がどうのこうのと吹き込んじゃおるまいな?」
「その話は、また日を改めろ。今日はセレモニーだ。野暮テンはきらわれるぞ」
「ぶわっはっはっは・・・いけすかん奴め」
「それよりも、キリィ、グラフィティと言えばコジェ・オリクだろう? 姿が見えんが・・・」
「彼女は、いまブロンズです。晴れがましい席は苦手だといって、フィールドワークに戻りました」
「なんと・・・相変わらず、可愛らしい顔をして愛想の無い・・・学者というものは、どうにも世俗と縁(ゆかり)を持ちたがらん輩が多いな。まだ若いのに」
「そう言うがな、ザイラ、コジェが愛想の無いのは政治家相手だけだ。むしろ偉いもんに媚びを売らない、気骨のある娘じゃないか」
「ふふん、だから筋肉オヤジには評判が良いのだな」
「そうそう、白髪ジジイには不利だぞ?」
 キリィは、思った。他愛も無い談笑をしているこの二人は、ともに信頼し合い、時には反目しながらも切磋琢磨してきた、ライバルであり親友。二人して幾多の修羅場をくぐってきた、戦友と言っても良い。
 今ほどの地位と名誉を得ても、小手先の権威主義に走ることも不要なほど、誰が見ても権威を感じる。ホンモノの男。
 キリィも、心から二人を尊敬している。
 だが。
『われわれの野望のためには、お二人の力を借りねばなりません。ですが、欲しいのは、お二人の力のみ。このグラフィティ・ミュージアムが、そのために作られたこと、いずれは身をもって識っていただきましょう』
 キリィの瞳の奥に、玉鋼の刃のごとき光が宿ることに、キギもザイラも、気づいてはいなかった。

     ★     ★     ★

 スイーパー・ブロンズ階層第10方面支部。
 普段はやる気を見せないワグダとカーリカだが、珍しく、支部のガレージにて、ワグダは武器の手入れ、カーリカは機動走行車両のインスツルメントパネルに小型のパソコンを接続して、何かしら調整を行っている。
 メイペ・シノリの実戦参加を受けて、キリィ・キンバレンに殴り込みをかけて以来、思うところがあったのだろうか。
 フォルケも、ワグダを補佐して、バラしたマルチディスチャージャーの部品を一つ一つ磨いていた。
 沈黙が漂うガレージで、フォルケは意を決して、ワグダに訊いた。
「ワグダ少尉・・・イリーガル追跡スペシャルチームが受けた命令、どうして本当のことをボクには言ってくれなかったんです?」
「ああ?」素っ気ないワグダだ。
 命令とは、イリーガル=トラッシュを追うこと、そして、チーム以外の誰にもトラッシュを捕らえさせないこと、という、フォルケには首をかしげるものであった。
 だとしても、それを自分には教えてもらえなかった、それが引っかかっているのだ。
「ボクはたしかに見習いです! 予備隊の研修の一環だと言われているし、そのせいですか?」
「・・・聞きたいか?」
「もちろんですよ! ボクはそりゃあ、へなちょこ予備隊員ですけど、この任務に誇りを持っています! 少尉たちについていくのが精一杯ですけど、今のままでいるつもりもありませんから!」
 そう思ったきっかけは、ヒビナやメイペと無関係では無い。
 今の自分があるのは、もともとは、成り行きと言っても良かった。同じ予備隊員で、同じチームで切磋琢磨し、競い合い、助け合いながら、ともに成長してきた、仲間・・・ヒビナとアザクが、思いもかけないかたちで、目の前から消えていった。
 アザクは姿を消し、もともとスイーパー予備隊員としても存在しない、「イリーガル」だったことが知れた。そして、そんなアザクを追う内に、アクシデントでヒビナはスイーパーとしての地位を失った。
 自分だけが、取り残されてしまった。
 さらに、同期の中でもずば抜けた実力を持ち、フォルケにとっては羨望の的でもあったメイペ・シノリが、キリィ・キンバレンの秘書という破格の地位を勝ち取り、ばかりか、見習いの自分とは比較にならない、上司であるワグダやカーリカと同等の扱いで、イリーガルと相対する位置にまで上り詰めた。
 メイペがトラッシュを殺す寸前まで追い込んだことには、戸惑いも隠せないが、それは置いておくとしても。
 かつての仲間たちが、数奇な運命にさらされ、その立ち位置をどんどん変えてしまっている。
 自分だけが、当初の目的どおり、スイーパー正規隊員への道を着々と歩めている。それは幸運なだけかも知れない。
 ならばこそ、自分は自分に出来ること、すべきこと、そしてやりたいことを追い求めるべきだ。
 それが仲間に対して、恥ずかしくない生き方だ。そう信じて、ここまでがんばってきた。
 だが、自分の知らないところで、自分の置かれている立場も変わっていた。
 組織の思惑と言ってしまえば、そんなことはあって当たり前なのかも知れない。
 だが、青いと言われようと、問いたくもなる。
 スイーパー予備隊第120期生は、何のためにこんな波乱を味合わなければならないのかと。
「・・・真面目に答えたほうがいいか?」
「当たり前です!」
 ワグダは、ため息にも似た呼吸をひとつつくと、前髪をかき上げた。その答えは、フォルケにはちょっと意外であった。
「お前にイリーガル追跡スペシャルチームの真の指令を伝えなかったのは、あたしの判断だ。後から加わったカーリカも、それは承知している。すまないとは思っている」
「えっ・・・?」
 わりと簡単に、ワグダが非を認めたから。
「お前はたしかにへなちょこだが、そんなのは当たり前だ。未熟だからな。未熟は恥ではない。今のうちはな」
「ワグダ少尉・・・」
「スイーパーってのは、たぶん気づいているだろうが、海千山千の、くせ者ばかりの集まりだ。それはな、今回のキリィ大尉の指令のように、組織の都合だとか、大人の思惑だとか、ドロドロした背景があるからだ。そうでもないと、まじめに考えたらやってられないようなことが多いからだ。予備隊員なのに、スイーパー正規隊の領域に放り込まれたお前にゃ、ちとヘビーすぎるわな」
 カーリカは、ワグダの話が聞こえているだろうが、作業の手を止めることは無く、たんたんと進めていく。
「フォルケ、お前はな、未熟なぶん、どんな未来も選択できる。その選択が何であるかは、あたしゃ知らん。お前の好きずきだよ。けどそれには、O.J.T.だかなんだか、小難しい言葉を持ち出したのはカーリカだが、まずはお前を一人前の男、仕事の出来る男として鍛え上げることが先決だと判断した」
「えっ・・・!?」
 ワグダはニヤリと笑った。
「お前は頭もいいし、変に気がまわる。空気が読める奴は、空気しか読まなくなるんだよ。処世術なんてものは、あとからいくらでも身につく。組織なんて見るな。真似もするな。お前はお前が望むスイーパーの姿を追い求めろ・・・ってことだ」
 フォルケは、じーんときた。
 そう、正直を言えば、フォルケは、「大人の都合」を身につけることも、スイーパーとして身を立てるには必要なんだろうな、と考えていた。だから、「トラッシュを追え、でもトラッシュを捕らえさせるな」という、上からの指示に納得がいかなくても、それをグッと飲み込んで、命令に従うことも、必要なのだろうと自分に言い聞かせていた、気がする。今思い返すと。
 だが、ワグダは、そして恐らくカーリカも、そんなことよりもまず、戦士として独り立ちすることを優先しろ、と言っている。
 そう、フォルケ自身も、ワグダやカーリカを、誰よりも自由だと感じていたではないか。
 それは、ちょっと迷惑に、いやかなり傍迷惑に思ったりもしたのだが・・・
 思うままに、自分が理想とする自分の姿を追求してもいいのだと、示していたのではないか。
「もっとも、これは受け売りでね。あたしもカーリカも、そういうふうに鍛えられたんだよ」
「わかりました。でも、もうちょっと、ボクを信頼してください。ボクはボクなりに、なりたい自分を追いかけます。だから、組織の都合でもなんでも、ボクにぶつけてください。それを超えてこそ、ホンモノのスイーパー戦士になれるんじゃないか、そう思ってますから」
 ワグダは、苦笑した。
「こう来たぜ、カーリカ」
 カーリカもまた、フッ、と、苦笑した。
「100億年早い意見ですわね。お手並み拝見ですわ」
 フォルケは、胸のつかえが下りた気がした。ハチャメチャに見えるけれども、この二人の美人上司は、ちゃんとボクの研修のことも、考えていてくれたんだ。
 そんなふうには、まったく全然100パーセント完璧、見えなかったが。
「それにしても、ワグダ少尉もカーリカ少尉も、今のボクみたいな時期があったってことですよね」
「なんだ? 意外か?」
「いえ・・・」
「言っとくが、あたしらなんて上司としては優しい方だぞ? あたしら自身はもっと厳しく鍛えられたんだから。鬼みたいな上司に」
「ええっ!?(二人よりも鬼って?)」
「気が向いたら話してやるよ。ハル・Jのこと・・・」

     ★     ★     ★

 トラッシュとヒビナは、沈痛な面持ちで、ウィンドボードを駆って、休耕農地のキャンプに戻ってきた。
 コジェは、二人の姿を認めると、
「お帰りなさい、どこへ行ってたんです? 渓流にしてはずいぶん時間が過ぎてますけど・・・」
 心配していたのだろう。珍しく表情が曇っていた。
 トラッシュは、痛む傷跡を押さえながら、
「あ、ゴメンゴメン・・・色々あって・・・」
 ボードから降りながら、身に起きたことを、どう話そうか・・・そう思っていた、ところに。

「トラッシュウウウウウウゥゥッッッ!!!」

 何者かが叫びながら、ドオオンッッ!!と、トラッシュに体当たりして、抱きついた。
「いたたたたたたた! 痛い痛い痛い!! なんなんだ!」
「あ、トラッシュにお客さんですよ」
 さらりと告げるコジェ。シャマルは苦笑いをしている。
 トラッシュに抱きついたのは・・・
 雪もないのにスキーウェア、くりっくりの瞳にくるっくるの髪、トラッシュと同じ背丈の少女。それは・・・
「ラ、ラビ!?」
「心配したよおおおぉぉ〜〜、トラッシュ!」
 ラビは、トラッシュの首根っこにしかと抱きついて、ボロボロ涙をこぼした。
「だから痛いって! 力、入れすぎ!」
「あ、ごめん・・・」
 グスグスと鼻をすすりながら、ラビはトラッシュから離れる。
 ラビはヒビナのほうを向くと、
「ヒビナも、心配だったろう? トラッシュがこんな目に遭って」
「えっ!? あ、う・・・まあ、そうでもあったりなかったり」
 ラビは、また涙目になって、トラッシュに抱きつく。
「さっきここについて、シャマルに聞いたら、トラッシュは大ケガしたって・・・スイーパーにやられたって・・・へたすりゃ死ぬって、いやもう死んでるかもって」
「シャマル、お前ね・・・」
 トラッシュににらまれて、シャマルは肩をすくめる。
 トラッシュは、ラビの背中をポンポンと叩いて、
「心配かけたな。まだ痛いけど、大丈夫だから」
 ヒビナは、初めてラビがめそめそしているのを見た。なりは大きいのに、エトワみたいだ。やっぱり、この子はトラッシュが大好きなんだ・・・と、微笑ましくなった。確かに、この二人は兄妹みたいなもんなんだな・・・
 なぜかヒビナには、同じようにトラッシュとイチャイチャしていても、ラビに感じる気持ちは、メイペのそれとは違っているのが、自分でも妙な感覚だった。
 と、ふいにヒビナは、
「そう言えば、エトワは?」
「まだ、寝てますよ。ぐっすり」
 コジェは、ドメニコットのラボルーム、本来ならトラッシュのための簡易ベッドを指さした。
 エトワは毛布にくるまって、すやすやと眠っている。
「こんだけ大騒ぎしてるのに、肝がすわってるわよね〜」
 と、ヒビナが苦笑し、談笑していた、そのときだった。

 ドオオオオオオンンンッッッ!!!!

「うわあああああぁぁぁっっっ!!??」
 上空から、直径3メートルはあろう、巨大な岩が落ちてきた!
 大音響と振動で、トラッシュたちは足下がおぼつかない。
 ・・・が、エトワはそれでも、眠ったままだった。
「な、な、な、何がおこった!?」
 ヒビナがあわてていると、目の前の岩石の上から、ひょっこり人影が二つ現れた。
 それは・・・
「元気してたか? ヒビナ。恋しい亭主が来てやったぞ!」
「ガ、ガ、ガベイジ!?」ヒビナの声が裏がえる。
 そう、巨岩に乗ってやってきたのは、ガベイジとパビクだった。
 パビクが目を丸くして、
「トラッシュ!? どうしたの、包帯だらけで!?」
「よう、ガベイジ、パビク。まあ、いろいろあってね・・・ところで今日はチビさんたちは?」
「年かさのモイジに預けて留守番させてる。あいつらをそこいらの過保護なガキと一緒にすんなよ?」
「お久しぶり、赤目さん」コジェが、のんきにあいさつする。
「うっす、学者のねえちゃん、あんたも元気そうだな」
「ねえちゃん呼ばわりすんな! コジェに失礼だろ!」
 ぶ然とする、シャマルの抗議に、ガベイジは、
「てめえこそ、オラがいない間に、ひとの嫁にちょっかい出しちゃいまいな?」
「ヒビナのことか? 世界最後の女がヒビナでも、それだけはありえないっての!」
「ちょ、ちょっとシャマル、いくらなんでも失礼でしょ!? てか、ガベイジも、あたしはアンタの嫁じゃないって何度言えば・・・ええい、ツッコミ所が多すぎるわ!」
「うははははははははは!」
 とつぜん、笑い出したのは、トラッシュだった。
「??トラッシュ?」と、怪訝なヒビナ。
「キズから雑菌が脳に入ったか?」と、冷ややかなシャマル。
「いや、にぎやかでいいな、と思ってさ。楽しくなった」
 笑顔のトラッシュが言った。
 ヒビナは、メイペのことで沈んでいたトラッシュが、いつもの明るさを取り戻して、ほっとした。
 と、ガベイジが、気を抜いていたヒビナに向かって、
「そうそう、みやげだ。これ食え」

 ズドオンッッ!!

「うわああぁっ!?」
 ガベイジが放り投げた、でかい物体に、一同は度肝を抜かれた。
 それは、体長2メートル、重さ200キログラムはありそうな、まるまると太ったイノシシだった。
「あら、美味しそう」
「コ、コジェ?」
 平然と言ってのけるコジェに、シャマルは軽くひるんだ。
 これには、ラビが、
「へええ、ガベイジだっけ? トラッシュの見舞いに来てくれたの? こんな豪勢なおみやげ持って・・・」
「バカ言え。これはだな、オラの嫁に・・・」
「だ〜か〜ら〜!」ヒビナがツッコミ疲れしてきた。
 ふと、トラッシュは首をかしげて、
「それにしても、ラビもガベイジも、なんでここに・・・」
 ラビが応えて、
「トラッシュが心配で、様子を見に来たんだ。そしたら、シャマルと、コジェって子がいて、事情を聞いて、大変なことになってるって・・・」
「まあ、大変ちゃ大変・・・って、そもそも、なんでオレが心配って思った? それに、この場所がよくわかったな?」
「それは、なんというか・・・虫の知らせ、ってやつ?」
 トラッシュは、いぶかしげに・・・
「ホントかよ、いくらなんでもそれは・・・」
 すると、ラビは頭をガリガリかきながら、観念した表情で、
「あー・・・こんなこと言うと、頭オカシイって言われるかも知んないけど・・・ボク、よく同じ夢見るんだ。ヒラッヒラした格好した、キレイな女の人の夢。ボクは、女神だと思ってるんだけど・・・」
「えっっ!?」トラッシュは、仰天した。
「夢の中で、女神さんが言ったんだ。いや、言われたような気がしただけかな・・・トラッシュに何かあったって。で、どこに向かえばいいかも教えてくれた。だから、ウィンドスキーをぶっ飛ばしてきたんだ」
 ヒビナは、あきれながら、
「なにそれ、そんな理由で!?」
「でも、今までも女神さんの言うとおりにしたら、何事もうまくいったんだ!」
 それを聞いたシャマルは、
「おい、トラッシュ、確かお前も、夢の女神のお告げで、この旅を始めたって言ってたよな?」
「あ、ああ・・・」
「現に、トラッシュがこんなことになってたわけですよね・・・」
 コジェも、怪訝そうにそう言う。学者としては、あまりに非科学的なことに、戸惑っているのだろうか。
 ふいに、トラッシュが、ガベイジを見ると、ガベイジは赤い目をまん丸にして、黙り込んでいた。
「ガベイジ・・・?」
 すると、ガベイジの隣で聞いていたパビクが、
「お屋形さま、今の話・・・お屋形さまがいつも見るっていう夢にそっくりじゃ・・・もしかして、今回、トラッシュのところに行くぞーって言い出したのも!?」
「お、お前、それは・・・」
 明らかに、動揺しているガベイジ。
「ええっ!? マジか! じゃ、ガベイジも女神の夢を・・・」
「・・・女神かどうか知らんが、スケスケのねえちゃんが夢によく出るんだよ!」
「スケスケって・・・言い方がやらしいな」あきれるシャマルだ。
 これには、ヒビナが、
「ト、トラッシュ、ほんとなの? いつもスケスケの女の夢見てるの!?」
「まあ、スケスケっちゃ、スケスケだけど・・・」
「うん、スケスケだ」こちらは、ラビ。
「・・・いやらしい! なんていやらしい夢見てんの! サイテー!」
「夢にまで責任持てるか!」
「まあまあ・・・トラッシュも健康な男の子なんですから・・・」
「コジェ、それってフォローになってんのかな・・・」
「それにしても、ボクら3人、同じ夢を見るなんて・・・なんか因縁でもあるのかな?」
 後半は、冗談半分のラビだ。
「う〜ん・・・」
 トラッシュがうなった、そのとき。
「ふわああああぁぁぁ〜〜〜」
 大アクビをしながら、エトワが一同に加わった。
「あら、お目覚め? エトワ」コジェがそう言うと、エトワは、目ぼけまなこをこすりながら・・・
「・・・ラビ、ガベイジ、早かったね?」
「はあ??」
 エトワの言葉に、一同、そろって首を傾げた。

 そんなトラッシュ一同のにぎやかな集まりを、雑草の陰から見つめている者がいた。
 黒い忍者装束の、それは少女。忍者スイーパー、ギギエだった。
 ギギエは、トラッシュをにらみつけていたかと思うと、きびすを返し、風のごとく、その場を去っていった。

     ★     ★     ★

 薄暗い、林の中。
 黒い袖無しスイーパー制服姿。言わずとしれた、デタン・デズ・デギウスが立っている。その足下にひざまづくは、ギギエ。
「ガベイジを監視していたところ、思わぬキツネと接触しておりました」
「なるほど、イリーガルめ、そんなところで傷を癒していたか」
 デタン・デズは、スイーパー専用のタブレットPCで、スイーパー向けの全展開情報を確認していた。
 そこには、黒い衣装の少女の画像が張り付けてある。
 メイペ・シノリが、イリーガル=トラッシュを重傷にまで追い込んだ情報は、デタン・デズにまで届いていたのだ。
「あのべっぴんさんが、こんな飛び道具だったとは、キリィのやつめ・・・」
 これは、使える。
 例によって、いつもの懲りない算段が、デタン・デズの頭の中で弾けた。

     ★     ★     ★

 エトワは、トラッシュのウィンドボードを抱えて、一同の前に立った。
「トラッシュのウィンドボードから、ぶわーってパワーが出て、トラッシュのケガを治すのに手助けになったじゃん。だから、ラビのウィンドスキーと、ガベイジのウィンドお盆・・・」
「お盆じゃねえ! ウィンドスレッジだ!」ガベイジがツッコミを入れる。
「そうだっけ? そのウィンドスレッジであわせて3つもキツネのイラストがあるでしょ? もっともっとトラッシュにパワーをくれるんじゃないかと思って」
「へぇ〜、なるほど! 面白そうじゃん?」と、ラビが乗ってくる。
 だが、ガベイジは・・・
「なんだと? 訳のわからんこと言いやがって・・・オラがそんな子供の寝言に乗るとでも思うのか?」
 それに対し、ヒビナは、
「ほんと、ガベイジってへそまがりよねえ・・・」
「よせやい、オラのそんなところに惚れたなんて」
「誰がそんなこと言ったのよ! でも、正直、あたしもどうかと思うけど、エトワの話・・・」
 シャマルは、
「コジェはどう思う?」
「う〜ん、確かにウィンドボードがグラフィティを呼び起こして、それがトラッシュの傷を癒やしたようには見えましたけど・・・」
 困ったような表情のコジェだ。
 現象は認めるが、原理がわからないと入り込めないのは、学者ゆえだろうか。
 ガベイジは、
「とりあえずイノシシ食ったら、帰るぞ! パビク。ヒビナの愛情の確認は出来た」
「誰が愛情って!・・・ああ〜めんどくさいわ、コイツ!」
 エトワは、
「えーーーーーっ、みんな、ひどいよお!」
 すると、パビクは、
「お屋形さま、オイラ、エトワのアイデアを試してみても良いんじゃないかと思うんです」
 そう言ってガベイジに食い下がった。
「あんだと? お前、いつから向こうの味方になった?」
「お屋形さま、聞いてください! お屋形さまはトラッシュとなれ合うのがイヤなんでしょうけど、オイラはトラッシュに借りがあります。オイラやモイジやママルメイたちのもとに、お屋形さまを取り戻してくれたのはトラッシュです。だから、今、トラッシュを助けることが出来るんなら、借りを返したいって思ってます」
「それが、あの子供の言うことを聞くことだってのか」
「・・・ダメですか?」
「なんだい、結局、オラにトラッシュのためにウィンドスレッジを使えって言ってるんじゃねえか!」
「お屋形さま・・・」
「・・・ったく」
 ガベイジは、ずかずかとエトワの元へ歩み寄ると、
「・・・ほらよ」
 マントの下から、まるいお盆のような、「空飛ぶそり」ウィンドスレッジを引っ張り出し、エトワに手渡した。
 エトワは、ぱああっと明るい笑顔をすると、
「ありがとう! ガベイジ!」
「壊したら承知しねえぞ?」
「ありがとうございます、お屋形さま!」
「パビク、てめえ、最近オラに意見しすぎだ!」
 シャマルは、小声でコジェに、
「ガベイジの奴、なんだかんだ言って、子供に弱いよな」
「ふふっ、赤目さん、悪い人じゃ無いのは知ってるでしょ? シャマル」
「えっ、まあ・・・そうだけど」
 こちらはコジェに弱い、シャマルだった。
 トラッシュは、まったく出番が無く、ポカーンとした顔でいきさつを眺めているしかない。
「決まりだね! じゃあエトワ、ボクのウィンドスキーも!」
 ラビはそう言って、エトワの前にウィンドスキーを持ち込む。裏返すと、1対のスキー板に1匹ずつ、計2匹のキツネのイラストがあらわになる。
「ラビ、ありがとう!」
 そしてエトワは、ウィンドスキーのそばにウィンドスレッジ、そしてウィンドボードを置く。
 エトワの前の地面に、4匹のキツネのイラストが一堂に介した。
 エトワは、しゃがみ込むと、手を組んでお祈りのポーズをした。
 ヒビナ、シャマル、コジェ、ラビ、ガベイジ、パビク・・・そしてトラッシュは、息を飲んで、エトワの一挙手一投足を見守る。
「セイレイよ・・・トラッシュに力を!」
 エトワがつぶやく。
 トラッシュはというと、どうしてよいのかわからず、キョロキョロしていたが、やがて「気をつけ!」のポーズを取った。
 すると、ウィンドボードのキツネイラストが、先日のように、青く、ぼうっと光り始めた。それにつられるように、ウィンドスキーも、ウィンドスレッジも、そのキツネイラストが青く光り始めた。
「・・・ホントに、エトワの言うように?」
「セイレイの力が?」
 セイレイが何であるか、未だに謎なのだが、シャマルもコジェも、その言葉でしか表現できない、不思議な現象を目撃している。
 青い光が、一同の顔を下から照らす。
 やがて・・・

 ドオオオオンンッッ!!!
 カアアアァァァッッ!!

 先日と同じく、めくれ上がった休耕農地から現れたグラフィティが、まばゆい光を吹き上げた!
 コジェによりあらためて調査されたこのグラフィティは、色数が多い、その分、エネルギー反応も強い、伝説のグラフィティに匹敵するものであることがわかっていた。だが、ドメニコットによって収められたこのグラフィティのデータを、コジェはまだファウンデーションに報告していなかった。
 シャマルから、トラッシュにまつわる様々な不思議体験を聞いたコジェは、トラッシュのアートによってグラフィティが生み出されたこと、今もキャンピングカーの車体に一つ、それが刻まれていること・・・あまたの謎の現象を知った。グラフィティについて、かなりの調査と研究を行ってきたコジェをしても、初めて知ったことばかりであり、情報と考えを整理する必要を感じていた。
 そして、うかつにこのことを報告すれば、イリーガルと呼ばれるトラッシュと、その一行を危機にさらすかも知れない。その思いで、まだ戸惑いがあったのだ。
 発光現象を、まるで花火を見るように、テンションを上げているのはラビだけだ。ガベイジも、パビクも、初めて目にするグラフィティ、そしてそのすさまじい発光現象に、息を飲んでいた。

 そのときだった。

 ドオオオオンンッッ!!!
 カアアアァァァッッ!!

「えええええぇぇぇっっっ!!??」
 光を吹き上げるグラフィティとは別に、ヒビナたちの背後のほうから、新たなる振動と、発光現象が起こった!
 これには、エトワも驚いて、目をまん丸にしている。
 今この場所からは、1キロメートルほど離れているのでは無いだろうか。
「な、なんだ、もしかして、あれも・・・グラフィティなのか!?」
 シャマルが驚嘆の声を上げる。
 と、あまり間を置かずに、

 ドオオオオンンッッ!!!
 カアアアァァァッッ!!

 また、別の場所からも同じ現象が起きた。
「あっちからも、光が!」
 ラビが指さす先は、ここ休耕農地から見ると、渓流の方角になる。渓谷のさらに奥の方だろうか。
「あれも、グラフィティ? では、わたしたちは今、3つのグラフィティ、その発光現象に囲まれている・・・?」
 コジェが言ったとおり、3つのグラフィティ発光現象の地点は、いびつながらも三角形を描き、彼らはその中にいることになる。
「ど、どういうこと? あたしたち、たまたまグラフィティに囲まれた中に、キャンプを張っちゃったっての?」ヒビナが、震える声で言うと、
「いや、それは、あまりにできすぎな話じゃないか・・・?」シャマルもまた、脂汗をひたいに浮かべる。
 それを受けて、コジェは、
「・・・こうは考えられないでしょうか? わたしたちが思っているより、グラフィティはもっとずっとたくさん、そこここに隠れていて・・・今は、この場所に一番近いグラフィティが、発現した・・・」
 そしてそれは、ウィンドボード・スキー・スレッジのキツネイラスト、そしてエトワの祈り・・・それらによって発動した。言葉にせずとも、誰もがその考えを共有していた。
 3つの、七色の光の柱が、天をうがつように吹き上がる。みな、次第に言葉を失い、それを眺めている。
 だが、先日とは異なる点が、コジェには気になっていた。
『この前みたいに、光のしぶきが、降ってこない・・・?』
 光の柱は、まるで階層の天井にまで達するのでは、と思わせるほど、空高く高く延びていき・・・
「あ・・・アレを見て!」
 ヒビナが叫んだ。
 3本の光の柱を頂点とする、天空の三角形。その三角形の内側に、光の渦潮が生まれた。
 それは、七色に輝きながら、空に広がってゆき・・・
「あれ、見たことある・・・」
 ヒビナはつぶやいた。
「・・・そんな、あれは、もしかして・・・」
 シャマルが続く。
 トラッシュは、見覚えのある、その七色の光の渦に、息を飲む。
「あれって、極点・・・?」
 光の渦の姿は、階層と階層をつなぐとおり道、極点の姿にそっくりだった。

     ★     ★     ★

 七色の光の柱、そして光の渦。
 それを彼方にのぞむ空の上で、ゆるやかに飛行するメタリックな円盤型の機体、フィアト・ルクス。
 銀色の機体には、光の柱の七色が映り込む。
 その内部、メディシン・ルームにて、黒いコスチュームに身を包み、ボンデージなボディ・スーツのボタンを留め、袖を直す少女。
 メイペ・シノリ。
 その表情は引き締まり、秘めた決意を感じさせる。

     ★     ★     ★

 同じ頃。
 七色の光の柱をのぞむ、とある岩場に、同じように光を放つ大地があった。
 だが、岩盤の下から発する光は、七色の光に触発されたかのように輝いてはいるが、光の柱を吹き上げるまでには至らなかった。岩盤に亀裂が入り、その隙間から光が漏れる。
 やがて、ガラガラ・・・と岩盤は割れて崩れ、そこには、「光る縦穴」が現れた。
 直径3メートル、深さ十数メートルのその穴は、内側の壁に、幾何学的模様のような、抽象的で不思議な色彩の、絵があった。
 そう、グラフィティだ。
 グラフィティが、あたかもパイプの内側に描かれているかのようだ。
 七色の光の柱につられるように、おなじく光を放つそれは、縦穴の内側に描かれているせいか、光を天に放つのでは無く、穴の内側で渦を巻いている。
 まるでこの縦穴は、グラフィティの光のるつぼのようであった。

     ★     ★     ★

 スイーパー・ゴールド階層中核都市デルファイ・シティ。
 夜を迎えても、天に届かんと競い合うような摩天楼たちは、光のモザイクをちりばめて、その威容を示す。
 夜空に突き刺さる169階建のスイーパー本部ビルは、眠らぬデルファイ・シティの夜にあって、下界ににらみを利かす巨人のようだ。
 そんな巨人の足の下に、グラフィティ・ミュージアムはあった。20:00AMをもって閉館となるはずのそこに、日付の変わる今時分にかかわらず、明かりが灯されていた。
 そこにいたのは、ただ二人の人物。
 キリィ・キンバレンと、ザイラ・ファギレルだ。
「ほんとうに、秘書抜きでおこしいただくとは・・・」
「まあ、半分はオフのようなものだ。本来は、家内とオールナイトの映画を観に行くはずだったのだがな。この時間をおいて空きがなかったものでね。家内のご機嫌が怖いよ」
「そんな貴重な時間をさいていただいてまで・・・」
「貴様の案内で、グラフィティを見たかったというのもある。そもそもグラフィティには明るくなかったわたしだが、あのコジェ・オリクと、キリィ・キンバレンが組んで、本格的に研究に乗り出したとあっては、がぜん興味がわいてくるというものだ」
「では、残りの半分というのは?」
「ふふん、いずれ返事はもらうと行っていたはずだ」
「綱紀粛正・・・ですか?」
「わたしとキギ大佐との間で、板挟みなのは重々承知だ。きびしい選択を迫っているのは、申し訳ないことだが・・・」
「いいでしょう、ザイラ議長には目をかけていただいたわたしとしては、いつまでも優柔不断でいられるはずもない」
「おお、では、白黒はっきりつけてもらえる、というのだな?」
 キリィは、無言で微笑んだ。
 ふと、立ち止まるキリィに、怪訝そうな表情のザイラ。
 キリィの目線の先には、三方の壁と、天井と床、五面のグラフィティで囲まれた、行き止まりの展示空間があった。
「おお、これは・・・オープニングセレモニーでも気になっていたが、この空間の演出は秀逸だな。細い通路を抜けた先には、グラフィティで囲まれた空間がある・・・ここは、一つの宇宙のような趣だ」
「さすがはザイラ議長・・・芸術(アート)をご存じならではの表現です」
 ふと気づくと、ザイラは、ひとりで五面グラフィティの部屋に立っていた。キリィは、細い通路にたたずんでいる。
「この五面グラフィティ、最後の一面・・・この入り口側にもう一面あれば、六面すべてを完全にグラフィティに囲まれ、いや、包まれる。そう思いませんか?」
「そう言われればそうだな・・・そのほうがもっと、グラフィティを体感できるだろう」
「そうしなかったのには理由があるのですよ。グラフィティに、取り込まれてしまうからです」
「グラフィティに・・・取り込まれる!?」
 キリィが、妖しい笑みをもらした。それを見たザイラは、背筋にゾクッ!と、電気が走るのを感じた。

 バンッッ!!

 五面グラフィティの部屋の、入り口側に、天井から壁が降りた!
 それにより、部屋は完全に閉ざされ、ひとりザイラが封じこめられた。その「最後の一面」には・・・
 黒と白とグレーだけで描かれた、不気味な巨大グラフィティがあった!
 まがまがしい、無数の渦がうねるような絵柄。
「お、おい! キリィ! 冗談はよせ! ここを開けろ!」
 壁と天井と床、六面すべてをグラフィティで囲まれたザイラは、ゾッとする感覚におそわれていた。
 すると、第六の面、黒いグラフィティが、次第に赤く輝き始めた。まるで、黒い炭に火がともり、燃え上がるように・・・
 赤い輝きに照らされるザイラの表情が、恐怖に歪む。
「おい・・・なんのつもりだ! キリィ! やめろ! ここから出せ!」
 残り五面のグラフィティも、黒いグラフィティにつられたように、次第に輝き始める。決して熱くはないのに、ザイラは光に焼かれるように感じられた。
「わたしの答えを申し上げましょう。スイーパーは統制されるべきだ。だがそれは、人間によってではない」
 光に、肉体を、頭脳を浸食されてゆくザイラ。
「ぐあああああああぁぁぁぁっっっ!!!」
「ぞんぶんに、芸術(アート)を堪能なさるがいい、ザイラ・ファギレル議長・・・」

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>>>第2章第12話へつづく。
次回「渦巻く野望」

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